2010/5/5(水) 6:58 《現在地》
遂に登場した、千頭林鉄奥地における最初の隧道!
2週間前の探索時点では、大樽沢停車場手前にある隧道が確認された“最奥の隧道”であったが、その5kmも奥で新たに隧道が発見されたのである。
というか、大樽沢以南にはだいたい1kmに1本を下らないくらいのペースで隧道が現れていただけに、この5kmという空白は、かなり長かったといえるだろう。
隧道の外観的な部分は、これまでの千頭林鉄の各隧道と共通している。
すなわち、コンクリート作りの坑門で、上部に笠石的な凹凸の意匠が施されているのである。
坑門の面の広さと形は地形条件に合わせて合理的な選択がされており、この坑門については落石覆いを兼ねる傾斜した上面を持っている。
その他、坑道の断面の大きさであるとか、坑門の老朽化の具合などについても、これまで見てきた隧道との違いは感じられない。
問題は、この隧道が貫通しているか否かである。
とりあえず、坑口前に立った段階で出口は見えない。地形的にさほど長いトンネルとは思えないので、内部でカーブしているのか、……閉塞か。
ん! いや、閉塞はしていなさそうだ。 風がある!
よっしゃあぁああ!!!
隧道は、見事に貫通していた!
案の定、隧道内がカーブしていたのである。
閉塞どころか、目立った落盤もない、とても綺麗な内部をしている。
全長は、目測で30m程度である。
コンクリートによる巻き立ては、両側坑口からそれぞれ5mくらいだけで、残りは完全な素掘だ。これも他の隧道と同様である。
洞床には落ち葉混じりのバラスト(川砂利)が敷かれており、レールはおろか、枕木の敷設跡(凹凸)も残っていない。もぬけの殻である。
貫通を見て安堵したが、冷静になってみれば、それは少し早かったかもしれない。
出口の先がはっきりするまで、まだこの隧道によって果たされた前進分は、まだ成果として確定されたものではない。
現に、近づいてきた北口の状況は、南口よりも少し悪そうだった。
大量の土砂が路盤を覆い隠している。
ともかくも、この隧道を通過した!
7:02
この写真は隧道北口を振り返って撮影した。
特筆する内容のない、平凡な坑門である。
崖になっていた南口とは違い、トンネル上部の尾根に登ることも難しくはなさそうだった。
ここは川の蛇行に向かって小尾根が突き出しており、隧道はその末端をくぐっている。
地表に対する土被りは大きくないが、切り通しには向かない程度の深さと長さはあった。
貫通していてくれて良かった。閉塞の場合の迂回は、面倒なものになっただろう。
久々の隧道を終えた先の路盤である。
特に状況の変化は見られないが、谷の深淵なるさまが、あらゆる部分に滲み出ているように思う。晴天なのに未だ日差しの届く気配さえない苔色の風景、流れる空気の冷たさ、止まぬ轟き、その全てに。
私の抱く不安な気持ちを払拭させるようなものは、何も見当たらない。
進めども、進めども、緩和のない圧迫感にさらされている。肉体は当然として、精神にも次第に打撃が加えられている。
一夜の安らぎは既に過去となり、次の夜を迎える場所の定まらぬまま、いずれ尽きる体力に火をともして前進を続けている。そのことに対する言い知れぬ不安感が根本にあった。
思えば今までの私は、こうして無補給の山中泊を3日続けたことがなかった。今はまだ2日目だが、3日目が約束された行動を始めているのだ。もはや逃れられない。
私はこの状況に対する、圧倒的ビギナーだったのだ。
7:05
このシーンは、ちょうど動画が良く撮れていたので見ていただこう。
現地のリアルな感覚が伝われば幸いだ。
(以前にも書いたと思うが、現地での私は防備録として、写真のほかに声つきの動画を頻繁に撮影していた。私が何年も前のレポートを書くことができるのは、この日常的な“独り言”のおかげでもあるわけだ。)
動画の通り、次に現れたのは、路盤を横断して流れ落ちる滝だった。
まだ50mほど離れており、状況はよく分からない。そこに橋があるのかどうかも。
ただ、強い「嫌な予感」がしたのだ。
それゆえに、はっきり結果が分かる前に動画を撮影していた。
動画にも一瞬写っているが、路盤のすぐ下の斜面に裏返しになった標識板が転がっているのを見つけた。
そこは、なで肩になった絶壁の縁という危険な場所だったが、見つけてしまった以上放置できず、少ない立木を手がかりに下って表面をチェックした。
正体は、林道標識の「屈曲標」だった。
隧道前でも屈曲標を【見ており】、これまでのスローペースを覆す連続出現であった。(同じ屈曲標でもカーブの形が違っている。道路標識だとカーブの形ごとに標識名が何種類かあるが、林道標識では全て「屈曲標」というようだ。)
そして、「嫌な予感」の顛末――
7:09 《現在地》
橋は、落ちていた。
「やっぱりここだった。橋が落ちていたポイント。」
隧道直前の谷底にあった【バラバラになったガーダー】は、100mほど上流であるここから流出したものかもしれない。
転落ガーダーの直上付近にも【小さな橋の跡】があったが、流出する経路を考えると、こちらの方がより合致するように思う。
嫌な予感が的中する形で「落ちていた」橋だが、肝心な「越せるかどうか」の判断は、
動画の中の私が所見を述べているとおり、「なんとかなりそう(濡れるけど……)」というものだった。
こうした第一印象がとにかく重要で、経験上、この第一印象を覆す決断を下したことはほとんどない。
一方で、動画にもはっきり写っているのに、言葉では触れていないものがある。
あなたは、お気づきだろうか?
隧道再び!
橋のおおよそ50m先にも、新たな隧道が口を開けていた!!
ここに来て急に林道標識だけでなく、隧道の出現にもブーストがかかり始めた!
橋だけは序盤からほとんど一定の頻度で収穫が続いているが、林鉄三種の神器(レール、橋、トンネル)の密度が急速に高まっている!
熱いぜぇ。
が、まずはこの橋(というか滝)を攻略しなければならぬ。
両岸の橋台間隔は20mほどだが、その中央部の地表に橋脚の土台が1本残っている。
これまでのパターンからして、この橋脚台は木造橋時代の遺物であり、後年(昭和30年頃以降)は前後の橋台を直接結ぶ1径間のPG橋だったと思う。
ここを突破する上での難しさは、手前半分に集中している。
右から斜面に沿って谷底の橋脚台へ下るのだが、そこを滝の流れが邪魔をしている。
ここを破線のようなルートで下る必要がある。
だがこれには“滝行(たきぎょう)”寸前のシャワークライミングが要求される。
ロープと時間があるならば他の乾いたルートを選びうるかも知れないが、現状の私が取り得るのはこれだけで、また滝さえなければ、難しいルートでもない。
身体は濡れても乾くのだから、焦って滑って転落することとカメラを濡らして壊してしまうことだけはないように、慎重に行動することを心に誓う。
(→)
無名の沢という以前に、地形図には谷らしいものがまるで描かれていない急斜面を流れ落ちる、なかなかに見事な滝だ。
この上部200mくらいの位置を左岸林道が横断しているはずだが、前にも書いたとおり、今のところ完全な没交渉にある。
【あんな看板】があったくらいだから、林道工事の残土は、重力に任せてこの軌道跡を好き放題に荒らしたのであろうけれども、こちらからは何ら力を及ぼせない。あるいはここに架かっていた築15年にも満たないPGを無残に転落せしめた悪鬼の正体も、この林道工事だったかもしれないのに!
7:14
よし!成功!
背中や首周りがびしょびしょになったが、むしろ汗ばむ身体には心地よいシャワーであった。
転倒することもカメラを濡らすこともなく、無事に難所を突破して、引きちぎられたレールが突き出る対岸の橋台を見上げるまでに至った。
右の写真は、辿り着いた橋台から振り返って撮影した。
もし橋が残っていれば、滝とのコラボレーションで見応えがあっただろうに、惜しい。
それはそうと、改めてよく見ると、この橋は単径間のPGとしては少し長過ぎるようにも感じられる。
中央の橋脚台は明らかに木橋専用のものだが、最末期まで木橋だったとは、これまでのパターンからして考えにくいのであるが。
また、先ほど谷底に見えた残骸が本当にここから100mも流れ下ったものなのかについても、判断は難しいというのが最終的結論だ。
谷底に下りて採寸でもすれば良いのだろうが、永遠の謎で終わりそうだ。
そして、難所のあとにはご褒美タイム。隧道収穫の季節がやって来る。
はずだったのだが…
とてもそんな浮かれた気分で迎えられる隧道じゃないようだ…。
←この渓相は、やばいだろ!!
とてもとても、生身の人間が通過できる状況には見えない。
今まででも一番厳しい渓相かもしれない。
そして何より怖いのは、この谷の上部を次の隧道が通過しているという事実だ。
…………
……
この隧道が閉塞していたら、前進不可能になるんじゃね?
いや…、大げさとかでなく、割とマジで、そうならざるを得ないんじゃない?
一応、谷に下りられなくても、高巻きという手は本来的にあるのだが……
一目で分かるわ。 高巻きなんて絶対無理ここ。
さっきのトンネルの繰り返しになっちゃうけど…、頼むぞ、
貫通。
本当にこれマジで!!
2010/5/5(水) 7:17 《現在地》
貫通していてくれよと願いながら、本日2本目の隧道の坑口へ迫る。
これまた千頭林鉄のご多分に漏れない、コンクリート製の簡素な坑口であった。
坑門両側のコンクリートの面が非常に狭く、内壁側面の薄っぺらさが見て取れる。この薄さだと、アーチ構造で天井を支えるような物理的効用がどれだけあるのか疑問である。
というも、坑道の大半は素掘なのだから、もとより素掘でも自立するだけの地質的な素養はあるのだ。全ての隧道に見られる坑門工は、見栄えを重視した存在とまでは言わないが、壁の自立を支えているというよりも、坑門上部からの落石の防止や、地下表層水の影響による氷柱の巨大化(クラックの発生を助長する)の防止などが主眼であったのではないかと思う。
前の隧道では、坑口前に立った時点で、出口の光を見るまでもなく、吹き抜ける風によって貫通を察知することが出来た。
それが分かっているだけに、坑口前に近づくのが前よりも怖い。
なにせ、今度は風が感じられないとなったら、その時点で一気に絶望度が増すことになるからだ……。ああ、怖い。当然のように今回も坑口前から出口の光は見通せないし……、嫌がらせかな…。
風は……ある……と思う。
前の隧道ほどはっきりしないが、無風ではないと思う。
……思いたいだけか……。でも、ここは貫通していてくれないとマジで嫌だ。
ここまで来て、進めなくなるというのは悲しい。(それだけだが、とにかく悲しい)
とはいえ、とりあえず隧道内が左にカーブしていることが分かったのは、一応の“朗報”だった。
これで、坑口から出口が見通せなかったという事実に、落盤以外の理由付けが出来たのだから。
この緩やかなカーブの先が見通せる状況まで、審判の時はお預けとなった。
ほんの数歩だが、ギリギリと胸を万力で締め付けるような心持ちだった。
完全
勝利
天は我に味方せり!
隧道が開いてるか否かというのは、おおよそ探索の技量とは無関係な運否天賦だが、
それが探索の成否を決する最も重大な要素であることは、疑いがない。
望む望まざるとを問わず、探索とはそういうものだとも思っている。
7:21
貫通が分かれば、隧道の内部ほど安心して歩ける場所はなかったりする。
「隧道内部は安全安心歩きやすい」。
これはこれまで千頭林鉄界隈を数日に分けて歩いてきた私が、最も自信を持って言える真理の一つになっていた。
この隧道の長さは前の隧道より倍くらい長く、目測90〜100mほどであった。千頭林鉄の隧道としては長い部類だ。
この距離からして、隧道の直前で谷に見た【極険の部分】を、ちょうど上手く通過してくれたと思う。直前までは敵軍の者のようにさえ見えていた隧道が、今は最大の味方と思われたこの変心も、隧道の通路としての価値を象徴する現象だ。
とりあえず、これでまた一つ未知なる奥地へと歩を進めることが出来たのだから、喜ぶべきだ。
ただ、
ただである。
先ほどの「完全勝利」の雄叫びだけは、少しやり過ぎというか、考え足らずだったかもしれないと思い始めていた。
なぜなら、橋の出口にも、落ちた橋があるようだと分かったから……。
よりにもよって、なんでここなんだよ…。
この落ちた橋が越せるかどうかはまだ分からなかったが、とりあえず、私を最高に悩ましくさせる橋の位置に、思わず恨み言が零れ落ちた。
万が一、この橋が越せないうえに、ここで谷底にも下りられないとなると、万事休すである。
せっかく隧道を越した意味は、全くなくなる。
隧道の貫通が決まった瞬間であげた私の祝声は、だいぶ早かったらしい……。
これらの路盤全体から、何が何でも楽はさせまいというそんな執念を感じるようになってきたというのは、さすがに被害妄想的に過ぎるだろうか……。
“前門の虎、坑門の狼”とは、まさにこのことか(苦笑)。
逃げ道を封じるように……、いやむしろ、唯一の逃げ道として敗者に甘言をもって招くかのように大口を開ける、一度は制した隧道。
絶対に戻りたくない。敗者にはなりたくない。
なお、この坑門は少しだけ錯覚を起こさせる効果がある気がする。
写真が傾いているのではなく、傾いているのは坑門の上面である。
坑道として削り取った岩盤に、必要最小限度だけのコンクリートを充填して坑門を設(しつら)えた状況がよく分かる、なんとも省エネ感のある坑門だった。
この場面でなければ、もっとじっくり愛せたかも。
さて、二度先延ばしにされてきたこの隧道に関わる審判の時を、今度こそ迎える。
状況はこの通りだ。
問題は対岸だ。
対岸の橋台へよじ登るのが、かなり厳しそうだ。
しかしとりあえず、万事休すとはならずに済んだようだ。
この橋の落ちた谷は、本流への下降が可能で、また本流についても上流方向へは歩行できそうな状況に見えた。
まずは最低限の安堵を得られたので、改めて冷静に、この対岸の橋台がよじ登りうるかを精査する。
出来るだけ、路盤を辿りたい。
それは遺構発見のためでもあるが、何より、時間的および体力的な意味から、余計な上り下りはできる限り省きたかった。(万全を期すべき探索者としては、あまり褒められた態度ではなかったかも知れない)
7:27 《現在地》
結果を先に言うと、私はこの対岸の橋台も徒手空拳でよじ登り、次なる路盤へ歩みを進めることに成功した。
その最中、1本の存置ロープがあるのを見つけた。
いわゆるトラロープだったが、時間が経ちすぎているようで手触りはザレザレに綻んでおり、色合いもトラではなくクジラになっていた。
到底、体重を預けられるようなものではなかったが、それでも崖にへばりついて登る最中、少し手をかけてバランスを整えるくらいの役には十分だった。
なくても越せなくはなかったと思うけれど、前任者の存在に安心を憶えたという意味からも、たいそうありがたい存在だった。
(ちなみに、存置ロープを見つけたのは31km地点付近の崩壊地以来、2km以上ぶりだった。ロープを置き去りにするということは、それだけ大量のロープを持参して入山したわけで、数に限度がある。どうしても欲しいところにだけ設置していっただろう。そう考えると、存置ロープがある場所は、軌道跡を通る以外に谷を行き来できない難所だと考えられる。おそらくロープを残したのは釣り人で、彼らは可能な限り渓流伝いに移動したであろうし。)
大樽沢以奥における2本目の隧道を前後の難関共々、無事突破した。
しかし、行く手の険阻は未だに衰える気配を見せていない。
現在地は、小根沢停車場(31.9km地点)と大根沢分岐点(33.6km地点で大根沢停車場の0.3km手前とされる)のだいたい中間辺りであろう。
これだけやって(レポ的には回を重ねて)、小根沢からまだ1kmも来ていないというのが現実なのだ。時間も要しており、既に出発から1時間半だ。進行ペースは時速1kmにも及んでいない。
前進できるタイムリミットは、今日の夕方である。
軌道終点の栃沢まではあと約3kmであり、これは最低限の攻略目標だったのだが、さすがに辿り着けるとは思う。
しかし、その栃沢の先に柴沢まで延びていたとされる8.8kmもの“牛馬道”については、誠に無念だが、無理だ。
これは昨日の夕方に大根沢泊まりを断念し、小根沢泊まりを決断した時点でほぼ決まっていたことだったが、改めて「そうだ」と確認させられる状況だ。
想定以上に、小根沢から先の路盤が悪すぎるよ…。
(だが、昨日はやはりあそこで止まって正解だったと思う。夕方にこの辺りを歩くとか、考えただけで涙出てくるから……)
7:31
おえっ…
栃沢(軌道終点)まで あと3.0km
柴沢(牛馬道終点)まで あと11.3km
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