2008/10/12 7:36 【現在地:デトイツボ沢】
前回まで「居坪坂沢」と仮称しておりましたが、登山地図などに「デトイツボ沢」の表記があるとの情報提供を頂きましたので改称します。(既に前回までのレポも修正済みです)
「上の分岐」より50分。
700m地点であるデトイツボ沢最深部に到達した。
そこには、水のない沢筋が道を穿っていた。
おそらく数時間前までは流れる水があっただろう。
道はここで折り返し、次なる尾根へと向かう。
これまで本谷源流部を外界の視線より隠し続けた天然の衝立、「朝日尾根」へ。
くじさん。
あそこじゃねーか…。
去年の…。
沢といえば普通は見晴らしの利かない場所が多いが、ここは地形の急峻さとそれに伴う高木不在のため、流下方向に大きな視界の窓が開いていた。
そしてその視界の中央には無念の谷、昨年我々が撤退を余儀なくされた「ナル水沢」が、豁然と示されていた。
しかも、これまで見ることができなかった相当に奥の方まで見えている。
それどころか…
もし見間違いでなければ…
見間違えじゃない!
間違いなく道が見える!
前回と今回とを繋ぐミッシングリンク。
我々の踏破が達成されるためには、必ず踏まねばならぬ道。
しかもそれは“明日あさって”の道ではない。
今日、数時間後には辿り着いていなければならない道…。
遠い…。
またしても石垣が現れた。
路肩の下に、高さ2mほどの苔むした石垣が10mほどにわたって続いている。
だがこれは半ば偶然による発見だった。
路肩の石垣の発見を「偶然だ」とは不自然に思うかも知れないが、道の中央に立ったときに路肩や法面を見通せないほどの藪が大半である。
しかも、この道は明治馬車道と呼ばれる道の中でもとびきり道幅が広く、5〜6m(記録では3間)が標準である。
我々はそのような路上を、少しでも藪の浅い場所を探しながら常に蛇行しながら歩いてきた。地図上で数える距離より実際には1割も2割も多く歩いているだろう。
このような状況下で石垣を探しながら路肩だけを歩くことは難しく、また全体的に見れば路肩側よりも日影になることの多い山側の方の藪が浅い傾向があって、我々が残っている石垣の一部を見過ごした可能性は大いにあるだろう。
土砂と草むらに埋もれた道が続いている。
目にしても撮しても、さほど楽しくはない景色。
本谷沢へ近づくまで、路上の風景に大きな変化を求めることはできそうもなかった。
そんな中、自身の先行きを安堵させる光景を欲する我々が、唯一視界の開けた谷側への“脇見”に夢中となったのも、無理のないことだった。
…って、それは言い訳がましいか。
単純に、谷の見晴らしはすばらしかった…。
かつて旅人たちも見た景色。
上越山脈から見下ろす、日本海側の広がり。
日本一の「コシヒカリ」を育んだ、日本一沃(こ)えた平野。
清水国道の開削は、明治の元勲と呼ばれる人たちが描いたこの国の未来の姿を、具現化するためのものであった。
首都東京と新潟の新たな国際港と結び、信濃川と利根川の水運とを結びつける、国の幹道。
だからこそ、馬車には越えられない山岳にも道は通された。
理想、虚像、時間、困難、撤退、恐怖、執念、希望、
そして、興奮。
この地にうねったあらゆる想いが、私の目に映る景色に広がりを与えていた。
右の写真は、上の写真の一部を拡大したものだ。
昨日の夕方登ってきた十五里尾根は、想像以上に遠くに見える。
去年何度も九十九折りを描きながら絡んだ送電線の列もずいぶん下だ。
どちらも遠い。
遠いけれど…
ともに「下の分岐」よりは近いのだ。
さらに遠い清水集落など、山の裏側に隠れて見えもしない。
清水峠の大きさ高さは言うまでもないが、何よりも清水国道の道のりの長さだ。
この景色の中で我々が費やした汗と時間は、他のどんな峠よりも大きい。
デトイツボ沢を越えて、道の状況はさらに荒廃の度合いを深くした。
それまでは藪は深くても路盤自体はしっかりしたのだが、法面が崩れて道を埋めている場所、反対に路肩が崩れて道が狭まっている場所などが、頻繁に現れるようになった。
いずれも前進に差し支えるほどではなかったが、平坦な道を進むのとは比較にならない疲労を我々の内へと蓄積させていた。
その事が現実的な兆候となって現れてくるのは、まだもう少し先のことであった。
路上の景色に好ましい変化は無く、目に付いたものと言えばこの赤く熟れた草の実くらいのもの。
熟れてはいても、絶対に美味しく無さそうな実だ(特に葉がそう感じさせる)。
秋だというのに、この山は決して実り山ではない。
ゼンマイもワラビも無ければ、キノコさえ見あたらない。
私のパソコンの大変深いところにある「マイドキュメント-My_photos-山チャリ写真-2008-081012_清水峠リベンジ-キノコ画像-お気に入りキノコ」フォルダには、今のところ1枚の画像も入っていない。
先ほどから魚沼平野の上空には雲の切れ間が見えていたが、依然強い北風によってその範囲は急速に拡大し、遂にこの本谷斜面にも眩い朝日が差し始めた。
頭上のまだ濡れたままの木の葉が、黄金色の光を反射させる。
前夜の少眠せいか、藪を黙々と払いのけながら頭の中には薄靄がかかり始めていた私だが、嬉しさに目の覚めた。
去年の撤収の悔しさは雨の景色と強烈に結びついており、清水国道における雨の印象は非常に悪かった。
そこにきて前夜も雨のせいで眠れぬ夜を過ごさねばならなかったのだ。
雨が邪魔をする限り、我々の前に清水国道の関門は開かれはしない。
私がそんな気持ちになるのも無理はなかった。
だからこそ、この晴天は我々にとって福音であり、吉兆をなすものだと感じられた。
ただし、現在のところ晴天は我らの上空止まりである。
木々の向こうに城壁のごとく立ちはだかる本谷対岸の稜線は、未だ雲霞の装いを解いてはいなかった。
神風を思わせるこの強烈な北風の前では、遠からず対岸も晴れの住人となるだろうが、明と暗とが画然と対比されたこの光景は、より一層対岸の“魔城的迫力”を増大させていた。
際立っていた。
早く…、道のあるレベル(高さ)の状況が知りたい!
アノ岩盤の下に、緑の森が広がっていてくれることを祈らずにはいられない。
谷の底まで裸の岩場が重なり合っているような状況なら、泣く。
次の尾根(朝日尾根)に着けば、新たな前方視界が得られるに違いない。
晴天という順風を得たことで、より積極的な心理状態になった我々は、いっそう張り切って身体を動かした。
藪は間断をつけつつも総じて深く、まして今回は往復行であることを思えば、その一歩一歩が二倍の重みを持っている。
それでも身体は止まることがなく、低・中・高のあらゆる藪を突き越えてゆく。
意識と身体の心地よい一体感に私は包まれていた。
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8:17 【現在地:朝日尾根】
「上の分岐」より1.1km地点、仮称「朝日尾根」に着いた。
とはいえ、明確に「着いた」という感じのしない場所である。
デトイツボ沢とオキイツボ沢という2つの沢の中間地点だから「尾根」と呼んだが、そこに明確な稜線があるわけではない。
先に名前を出してしまったが、我々のロードマップ上にある次なる目的地は「オキイツボ沢」という。
登山地図にはそんな名前で書かれている沢は、いよいよ本谷沢源頭の一翼をなすものである。
おそらくオキイツボ沢の景観は、こことはまったく異なった物になっているだろう…。
いや。
既に景色の変貌は始まっている。
1時間前には、我々の頭上を森が覆っていた。
しかし、いまやその森は疎らな存在である。
そして…
遂に
我々は見ることになった。
本谷源流部、対岸の道。
我々にとっては、少しだけ未来の道。
一年、求め続けた道。
ラインは、あえて引かない。
我々はここに道を発見し、そして…
言葉を失った。
森があって欲しいという願いは、虚しく散った。
森など無かった。
あるのは、鮮やかに染まった灌木の茂み。
そして、隠しきれない灰色の壁。
そんな岸壁に刻まれた、たった一筋の爪痕。
寡黙なくじ氏のひと言が、ズシンと来た。
「 なんか途中、 道ねくね スか? 」
…途中の道がない…。
私も…、 実はそんな気がしていた。
一部、道が切れているような気がした。
それも、 絶望的な位置で。
…でも、
いまはまだ確かめないことにした。
対岸を凝視しているくじ氏を急かして、次の藪の中へ追いやった。
私もそれを追う。
いずれ、もっとはっきりと見えるときが来るだろう。
いまはまだ手前の枝葉が邪魔をして、視界は決してクリアーではない。
そんな状況で何かを見て気に病むのは、面白くない。
というか、ぶっちゃけ
先送りをしたいだけだった。
最後通告かも知れない眺めを、まだ認めたくなかった。
1年楽しみにしてきたんだもの。
そんな簡単に「行けません」なんて、言われてたまるか。
うお!
石碑だー!!
…と思わず法面に駆け寄ったが……。
正体は、ただの石?
いかにも人工的に置かれたもののように見えたけれど、肝心の“碑”の表面には文字らしいものが全く無い。
崩れた石が、またまこうなっただけなのだろうか。
裏返したりしてみたけれど、やっぱり自然石だ。
…偶然か?
対岸がすごいことになっている。
我々の進む道のラインは、もう少し下の方と思われ見えないが、
はっきり言って見たくない。
無理に路肩に近づけば見えるかも知れないけれど、
見たくない。
そこまでして見たくない。
失望したくない…。
“対岸の火事” では済まなくなってきた。
此岸でこれだけの視距を得たのは初めてだ。
規模こそ小さいものの、いかにも氷河谷らしいU字型の谷である。
これが本谷左岸最後の支谷、オキイツボ沢のようだ。
対岸に見えるのと同じような岩の剣が、我々の頭上にも現れ始めた。
この谷の雰囲気は、おそらく対岸の絶壁に近い。
だからここを無事踏破できれば、対岸の踏破への大きな自信に繋がるだろう。
これは今後の展開を占う試金石となる、重要な行程である。
オキイツボ沢入渓。
谷に入る場面で2mほどの段差があったが、手掛かりとなる灌木が多く、これは問題にならなかった。
良い兆候だ。
遠目には如何に不完全でも、確かに路盤の存在が感じられる。
さすがは国道と呼ばれた道。
馬車を通すため無理矢理切り広げた道幅は、当時その維持が難しく仇となったが、いまの我々にとっては「命綱」となるかもしれない。
5mもある道幅は、そう簡単に消えたりしないのだ。
ここが前回撤退地のような“土山”ではなくて、頑丈な“岩山”であることも、良い方向に作用している。
いま歩いてきた道がこれだ。
どうだろう。
十分険しく見えるだろう。
対岸とそんなに変わらないぞ?
灌木に守られた1mの幅さえあれば、我々は進める。
8:34 【現在地:オキイツボ沢】
ゴーロの下を伏流気味に少しの水が流れるオキイツボ沢。
「上の分岐」から約2時間かかって、1500mの地点に着いた。
時速1kmを当然のように割り込んでいる。
荷物の削減など工夫をしたつもりだが、背丈を越える灌木の嵐はいかんともし難い。
あと、右足の土踏まずに異物感を感じ、靴を脱いでみたが何も入っていなかった。
なんだこれ?
ともかく最初400mもあった本谷との高低差は、いまや150mを切っている。
折り返し地点となる本谷越えまで、あと500mだ。
ここまでは、完全踏破に向けてまずまず順調な滑り出しと言って良いだろう。
対岸に不気味な爆弾を抱え込んだまま、
本谷への最終アプローチへ。
次回、さらなる衝撃が我々を襲う。
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