隧道レポート 国道474号 草木トンネル (補筆)

所在地 静岡県浜松市天竜区
探索日 2011.3. 3
公開日 2011.10.6

これは本編の蛇足となるかも知れないが、「最終回」公開後に判明した事実で、やや重要と思われる内容について補筆したい。
この内容は本編と同様、必要に応じて後日追記されることがある。


補1. 「水窪町基本計画」に見る、草木および兵越トンネル計画の変遷

今回新たに確認したのは、昭和58年9月に策定公表された「水窪町総合計画」と、その次期計画となる平成2年6月策定の「水窪町総合計画後期基本計画」の2編である。

この2つの計画が策定された時期は、前回の年表に照らせば右の通りだ。

当初、県による国道152号の一次改築事業としてスタート(昭和52年)した青崩峠道路計画は、間もなく国の権限代行事業となり(昭和58年)、さらには国の事業である「三遠南信自動車道計画」(昭和62年)とも一体化し、こうした動きと平行して「草木トンネル」の整備が実際に進められていくという、大変に動きの活発な時期である。

しかし、前回までの調査では、この時期の道路計画の具体的なルートなどがほとんど分からなかった。
そこで、今回の資料に期待したわけである。


それではさっそく、昭和58年策定の「水窪町基本計画」より、道路交通についての「現状分析」を転載しよう。(傍線や太字は著者注)

住民の悲願であった国道152号の全線開通に向け基本ルートが決定され、本町と外部経済圏との結びつきの強化向上が期待される見通しとなった。
ルートとしては、池島地内から長大トンネル(1.2km)で草木地内に抜け、そこから草木川に沿って北進し、ヒョウ越峠附近でふたたび長大トンネル(1.8km)で抜き、林道ヒョウ越線を北進し、長野県に至るというものである。

昭和58年といえば、ちょうど国道152号の青崩峠道路が国の権限代行事業となった年である。
冒頭に基本ルートが決定されとあるから、それまでの県レベルでのルート調査の結果を受けて、その事業の大規模さから県単独の整備は難しいという判断がなされて、国の事業に採択されたものだろう。
当然これを町の「基本計画」は大いに歓迎し、住民の悲願が果されそうだという希望的観測も述べている。

そしてこの基本ルート(以後これを【昭和58年計画】と呼ぶ)の内容を模写して地図中にプロットしたのが右の図である。

長大トンネルは2本整備される計画であり(これは後の全ての計画で共通する部分)、第一トンネルの延長は1.2kmと、実際に建設された草木トンネルよりも100m短く計算されていた。そして、兵越峠附近に建設される予定だった第二トンネルは、全長1.8kmと見込まれていた。

この2本のトンネル(合計トンネル長3km)からなる県境越えルートは露骨に青崩峠を避けてはいるものの、この時期に実際に建設された各地の長大トンネルと較べても不自然(過大)なものではなく、国道の峠越えのバイパスとしては、一般的な規模であるように見える。

この【昭和58年計画】ルートは、平成14年に国交省が公表した4本の候補ルートのなかでは、「D案(現道活用案)」とほぼ一致することが分かる。(左図)

ルート比較表によれば、D案の県境トンネルの長さは1490mとされており、他の3案よりも安上がりに思えるが、明り区間が多いために自然環境への悪影響が大きいことや、地盤の悪さと全長の長さから意外に工費も嵩むため、落選ルートとなったのは既報の通りである。




一見、常識的な内容と思われた【昭和58年計画】ルートであるが、兵越林道(現在は林道ではなく長野県道南信濃水窪線)の現道改良区間を大部分残すこの計画では、ルートの性能が地域の要求するものに足りなかったのか、或いはそれ以上の需用を国も認めたということか、6年後の平成2年版「水窪町後期基本計画」では、また新たな基本ルートが構想されているのが興味深い。赤字は前計画から変更されている箇所)

住民の悲願であった国道152号の全線開通に向け基本ルートが決定され、四全総、三遠南信自動車道構想とともに、本町と外部経済圏との結びつきが実現される見通しとなってきた。
ルートとしては、池島地内から草木トンネル(1.3km)で草木地内に抜け、ふたたび長大トンネル(3.0km)で抜き、長野県に至るというものである。

【平成2年計画】ルートには、残念ながら原典となる地図が附属していないので、右の地図は概ね想像による)

この計画の最大の特徴は、既にあった国道152号の改良である青崩峠道路とは別に、それと並行する「三遠南信自動車道」(の構想)が現れていることである。

この2つの事業が当初は別個のものであった事は、同計画中で水窪町が国や県に要望していく項目として、国道152号の改良については国・県に強く要望するとしている他に、三遠南信自動車道については、町発展の起爆剤として積極的に受け入れると、敢えて別の記述を行っている事からも明らかだ。

さすがに、贅沢だよな…。

まだ“下道”である国道さえも開通していない場所に、まず国道を建設し、さらに間を置かず、そのバイパスとなる高速道路も整備すると言うのは、さすがに二重投資が過ぎる贅沢だ。
そういう意見が多かったものと思われる。

短期間にこの2本並列の計画は、国道152号青崩峠道路(一般道)の計画を少し手直して、三遠南信自動車道(自専道)へ一本化されたらしい。
そういう柔軟な対応を可能とする制度も、全国に6000kmを越える新たな高規格幹線道路(いわゆる高速道路)を建設しようとする四全総は用意していた。それが、「国土交通大臣指定に基づく高規格道路」で、これにより一般国道を大規模に自動車専用道路として指定出来る。

ともかく、三遠南信道計画が四全総で決定されたことと、草木トンネルを含む青崩峠道路がそれに組み込まれたこととの間に、いくらかの時間差があったらしい事は、新たな発見だった。



この【平成2年計画】ルートは極めて短命だったはずで、それが三遠南信道に組み込まれることが決定した段階で、“より高速道路らしい”(具体的には一般道の第3種3級から自専道の第1種3級への規格変更)県境トンネルの長さが4990mにも及ぶA案に差し替えられた。

そしてさらにこの【A案】も平成17年には放棄され、既設の草木トンネルとともに、三遠南信道の計画ルートから除外されることになるのである。


以上をまとめると、兵越峠附近に計画された県境トンネル(第二トンネル)の長さには、少なくとも3つの可能性があった事が分かる。

1.昭和58年頃に国道152号として計画されていた、1.8kmのもの。
2.平成2年頃に同じように計画されていた、3.0kmのもの。
3.平成6年に草木トンネルが三遠南信道の一部として開通した当時計画されていた、5.0kmのもの。

まさにこのトンネルは、マボロシがマボロシを呼び、いつまでたっても辿り着けぬ砂漠の蜃気楼のようだ。
しかも不運なことには、時代が進むほどに要求される道路の質に向上し、不利な地質条件の中でそれに応えることが、より難しくなっていった来たと言うことだ。
この“欲求の向上”は、平成17年のルート変更によってようやく“現実”へのゆるやかな降下をはじめた。
すなわち、それまでの第1種3級から第1種4級への規格の縮小(設計速度80km→60km)や、完成4車線(暫定2車線)から完成2車線への縮小である。


未成計画という名の“負”が連鎖した原因は、やや勇み足気味に中央構造線を乗り越え、地質的に不利な“外帯”へとルートを導いてしまった「草木トンネル」にあるようだ。

とはいえ、この草木トンネルを高速道路の規格に変更して建設する前に、もう一度だけ“その先”についての詳細な検討があったら、大きな失敗は避けられたと思う。