隧道レポート 国道474号 草木トンネル (旧三遠南信自動車道) 第4回

所在地 静岡県浜松市天竜区
探索日 2011.3. 3
公開日 2011.9.22


草木トンネル本坑〜草木側坑口



2011/3/3 6:41 《現在地》 

…本坑に戻ってきたなう。


避難坑はどうしたのかって?

もったいぶることにしました。

しかし、これが実際の探索の順序でもある。
避難坑は確かに多少面白そうだったが、本坑を中途半端にした状態で、先に避難坑を探索するのも、なんか気持ち悪かったのだ。
まずは本坑をちゃんと最後まで探索してから…ね。

本坑探索を優先する。
次に目指すは、200mほど先に見える、もう一箇所のホワイトライト部だ。



非常駐車帯を出発してから2分後。
やはり今度も非常駐車帯であったが、さっきとは向きが違う。
さっきは上り線側だったが、今度は下り線側にあった。

こういう風に、待避所が互い違いに存在するのは、完成2車線ないしは暫定2車線で開通させた証しである。(4車線化されるときに片側の非常駐車帯は封鎖される)
対して最初から2+2の4車線以上で建設される道路トンネル(最近は余りないが)の場合は、第1通行帯側(路肩側)にのみ非常駐車帯が設けられる。

それはそうと、今度は歩道側に非常駐車帯があるせいか、電話ボックスに明かりが灯っていた。
しかし、壁の向こうの避難坑のことをずっと考えていた私は、すっかり電話ボックスの存在を無視し、本当に現役かどうかを確かめるのを忘れてしまった。すまぬ。




そして、非常駐車帯とセットで、また「非常口」と書かれた横坑が現れた。

傍らには「51」のキロポスト。
さっきの非常駐車帯からは、0.2だけ減っている。

先ほどよりはだいぶ気軽な気持ちで、今度もまた扉に手をかけた。

扉の向こうに期待したのは、闇。
私が避難坑を離れてから3分が経過した今、私が点けてしまった照明が、今度は消えていることを願った…。
貧乏性と言われそうだが、あれだけの照明を数分間点灯させる電気代は、いかほどか。 もちろん、その場合も扉をまた開けたことで、再び点灯するとも思ったが…。ちゃんと自動で消える事を確かめ、安心したかったのもある。

さあ、果してその結果はいかに?! 

【結果は動画でどうぞ!】




ふたつめの非常駐車帯を立ち去った私は、残りのトンネルを漕いだ。

完全に半分を過ぎても、勾配に目立った変化はみられない。
すなわち、高速道路としては限界と思えるくらいの上り坂(5〜6%?)が、飽きることなく続いている。
そしてそれは、長い左カーブの向こうにやっと出口が見えてきて、最後外に出るときまで、変化が無かった。
最初から最後まで、1300m以上が全部登りだった。
出口の見えないトンネル内の登りは、サイクリストにとって“修行”と捉えられる苛酷な場面である。

地図上の草木トンネルは、草木峠を越える単独の山越えトンネルのように見えるが、実際にはこの先に予定されていた遙かに長い県境のトンネル(兵越トンネル(仮称))へのアプローチの一部であって、ここにサミットはないのだった。




6:48 《現在地》

結局トンネル内時間は14分ほどで、避難坑という大きなやり残しはあるが、一旦貫通して先へ来た。

1300m以上もあるトンネルを抜け、翁川から草木川の谷へと舞台は移ったが、地名にはほとんど変化が無い。
浜松市-天竜区-水窪町-奥領家と大字レベルまで変化無く、小字のみ池島から北島(きったしま)に変化しただけだ。

池島と北島は直線距離で2kmと離れていない同じ村(大字)の隣り合う集落だが、草木トンネルが平成6年に開通するまで、一旦水窪町の中心まで下らないと車の往来は出来なかった。
その迂回の距離は20kmを超えていた。→【マピオン確認】

だから、予定されていた三遠南信道としては使えなくなったものの、トンネル自体がまるっきり無駄だったというわけではない。
それは、これらの小さな集落の便益と言うことばかりでなく、草木トンネル開通以前は、国道152号の不通区間(青崩峠)を迂回する為に兵越峠を通る場合、12km以上も草木川沿いの林道(現在の市道水窪白倉沢線)を通らねばならず、冬期など非常に危険かつ不便であった事も解決されたのである。



一般道化により、こちらも特に異常な姿ではなくなっている、草木トンネル東口。

ただ、自専道時代には無かった歩道に附属して、新たな脇道が作られていた。(矢印)

その先には手摺り付きの階段があり、さらにその先はと言えば、なにかの碑が置かれた平場になっていた。

行ってみよう。




平場に置かれていた二つの石碑は、いずれもここに平成7年まであったという、水窪小学校草木分校の跡地記念碑であった。
碑の背後の山、つまりトンネルが掘られている山の斜面には、ここがまだ静岡県なんだと思い出させてくれる猫額の茶畑があった。

さて、ここまで探索していて、まだ見つからない物がある。

それはなにか。

避難坑の出口である。

この坑口の山側に口を開けていて良さそうなものだが、全く見あたらない…。



これまで、ひと続きの避難坑と思われるものを、3箇所で目撃している。

西口坑口と、トンネル内の2箇所の非常駐車帯にあった横坑がそれである。

図中に黄色く示した部分は、実際に確かめたわけではないが、おそらくそこに避難坑が通っているだろうと予想される場所だ。
この通りならば、東口は青い矢印のあたりにあると思われたわけだが…。

見つけることが出来なかった。

これについては、外から捜すのは結構大変そうなので(もしかしたら地中で行き止まりなのかも知れないし)、あとで内側から確かめようと思う。




高速道路だったという事実を忘れそうになる、普通っぽい風景。
歩道の視覚的効果は極めて大きい。
舗装に残されたゼブラ模様や、テーピングで一部を隠された青看は、何かを言いたげだが…。

この青看はもちろん、一般道化に伴って、緑看から取り替えられたものだ。
消されているのは路線番号で、よく見ると下地に「152」の数字が透けている。

現在ここは国道474号なので、単に間違いを隠しているだけとも考えられるが、或いは将来的には国道152号へと変更される計画があったりするのだろうか?
流石に国交省直轄の道で、こんな初歩的な青看の発注ミスがあるとは思えない。




この一帯の標高は740mもあり、一般道化するまで静岡県で最も高い位置にある高速道路だった。

路肩から下流側を見ると、数軒の家並みからなる北島集落が間近に見えた。
その中を通る幅の広くない道は、かつて国道の代替路として使われていたものだ。
このさらに下流にも、トンネルの名前となった草木集落があるが、私は見たことがない。

前回も取り上げた「青崩峠道路懇談会への報告(国交省中部地方整備局・平成17年)」には、草木トンネルの開通によって、この一帯の集落への町営バス運行本数が、週4往復から25往復へ格段に増えたと、その「整備効果」を挙げている。

確かに、草木トンネルの開通がもう10年遅れていたら、或いはその希望が未だ持てないままであったとしたら…。
この谷間は、既に無人になってたかも知れないと思う。




池島側にあった高架橋脚の列や、本線遺構のような、
いかにも高速道路らしいと言える風景には出会えぬまま、
この先350mに、“高速道路だった区間”の終点が予告された。

青看に書かれた左後向きの矢印が、ちょうど写の左に見える細い道である。
それは国道を足元で潜って、北島集落へ続いている。

最後に、こちら側でも何か高速らしい風景を、ひとつくらい見たいものだ…。


そんなことを願いつつ、ゆるやかなカーブを曲がってみると…。




なにやら、右側に不自然な余地が現れ始めた。

そこは、「非常駐車帯」ということになっているようだが…。


行ってみよう!




気付いたときには、こんなに余地が生じていた。

歩道も水窪北ICと同じ、カラー舗装に戻っている。
流石にこの余地全部が歩道というのでは、おかしいと思ったのだろう。
車道にも歩道にもなれない舗装面が、ゆるやかなバンクを付けて広がり続けていた。

手前に来るほど、その余地は広がっている。


そして、ここで振り返ると、

未成高速の決定的な場面が!




余地は最終的に4車線幅にまで拡大し、そこで唐突に終わっていた。

これは、非常駐車帯という名の休遊地に他ならない。


対して現道(2車線)は、その途中から緩やかに左へ分かれ、1本の陸橋で地上の市道と接続されている。

この陸橋の名前は「草木ランプ橋」といい、

つまりこの分岐地点は、

インターチェンジだった。




この図は「青崩峠道路懇談会への報告(国交省中部地方整備局・平成17年)」の一部で、ここには平成14年に事業主体である国交省中部地方整備局が、県境部のルートを選定のため、地元と有識者の団体である青崩峠道路懇談会に宛てて示した、4本の候補ルートが示されている。

そして17年に「B案」(既設の草木トンネルをルートから除外して青崩峠西側にトンネルを掘る案)が、「青崩峠道路懇談会により、事業費・自然環境・地質条件・工事の施工性・地元意向などの観点から最適と判断された」(平成21年第3回中部地方事業評価視察委員会資料より)として決定され、その後環境アセスメントが平成21年に完了している。

この図には、現在地のところに小さくだが、はっきりと「草木IC(仮)」という文字がある。
もし、草木トンネルを建設した当初の計画や、平成14年からのルート協議にてA案やD案で決定されていたら、ここには草木ICが設置される計画だったのである。



草木ランプ橋から振り返る本線末端部分は、首都高好きには有名な存在である“イカの耳”(将来の増築にむけた準備施設)の超巨大版だ。

本線を乗せる門型橋脚の巨大さも、都会のように風景がごてごてしていないのと、さほど古くもないのに妙に沈んだ風合いをしているせいで、余計際立って見える。

土木構造物に魅せられるオトコゴコロがキュンとした。


もっとも、ここが普通に“インターチェンジらしい風景”かと言われれば、微妙な部分はある。
水窪北ICには、上下分離のランプウェイなど、“見慣れたそれっぽさ”があったが、こちらは本線からただ1本のランプウェイが降りてきているだけ。
この上もなく単純な作りである。




本線の断面。

この橋脚の空いている半分に、次のスパンが乗せられる日は永遠に来ない。

哀れな、未成確定部だ。




空中写真で現地を見てみる。

草木トンネルを出た本線は、先へ進むほどラッパ状に幅員を広げながら、最終的に4車線分の幅を持つ本線と2車線幅のランプウェイに分岐している。

だが、この構造は当然、暫定的なものであっただろう。

草木ICも水窪北ICと同様のハーフインター(長野側へは行けない)として計画されたと仮定するが、将来本線を伸ばす場合には、黄色の矢印で示したような、本線を跨ぐランプウェイを建設する必要がある。
もちろんその位置や、料金所をどこに設けるかといった事までは考慮していないが、いずれ何らかのランプ増設が必要だったことは間違いない。

既に何らかの準備施設が存在したのかは気になるところだが、橋脚のようなあからさまな物は、見つけられなかった。





この景色、水窪北ICに較べれば地味に見えるかもしれないが、印象の深さではこちらが上。

この一帯をよく見れば、4車線が地に足を付けようもない、急峻な谷間である。
そこへ無理矢理な高架を伸ばしてきた本線部は、ここから見ると、まるで巨大空母の甲板滑走路のよう。
この左右非対称のアンバランスから来る迫力は、ベーシックな姿を見せる水窪北ICにはない魅力だと思う。

それに、感情面での訴えも、より重い。
だって、こっちは甦りの可能性が、完全にゼロなんだもの。

構造の作り替えが行われても、おそらく名前ぐらいは残るだろう水窪北ICとは違い、
草木ICという名は、仮称もとれないまま、もう埋もれて行くだけの存在。

もうこれ以上、この高速が伸びる可能性は絶無。

ショボい市道で一応峠を越せるなんて、そんな話は聞きたくないッ!

絶対的な行き止まりと敗北の風景なんだ。 私の中では。