2011/9/16 6:04 《現在地》
上陸成功!!
何とか上体の力だけでコンクリートの岸壁によじ登り、
身体全体から大量の水を吹き出すように垂らしながら、立ち上がる。
その場所は路肩ではなく、その一段下にある法肩であった。
目指す道路と坑口は、まさに目の前…!
誰も知らない無人島に上陸するような、至福の興奮に私は包まれていた。
不快であるはずの濡れた衣服の着心地も、まったく覚えていないくらいだ。
さて、上陸地点から向かって左は坑口、右は水没する路盤である。
当然ここは、坑口へ先に行く。
万が一、次の瞬間にダムの管理者に発見され、退去を命じられたとしても、ここへ来た目的だけは果しておきたい。
やや扁平な印象を受ける半円に近い断面に、2車線の道路が吸い込まれている。
当然、洞内に光は見えないが、坑口自体は何ら塞がれておらず、まるで現役の道路のようだ。
もし遠目にも明らかに坑口が塞がれていることが分かっていたら、こうまでして訪れようとは思わなかっただろう。
…。
うぎゃ〜…
俺を誘い出すためのワナ…。
トンネルは、西口坑口から10mほど入った地点で、人工的に閉塞させられていたことが、
いまはじめて判明した。
流石にキチーだろ、これは。 ヨッキ涙目だろ。
まあ、洞内のどこかが閉塞しているのは知っていたし、それがどこかってだけの問題だったわけだが…。
坑口部ではなく、外からは見通せないぎりぎりの位置が閉塞壁って、マジでワナ。マジワナ。
わなわな…。
流石にショックはでかかったが、容易にたどり着けぬ路盤に触れ、入ることの出来ない坑門を前にしたシチュエーションは、私に常時興奮を供給し続けたので、さほど興も殺がれなかった。
←地上と水中とを、かなりの頻度で行き来しているであろう坑門は、その水位の変動で洗われているせいなのか、はたまた単純に新しいからなのか、廃であるという現実を受け入れがたいほどに“小奇麗”に見えた。
逆にいえば、苔さえも育てぬ苛酷な環境だということだろう。
←さすがは仮設構造物。坑口には扁額のような、些かの記念製を付加させるものも存在しない。
→また、意外であったのが、照明器具が取り付けられたままになっていたこと。
取り外して再利用することは考えられなかったのだろうか。
人工的に閉塞させられている西口だが、しそれでも“内部”の存在を感じさせる要素は存在していた。
それがこの左右の写真に写っているものたちである。
←洞内から水がわずかに流れ出ている暗渠。しかし、仮に蓋を取り外したとしても、人が入れるサイズではない。
→閉塞壁の下部は垂直の壁になっているが、この部分にも2つの小孔が存在していた。
サイズは東口で見た“空気孔”と同程度である。ここにも水が流れ出た形跡有り。
これらの孔から洞内へ潜入することは不可能だが、こうした孔が存在するということは、内部に大きな空洞が存在する事を示唆しているように思う。
しかも、その内部の空洞は、ダムの水位の変動に伴って水を蓄えたり、排出したりを繰りかえしていると考えられる。
路面に口を空けていた暗渠は集水渠だと思われるが、これは一般のトンネルにもある。もちろん、本来は水の排出だけを行う装置である。
水位の上昇によって、地底に最大で300m×断面積分の容積を持った半密閉された水プールが出来ているという図は、正直想像しづらいスペクタクル&ロマンである。
おそらく周辺の地盤への影響を考慮して、何らかの洞内の補強も施されていよう。
許されるならば、次は通気口からCCDカメラでも突っ込んで、中を覗いてみたいものである…。
紐を取り付けた小さなデジカメでも中に入れることは出来そうだが、暗くて撮影が…。 って、俺、赤外線カメラ持ってるわ…再訪決定か…w。
これは…イイ!
洞内に入って…さほどの奥行きは無いのだが…そこで振り返ってみた景色は、
まさに私が“期待していた”ものであった。
トンネルを出た2車線道路が、静寂を完全に取り戻した緑色の湖面に、為す術なく呑み込まれている。
この眺めは、このトンネルのスペシャルなシチュエーションを、最も端的に現していた。
閉塞壁に肉迫。
それは単純な壁ではなく、スーパーで売られている卵のパックの下敷きのような模様のコンクリート壁面を中心とした、複雑な断面を持った閉塞壁である。
この洞内の壁には、幾筋もの水平線が、模様のように現われていた。
水平線と比較することで、路面の勾配も知られる。
東西坑口の標高には、目視で約15mの差があるが、トンネルの水平長である約300mを標高差を割れば、おおよその勾配1/20が導き出される。
これをお馴染みのパーセント表記に直せば5%となり、トンネル内は結構な坂道であったことが分かる。
また、構造的に水捌けの悪い部分はまだ湿気っており、位置的に雨水の作用とは考えられないから、やはり私の見ていないところで、湖の水位変動は日夜繰りかえされているのだと感じた。
しかし本当に、この場所で半日ほど時間を潰せば、足元に水が迫ってくるのだろうか?
…なんだか、信じられない怖ろしさだ。
そして、斜面部分の奥に、真の閉塞壁と思われるコンクリート壁面の上部が見える。
不可思議なのは、このコンクリート壁の構造である。
坑口部よりもひとまわり小さな断面の閉塞壁があるように見える(しかもその位置は、トンネルの中央よりも左側に寄っている)。
この断面の変化?には、2つの可能性が考えられる。
ひとつは、現役当時からこのトンネルは洞内で狭まっており、閉塞壁はその狭まった断面に適用されていること。
もうひとつの可能性は、現役当時は全体に一定の断面であったが、閉塞を行う時点で水密などの目的で断面を故意に縮小し、その縮小断面に対して閉塞壁を建造したことだ。
平成9年まで、このトンネルは一般国道として供用されていた。
どなたか、当時の写真を撮ってはいないだろうか?
せめて、トンネル内に断面の変化があったかどうかだけでも、ご存じではないだろうか?
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坑口から約15m。
もうどうやっても、これ以上は進めない。
このトンネルと同時期に一連のものとして建設された“3号トンネル”こと、今日もここへ来る途中に通ったダムサイト脇のトンネルを思い出すと、両側の坑口附近のみがコンクリートの巻き立てで、内部はコンクリート吹き付けになっていた。
そこから考えると、この2号トンネルも(坑門だけで内部を見る事が出来ない1号トンネルも)、ここから奥は内壁はコンクリート吹き付けだったのではないだろうか?
また、3号トンネルの洞内は単純な直線だが、2号や1号トンネルは複雑なカーブや勾配を洞内に有していた。
その姿を二度と見る事が出来ないのは悔やまれるが、それはもうどうしようもない。
(もしもこの扉が開かれれば、1号トンネルの内部を知ることが出来るのだが…)
完全閉塞壁を背にして、私が手にした全てを見下ろす。
コンクリートである部分は、目で見て分かるような劣化はないが、
天井の照明の金属部には、早くも塗装を浮かすような錆が生じている。
配線もそのままに残されており、生きながらにして沈められたかのような、
廃されるものの哀れを感じた。
見下ろす路面には、よく見ると私が記したフットプリントが、ヨタヨタと続いていた。
水から上がっても、最初は浮き輪を外すことさえ忘れていたのに、
洞内が閉塞していることを確認した途端、一時愕然として、ポロッとそれを落とした。
まさに、ワルニャン改め“オブをする河童”の人間味溢れる軌跡である。
6:08 上陸から4分後。
2号トンネル西口の探索を終了し、地上へ戻ってきた。
湖面へ呑み込まれていく路面には、左車線にのみ赤い縞々の滑り止め舗装が施されていた。
いまは常時湖に沈んでいて見る事は出来ないが、この先にはかつて2連の九十九折りがあって、
葛野川の底に架かっていた仮設橋に向かって、数十メートルの高低差を一気に駆け下っていた。
走り屋と呼ばれる人々が、夜な夜な集まってはその技を競っていたという情報もある。
坑口の周囲は、コンクリートを吹き付けたほぼ垂直の斜面に囲まれており、地上からのアプローチは不可能であると考えていた。
だが、対岸からだと擁壁の裏になって見えない坑口脇の一角だけは、その壁が途切れていて、鶴寝トンネルの東西両口のどちらかから、ここまで山腹をへつって来られれば、必ずしも湖面移動をせずに訪れることが出来るという事が分かった。
おそらくそれは、WFKで湖面を進むよりも、遙かに重労働かつ高難易度であろうが…。
ゼブラ舗装の道は、坑口から30mほどの地点で唐突に水没しており、
その先は濁った水のため、どうなっているのか推し量る術もない。
辛うじて、正面の法面が右にカーブしている事から、そこに右カーブが沈んでいる事を知るのである。
この画像は、私が探索を行う約1ヶ月前の8月下旬に撮影された、西口の様子である。
撮影されたのは「いろいろやってみるかな」管理人のTcodeF氏である。
なんということだ!
こんなに水位が下がることもあるのか!
私が探索したときでも、水位とトンネルのマージンにはかなり余裕があったが、氏の撮影した写真では、さらに水位が3mは下がっている。
おかげで、2段の九十九折りの上段のカーブが地上に現われている!
しかし、こうして水位の低いときの風景を目撃すると、私がぷかぷか浮かんでいた下がどんなに深かったのかが如実に分かって、怖い…。
末端部からは、ダム堤体の一部を見る事が出来た。
対岸までの距離は、短いところで約250m。
私が湖畔伝いに移動してきた距離の倍近くもあり、これをWFKで渡るのは、
目立ちまくると言う事も含めて、ほとんど現実的ではない。
帰りも来た道(?)を戻ることにした。
喫水線は日夜変動しているため、漂流物の堆積はほとんど無く、特に土砂は全く見られない。
もしもトンネルが塞がれていなければ、ここは水上バスのコースとして、興のあるものになったかも知れない。
トンネルを抜けてすぐに水面とか、なかなかワクワクするではないか。
なお、路肩にはガードレールの支柱を差し込むための穴が残っているが、ガードレール自体は見あたらなかった。
おそらく水上交通への支障を考慮して取り外されたのだろう。
また、穴の中には湖水が残っており、数〜十数時間まで水中にあった事を教えていた。
私が初めて湖面に身を浮かべた時には、影の中に沈んでいた対岸の山々が、
いまは湖面すれすれまで、燦々たる朝日を浴びていた。
もう瞬刻もすれば光が湖面に届き、本格的な9月16日が始まるだろう。
そうすれば、ぼんやりと西天に浮かぶ月も、消えて無くなる筈である。
爽快な朝の空気を、肺一杯に吸い込みながら、
世の中が動き出す前に隠密行動を終える為の準備に、取りかかる。
さらばだ。
もう来ることもないだろう、西口。
私を新たな境地へと誘い込んだ、魔窟よ。
帰りも来たときと全く同じように、律儀に湖畔伝いを泳いで戻った。
要した時間は13分。これも行きとほぼ一緒である。
6:27 無事、シンケイタキ沢へ上陸。
当然、全身がびしょ濡れではあったが、着替えは特に準備しておらず、
気温の高いのに任せて、自然に乾くのを待つことにした。
そしてこの後の私は、水位の低さに乗じ、湖に沈んでいる林鉄の探索を少しだけこなし、
午前8時過ぎには、ダムの職員と入れ替わるように、現地を後に帰宅した。
まさに、初秋の朝靄のような探索だった。
少し怖いけど、たのしかったなぁ〜。
WFK先生の次回作を、ご期待下さい!