神岡軌道 猪谷〜神岡間 第15回

公開日 2009.11. 4
探索日 2008. 7. 4


――吉ヶ原。

ここを紹介するまでに、第一次探索だけで14回、第二次探索も合わせると24回もレポートを重ねてしまった。
それもこれも、期待した以上に多くの遺構が存在していたことによる。
当初我々が「猪谷〜神岡」の探索は一日で足りると考えていたのも、これほど随所に見るべき隧道や橋が存在しているとは思っていなかったからだ。

そしてそんな我々が当初から「重点調査目標」として秘密裏に掲げていたのが、前回も少し書いたが、「中山〜横山」「二ツ屋〜吉ヶ原(今回区間)」そして「吉ヶ原〜鹿間」の3区間であった。




これらの区間の共通点は、現在の国道から少し離れたところを通行していることと、険しい絶壁の区間であることだ。

そして、先の「中山〜横山」では期待に違わぬ成果を得られたが、今回紹介の「吉ヶ原〜鹿間」にも同様の期待と、そして果たして踏破できるものかという不安も小さくはなかったわけだが、その不安の方だけが先に思わぬ形で「顕示」されたのだった。




本日朝一にこの近くで行った「割石の高崖道」探索時に、現国道の対岸の風景がご覧のようなものであることを知った。

ここに、上下二段となった軌道と旧国道とが存在しているはずなのだ。

しかし、旧国道のものと思われる下段の石垣には、まともな道が“乗っかっている”とは思われなかった。
全てが土砂に埋もれ、急な崖の一部となってしまっているように見えていた。

また、軌道の方は更に状況が不明であり、なにやらコンクリート製の擁壁のようなものが左の方に見えているが、その先は隧道にでもなっているのか、全く路盤の気配を感じられなかった。

こんな地形のところを、おおよそ500〜600mも辿らねば踏破とはならないのであるから、恐ろしかった。




二ツ屋の軌道跡


2008/7/4 9:49

塞がれた短い隧道を山越えで迂回して辿り着いた軌道跡は、さっそく絶壁の上だった。
周りの森は急傾斜地に堪らず散り散りとなり、否が応でも路肩の下の危険な空間の広がりを意識せねばならなかった。
しかも、それで日当たりが良くなった路盤上には容赦なく潅木と夏草が混交した深い藪がうねり、無理矢理踏み越えようとする我々の体を傷付け、心を折ろうとしてきた。
そして何度も繰り返すが、この日は暑かった。この午前10時前の時点で既に気温は30度を超えているかと思われた。
日差しのあるところでは、ただ立ち止まっていても汗が止まらなかった。

あまりにも藪が深いので、愛用のナタを上手に操る永冨氏にここで先頭を譲った。

(→)路肩から見下ろす旧国道。
…そこは、こちらに勝るとも劣らぬ一面の草藪である。
対岸は現国道だ。




この区間は全て高原川の曲流の外側の崖をへつるように付けられている。
この写真はまさにその曲流の先端部分を路肩から遠望したものだが、よく見ると一本の道が水面から15mほどの崖の上にあるのが見える。

あれは旧国道である。
昭和39年までの国道41号は、名古屋と富山を結ぶ幹線という使命は今のままに、あのような場所をほとんど“裸”で通行していたのである。
今は廃線探索の場面だが、しばし我々の心はこの眺めに惹き付けられた。



…まあ、見るだけで終わらせるつもりも、さらさら無いのであるが…。




これまでに増して自然回帰の度合が大きい(例えば、これまでよく見られた電信柱もこの区間には無い)路盤を、全身を使って掻き分けて進んでいくと、

何かが見えてきた。


今度は間違いなく、“軌道の側”の遺構である。

踏み出す足にも力がこもる。




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9:53

こっ、これは?!

この、隧道を半分に割ったような物体は、何だッ!

ここまで辿ってきて初めて見る物体。

いや。
今までに体験した他の廃線でも、こんな形をしたものは見たことがない。

敢えて名付けるならば、“片洞門型”とでも言うべき擁壁か。
間違っても本来の洞門の谷側半分が崩れ落ちてしまったものではなく、当初からこのような構造をしていたようだ。
私も永冨氏も廃道を繰り返し歩いてきているだけに、初めての見るスタイルの構造物には特に喜びを強く感じる。
二人は “今自分たちがいる場所も弁えず” 無邪気にはしゃぎあった。












← 今、
いる場所。






(←)上と下(→)

やはり完全に屋根を覆わない形の洞門では、路盤への土砂の流入を止めることは出来ず、細かい瓦礫が背丈よりも高く積もっていた。

まあそれでも洞門が無意味なわけではなく、そのおかげで山側になだらかで歩きやすい部分が生じていた。
これがなければもっと急で危険な斜面になっていただろう。

より大きな問題としては、この下にあるはずの旧国道が、まるっきり道があるようには見えないことである。
チャリへの戻りはそこを通るつもりでいるが、はっきりいって無謀ではないかという気が…。
まあ、途中からでも軌道跡へ登って迂回できるならばまだいいが、これまでにはそんな場所はない。
そして、この先にも当分あるはずがない。

なにせ…




この先は、隧道なのだから。

…しかも、かなり長い…。


猪谷から通算で第14番目の隧道は、片洞門と連結されていた。
接合部をよく見ると、両者の断面は微妙に異なっており、必ずしも同時に施工されたものではないのかも知れないが、コンクリートの質感はよく似ている。




隧道とはいっても、土被りが極端に浅い最初の10mほどは、これまで何度も見てきた作りの“洞門”になっている。
だが、その先は間違いなく完全な隧道になっているのである。
しかも、その洞内には僅かな風もなければ、出口の光も見えない。

もしこの隧道が崩れていたら、迂回は極めて困難であることが分かっているだけに、我々は歓喜の直後であっても緊張せざるを得なかった。
まだ、最大の難所である絶壁からの一時的解放は、約束されたわけではないのである。

二人は自らの照明を点灯させ、久々に出口の見えぬ隧道へ。





空気が澱んでいる感じもしないが、やっぱり出口は見えない。
地形的にはかなり地被りの薄い絶壁の縁に沿って掘られていると思われ、多分先はカーブしている。

或いは、閉塞しているのか…。

洞床には、整然と枕木が敷かれたままになっていた。
ここまでの隧道でも枕木の残っているものは幾つかあったが、ここはその中でも保存状況がよい。
例えば右写真のように、枕木にレールを固定する木製の留め具なども、今すぐレールを敷き直せるような感じで残っていた。
もちろん、バラストも当時のままであろう。




また、これまでの隧道ではあまり見なかった構造物として、この隧道には待避坑が存在した。
予想通り洞内は緩やかに右カーブしていたのだが、そのカーブの外側、神岡に向かって左側の壁に何箇所か、人が屈んだ姿勢でようやく入り込める待避坑が発見された。
二人以上同時に待避することはほとんど不可能そうな、小断面の隧道に相応しい小さな待避坑であった。





またこの隧道の特徴のひとつとして、生物の多さも挙げたい。

←はカマドウマの大群。
主に隧道の北側坑口付近に棲んでいる。
皆元気そうに触角をヒク付かせていたが、その触角が普通のカマドウマ以上に長く、体5つ分くらいもあったのが印象的。

そして→は南側半分に多く棲むコウモリ。
この隧道のコウモリはとても活発で、一匹一匹もとても大きく太っていた。
一枚の写真に飛翔するコウモリが3匹も写っている時点で、狭い洞内がどのような乱舞的状況になっていたかを察していただけるだろう。




10:04 

通り抜けられるか不安のあった14番目の隧道だが、やがて緑眩い出口が見えてきた。
撮影された写真のタイムスタンプを見ると、入洞からここまでちょうど10分も掛かっているが、実際の隧道の長さは300m程度だったろうと思う。
しかしこの長さでも、これまでで最長クラスである。

途中、貫通が確認されてからは、危険地帯を安全に通してくれる涼しい通路と言うことで、少々コウモリ達の反抗は五月蠅かったが居心地の良い隧道であった。

木製電信柱が不自然な位置に残る南口は、果たして地図上ではどの地点なのか、これから少し進めば見えてくるモノがあるだろうか。




少し進むと谷側に大きく視界の開けた場所があった。
前方に見えるアーチ橋は国道の割石橋だから、既にこの区間の半ばを過ぎていることになる。
もっとも危険な絶壁地帯は一挙に隧道で通り過ぎてくれたようであり、やはり隧道“さまさま”なのである。
この調子で残り半分弱も一気に乗り越えたいが、相変わらず帰路に想定している眼下の旧国道は、こちら以上に緑深いようである。




さて、改めてこの一帯が旧版地形図(昭和28年「東茂住」)でどのように描かれているのかを確認しておこう。

ただ、そのままの図を見てもどこに線路が描かれているのか、かなり分かりにくいと思う。
画像にカーソルを合わせると、地上の明かり区間として描かれている部分を黄色くハイライトする。

図中に「13号隧道」としたのが、この区間の始まりにあった塞がれた短い隧道である。
そして、そのすぐ南にある「14号隧道」が、今潜ってきた長めの隧道だ。
折り重なるような崖の記号のまっただ中を300mほどの長躯で潜っている様子が描かれている。

この先は、「吉ヶ原」という注記が邪魔をしていてよく見えないが、もう一本は長い隧道があるようだ。
水準点の右に坑口が描かれている。




現地にも上記の古地形図をコピーしたものを、現在の地形図のコピーとともに持ち込んでいたので、「まだ先に隧道があるだろう」という情報は大きな期待感として我々の行軍を助けた。

しかし、容易に事が運ばないのがまた醍醐味なのかも知れない。

間もなく前方をゆく永冨氏の姿は、背丈を超える灌木帯に消えていった。
葉を擦る音と小枝の弾ける音、そして荒い息づかいが草いきれにミックスされ、朦朧とするほどに蒸し暑い。
そんな青臭い戦いが、ほとんど明かり区間の全部において続けられた。

この区間については敢えて時期を改めての再訪はして居ないが、夏場は避けた方が無難だった(ここに限らないが)。





10:08

藪は深かったが、時間にしてはほんの3分ほどだった。

立ち止まる永冨氏の後ろ姿と同時に現れたものは、15番目の隧道だった。

この区間だけでもこれで3本目…。

もう隧道が現れること自体に意外性はなく、いちいち驚いても居られなかったが、冷静になって考えると凄い贅沢な廃線探索をしている。
こんなに無造作に未知の隧道が次々出てくるのは“房総だけ”だと思っていたが…、このミニ鉄道は侮れなかった。
ミニなだけに、かえって気軽に隧道を掘ってヤがる…。




これは古地形図の隧道ではないのかも知れない。

見たところ直線だし、かなり短い。
50mあるかどうかと言うところだ。

まあ良い。
貫通している隧道ならば、いくらでも来て欲しい。
いざ、15番目の隧道へ。


なお、この区間の各隧道についても“旧線”が並行していないかを逐一チェックしたが、確認されたものはひとつもなかった。
何れも迂回不可能な“岩盤”だったと思われる。






ねぇ?


怪しくなぃ?


この隧道を出た先って、どこ行く?


もし、真っ直ぐ行くならば…

きっともう1本…。





 あるよね?




キーキー! (あるよ)





10:14 《現在地》

15本目の隧道自体には特に見るべきものはなく、あっという間に通過してしまう。
そして、「当たりが出たらもう一本」あるのではないのかというところへ出てみると…

やっぱりあった!!

のはもちろんとしても、何かの建物の基礎らしきものが、この2本の隧道に挟まれた20mほどの僅かな明かり区間に被さるように存在していた。

こちらは全く予想外の遭遇であった。




はじめは建物の基礎だと思ったが、何か違う気もする。

私は養魚場の跡ではないかという気がするのだが、沢から水を引いていたような痕跡はなく、自信は持てない。

まあどちらにしても、軌道が廃止されてから経過した時間というのは、私の人生よりも少しだけ長い程度であるのに、その路盤の跡に建てられた建物がすっかり形を消してしまうほどなのである。
人の営為というものが、どんなにあわただしいかと言うことを思い知るような気がした。

これでも、都会一般の事情から見れば鈍いのだろうが…。




さあ、どんどん進もう。

そこにある隧道へと踏み込まない道理はない。

引き続き永冨氏を先頭にして、おそらくは古地形図にある「長い隧道」へ接近する。
これが地図の隧道ならば、長さは300mほどもあるはずで、またしばらく涼しい時間を過ごせそうなのである。

それに、この隧道を抜けた先は、ずばり現在の国道端へ出るはずである。

廃道からも一旦は離脱できる。








わくわく…


 わくわく…






うは。


封!鎖!されている!

しかも、施錠されている。

厳重だ。


オワタ。

この区間は、入口も出口も隧道が封鎖されているという、そういう“オチ”が付いた。
通りで我々より先にこの区間をレポートする人を見かけなかったわけである。




10:20 《現在地》

よほどショックが大きかったのか、建物基礎のあった平場から、沢沿いに下る踏み分け通って、50mほど離れたところにあった旧国道跡の小さな公園地(←写真)へと下り着くまでの場面は、1枚の写真もない。
まあ、取るに足らないルートであったと思うが。

最後の最後で貫通の夢を奪われたものの、逆に言えば隧道を除いては。この区間の廃線を完全に踏破できたことになる。
気を取り直して、前方の現国道との合流地点に見えている、冷たいジュースの自動販売機へ行こう。
旧国道を引き返すのは、その後でも遅くない。

つうか、冷たいドリンクを飲ませてくれ!!




このときの我々には、この気安い決断が、
永冨氏に重大な災厄をもたらすことを、まったく予想できなかった!!


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