国道291号 清水峠(新潟側) <リベンジ編> 第7回

公開日 2009.3. 11
探索日 2008.10.12


尾根越えへの挑戦








道がない。







現実の重さに、呼吸が苦しくなった。





藪が深くたっていい。 我慢しよう。

橋なんて無くたっていい。 下って渡ろう。


遺構なんて、なくたっていい。


…この道を辿りきることさえ出来れば、それでいい。


踏破さえ叶えば、それでいい。


それが本音じゃないか。

大きな石垣を見付けたから満足なんて、嘘っぱちだよ…。





この時の私の表情は、どんなだっただろう。

きっと、顔面蒼白。

言葉も出なかった。








対岸から見た時点で、この結末をどこかで予見していたと思う。

だから、あんなに正視するのを躊躇ったんだと思う。



たかが進めなくなっただけで、何を大袈裟な。

尾根を超えて迂回できる可能性があるんでしょ?

もしそれも出来なくなって、また機会を改めて来ればいいじゃない?




それは正論だが、分かってはいるが…。

しかし、

清水国道への敗北を、

これ以上繰り返すことなど、

私は我慢ならないんだ。


また1年待つなんて、嫌なんだよ…。







(現在地)から、本来ならば地点へ進む予定だったが、地形図に描かれているこの道は存在しない。落差70mのスプーンカット状絶壁になっている。
ここで時間的にも唯一可能性のある迂回ルートは、地点(一本松尾根)へ登ってから、その向こう側の一本松沢へ下って道の続きに復帰するというルート。

こうして茫然自失としていても本当にタイムアウトしてしまうので、早速、尾根への迂回を敢行することに。

 しかし…




2008/10/12 10:20

せっかく設置した橋頭堡を放棄する苦労は、筆舌に尽くしがたいものがあった。
また、「命がけのうんてい遊び」をしなければならないのだ。

しかも、来たときのルートが訳の分からない迷走だったので、改めようと(少しでも楽をしようと)少し進路を変更したら、さらに深みにはまった。
大きな葉っぱがジャングル風な、“スーパーしなやか”灌木帯にまり込み、たちまちリュックやカメラポシェットを絡め取られて身動き不能の有様に。
笑っちゃうようだけれど、いっときは頭が足の下に来て、ほとんど宙づり状態になっていた。

こんな情けない醜態を、くじ氏は目撃することなくさっさと抜け出していってしまっただけに、助けを呼ぶことも出来ず…。

ほんと、ここまでさせられて最終的に踏破できなかったら、マジで今夜は“荒れる”からな!

覚悟しておけよ…。清水峠。








むおぉぉ!!









2008/10/12 10:30

きっかり10分後。

生還。

「隧道擬定地」こと、尾根直下の行き止まりへ。



こっからもういちど、仕切り直しだ。


清水国道攻略最終作戦だ!




…と、 息巻いてはみても…

これのどこが「作戦」なんだか。

どう考えても、やろうとしているのは単なる「強行突破」だ…。

しかも、当初はさほど高くないと思っていた尾根が、いざ登ろうと思うと意外に高かったりして。


この草付きの崖を直に登るか?
途中で墜ちて捻挫でもしたら、それだけでももう自力下山はほとんど不可能になる。遭難騒ぎ直行だ。
それは、オブローダーとして致命傷。
清水国道に迷惑をかけたくない。
これは大袈裟でもなんでもなく、この場所で足を満足に動かせなくなれば大変なことになる。
そのリスクを、私は理解しているつもりだった。

では、左の方には超密度灌木帯があるが、そっちはどうだ。
しかし、灌木の上はやはり岩場だし、そもそもあの「ねずみ返し」の灌木をノーザイルで登ることは不可能に近い。

残る右はと言えば、急激に尾根が高くなっているので登らねばならない高さが段違いなうえ、正面以上の一枚岩で、これは一番無理。






10:32

「くじさん。 ちょっとこれ登れるか試してみるわ。」

私は彼の目の前で、正面の草付きに取り付いた。


前言と矛盾してないかって?

仕方がないだろう。

途中で落ちそうだと心配するより、落ちないように登る努力をしよう。
もし落ちたにしても、その瞬間にも怪我をしない努力をしよう。
まだまだ、「やった」の先にも選択肢は沢山ある。
その全てを最初から放棄するのは、無理だ。

ここでチャレンジしないで終われば、間違いなく後悔する。

別に無謀なことをしようとしているのではない。
心のままに、動くだけ。
私は、これまでのオブローダーとしての経験の元に、自身の身体に命令を出すはず。
それに従うことは、決して私にとっての無謀ではない。

そう信じなければ、私の今はない。




何度かルートを試行錯誤しながら、3mくらい登った。

これは登る切れるかも知れないと思った。

そして初めて、下にいるくじ氏に声をかける。

これは行けそうだぞと。(←いつもの楽観主義が戻り始めていた)

登るのには、灌木帯と草付きの境の部分を利用した。

そこには、左半身を引き揚げるための丈夫な手掛かりがあり、同時に右半身を支持する堅い岩盤があった。

登るにつれ、我ながらこれは良いルートだと確信した。




それにしても、たった数メートルで眺めがずいぶん変わった。
路上から見るのとはまた違う迫力というか、地平が遠退いたことでより一層、この場に“包まれた”感じがする。
ビルの屋上に脚立を立てて上ってみると、これと似た体験ができる。
足元は数メートル下の屋上だとしても、脳はもっと高い場所と錯覚して遙かに怖くなれる。(高所恐怖症克服法)


 さあ!

 さらに登るぞ!

楽しくなってきた。
さっきまで、遠くに見える難関にビクビクしていたのが嘘のように、今の心は開放的だ。
廃道で障害に突き当たり、そこを頭脳と肉弾で乗り越えていく場面は、最高にハイになれる。
しかもその先にあるものが未踏であれば、なおさらだ。

こんなに恵まれたオブローディングの機会は、そうあるものではない。
2ヶ月前に「塩原新道」でも同じことを思ったが、やはり未踏廃道は最高だ。





開けた視界に、岩と土の崖が現れた。

今度はこれを登る。

もう空は切れている。

この上に、宿願の尾根が待つ。




少し登る度に、写真を撮って記録した。

もしこの登攀が徒花に終われば、きっと使わない写真だろう。

それでも、崖に刻んだ一足一手を記録するかのように、沢山の写真を撮った。


そして、そんな写真のほとんどが、使われることなく、ディスクに眠っている。


崖にへばり付いて撮った写真なんて、後から見ても大して面白いものではなかったからだ。
「この草付きに手を引っかけて登る」とか「この灌木を足掛かりにする」とか、そんなことを写真で記録しても、仕方のないことだった。
自身を含め、誰の役にも立たない写真だった。

記録するだけ野暮とは言い過ぎかも知れないが、とにかく、登りきれば勝ちだった。

くじ氏も、崖のそういうストイックなところに惹かれるのかも知れないなと思った。




また振り返る。

さらにグッと高くなった。

高所には耐性があると思っている私だが、これは流石に怖かった。

さっきまで見物していたくじ氏も、私の順調を見て斜面に取り付いているので、姿は見えなくなった。


 登れ登れー!

 我々の勝利は、目前だ!!






やったー!

10:37 《現在地》


一本松尾根に到達。


眼下に、一本松沢の思いのほか広大な谷が広がった。

それはおそらく圏谷(カール)と呼ばれる、氷河の名残の地形だ。

すぐにくじ氏もやって来て、この大きな大きな一歩の喜びを分かち合った。


しかし、まだ祝杯を挙げるには早い。


尾根を登ったのは、あくまで先へ進むための緊急手段。


ここから反対側の道へと下ることが出来なければ、全ては水の泡なのだ。


ドキドキしながら、尾根の向こう側を覗き込んでみると……。







 う。

 うう…


ど、どうだ…。

微妙か…。


でも、一応灌木は茂っているので、ぶら下がって下るつもりなら出来ないことはない…。
こんなやばそうな急斜面なのに、「絶対無理」じゃないと分かっただけで、喜んでいる自分がいた。

やり遂げた気持ちになっている自分がいた。


それにしても、ずいぶん登ったものだ。

心配なのは、帰りに登って来れるのかということだ。




カメラのズームで、道の続きと思われる辺りを拡大してみた。

木がもの凄い密生しているので分かりにくいが、それでも一部の岩盤が露出しているくらいの急斜面だ。
特に下の方が急なようだ。

というか、あの露出している岩場を清水国道の法面に仮定すると(破線ルート)、この真下に隧道が疑われる。
またそう考えると、尾根から“そこ”へ切れ落ちている右のスプーン状の斜面は、隧道坑口が圧壊した跡の陥没地形に似ている気がする。




下れば、ますます帰りが辛くなる。
ここまででも既に「4時間の藪漕ぎ」という、実に重い“荷物を背負って”来た訳だが、下れば自ら退路の閉ざす危険さえある。
唯一安全が(有る程度のレベルで)担保されている往路を失うのは、非常にリスキーだ。

もっとも、そんなことを言ったって、リスクを承知のうえ下るに決まっている。
「絶対に無理」という地形でない限りは、下らないという選択肢はなかった。
これを下って、あと1km歩けば、我々の勝ちなのだ。
もう、「時間」も「体力」も関係ない。
何が何でも行くまでだ。 (←という気持ち)

この方針について、当然くじ氏も完全同意。
難関突破の目処を付けた我々のテンションは、いつになく高い。
自ら勝ち取った270度の大パノラマを、満喫する。




眼下の一本松沢を越えれば、試練の本谷越えは完結する。

あとは、藪は深くとも比較的平穏で無事?な、前半戦同様の廃道に戻ると思う。
ほころびなく山腹を覆い尽くした森が、頼もしい。

…まあ、去年のことを思い出すと、ナル水沢(ゴール)の直前にも不安材料が有るのだが…。
それはまた、そのときに考えればいいだろう。





靴幅くらいしかない戸板のように狭い尾根上を、数メートルだけ北に移動した。
尾根に登ったときから、そこに「凹み」が有ることに気付いていたからだ。

写真でも、前方に尾根を横切る凹みが分かると思う。
その向こう側では、一気に尾根は高度を上げている。

全体としては南下がりになっている尾根上での、イレギュラーな凹み。
もちろん、自然の地形であっても不自然ではないのだが、地中の隧道が崩壊したゆえの陥没ではないか。

そんな疑いを持つ。




凹みは、深さ2m、幅2mほどであり、底は赤土が露出した裸地になっていた。

ここに限らず、尾根上はねじれた灌木と岩と赤土が支配する、痩せた場所だ。

本谷に突出した尾根であるから、冬には日本海側からの季節風をもろに受けるのだろう。




200〜300m離れた対岸を望む。
ちょうどオキイツボ沢が真向かいにある。
また、山腹には明瞭な水平線として、数時間前に歩いた道が見えていた。
ここから見る限り、オキイツボ沢は急峻だが崖ではなく、素手でも登って行けそうだった。
もっとも、本谷が歩ける保証はない。

また、くじ氏の“近さ”が、尾根の狭さを物語っている。




そして、これまでの軌跡を振り返る。

よくもまあこんなところに… という眺め。
この見える範囲を移動するだけで、我々は3時間近くも費やしている。

テレビの中でしか見たことはないが、ちょっとチベット辺りの道っぽい感じもする。
これでもしジープが通れるくらいの道が残っていたら、マジで“水スペ探検隊”の道だ。

これでも法律上は、「一般国道291号」の現道だというのだから、まったく畏れ入る。


また、これはあまり知られていないが、
明治の廃道化後に一旦は県道以下に降格した道が、国道へ返り咲いた昭和29年以降、
実際に国道としてクルマを通すべく、新潟側から再開発が進められた時期もある。
峠にたどり着くことなく中止されたが、角栄氏次第で、開通していたかも知れない。




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新たなる その一歩


10:41

未知への一歩。

路盤復帰への一歩を、踏み出す。


登ってくるときは成り行き上私が先頭だったが、下りは崖慣れしたくじ氏に前を進んでもらう。

おそらく路盤は、約15〜20m下にある。




すばらしい!

急なことは急だが、岩場と言うよりはガレ場に灌木が密生している状態で、心配したほどの苦労はなく下ることが出来た。
これならば、登り返しも可能である。

どうやら最大の難所は、一本松尾根の南面の登りにあったようだ。

我々は試されていたに違いない。
あそこは、岩一個、木一本、心一つの違いで、断念も十分あり得た。
だが、あそこで諦めていたら、この先は無かった。

この興奮も、生まれなかった。




10:47

急斜面をほぼ下りきり、崖錐(崖の下の瓦礫などが堆積した緩斜面)に出た。

残念ながら、道は見あたらない。
この崖錐の底に埋もれているに違いないが、確かに右側の崖は崩れやすそうな雰囲気である。
一本松沢の浸食も関係しているに違いない。

まあ、ここに道が見あたらなくても、心配はしない。
尾根さえ越えてしまえば、こっちのモノだ。
沢の向こう側には、微かに道の痕跡らしき水平ラインも見えている。

問題はない。




ただし、まだここを離れるわけにはいかない。
探すべきモノがふたつある。

ひとつは、ショートカットした尾根へ繋がる道形があるのかと言うこと。
もうひとつは、隧道の痕跡があるのかどうかだ。


そして、探した結果、どちらも見つからなかった。

正直、歯切れの悪い展開である。
隧道か尾根への道。
そのどちらか一つでも発見できれば、全てスッキリなのだが。




まず、尾根の方向である。

実際にはこの写真を撮影した後、もう5mほどは藪に突っ込んで偵察した憶えがある。
だが、そこでは写真を撮らず、すぐに引き返している。

なぜかと言えば、道が無く、ただ猛烈な灌木に没した崖錐の斜面が続いていたからだ。
またここで、先のような往復30分の徒労をしでかす訳にはいかないという事情もあった。

ただし、道がないのはこの一帯が崖錐斜面になっているのだから当然で、それだけで(当初から)道が無かったとは断定出来ない。




そして、一番注目されるところの隧道であるが…

無い or 現存しない


擬定地は広い範囲ではなく、しかもその一帯に、ご覧のような崖錐がドデンと居座っている。
残念ながら、現存するが発見できなかったという可能性はほとんど無いと思う。

だがそれと、隧道が有ったか無かったかの問題はまた別だ。
もし隧道なら、それは清水国道の正史に加わるべき大ニュース。

しかもくじ氏は、「隧道以外、考えられねぐねすか?」と言っている。
彼は純粋に現地の地形を見てその結論に至ったはずだ。
一方で私は、「隧道のない根拠となる資料」を引き合いに出し、隧道があった可能性は低いと、終始懐疑的な見方を崩さなかった。

この私の、資料を盲信した探索態度は反省すべきだが、それはともかく、こうして淡々と隧道の存否をレポートしているのは、無かろうという先入観と、最終的に隧道が発見されていないからに他ならない。

もしも先入観の無いまま事態に当たっていれば、天下の清水国道の未知なる区間に、オブローダー垂涎の“廃”隧道が新発見されるかも知れない。
そんな事態を意識した時点で発狂し(!)、発見できなかったショックで寝込んだかも知れない?!






懸案の尾根は越えた。

後は 最高の瞬間 を目指すだけ。


だ け ど、

このままじゃ、なんか気持ち悪い。


次回ではレポを中座して、“明かりだったのか隧道だったのか” を、
可能な限り徹底的に検証したいと思う!

皆様からのご意見&情報提供も、お待ちしています!