現在地は、本谷と一本松沢(登山地図にこの名前がある)のほぼ中間地点。
このまま進めば、まもなく「問題の場所」(一本松尾根:仮称)にさしかかると思われる。
「問題の場所」というのは、いまから1時間20分ほど前に対岸から見た、路盤の消失地点のことである。
正攻法ではとても超えられ無さそうな、最高に危険なムードを醸し出していたが…。
はたして…。
現在地は、本谷と一本松沢(登山地図にこの名前がある)のほぼ中間地点。
このまま進めば、まもなく「問題の場所」(一本松尾根:仮称)にさしかかると思われる。
「問題の場所」というのは、いまから1時間20分ほど前に対岸から見た、路盤の消失地点のことである。
正攻法ではとても超えられ無さそうな、最高に危険なムードを醸し出していたが…。
はたして…。
2008/10/12 9:55
石垣のあるところを過ぎると、行く手の上部に岬の大岩が風を切っている姿が見えて来た。
もしこの様な地形のところであれば、路外に出ての迂回は一切不可能と言うことになる。
道が途絶えればそれで万事休すだろう。
いつもなら、大概のところでは「まあ何とかなるだろう」と楽観的な観測のもと歩いている私であるが、この時ばかりはドキドキというか、ひやひやして堪らなかった。
今さらプレッシャーを感じてもどうすることも出来ないのに、現れた景色をただ粛々と受け入れて対応するしかないのに。
そう分かっていても、もはや時間的に潰しの利かないところに来ている私は、焦るのだった。
大岩の下に入ったが、道は猛烈な藪のままで、これといって歩く上でのコンディションに変化はない。
実はここに来て、藪の密度がまた凄まじいことになっていた。
これまででは、本谷を渡る直前の300mくらいが一番酷いと思っていたが、ここも相当のものがある。
本格的に右足の土踏まずが痛くなってきた私は、自分でも分かるほどペースが落ち始めていた。
それだけではない。
ふくらはぎも太ももも、疲労による重だるさがだんだんと痛みに転嫁されつつあった。
どういう訳だか知らないが、今日の私の右足は…最低だ。
10:00
燃えるもみじに囲まれた、小さな谷に出た。
谷と言っても水は無いし、見上げたところに鋸歯のような尾根が見えている。
これが「一本松尾根」に違いない。
高烏帽子山から下りてきたこの尾根が、間もなく道路と交差する地点に、問題の”決壊”は予見されている。
こんなに美しい紅葉を、心から美しいと思えるのは、きっと目的を達成して引き返してくるときだろう…。
左岸に負けず劣らず、この右岸も景色の良いところであった。
正面には本谷が平野へと開けていく開放的な風景を一望出来たし、対岸には清水峠から朝日岳に連なる県境尾根を高らかと見上げる事が出来た。
そして、そこには常に一条限りの道筋が見えていた。
言うまでもなく、我々の通ってきた道であり、そして再び歩かねばならない道である。
この雄大で森厳な山岳風景を、「国道廃道」という私にとって一番上等な特等席から眺めるのは、幸せなことであった。
これまでの苦労が報われた思いがしたし、また苦労してでも来る価値のある場所だと、そう思った。
10:03
ついに行く手を尾根に遮られた。
今のところはまだ道が続いており、特に問題はない。
ただ、尾根を一目見て分かったことが、ふたつある。
ひとつは、空を背にした尾根は、さほど高くはないが、相当に切り立っているということ。(迂回の可能性は?)
そしてもう一つは… (次の写真はカメラを左へパン)
道があるべき高さに、地形の変化が見られないということだ。
ちょうどこの写真の中央付近に、尾根を回り込むように道があるはず(地形図)だが、上下の山腹とは傾斜と植生の両方に変化が見られない。
これはどうしたことだろう。
真っ正面にトンネルでもあるなら別だが、そうでない限りは当然山腹を回り込んでいるはず。
「どうせ崩れたんだろう」と思うかも知れないが、何となく腑に落ちないのである。
幅5mもの道が全く失われるほどにゴッソリ落ちた地形には、なんとなく見えない。
もっとも、見えないからといって、そういう事実が無かったとは言えない。
私の想像を超える規模で、崩壊が起きたのかも知れない。
ましてそれが100年も昔のことであったとしたら、何もかも痕跡を失っていても不思議はないかもしれない。
尾根の向こう側には、一本松沢という「登山地図」に名前の付いた沢が流れているが、こちら側にも沢と言うほどではないが谷筋がある。
そして、道はこの小さな谷筋を埋め立てているのか、それとも堆積物のためなのか、清水国道上では珍しい平坦な空き地になっていた。
全体的に灌木が生えていて、その広がりは把握しきれないが。
ここは尾根の懐へもぐり込んでいく感じがあって、もしかしたら、本当に尾根を潜る隧道があったりして…。
と、我々は少なからず期待を抱いてしまった。
我々が隧道を期待したのも無理はない。
なにせ、近づけば近づくほど尾根は屹立の度合いを増し、その基部から天辺まで、直に岩盤が露出していたのだ。
表面に草付きはあるが、森にはほど遠い。
だから、岩盤を隧道が抜けている風景をリアルに想像出来た(長さは20mもあれば十分向こうに届く)し、なにより、この先のあるべき道が見あたらないのだから、隧道への期待感というか「助けてー」という気持ちが大きかった。
だが、現実はあくまでも厳しかった。
やはり、この尾根を素直に巻いて進むしかないのだ。
広場から、道の想定される方向へ出る。
上記の表現には違和感があるかも知れない。
なぜ「さらに道を進む」ではないのかと。
それは、広場の先には本当に、道らしいものが残っていなかったからだ。
しかし、これだけ灌木の密生する表土を残して、幅5m近い道が全て落ちて消えると言うことが起こるだろうか。
100年前であったとしても、なお不自然ではないだろうか。
もしや、尾根を回り込む長い長い桟橋があったのだろうか…。
実は私もくじ氏も、本当は隧道が有ったのではないかという疑念を、いまも消し去れないでいる。
怖ェー
山腹に取り付いて水平移動をしようとするのだが、そこは案の定もの凄い灌木のジャングルで、地面に身体を接する事さえ難しい。
揺れる灌木を足掛かりや手掛かりに、バランス良く進むのだが、これがすごく怖い。
写真では、藪が密すぎて路盤も有るように見えるかも知れないが、そんな物は幻想だ。
実は地面は右端だけで、足の下には木しかない。
ここでもし落ちれば、そのまま70mか80mも下の本谷まで止まらず「逝く」可能性がある。
これだけ灌木が茂っていてそんなことがあるかと思うかも知れないが、残念ながら、この灌木は我々の味方をしないだろう。
彼らはみな鼠返しよろしく谷側に傾斜しており、雪崩同様に転落するものに対しては、抵抗を示すことはない。
それどころか、旺盛な反発力をもって、パチンコのように私をより高く遠くへ弾き出すかもしれない。
木にしがみついて、必至な形相で水平移動をするうち、私は灌木たちの悪意を肌で感じたのだ。
戦慄した。
くじ氏は野生動物のようにしなやかな身のこなしで、右斜面上部へと離れ、遂に見えなくなってしまった。
私はといえば、滑落の恐怖と藪の猛烈な反抗の前に、相変わらずギクシャクとした牛歩を続けていた。
直前に見た風景からは、尾根までの水平移動は30mくらいだと分かっていたが、実際には1分で1mも進めていないような、停滞した状況となりつつあった。
くじ氏との身体能力の違いを見せつけられて悔しいしが、この斜面は私が入って良い場所じゃなかったらしい。
一人探索だったら、おそらく踏みとどまってもいただろう。
これはもう歩くというより、腕力で木にぶら下がって進むに近い状況である。
公園にある雲梯(うんてい)を想像して欲しい。
腕力はからっきしな私にとって、これは泣きたいほど辛い場面。
しかも、落ちればマジ逝きの危険がある。
しかめっ面に、冷暖両面の汗が幾筋も流れた。
マジで道なんかねェ…
つうか、地面がねェ…。
気付いたときには、垂直に切れ込む絶壁の縁にいた。
視界が嫌らしく開けた。
鼠返しに負けて、図らずも私は徐々に下降してしまっていたのだ。
その結果、禁断の領域に片足を突っ込んでいた。
な、何とかしてくれ…ッ。
手も足も踏ん張り続けなければならない無理な体勢のまま、私は心の中で泣き言を吐いた。
流石にここでは先へ進みたいという心より、迂回でも何でも良いからこの斜面から脱走したい気持ちが勝った。
しかし、四方どの方向へ進むのも、立ち止まっている以上に危険という、遭難を匂わせる笑えない状況になっていた。
私は両腕に渾身の力を込め、必至に懸垂運動をして灌木の鼠返しをよじ登った。
そして、くじ氏の赤いリュックを追った。
いた!
くじ氏発見!!
なにやら、座り込んでいる?!
くじ氏の赤いリュックの向こうには、明るい空が見えている。
こんな激藪に這い蹲っているのに、空が見えているということは、あそこが尾根であるらしい。
それも、かなり危険な予感が…。
10:17
わずか30m進むのに15分近くもかかったが、遂に、数時間前から我々を悩ませ続けた「問題の場所」に到達した。
ここが超えられなければ、今回の挑戦は「2.9km」で打ち止め。
わずか1km足らずを残して敗北と言うことになる。
くじ氏が踏みとどまっている場所の向こう側が、どうなっているのか。
くじ氏に「どうなってる?」と聞いてみたが、「道無いぞ、道あるの?」と言う返事が返ってきた。
無いのか??
…マジで?
すぐに自分の眼で確かめたかったが、二人が並んで同じ景色を見ることも出来ないほど、この「突端」は狭く、自由にならなかった。
常に灌木を握っていないと身体の安定もままならない、もの凄い急斜面の一角なのである。
我々の姿勢を想像してみて欲しい。
二人はリュックを背負ったまま並んで俯せになり、そして自分の前にある枝を払って、視界の窓を確保した。
それはさながら、年の近い仲むつまじい兄弟が、雪の夜に曇った寝室の窓ガラスを一緒に掌で擦って、窓の外の雪が積もるかどうかを相談しているような…。
そんなメルヘンでのどかな風景であったが、童話と異なるのは、ここが地上80mの絶壁上であって、寝返りなどすれば死ぬと言うことだ。
徐々に広がってゆく窓の先には、本当の一本松尾根が見えていた。
彼我の距離は20mほど。
「一本松」ではないものの、おそらく杉と思われる針葉樹の叢(くさむら)が見える。
その根元の辺りは、少し周囲よりも傾斜が緩やかに見え、もしかしたらあそこが道の「次手」なのかもしれない。
というか、それ以外に候補と考えられるような場所はない。
一本松尾根は、馬のたてがみを思わせるような急峻さであった。
問題は、そこへ辿り着くための残り20mだ。
もう少し右が、見たい。
うんしょ、
よっしょ
危険を承知で身体を伸ばし、藪を押す。
ちなみに、くじ氏は高いところが苦手だったが、ここ数年で流石に克服してきたようだ。
完全無欠の日は近い。
そして、国道291号の進路が、明らかとなった。
無理。
一目見て、無理だった。
くじ氏の意見も全く同様。
まあ、彼が色々道具を使えば、彼だけは通過できるのかも知れないが、少しもそれをしようという意見は出なかった。
地形による、圧倒的封殺だった。
しかし、今度はすっきりした。
道があるのに進めないのでは悔しいが、ここにはそれらしい道も見あたらない。
本当に隧道が無かったのなら、どうやってここを超えていたのか、教えて欲しいよ。
橋?
橋桁の長さが知りたいよ。
開かない扉は、存在しないも同然。
この進路は、放棄せざるを得ない。
尾根越えが出来なければ、次々回は帰路編だ。
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