2011/3/3 7:13 《現在地》
全長1311mをもって中央構造線なる大断層を貫通している草木トンネル。
先ほどのルート図によれば、中央構造線とは、トンネル中央よりもやや西側(池島側)で交わっているようだが、
当然、トンネル内にはこれといって異常な風景は存在しない。
この写真は、全体がS字形をしているトンネルの中間部にある約500mの直線部を、草木側から見通している。
右側の壁に2箇所の横坑が見えるが、これからその奥を探索する。
手前の草木側横坑から参ろうか。
横坑入口。
トンネル内の誘導標示板は、これら横坑を非常口として案内していないように思われるが、実際はご覧の通りだ。
さて、前回この扉を開けて向こう側を確かめてから、間もなく30分が経過しようとしている。
もし、避難坑の照明が自動で消灯するならば、もうそろそろ消灯していても良い頃だと思うが…。
消えているだろうか…。
消えてなかった!
で、でも自動で点いたんだから、自動で消えるんだよね?
自動で消えるはずだよ。1時間くらい放置していれば…。
ますます悪化していく電気の無駄遣いを申し訳なく思いつつも、
私のために点灯している照明を有効に活用しなければと、
今度は自転車と一緒に、避難坑へ入る。
7:14
草木側避難坑も池島側のそれと同じで、本坑から15mほど横坑を進むと、丁字路に突き当たる。
その光景は池島側横坑と本当にそっくりで、正面の誘導標示板の数字以外には、床の濡れくらいしか違いが見えない。
池島方向を覗いてみるが、本坑と同じような線形のカーブが見えている。
やはり本坑とこの避難坑は平行していると見て間違いなさそうだ。
カーブの手前にもうひとつの横坑があるはずだが、いまいちよく分からない。
ふーん。
高速道路の避難坑って、こんな風になってたんだ。
残る一方の草木側へ向かう避難坑を、自転車で走り始める。
本坑と同様にゆるやかな上り坂になっているが、車道に較べれば遙かに狭いせいで、妙にスピードが出ているように錯覚する。
避難坑は、幅と高さがともに3m程度の半円形に近い断面をした小トンネルである。
白い蛍光灯がおおよそ20m間隔で点灯しているが、壁が綺麗なおかげで、この程度の照明でも不安は感じない。
地底でありながら建物の中(ダムの監査廊みたいだ)にいるような錯覚もあり、使用感の極端な乏しさが無機質を感じさせる、独特の空間だった。
壁に取り付けられた小さなプレートを見つけた。
なになに?> 「道路占用許可証」だって?
どうやら、このトンネルを中部電力の電力線が通っているようだ。
しかし、どこにそんな物があったかと思えば…
確かにありますな。
天井にそれっぽいステンレスの覆いに囲まれた一角が。
おそらくここに中部電力の電線が仕込まれているのだろう。
で、そんなこんなをしていると、もう草木側の坑口まで残りは230mの表示となった。
しかし、草木側の坑口の場所が、外部からは判明しなかった。
いったいどこへ通じているのか。それを間もなく確かめられそうだ。
なぬ?
なにやら前方に想定外のカーブだ。
もし本坑と完全に平行しているならば、あり得ぬ右カーブが見えてきた。
それに、勾配も今までの登りではなく、ほとんど水平に近いように思う。
とりあえず、カーブまで行くぞ!
ぐねぐね…
そのカーブの先には、さらに向背するカーブが続いていた。
なんだなんだ。
何の意味があるんだ。 この不自然なグネグネカーブに!
測量もせず闇雲にトンネルを掘っていた大昔ならいざ知らず、
現代的トンネルでは見たことのない、意味深な蛇行。
「道路」ではない避難坑なので、線形なんで気にせず、単に掘りやすいところを掘ったのか?
次のカーブまで進むぞ!
ぐねぐねぐね…
そして
その先に出口の光!
本坑よりもおおよそ30mだけ長い避難坑の草木側坑口付近は、本坑がゆるやかな左カーブであるのに対し、右・左・右と、小刻みに3回曲がっていた。
いったい何がしたいのか分からない動き(コナミコマンドでも入れるのかと)だが、ともかく外へ通じてはいるようだ。
光が見えてきた。
やっぱり外だ。
しかも、格子扉のすぐ先には、道路らしき路面が見える。
電柱も見える。
それどころか、近付いてみると家やポストまで見えるじゃないか。
これまでの無機質感が嘘のような、なんとも生活感の濃い風景。
「非常口」の文字が書かれた扉が、非常と常の世界を隔てているのか。
これは、北島集落の中に出て来たと考えるより無さそうだが、問題はこの扉がすんなり開くかどうかだ…。
7:17
プハッ。
少しだけ窮屈を感じていた避難坑から、再び大空の下へ。
やっぱり落ち着く。地上は落ち着く。
しかも、いきなり生活感のまっただ中というのが、面白い。
残念ながら周囲に動く人影は見あたらないが、こんなところからヒョッコリ出て来た自分は、端から見たら相当に面白そうだ。(不審なだけだろうか?)
鉄の扉は施錠されていたが、内側からは取っ手を回して開けることが出来た。考えれば、避難坑(非常口)なら当然の構造だった。
そして振り返って見る坑門は案の定全く化粧っ気のないものだったが、わずかに見覚えのあるコンクリートの擁壁に、3m四方の口を開けていた。
坑口前の通りに立って左を見ると、国道474号の草木高架橋がまるで集落へと覆い被さるような巨躯を晒していた。
この場所へ来るのはもちろん初めてだが、自分がどこにいるのかは、これで完全に把握出来た。
ここはやはり北島集落で、足元の道は市道水窪白倉沢線である。
【避難坑の草木側坑口はここ!】←カーソル
本坑を草木側へ出て来て、最初に降り立った草木分校の跡地。
あの平場のすぐ下の地被りなどほとんど無いに等しい場所に、避難坑は口を開けていた。
おそらく坑口部は開削工法だろうから、当然その上にあった分校の建物も取り壊されざるを得なかったのだろう。
記念碑の建立年は平成7年で草木トンネル開通の翌年なのも、こんな予想を支持する。
避難坑は右図のように、草木側坑口付近で本坑と立体的に交差(本坑の下を通過)し、グネグネと蛇行しながら北島集落内へ通じていた。
グネグネしていたのも、本坑の下をくぐる距離を、出来るだけ短く済ませるためだったのだろう。
これで未探索の部分は、避難坑全体の半分以下になった(黄色い部分)。
しかも、全線下りのはずである。
ここを、一気に自転車で通り抜けてみよう!
避難坑を人知れずチャリで高速走行とか、現代の忍者みたいで何か興奮するじゃない?
私は避難坑に戻ると、忘れずに内側から施錠する。
そして、特に新たな発見が無ければ、一気に1340m先の西口まで貫通してしまうつもりで漕ぎ始めたが、このとき私は動画の撮影も同時に行っていた。
【避難坑高速走行動画】
何も無ければ、このまま探索終了だが…。
まだ終わらんよ。
平凡な外面を装う草木トンネルが、私の耳元でだけ、そっと囁いた。