2011.1.2 13:55 《現在地》
7分も長考した末、結局一度も問題の崖に足を踏み入れることなく、撤退を決めて踵を返した。
地獄との膠着戦から解放された私の目には、わずか7分前に通った景色が、全く別の色に見えた。
午後2時前とは思えぬほど黄昏れた日の光が、山の頂を朗らかな色に染めていた。
戦いを敗北で終えた…
命を長らえた敗残兵が、眺める故郷の色を想った。
もっとも、国のためという利他に戦う兵士に較べれば、利己に命を晒す私など塵だが、それでもここは私にとっての“全て”に近い廃道の舞台だった。
私は涙をこらえた。 本当に、どうしょうもなく悔しかった。
目が曇ったままじゃ、今から1分後に現れるだろう“半年に一回程度”と評した難所を、無事に戻れないかもしれない。
そう思って、私はなぜか山側ではなく、崖側に背中を向けて腰を下ろした。
実は時間的な焦りがずっとあったために、入山後は腰を落ち着けたことが一度も無かった。
一度気持ちと足を休めても良いかと思った。
この時休んだ場所は、撤退地点の直前で(何も知らず)大喜びをした、二つの坑口が一挙に目に飛び込んできたカーブだった。
ちょうど、“撤退地点”と“半年に一回程度とした難所”の中間地点で、束の間の平和の場所であった。
私はここを、“葛藤の尾根”と名付けた。
そしてこの休憩は、最初に思っていたよりも長くなった。
良くないと思ったが、緊張が少しほぐれてきて、身体の芯に篭もった熱が急激に寒気に置き換わっていった。
しかし、よく考えれば焦ることもないと思った。
今日はもう下山するだけで終わりだし(実際はこの小探索をしているが)、入山からここまでかかった時間は約50分。
同じだけあれば戻れるはずだった。
だから、あと30分くらいは、こんな常人が寛ぎそうもない場所で寛ぐ体験も、良いかなと思った。
だが、そんなのはきっと自分自身を欺くための言い訳だったのだろう。
本当の私は、まだ未練を棄てきれずにいて、“先が見える場所”に留まっていたかったのだろう。
今、突然に落石が起きて地形が変化し、踏破のチャンスが生まれる…………なんてことは あり得ないのに!
座りながら私は、こんな写真を何枚も撮っていた。
普段だったらはっきり言って見向きもしない植物。
それは外国の砂漠にでもありそうな緑の乏しい乾いたシダを思わせる草で、人間にとっては何の旨味も無さそうな斜面に飄々と根を張っていた。
しかし、別にこの植物が何か私に意味のある提言をしてくれた訳でも、突破のヒントを与えたわけでもない。
やっぱり、何の意味も持たない草だった。
だが、私はこんなものを撮影することで時間を潰す口実を得ながら、自問自答を続けていた。
本当に、私はあれを超えられないだろうか。
引っ掛かっていたのは、私が先ほどの7分をただ安全な位置から目測によるルートの発見に費やしただけで、少しも肉体的に無理を確信する体験をしていないこと。
それにもかかわらず、自らの中途半端な経験則を持ち出すことで納得するフリをしたが、それが本当に私の納得する答えなのか。
必死になれば引き返せるという範囲で、少しくらい足を突っ込んでみても良いのではないか。
それだけの価値が、この道の解明にはあるのではないか。
今を逃せば、私はもう二度とこの道を解明する機会を得られないのではないか。
もう一度、今の少しだけリラックスした気持ちで、あそこを眺めてみようと思った。
…ええ。
情けないですとも。
一度しっぽを巻いて引き返し始めたのに、未練たらしく、戻るんですから。
何か新しい道具や技を得たわけでもないのに、ただ自ら定める安全の閾値を引き下げただけなのですから。
生還に勝る重要なものは無い事を、万が一の瞬間には、後悔と共に噛みしめる事を分かっているのにね。生きていることが大好きなのにね。
間違いなく、良い事では無いと思う。
これは最終手段だ。
何度もやる事ではないし、逆説的に、今も私が無事なのは、これをそう何度もやっていないからだろう。
14:00:23
5分間の“未練座り”の後で、もう一度だけと戻って来た。
二度目に見るこの場所も、やはり何も変わっていなかった。
が、
「よし……。」
14:01:24
長考12分と行動1分の合計13分を費やして、
超えた。
結果的には、私の身体能力のみで越える事が出来たのだから、臆病であったことになる。
かといって、「取り越し苦労」などと軽んじられるものでは全くなく、五体五感を使って突破した。
それゆえ、再訪するつもりは全くないので悪しからず……。
そりゃ越えた時は嬉しかったけど、間違いなく青い顔をしていただろう。
定番の「自分撮り」さえ忘れるほどだったから……(苦笑)。
まあ、幾ら偉そうに安全を説いてみても、この現実が私の信念の限界なのだから、
今は振り返らない。気持ちをゼロに戻して、この廃道探索を続けよう。
それだけのために、私は冒したのだから――。
14:01:56
前進を再開すると、すぐさま “謎の坑口” に到着。
落涙をこらえて希(こいねが)った地点が、目の前で服従している。
なんなんだ、これ…。
いや、怒ってないよ。
ただただ、驚いている。 これは、なんなのだ。
実は自然地形であったという、最悪なオチも覚悟していたが、そうではない事は間違いない。
明らかに人が掘った坑道であり、洞床に砂利が敷かれたように平ら事を含め、前の隧道によく似ている。
断面の大きさも近いが、こちらは天井がさらに低くて、屈まないと頭を擦るレベルだ。
そして長さは10m程度で、どこへも通じていない。
奥の壁まで真っ直ぐで、その壁も後から塞いだものではなかった。
以上をまとめると、この洞穴の正体はまさか……未成隧道なのか?!
または、試掘坑という可能性も…。
とにかくこの“廃道”は、良くできている。 恐ろしいほどに。 狂おしいほどに。
たかが工事用軌道跡だと思えば、もったいない。
人をジャンキーにさせるだけの面白さと中毒性がある。(だから怖い)
リスクを冒す事への抵抗感が、次第に薄れていくのがよく分かる。
気付けば、こんな道をスタスタと歩いていた。(→)
普段ならば、これだけでも1ヶ月分の恐怖のネタになる。
この道では、隧道や横坑や広場やレールや謎の穴などといった“イベント”が、全く退屈や冗長を感じさせない頻度で現れる。
ただし、それはタダではない。
一つないし二つの成果を上げるたびに、登竜門の如き難関が立ちはだかるという、まさに理解あるスパルタ教育だ。
勝ち取れると嬉しいという、単純にして究極の成果主義が、ここには存在している。
つい、先が知りたくて夢中になってしまう。(最も危険で恐ろしいタイプの“魔魅”の道だ)
この“片洞門”の曲がった先には…
ついに…ついに!
14:06 《現在地》
古地形図にも描かれていなかった、
2本目の隧道を確認!!
こんな目に逢って辿りついたのに、
まるで現役のように状態が良いのが、面白い。
もちろん、ばっちり風が抜けてきている!
入り口から激しくカーブしているので出口は見えないが、
この隧道も大丈夫そうだ!
振り返る、直前の道。
凄まじく張り出した片洞門が、半世紀を超える風雪から道を守ってくれていたのは、幸運か必然か。
もう何十年も誰も歩いていないのではないかと思われるのに、この保存状態の良さは、“秘蔵”という言葉を彷彿とさせた。
辿り着く人間を健気に待っていたのか、これさえも深入りさせるための罠なのか。
いずれ、この景色を私が暴いたのだと思うと、その興奮はひとしおであった。
(あとはこの記録を持ち帰るのが最大の使命と誓った)
痩せた尾根を突き抜ける隧道は、軌道跡とは思えぬほどの尋常ならざる急カーブに始まっていた。
遠目にはだいぶ大きく見えた坑口だったが、内径は第1号隧道と変わらず、とても狭い。
また、第1号隧道は内部がよく濡れていたが、こちらはカラカラに乾ききっていた。
まさに風洞のような隧道であった。
とても寒かった。
60度くらいは旋回したのではないかという急カーブの向こうに、
嬉しくも恐ろしい、出口の光が忽然と姿を見せた。
なぜ出口が「恐ろしい」かは、言うまでもないだろう。
この道に関して言えば、隧道内部は全て安全地帯であって、
危険は全て、“明かり”にあった。
ほらーっ!! (泣)
何回殺す気なんだよ。
もう、勘弁してくんないかよ…。
はぁーー…
超絶難易度を誇る“13分難所”の周辺を、
帰路に、県道から見上げた写真をご覧頂こう。
隧道の中だけが、本当に安心出来る場所でした…。
次の画像は、中央付近をさらに望遠で覗いたもの。
“13分難所”ではまず7分悩み、次に“葛藤の尾根”で5分悩み、
最後は1分間使って横断したから、“13分難所”。
早川の先人たちは、私が生まれる遙か昔に、こんな所で働いていたのだな。
私と同じに、命綱も付けずに働いていたのだな。
遠いどこかの都会に電気を送る手伝いをすることで、子らに幸せを残すために。
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