隧道レポート 長野県道142号八幡小諸線旧道 宮沢3号隧道 リベンジ編 第3回

所在地 長野県小諸市
探索日 2015.10.15
公開日 2016.02.14

宮沢3号「北」隧道の内部探索!


2015/10/15 15:51 《現在地》

まだ腕が痛い。
あのロープで降りてくるときの重力の感触、正直、思っていた以上に強烈だった。
イメージは良くないが、まさに穴の底へ引きずり込まれた… そんな感じがあったのだ。

体重計を介して日頃から理解しているはずの自身の体重だが、結局それは単に数字を知っている、或いは日々の増減に一喜一憂を覚えるという程度のもので、その数字を普段から支えて全く平然としている両足の強さを意識する事はない。
だが、一度足の力を解いて、手に預けてみれば、米俵よりも重い数字の現実を思い知ることになる。まさに私がそうであった。

正直、今の私は後顧の憂いは大有りだった。
ロープが万能ではないことを既に知っているだけに、孤独から来る不安は決して小さくなかった。



夢にまで見た…と言っても大袈裟ではない、幻の隧道内部探索を開始したこの段階に至ってもなお、後顧の憂いが私の集中力を掻き乱していた。
颯爽と道具を駆使して我が道の探索をゆく姿を格好良く演じたくとも、リアルは偽れなかった。

だが、それでも今の私に積める最大の善行を考えれば、本懐を遂げることに他なるまい。そう我に返る。
ヘッドライトを点灯させ、さほど外気との温度の違いが感じられない洞内(土被りがあまり深くないのと、閉塞しているせいだろうか)へと、やや焦ったような足どりで進み始めたのであった。

そんな洞内には、廃止当初の景観が濃厚に残っていた。
1.5車線の全幅の半分ほどは、何かの管を埋設した硬い土砂の山に覆い隠されていたが、それ以外の全ては19年前からほとんど変わっていないのではないかと思った。
天井に取り付けられた照明も、まだ腐食して墜落する段階には達しておらず、整然と天井を照らしてい「なかっ」た。



ところで、私が最初に足を踏み入れたこの“北側の隧道”であるが、入口の段階で既に洞奥には白い壁のようなものが見えていた。
あれは、北口の閉塞壁なのだろうか。

「大鑑」には、「宮沢3号隧道」として全長186mの記録があるが、この“北”と“南”の2本の隧道を合わせた長さが186mなのだろう。
実際、この隧道を描いている数少ない地図で長さを測ってみても、封鎖された南北の坑口を単純に直線で結ぶと200mの長さがあるので、明かり区間を差し引いた純粋な南北の隧道の合計延長が記録されたものだと考えている。

となると、それぞれの隧道の長さはかなり短いことが予想され、坑口の時点で閉塞壁が見えたとしても、不思議では無かった。




Not 閉塞壁!!

そうじゃなく、

洞内変態ッカーブッッ!!

こういう線形は、あまり頂けないなぁ〜。(ニヤニヤ)
なんで隧道内に突角があるんだよ…!
しかも、前後が広くなってたりするわけではないので、普通に通行上のボトルネックである。
対向車の存在はライトで予見出来るだろうが、こういうカーブが邪魔なのは間違いないのである。
おそらく、地上の地形(即ち千曲川の断崖)に合わせてカーブしているのだと予想されるが、普通のカーブでなく突角になっている理由は、不明!

(さしもの「MapFan」も、この洞内カーブの存在は描いていなかった。とはいえ、「グーグルマップ」が描いているほどグネグネしているわけでもない)



20〜30°の角度でガクッと曲がった先には、今までと異なる質感を持った壁に囲まれた坑道が続く。
断面はほとんど変わっていないと思うが、壁にコンクリートの吹き付けが施されており、もともとあったコンクリートヴォールトの表面を補強したものだろうか。
相変わらず壁面に崩壊や亀裂は見られず、不均質な地圧が架かっているだろう断崖付近に穿たれた隧道としては、優秀な経年成績を思わせる。

また、外光が直接届かない領域に入ったことを受けて、どこからともなく集まったコウモリ達が、白い天井にポツポツとぷら下がっていた。

視界の最奥は、独特の金属光沢を反射させる、今度こそ紛れもない…




閉塞壁&閉鎖鉄扉!!→→

これにて、まず半分を征服!!

なお、この出口付近に至って、再び内壁の様子が変化している(良く見ると断面(側壁)の形も違う)。

これまでの経験に照らして推測を試みるならば、両側坑口付近は坑門と同時期に建造された当初からの覆工であるのに対し、洞央部は当初素掘だったのではないだろうか。後年に補強や防災のため、現在の巻き立てが施された可能性が高いと、私はそう考えている。



15:54 《現在地》

やってやった!!

約6ヶ月前、顔は平静を装っていても、心中は思いっきり地団駄を踏んで悔しがった“あの壁”の裏側に、私は辿り着いてやったぜ!!へはは!

ここには本来の洞床より土で盛り上げられた高い位置に、新たな鉄扉(シャッター扉)の出入口が構成されていた。
力をかけてみたが、当然、開く事は無かった。

ミリンダ細田氏によると、施錠されたシャッター扉であっても、一般のガレージなどで用いられているものは、(閉じ込め防止の観点からか)内側から鍵を使わず開ける事が出来るそうだ。
だが、ここのシャッターはそのための操作レバーが破損(故意?)しており、解錠が出来なくなっていた。




つまり、(元より期待はしていなかったが)、ここからは外へ出ることが出来ない。

これでまた一歩、“完全なる閉じ込められ”へと近付いた。


瀟洒な坑門の作りとは裏腹に、他の隧道と同様、極めて実用一辺倒の作りをなされた洞内に、
私の言い知れぬ不安な気持ちが、とくとくと充満していくのを感じた。これは良くない心理状況だ。
また反省点として、私には良くあることだったが、なぜこうも夕暮れ間近に探索をしたのかというのがあった。
暗くなってからロープと悪戦苦闘するなんてことは、万が一にも、到底耐えられる気がしないのである。



これは残りの南側半分の隧道を早々に解決し、早く「脱出出来ること」を確かめなければ!
それさえ確かめられれば、今の不安感情などは全て、臆病者の取り越し苦労という笑い話へ帰結するのだから。

心の焦りを隠す相手もいない私は、普段以上の足の早さで120mほどあろうかという洞内を戻った。
その際、まだ冬眠に入っていなかったコウモリ達が思いのほか乱舞し、落ち着かぬ心を逆なでるようだった。
冷静沈着で泰然自若の探索スタイルこそ、私の理想とするところだが、慣れないロープが登場したところから、
どうにもペースを崩されているのを実感する。その不甲斐なさが不愉快だった。




宮沢3号「南」隧道の内部探索 〜 脱出へ


15:58 《現在地》

美しい風景には、罠が潜んでいる。

…なんていうのは根拠も無い話である。 だが、この場所にある無垢を思わせる美しさは、
紛れもなく、人がほとんど訪れない場所だという事実に由来しているものであった。
人里近くの廃隧道なのに、ゴミひとつ見あたらない。これはオブローダー冥利に尽きる。

ここに至る為にロープの使用を強制されるというアプローチの難しさの印象が強いが、それ以前に、この秘密の度合いを高めているのは、
現役時代から今日までを通じて多くの地図に描かれなかった、かつ地形的にも「ありそうにない」、そんな明かり区間だという事実だ。
つまり二重の防壁によって秘密たらしめられた遺構なのである。(さらに言えば、比較的マイナーなローカル県道だというのもポイントだろう)



ぷら〜ん。

北隧道から南隧道へ移動する道すがら、脇目に見えた生者の“蜘蛛の糸”。

な、…なんか、 最初よりも細く、高くなっている気がしたが、もちろん気のせい。
目の前に口を開けた南隧道は、きっと北隧道よりも短いはずなので、
僅かな時間の後に再びこのロープを握る時が来るが、大丈夫だよな これ?



やはり、この隧道は短い。

立ち入った時点で、真っ直ぐ50mほど先には、
先ほど目にしたものとよく似た、閉塞壁と閉じたシャッター扉が見えていた。

はっきり言って、奥まで行く必要性が乏しい状況ではあったが、そこはオブローダー。
ちゃんと行けるところまでは行って、通行人を演じて見せる。


ん?   “何か”が洞床にある。



これは……、瞑目させられる光景だ…。


冷たい洞床にあったのは、一頭の中型犬と見られる白骨死骸であった。

廃道でこのような動物の死骸を目にすることは珍しくないが、今回は首輪を身に付けた“飼い犬”であったことが、
「死骸が気持ち悪い」という気持ち以上に、悲しみの気分を多く私にもたらした。もちろん事情は分からない。
どこかの迷い犬がこの閉塞空間に入り込み、出られず衰弱死したのか、はたまた死地を探し求め辿り着いたのか。

しかし、いずれにしても、生きた状態で歩いて入り込んだのならば、自らの意志では二度と出られなくなった可能性が高い。
体重の軽い小動物ならば擁壁をよじ登って脱出が出来るだろうが、中型犬くらいになると、多分難しいだろう。

ここで人間社会の名パートナーの憐れな最後を連想するに至り、いよいよ私は、
自らの心に渦巻く不安感と冷静に向き合う余裕を失っていった。焦燥した。

いま一番恐れていたことを、最短距離で証明して見せるとは、この隧道は美しいかもしれないが、
間違いなく魔窟に属している。望む望まずを問わず、現在の管理者は、ここを魔窟にしている。



だから、誰も寄りつかないのかも知れない。




16:01 《現在地》

なぜにここまでと思うほどの、圧倒的頑丈な閉鎖二度目が、行く手を阻む。

冷たい死を美しさと共に閉じ込め、あの明るい人里から隔離している。
壁で塞いだだけで、たった19年前まで路線バスも通っていた生の通い路を、ここまで暗澹とさせてしまうのだから、
隧道の存在意義など、結局はただひたすらに貫通の一点にあることを思い知らされる。

なお、こちら側のシャッターも解錠装置が存在せず、開ける事は出来ない。分かっていたよ…。
だが、それでも間もなくこの探索は、 私の完全な勝利 で幕を閉じるのだ!



16:02 《現在地》

“モル氏空間”からの脱出を、
これより開始する!!



ほとんど垂壁に近い石造擁壁に垂れたロープに、手をかける。
もちろん、普段は素手が大好きで軍手の苦手な私も、今回はばっちり準備してある。
ガッチリとロープを握り込み、そのまま腰を低くして、強く引く。足を壁に掛ける。
ダメだ。壁の角度が急なのと、靴底が堅すぎて、足がまったく引っかからない。
降りてくるときもこうなったから、早々とロープに作ったコブに足を掛けて、ほとんどロープの作用だけで下ったのだった。

では、その逆で登ればいいのだ。
姿勢を戻し、今度はロープのコブとコブの間に作られた輪っかの部分に足先を入れる。
縄ばしごの要領で上る。危なかったと思う。予めロープにコブと環を作っていなかったら、マジでロープだけでは上れなかったぞ、これは…(ヒヤリ)。

一つめのコブに片足を預けている間に、残りの片足を大きく上げて、次のコブの輪に入れる。この繰り返しである。
が、これが上手くいかぬ。
マジか。
マジだ。
ロープに全体重が掛かってしまっているので、強く引き絞られて、次のコブにまったく爪先を差し込める余地が無いのである。
これにはマイッタ。(まったくロープだけに頼って上り下りすることを想定しなかった。ロープは補助で、基本的には擁壁の凹凸に体重の半分くらいは預けられると考えていた)

そうこうしているうちに、腕が痛くなってきた。
固定されていないロープが足を動かす度に動揺し、腕の力で無理矢理ぶら下がっていないとならない状況。
これはキツイ。やがて、八方塞がりであることを理解することになる。
ぶら下がるだけでは、どうにもならない。せめて、手か足のどちらかは擁壁に体重を預けられない以上、このロープでこの壁は登れない。(少なくとも私には)

もう一度言おう。

登れない。


え? え? 


  え? え? 


 え? えっ? 


え? えー?   ?!?! 


ウソでしょ?



いいえ、現実です。



あのなぁ。 お前のロープはコブが少なすぎるんだよぉ!!阿呆阿呆阿呆阿呆阿呆阿呆阿呆阿呆阿呆阿呆阿呆阿呆阿呆阿呆阿呆阿呆阿呆阿呆阿呆阿呆阿呆阿呆阿呆阿呆阿呆阿呆阿呆阿呆阿呆阿呆阿呆阿呆阿呆阿呆阿呆阿呆阿呆阿呆阿呆阿呆阿呆阿呆阿呆阿呆阿呆阿呆阿呆阿呆阿呆阿呆阿呆阿呆阿呆阿呆阿呆阿呆阿呆阿呆阿呆阿呆阿呆阿呆阿呆阿呆阿呆阿呆阿呆阿呆阿呆一度ならず二度までも同じロープで同じ失敗を犯すとか、いっぺん死んだ方がいいかもな――





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