14:46 《現在地》
峠から2.3km、標高890m附近。
地形図上に緩やかな切り返しのカーブが描かれている場所だが、そこには地形図にない分岐が存在していた。
元湯林道の本線は手前から右へ下って行くのだが、正面に別の道が分かれていて、しかもその道の方が明らかに多くの轍を有していた。
分岐の傍らにあった鉄製の林道標識から、分岐していく道が「焼畑沢支線」という名の支線であることが判明。
この支線は地形図にも記載がないが、本線よりも通行量は多いようだ。
地図にない分岐の100mほど先には、この道では初めて見るゲートがあった。
しかも連続して2つ。
どちらも開放されていた(片方は支柱しか存在せず)が、この2つ目のゲートには道路標識よりもさらに嬉しい、大量の「文字情報」が備わっていた。
これまで半日近く文字のほとんどない生活をしていたから、読み方を忘れているかも(さすがにそれは大袈裟)。
さあさあ、やって参りました。
文字情報の殿堂。
左から順に見ていこう。
元湯林道
この林道は、前橋営林局矢板営林署が管理する専用林道です。
この林道を、旅客輸送・資材運搬 などで定期的、または、一定期間を通して継続的に利用しようとする方は、矢板営林署へ申し出て下さい。
国有林野事業に支障のない場合は、利用出来ますので、所定の通行料金を納入のうえご利用下さい。
通行料金については、下記営林署、または担当区事務所にお問い合わせ下さい。
矢板営林署長
この看板は、前橋営林局や矢板営林署などの関係者名が古いままで訂正されていないので、(これほど錆び付いている事から予想はつくが)既に書かれた内容は失効していると思われる。
そしてその内容とは林道の利用規程である。
基本的には営林署の「専用林道」であるけれども、受益者負担金を納入することで、正規の利用が可能であるという案内である。(「一定期間」「継続的」に利用するのでない場合は、別に申し出たり料金納入の義務は発生しないと読めるから、現在の「専用林道」=「一般車通行止め」よりも、だいぶ大らかな時代の案内といえる)
こうした案内板が当時の全ての専用林道にあったのでないとすれば(ちなみに、同じ文面の看板を六厩川林道でも私は見ている)、管理者は当初から、この道を観光目的の小型バスなどが通行することを予期していたと考える事が出来る。(おそらく単なる行き止まりの林道にまで、案内板は設置しなかったと思う)
そういう想像をして楽しめるという意味で、とても価値のある案内板であった。
続いてはこの2枚。
左の案内板は、シンプルながら私が初めて見るデザインである。
内容としては、どこにでもある「林道標識」と同等のものでしかないが、林道というどちらかというと日陰の存在でありながら、それを感じさせない堂々たる大きな案内板。
これまた林業が今より遙かに盛んだった時代とか、この道に秘められた観光道路という思惑なんかを想像するには、面白い遺物である。
残念ながら、肝心の文字内容の大半が読み取れなかったが…(特に「行先」の欄の内容は気になった!)
右の案内板は、現在もそこかしこの林道で見る内容である。
一応(小さく)文章を書き出しておこう。
一般通行禁止
1.この林道は国有林の専用林道ですから許可なく車両や歩行者の通行を禁止します。
2.通行の許可を受けたいときは矢板営林署又は 担当区事務所へ申し出て下さい。
3.許可なく通行したときは事故があっても一切責任は負いません。
塩那森林管理署長
最後の「塩那森林管理署」という部分だけ、シールで訂正を受けていた。元々は矢板営林署だったのだろうが(本文中はそのままだ)、平成11年の改組後に修正されたことが窺える。つまり、この案内板の内容は現在も「イキ」であろう。
そして最後はこれ。
旧前橋営林局(現:関東森林管理局)管内の標準仕様ゲートである。
このタイプのゲートの特徴であるバーに取り付けられた上下3枚の“ふんどし”のうち、真ん中の1枚が、老朽化(錆)のためにサイケデリックな絵画のようになっていた(ちょっと怖い)。
本来この部分に何が書かれていたかは、類例から推察出来るが、正視に耐えない気持ち悪さだ…。
これって、何現象だ?
“グロ”ゲートを過ぎると、さきほどの支線から湧いてきた轍のおかげで、もう完全に一人前の林道風景である。
グーネグーネと急坂のハイスピードターンを2,3度繰りかえしてから、平坦な感じの場所に辿りついた。
元湯林道のゴールも、もう近い。
下り着いた先にはごく小さな橋(欄干や銘板無し)と、反対方向に向けられた標識と案内板が各1あった。
案内板は、ちょっと前に見たBと同じもの。
標識は、もっと早く(5時間前)に出て来ても良かっただろうと、思わずツッコミを入れたくなった…通行止めの標識…であった。
だいぶ草臥れているが、これは林道が通り抜けられなくなってからの時間を示しているのだろうか…。
しかし、「通行止め」と明示しながら、敢えてゲートを閉じることはしないのが、謎のクオリティである。
同じ市内にあるのに、ゲートが堅牢すぎる塩那道路との違いがあるとすれば、こちらはゲートがあろうが無かろうが、どうせ通り抜けは出来まいという管理者の侮りか。
…この道は、廃道としても「枯れている」。
夏の原野に“クネクネ”出現か?!
…と思いきや、
今度のはクネクネではなくて、「右方屈折あり」の標識だった。
それにしても、標識の設置位置が随分と“草側”だなぁ。
本来の道幅は、そのくらいを想定していたってことなのか?
おかげで黄色い標識が、緑の簑を被った人影みたいになっている。
蚊に刺されながら刈り払いでもしたら、さぞ(標識が)気持ちいいだろうな。
14:55 《現在地》
峠から2.9kmの地点、この探索でははじめてとなる人家との遭遇があった。
それは林道沿いではなく、少しだけ離れた原野にポツンとあるのを見たのだったが、その眺めの直後に、家の方から来る道がちゃんと合流してきた。
地形図には集落の名も道も描かれていないが、さすがは生きた集落に通じる道と言うべきか、まるで林道の方がオマケのような合流風景になっていた。
これでもう二度、本線は(轍の量的に見て)蔑ろにされてきたわけであるが、三度目というか、ゴールがもうすぐそこだった。
14:59 《現在地》
舗装路が見えてきた〜!
と思ったら、ゴールでした。
この舗装路は、道の名前こそ分からないが、上塩原の国道400号と元湯温泉を結ぶ約4kmの市道であり、合流地点はその元湯から数えて1kmの位置である。
標高は最初にもかいたとおり820mあり、峠からは230mのマイナス。
五十里側の起点が標高600mだったのと比較すれば、まだまだ峠道としては下り半ばと言った感じになるのだが、廃道のレポートとしてはこの辺りでお開きにしたいと思う。
な〜に、自転車が本気を出せば、ここから国道までは15分くらいである(実話)。
(この日の自転車同伴による「五十里〜上塩原」間の総所要時間は、5時間45分と相成った。)
さて、レポートの〆として、分岐地点を有り様を詳述しておきたい。
まずは、塩原側から元湯林道に入ろうとすると、こんな看板が1枚ペロッと設置されている。
なんだか、道路の案内としては妙に素人臭い微妙なデザインだが、ともかく「行き止まり」という最も重要な真実については、余すことなく述べられている。
しかしいくらこういうものがあるとは言え、地形図ではしっかり完抜している林道を見て、そこに楽しい峠越えを想像してやってきた一般ドライバーを引き返させるには、いささか危機感の足りない、ある意味で詐欺的な分岐風景のように思う
わずか200m先の集落のためとはいえ、この入口だけは道がしっかりしすぎている。
この三叉路を左へ行く道が、元湯へ続く市道の本線である。
私は体力と時間上の理由から、元湯への寄り道を避けたのであるが、行ってみれば良かったと少し後悔している。
この私の心残りは、あなたが来塩したときに晴らして欲しい。
そして、露天に浸かりながら、思い出して欲しい。
この山の後ろには、郷土の閉塞感を打破せんと願った人々が、藁(林道)にもすがる想いで結実させた林道があったこと。
だが、自然の厳しさと人々の心変わりの両方によって、短期間のうちに放棄された哀れさを。
その場所で、心ばかりか肉体まで砕かれそうになった、汗だく男がいたことを。
…馬鹿な話はこのくらいにして、最後の発見。行きますよー。
分岐の中央に立つ、青看でもなんでもないオリジナルの案内板。
敢えて呼ぶなら“黒看”は、さもそれが当然であるかのように、
元湯がある方の道だけを、案内していた。
しかし、その背後、
おおよそドライバーの目からは見えないような位置に、
もう1本の案内板が実存していたのである。
その役割といえば、前に立ち塞がっている別の看板(入山注意云々)の支柱“の支柱”としてのみ…
しかも、ちゃんと二枚羽根…。
枝葉をどかしてようやく見えた“右羽根”は、
背後の幹にも喰われつつあり、まさに八方塞がりの危難であったが、
盤面には、うっすらとペンキが残っていて…。
「大塩沢林道」
私は確かに読みました!
これは塩原側に残る、峠越えの林道が貫通していた唯一の名残りかも知れない。
本稿は引き続き、「この林道を現役当時に通った」という証言を待っています。
(その際には、いつ頃のエピソードであるかも添えてくれると助かります)