廃線レポート 千頭森林鉄道 奥地攻略作戦 第21回

公開日 2019.05.16
探索日 2010.05.05
所在地 静岡県川根本町

41.0.km付近 愛しき素朴、釜ノ島吊橋


2010/5/5 15:13 《現在地》

正直驚いた架かったままの吊橋発見だが、路盤からはだいぶ低い位置にあり、この写真が路盤から見つけたときの姿だが、このように“辛うじて”見える状況だった。気付かずに素通りしていたとしても全く不思議ではなく、実際一旦は通り過ぎかけていて、何気なく振り返り気味に川を見下ろしたときに、偶然に近いレベルで発見したのだった。

路盤から吊橋の袂へ通じる道は、人が造った道としては甚だ原始的なもので、山腹を縦横するシカ道と区別が付かなかった。
脇道の存在を頼りにこの橋を発見することは難しく、やはり幸運のなせる発見であったといえるだろう。

時刻は15時を過ぎており、いよいよ寄り道などしている余裕はない状況だったが、近くに見つけてしまった以上、無視もできなかった。




まずは、こんなところに架かったままの吊橋が残っていたことに驚かされた。
橋の最寄りにある道は軌道跡である。そこにはもう何十年も人の往来はなかったはず。軌道跡に架かる木橋がことごとく消失していた状況で、こんな人道用の吊橋が原形を留めているはずがなかった。

この橋は軌道よりも遙かに新しいものなのだと思う。
この橋と同じ時代を生きた道は、軌道や牛馬道ではなく、その50mほど上部を並走している、まだ見ぬ左岸林道なのだろう。
この近くのどこかに軌道跡を跨いで林道と橋を結ぶ歩道があったと思う。このような吊橋が放置された状態で原形を保てる期間は、条件に恵まれても30年よりも長くはないだろうが、30年前の昭和後期といえば、まだこの千頭国有林の奥地にも林業が生き残っていた。その頃に架けられたのだと思う。

そのように考えたことで、橋は私に、「私を生還させる林道が近くまで来ている」という希望を運んできてくれたもののように思えた。印象が変わった。私の命を狩るかも知れない得体の知れない気持ち悪い橋ではなくなり、朗らかな親しみを感じるようになった。



そうだ。
この橋は本当に見れば見るほど親しみを覚える、ひとことで言えば、可愛らしい橋だった。

何もかもが素朴であり、この地に馴染んでいた。
吊橋に威圧感を与える高い主塔はなく、立ち木とそこに架された鳥居状の簡便な木枠が、その代わりになっていた。
大地に楔を打ち込む重厚なコンクリートアンカーもなく、よい位置にある立ち木の生命力が、その代わりにメインケーブルを支えていた。




見よ、この合理の美を! 吊橋のもつ機能美の原点を!

これだけのものがあれば人は安全に谷を渡ることができるという、人の英知の小さな結晶を見た。
柔よく剛を制する寸又峡の清流を思わせる、無駄のないかつての山人の仕事ぶりに舌を巻いた。

私の探索の表のテーマは、いうまでもなく現存する遺構の発見と記録にあるが、
裏のテーマは、かつて道を作り維持した先人への人間賛歌に他ならない。
この橋に惜しみない賛辞を捧げたい。それほどの“仕事美”を感じた。
この仕事ぶりが塵になってしまう前を見ることができて嬉しかった。



右図は、本橋の橋桁の構造模式図だ。
比較対象として、千頭国有林における吊橋の盟主ともいえる、今はなき無想吊橋(寸又川支流逆河内川にある全長150mの人道用吊橋)の模式図も掲載した。

規模はまったく異なる2本の橋だが、橋桁の構造はとてもよく似ている。
というか、この「敷き鉄線」と「そろばん板」を組み合わせた、踏み板以外がシースルーである橋桁構造は、大井川流域で広く見られるもので、いわば“大井川型式”といえる吊橋の一典型なのだ。
無想吊橋のような大きな橋はさすがに珍しいが、この「釜ノ島吊橋」くらいの規模のものは、かつて人里の近くも含めて随所にあって、各地でそれらしき残骸を目にしている。

改めて、無想吊橋は本橋の構造を全体的に強化したものといえるし、無想吊橋の構成パーツを削ぎ落として、人が渡れる最小限度にシェイプアップすると、本橋になるともいえる。
(ただし、本橋にはまだ1つだけ必要最小限度を越えるものがある。それは一般的には吊橋の常識と思われているだろう2本のメインケーブルだ。この山域にはかつて、おぞましすぎるシングルケーブルの吊橋が存在していた記録があるのだ。私も未体験領域だが……)

私も欄干が片方にしかない吊橋は、初めて見た。
加えて、幅僅か20cmほどしかない、わずか1枚きりの薄っぺらな踏み板ときてる。
確かにこれでも人が渡ることはできるだろうが、常識で考えれば、「怖い」と分かるはずで、感覚がマヒした山猿みたいな山仕事人の橋といわざるを得ない。

……という具合に分析した、親しむべきこの橋、皆様の興味はおそらく次の一事に尽きると思う。


渡ったのか、渡らなかったのか。


答えは動画でどうぞ。



期待してくださった方には申し訳ないけれど、大事を取って渡りませんでした。
これは難しい決断で、挑戦すれば渡ることができた可能性も高いとは思う。

ただ、最初の1歩目を踏み出したときに、完全に耐用年数を超過しているとしか思えないような危うい揺れ方をしたので、危険だと判断した。
本橋は、もともとの構造が最小限度に近いので、耐用年数を超過した場合の安全率が十分に取られているとは思えなかった。
誰も渡らなくても常に何トンもの自重を支えて架かっているような橋ではないので、人間の重みが加わっただけでも、メインケーブルや敷き鉄線の破断という致命的破損が起きる可能性を排除できなかったし、なによりも一番あり得そうで怖かったのは、私を乗せたまま橋桁が右に90度回転してしまう“ねじれ破壊”の可能性だった。

本橋の陸に近い部分の踏み板は消失していた。
それ自体は、「そろばん板」を頼って渡ることができると思ったが、そもそもなぜこの位置の踏み板だけが消失しているのかを考えたとき、耐風索を有さない本橋は、強風で激しく捻れるためではないかと考えたのだ。(無想吊橋も同様の破損をしていた)

そしてこの橋は、欄干が右側にしかないという左右アンバランスな構造である。そのため常時右側に傾いている。
揺れる橋上で私がバランスを崩して欄干に頼ってしまった場合、そのまま橋桁ごと右に転倒して宙ぶらりんになる(そして落ちる)ことが起きるのではないかと懸念されたのだ。
谷は転落即死の高さではなかったものの、ここでは捻挫でも生還困難となるわけで、前進のための踏破でもない余計なリスクを回避する判断をした。
重心を低くすればより安全に渡橋できるとも思ったが、匍匐での移動を試すほど時間を掛けてもいられないしな。

とにかく本当にヨレヨレなんだもんよ、この橋……。 みんな勘弁してくれよな。




15:22
結局、吊橋では10分弱を過ごしていた。
これ以上の停滞は許されないだろう。
少しだけ後ろ髪を引かれながら後にした。

前進を再開すると、すぐにまた険しさが戻ってきた。
険しくなるにしたがって日差しが対岸の山に遮られ、焦燥感をかき立てられた。
さらに不安を重ねるように、路盤は河床との高度差を再び広げ始めたのである。

釜ノ島まで残された距離は1kmを切った。
もはや私にとっても、この辺りからは“最終局面”というワードをイメージしながらの前進が始まっていた。




15:23

んにゃー! 最も悪かった1時間前を彷彿とさせるようなシビアな雰囲気になってきたぞ……。

橋の跡も見えないが、おそらく架橋されていただろうクレバス谷。
渡った先は……、土砂に埋もれてしまった掘り割りのようだ。
上部には林道があるはずで、その建設によって埋没してしまったのだろうか。

最終的に林道と合流することを考えれば、出来ればもう河床への迂回はしたくない。状況の許す限り正面突破で進みたい。




15:25
埋もれた掘り割りのてっぺんに立つと、なんとすぐ先にもう一つ、同じように埋もれた掘り割りが待っていた。

まるでコピペで作ったような同じ姿の埋没掘り割りが2連続。
いずれもかなり深く、もし埋もれていなければ爽快な景色が見られただろう。隧道でも良かったくらいだ。

そして、二つ目の埋没掘り割りのてっぺんに立って眺めたのが、次の写真だ。




登った分だけ下に見下ろした行く手の路盤は、まるで大時化の海のように波打っていた。
上部林道による破壊が、如実に表れた光景だと思った。
もはやこの先に新たな成果を求めることは難しいのかもしれない。
だとしても、いまはただ耐えることしか出来ない。雌伏して進むのみなのだ。

川へ目を向ければ(チェンジ後の画像)、この先の対岸の険しさは、目を覆わんばかりであった。
路盤がこちらにあってくれることに本当に感謝した。

そして、轟々と渓声を鳴り響かせる谷底には、早くも闇が覆い被さりつつあるように見えた。
いまからあの谷に降りたりしたら、心細さでどうにかなってしまいそうだった。
まだ日は落ちていないはずなのに、私の目に届かなくなったこの時間が嫌だった。

今日という日に許された、旅を続けられる時間は残り少ない。
はやく生還を確信できる場所に立ちたかった。
釜ノ島への到着…というよりもむしろ、林道の接近を心から願っていた。

願いながら、黙々と歩き続けた私の前に、5分後……





15:33 《現在地》

大崩壊出現

だが、私の意識は瞬時にこの目の前のガレを飛び越えて、向こうの山肌に突き刺さっていった。


そして叫んだ。





「キター!」

あれに見えるは、左岸林道!!!

昨日の9:45以来、おおよそ30時間ぶりに見えた林道は、

最後に私をここから救う存在!

辿り着ければ救われる。




明るく日を戴くその姿、 あまりに神々しく、涙が出た。

さんざん林鉄に破壊の爪痕を残した林道かも知れない。だとしても、

この道がなければ私は生きて帰れない。

もう逃げ帰る直前の人みたいになっちゃってるけど……、これで私も救われる!




釜ノ島(林道合流推定地点)まで あと0.6km

柴沢(牛馬道終点)まで あと3.1km



41.3km付近 釜ノ島接近戦! 軌道跡の最終歩行


2010/5/5 15:33 《現在地》

「やばくなったらいつでも引き返す」と自分を騙しながら、栃沢を出発したのが11時過ぎだったから、既に4時間半もの時が経過した。
この間、引き返すことなく本当によく私は戦った。
この頑張りは遂に実を結ぶ。唯一の帰路である左岸林道が、初めて目視できる位置に現われたのだ。

林道とは軌道跡はこの先の釜ノ沢で合流すると考えているが、着実にその方向へ両者とも進んでいるようだった。
栃沢から釜ノ沢まで、軌道跡を経由した距離は推定5.9kmあり、地形や林道の見え方からして、現在地は釜ノ島の600mほど手前のようだ。
昨日初めてこの軌道跡を歩き始めた時点では、残り18.2kmもあった千頭林鉄最奥の終点である柴沢までの距離も、おおよそ3kmまで近づいていた。

これから林道への到達を目指して鋭意前進を……ここは本来の探索の目的に照らせば、「軌道跡の完抜を目指して前進」というべきところだろうが、正直私の気持ちはこの時点で林道への早期到達に傾いていた。
私だって栃沢までのような実り多い軌道跡ならば、苦闘を受け入れながら、執拗にかじりついていたいと願っただろう。だが栃沢以奥はそんな甘いもんじゃなかった! 探索してつまらないといえば語弊がある。ここを作ってくれた先人や、自ら苦労した発見した成果への冒涜にもなりかねない。
だが、これからますます林道に接近し、路盤の荒廃が予想される状況で、それでもかじりついていたいといえるほど、いまの私には余裕がなかった。



15:34
私に福音をもたらした眺望は、大きなガレ場の出現の引き換えにもたらされた。

このガレ場、見た目は派手だが、特に困難を感じるようなものではなかった。
微かだがシカ道の痕跡もあり、脇見しながらでも歩けるくらいだった。

(チェンジ後の画像)ここでの脇見は、ガレ場を見上げることだった。
そこにも左岸林道が間近に見えるのではないかと期待したのだが、それは叶わなかった。
仮に見えたとしても、まだ高低差が大きく、ここでガレ場をよじ登るのは現実的ではなかったろうが。




15:36
ガレ場を労せず越えたが、路盤はほとんど復活しなかった。
常に落石に晒されて、大木になることが出来ない痩せた木々が、浅く根付いた傾斜地をさらにトラバースしていくと、前方に“圧倒的白さ”が透けて見えてきた。

何が現われるのかは予期できたが、それが自身にとって困難でないことだけを祈りながら近づいていった。




15:37

ひょえぇぇー!

すごいなここ。
安息角という、どこかで聞きかじった地形用語が思い出された。
砂利の安息角は約40度といわれるが、ここがまさに模式的ではなかろうか。

この蟻地獄のような崩壊に呑み込まれれば、どんな巨木もひとたまりもない死の世界だが、幸いにして、慣れたオブローダーには見た目のインパクトほどの困難を与えない。
ただし、横断中に不意の落石に巻き込まれれば、諦めて生を手放すよりないだろう。それほど自分は不運でないと信じているから、躊躇いなく突入した。

突破できるのは良いとしても、これはいよいよ……林道の影響による軌道跡の荒廃が、絶望的な段階に至ったことを実感するような、5分前からの展開である。

……これを横断しても、相変わらずガレに埋もれた斜面しか見えないしなぁ……。 モチベ的にもこれはきついぜ…。



15:38
巨大なガレ場の上部には、無数の木々が命をかけて頑張っていた。
この荒廃を生み出したのは林道か軌道か、はたまた人為のあずかり知らぬことなのか。
相変わらず林道は見えなかったし、ここからも登降は困難そうだった。

下を見ると、このガレ場は完全に谷底にまで達していた。
おかげさまで、滑落の恐怖を感じないで済んでいる。
私にはありがたいことだが、下流のダムを管理している電力会社や、治山関係者が見たら、きっと眉をひそめることだろう。




15:40

不幸な落石に巡り合わせることなく、巨大なガレ場の横断に成功。
しかし、“対岸”から予期していたとおり、横断しても路盤が現われはしなかった。依然として、いくらか木が生えているだけの、実態としてはガレ場でしかない斜面の横断が続く。

こんな状況が、林道に合流するまで続くのだろうか。
だとしたら、ここを歩いている意味はあるのか。
2日を費やした軌道歩きの最終盤にありながら、ここで探索の意義を疑うような自問自答をしなければならないのは辛かった。




ぁっ?!




15:41 《現在地》

なんという奇跡!

まさかこの状況の中で、隧道に巡り会えるとは思わなかった……!

いやむしろこれは、隧道以外のあらゆる遺構が失われている状況というべきだろうか。
地表の路盤が全く原形を留めない状況にありながら、険しい崖に穿たれた隧道だけが、「千頭林鉄ここにあり!」を叫んでいたのである。
まさに目の覚めるような発見……、僥倖に感謝した。
ありがとー!!




隧道前で振り返ると、こんな景色だぜ……!
見渡す限り、路盤の痕跡が全くないのが分かるだろう。
往時の風景など、もう全く想像できない。

この地点に隧道があることは予想外だったが、何よりこの発見状況の思いがけなさには、本当に驚いた。




15:43
今回探索の大樽沢以奥で通算7本目の隧道である。
栃沢から先の牛馬道区間では、3本目。

千頭林鉄最奥の隧道が、再び更新された。
そしておそらく、これが私の探索できる最後の隧道になりそう。

短い隧道だった。
直線で、30mくらいだろう。
出入口付近だけがコンクリートで巻き立てられていて、洞央付近は素掘りだが、全く崩れていなかった。今すぐ利用を再開できそう。
洞外の状況を踏まえれば、本当に隧道内の安定感は驚異的だ。
「千頭林鉄探索における隧道は癒し。(ただし直後に気をつけろ!)」
経験者として、この言葉を残しておきたい。



15:44
やっぱり素性が悪そうだ……。

本当に、隧道を抜けた直後は鬼門であった。
今回も、隧道前の楽なトラバースから一転して、前方の地形は見るからに危険を感じさせる急傾斜に満ちていた……。

もうこれ以上、難しい場所に挑む気力がない。
しかし、ここに逃げ道があるかと問われれば、答えに窮した。
強いていえば、吊橋があった尾根まで戻れば、尾根伝いに林道へ逃げられるような気もしたが、あと400m弱に迫っているはずの釜ノ島を見ずに軌道跡の踏破を終えるのも癪だった。


15:46
あと少しだから頑張ろうと己を奮い立たせながら、、隧道を後に30mほど進むと……。

一見して路盤があったようには見えない、急傾斜の岩場に行く手を阻まれた。

直前の隧道が終点だったと言われれば、信じてしまいそうな途絶ぶり。
路盤ごとごっそり山が崩れ落ちたか、尋常ではなく巨大な落石が全てを埋立てたか、はたまた隧道ごと押しつぶされてしまったか。

幸いにも……といえるのかこの段階では判断ができなかったが、この明らかに路盤が消失している状況の中で、急斜面の崖の縁を危うげよじ登っていくシカ道らしきものがあった。
あれを使えばここを突破出来るだろうか。死地へ誘い込む罠ではないだろうか。
誰か代わりに見てきて結果を教えて欲しかった。(←こんなことを思うのは結構末期)





自分で試すしかない。


私はきっと悲愴な表情で、眼前の岩場に組み付いた。


そして、10mばかり登った先で見た“先”は――



15:50 《現在地》

えーよぉーー…。

完全に逃げ場のない“へつり道”。

とりあえず、途切れてはいないようだったが……、えらく狭いし、落葉が積もっているし、
いまいる場所からガレ場を下りながら狭いへつりへ侵入する経路がまた嫌らしかった。

そして気付けば、周りの風景は大変に変貌し、峡谷らしいV字谷の険しさが戻ってきていた。
あと数百メートルで拠点が現われるとは思えない景色。まさか……、いやそんなはずはないが……。

めっきり浴びる時間が減ってきた日の光は、少し遠くに緋色の霞がかった色を示していた。
もう本当に猶予がないのでは。何かのトラブルがあったとき、そのまま夜を迎えかねない、
そんな危険な時間帯に入りつつある。強い焦燥感が私につきまい始めた。



この場面の怖さが伝わるだろうか?

派手なガレ場なんかより千倍怖かった。

写真だと広く見えるかも知れないが、そんなことはない。
右の崖にへばり付いていても、足元は常に谷へ傾斜した斜面なのがきつい。
いきなり足が滑るはずはないはずだが、それでも怖い。震えるほど怖かった。
だって、もし滑ったらあっという間もなく縁から飛ぶ。何かあったら最後、抗えそうにない。

周りの音も聞こえないほどの緊張感。ナイフエッジを突きつけられたような恐怖に震えた。




15:54

突破したが、

本当に突破して良かったのか、不安に陥るような状況だった。

この先は再び斜面に同化し、傾斜はガレ場のような甘いものではない。随所に岩場が露出して見える、峡谷を取り囲む急崖に他ならなかった。
釜ノ島は、いずこだ。

もうお腹いっぱい。
もういい。
もういい。もういい。
もう終わりでいい。終わりたい。

私の心は、このとき初めて根を上げた。
そして、行動の優先順位が入れ替わる。
踏破継続から、最速の脱出径路の模索へと。



15:56

行動の方針を転換して2分後。
林道は一度だけ見えてからは現われておらず、さすがに見えない道を目指して崖をよじ登る気にはなれなかったから、路盤の痕跡が失われた急傾斜のトラバースに黙々と耐えていた。
そして、再び見えてきた凶悪そうなクレバス状の谷の縁へ、恐々としながら前進した。

かなりの急傾斜であるばかりか、風化した地山がガレの下に斑に露出した、非常に脆く危険そうなガレ場だと即座に分かった。
いままで越えてきた無数のガレ場とは異なるタイプと看破した。

正面突破は危険すぎるから、ガレの上端部に残る僅かの草付きをへつるか、大事を取って上か川に迂回するか……。正直、どちらもいまの私にはキツい選択肢だが、どちらかを選ばなければあああっ! 




あああーー!(泣)

手の届く位置に林道が見えた!




(↑)今度ばかりは悩むことなく、路盤からの脱出を決断!

30時間あまりを過ごした林鉄跡にきっぱり背を向け、ガレの斜面にかじりついた。




うおおおおっ! ファイトいっぱぁーつ!

荷を背負い、成果を背負い、死の物狂いで死の谷から必死に這い上がった。
この段階では、軌道跡と林道の高低差は30mにも満たなかったが、いまの私にはとても楽でなかった。
このようなガレ場の直登は、落石を避ける意味でも、疲労度の激しさからも、
本来は避けるべきルートであり、私もここまでは避けていたが、
いまだけは足を何度も滑らせながら、ガレ場に爪を立て続けた。


登攀開始から7分後。




16:05

平らな地面で大の字になった。荷も下ろさぬままに。

写真のタイムスタンプを見ると、そのまま5分間、何もせずぶっ倒れていたようだ。




16:10 《現在地》

ここは寸又川左岸林道、釜ノ島宿舎の直前であるはずだ。

昨日の8:43にこの道を捨てた日向林道分岐地点から見て、20km以上の奥地である。

だがここに未曾有の奥地探索からの生還へ向けた、確実なる第一歩が刻まれた!





釜ノ島(林道合流推定地点)まで あと0.2km

柴沢(牛馬道終点)まで あと2.7km