2018/4/26 6:57
当たり前だが、探索中も周りの状況は変化し続けている。
ここからの雷電岬の眺めは、【20分前】と比べると、明らかに不吉の色を帯びてきた。
今日は大きく天候が崩れるというような予報は出ていないが、次第に風と波が強まると気象台は述べていた。
まだ風にも波にも大きな変化は感じないものの、数時間後もこの状況ではないと考えるべきで(参考:翌日の探索)、
私は可及的速やかに探索を完結させて、このような海況に最も左右される危険な領域からは脱するべきなのだろう。
この景色の変化は、私に現実にある危機を教えていた。
背後に海が見えなければ、この地形がどのような場所なのか分からないと思うが、
これは先に登ってきた岩場を見下ろしている。今度はここを下る。
ルートが分かるのは救いだが、行為自体の危険度は登りより大きい。
馬鹿の一つ覚えにそればかりしか言えないが、慎重に、下った。
7:05 《現在地》
事故なく、おおよそ40分ぶりに汀線へ下降した。
間近に見る海況にも変化がないことが確認できたので、
既定路線としていた、“へつり”による正面急斜面の突破を、これから開始する。
もし、万が一墜落しても、命を奪われることはないだろうが、全身びしょ濡れになり、
複数のカメラやGPSなど主要な道具を海水で再起不能にしてしまうことのリスクは侮りがたい。
しかし、そのことに増して決定的に大きな禍根を生みそうだと恐れていたのは……、
自分自身で行けると判断した場所で転落したら、今後信じるべきものを喪失することだ。
誰かの裏付けがない場面を歩くとき、もし自分の判断が信じられなくなったら、一切の導(しるべ)はない。
……いざ目前にすると、
不可逆になりかねない次の一歩を踏み出すには、勇気が要った。
私という探索者の限界を露呈する発言になるが、私は未だかつて、
これほどの斜度を持った斜面を横断してみようと考えたことはない。
普通であれば、横断不能の斜度と判断したに違いない。
だがここは普通ではない。ここは特殊地盤である。ここ3日間、近い形質の岩場を歩きまくった経験もある。
たった3日だが、集中して歩いた成果として、私はこの地盤のグリップ力には決定的に信頼できると考えるに至った。
加えて、私の足にも秘密がある。登山用品店で購入した着脱式のスノースパイク
(その名の通り本来は雪渓用)が、この岩場にはがっちりフィットして効いている。
行けるはずだ。
そして証明しろ!
お前の判断の正しさを!
行け!
越えた。
とりあえず、一度は越えた。この往復の難しさに差はあるまい。
見立ての通りで、常に三点支持可能なグリップが無数にあって、問題はなかった。
どうやら、私はまだ、こういう探索を続けていっていいらしい。
7:16 《現在地》
飛び上がりたいほど嬉しいが、また一線を越えてしまった。
穏やかなうちにここを越えて引き返さないと、マジで雷電に食われる。
それだけは絶対に忘れてはいけない。速やかに探索を終えよう。
私はこうして、難関だった湯内川河口へ足を踏み入れたのであるが
このとき私の前に広がった風景がどのようなものだったか、皆様は想像できるはずだ。
先ほど上から見下ろした景色を、今度は下から見上げるわけだから、ある程度想像できるはず。
だが、覚悟して欲しい。
その遙か上を行くぞ!
これが、雷電国道。
失われていない。奇跡の造形が保たれている。
二つの滝、二つの橋、二つの隧道。
二つの真実は、自然への畏怖と、人類への賛歌だ。
この坑門の見え方は……、ずるいよぅ。
こんなの格好よすぎる。
さすがに、造化の神ではない道路設計者の手による偶然の産物だろうが、奇跡だ。
塞がれてしまった無能の壁であることを忘れさせて余りある、
北辺の孤独なる弁慶、その最高の大立ち回りを、見せつけた。
7:16 《現在地》
次の仕事は、湯内川の徒渉だ。
海の水を上手く回避してきた私だが、ここで膝から下を全て濡らすことを余儀なくされる。
仕方がないな。
徒渉成功!
波が運んできた玉石の浜を無造作に流れる川は、水量の相当量が伏流していると思われるのに、
なおも押し流されそうな強烈なる水勢を持っていた。それは、生命感の乏しい真水の奔流だった。
また、しっかりとネオプレーン装備を固めているのに、入水の瞬間は冷たいというより痛かった。
滝壺らしい滝壺を持たない不思議な滝だ。
そのため、雪崩のような瀑流に逆らって、ぶっ倒される限界まで近づくことも出来そうだが、
もしそのまま滝に打たれたら、全身の骨を砕かれてしまいそうだ。そのくらい迫力がある。
ちなみに、このくらい離れていても、霧雨状の水滴が大量に飛んでくる。
その瀑音の凄まじさも、考え事を許さないレベルだ。
これまでの遠望や渡橋行為では謎だった雷電橋の下部構造が、ここで明らかになった。
桁自体は平凡なコンクリート桁橋であり、おそらく内部に鉄筋を仕込んだRC橋だろう。
鉄橋であるかのように見せていた鉄の部材は、かつてあった覆道を支えるための添加材である。
白い滝の上にある弁慶隧道とは対照的に、黒い虚空の上にある雷電隧道。
この地の旧道にある坑口の多くが、このようにコンクリートの壁面を地山から少し離したデザインになっている。
これは決してエリマキトカゲが威嚇に用いる飾りのような、利用者にトンネルを立派に見せるための飾りではない。
地山に沿って墜落してくる物体から利用者を守るための堅実な工夫であった。
ただし、このような突出型坑門には強度不足という重大な弱点があり、
かつて北海道で特に一世を風靡したものの、現在はほとんど採用されなくなっている。
見るべきものに満たされた、至福の湯内川河口浜であったが、ついに別れを告げる。
この浜を見つけた直後から見てきた“小さい方の滝”を潜って、次の岬を回る旅へ出よう。
ここはあまりゆっくりしていて良い場所ではない。
ここから見る次の岬の印象は……、奇岩怪石の博物館のようだった。
奇妙にねじられたような岩のタワーが林立していて、おそらく刀掛岩と同じような成因によるものなのだろう。
ひたすら肉厚で筋肉質だった前の岬を男的とすれば、今度の岬はトリッキーな女性的イメージだ。
男性的な湯内川の滝に対して、こちらの無名の沢に落ちる滝は、繊細な女性的魅力に満ちている。
雷電版“エンジェルフォール”である。
このように、とても涼しげな光景ではあるが、現実は氷水だから、
とても禊をしていくような気分にはならない。これ以上濡れたら、魂が凍りそう。
気分だけは禊を終えて、最後の区間へ。
まず行く手に現われたのは、折り重なるような巨石たちだ。
これらの岩は地盤から生えているのではなく、上から転げ落ちてきたものであるようだ。
見覚えのある層状の模様が、岩塊ごとに、いろいろな方向に向いていた。
面倒だが、適当に乗り越えて進むよりなさそうだ。
なお、辺りが濡れているのは、“エンジェルフォール”の飛沫の影響である。
乗り越えて進もうと思ったが、このように下に大きな隙間がある場面では、潜って進んだ。
まるで巨石のジャングルで、ここを行くのは冒険心を駆り立てられる愉快さがあった。
基盤の地面は平らに近い一枚岩で、波蝕棚の地形であることが伺えた。
このロックガーデンを抜けると……
まっさらな波蝕棚に到達!
この時点で、岬の突端へ到達できることを確信した。
問題は、岬の反対側の地形がどうなっているか。前の岬は、回り込んだ裏側が悪かった。
いずれにしても、岬を回れば最後の旧道……カスペノ岬から【チラ見せ】されていたが……と
間近に対面することになるはずだ。 ここはドキドキの一瞬だった。
波蝕棚が広がる海岸線を振り返っている。
突出した硬い岩脈が、天然の防波堤のようになっているのが興味深い。
おかげで波蝕棚がよく温存され、通行しやすい状況になっているのかもしれない。
遠くに目を向けると、現道のカスペトンネルがよく見えたが、強烈な存在感はその背後の山にあった。
昨日と同じく雲を被り始めているのは、雷電岬と双璧をなす規模を誇るビンノ岬だった。
あのような姿こそ、雷電の名に相応しい。忘れるはずもない、昨日の苦闘の現場である。
そして…
7:25 《現在地》
キター!!!
房総の鋸山をスケールアップさせたような山容を誇る、
落差500mにおよぶ岬の懐に食い込んだ、完全防備の旧国道!
絢爛な滝を配した前の旧道のように、派手ではない。
派手ではないが、黙する者の迫力があった!
今なによりも問題とすべき、到達の是否は?!
○(マル)
行けそうだ!!
案の定、岬の裏側の地形は表側より遙かに険悪で、岩脈を裏返しにしたような深い海水路の嵌入が嫌らしかったが、
この海水路の嵌入を妨げるように、大量の散乱する巨石が、附近の海岸一帯を埋めていた。
巨石の中には、2階建て家屋を遙かに上回る大きさのものもあったが、模様の方向はどれも地山と不一致で、
過去に頭上の山体が崩壊し、或いは刀掛岩のような巨大タワーが折れて、墜落してきたものだと分かる。
悠久のように見える巨石の地形も、極めて長いスパンの中では変貌の渦中にあると思い知らされる眺めだった。
ともかく、こうした攪乱要因である大量の岩塊のため、冷徹な海水嵌入は、
私を止める役目を果たせなくなっていた。これは幸運と言うよりなかった。
この観察の最中も、私が背にする岬の突端部には、異様な岩場がひしめいていた。
ビルの5階くらいの高さにある巨大な窓が、ここを通る羽目にならなくて良かったねと、笑っているようだった。
自然の何もかもがビッグスケールで、私を楽しませると同時に、畏怖させることの手を抜くことはなかった。
このように、尋常ではない規模の“落石”が多発してきたことを隠そうともしない地形は、
ここに道路を存続させることが人命軽視だという文明社会の批判と、容易く結ばれることになっただろう。
たしかに、こんなところを通されていると意識した人は、恐怖を感じて当然なのだろう。
良い景色だと観光気分で眺めていられたのは、恐ろしい事故が起きるまでだった。
前区間の到達に味わった苦闘を思えば、あまりにも容易く……いや、
これは感覚が相当に麻痺しているからこその感想なのかもしれないが……、
沢山の巨石の助けを借りながら荒磯の区間を無事に突破。ついに、道路の基部に到達した。
この土の斜面は、道路を支えるために人為的に盛られたものであるはずで、
ここに辿り着いた時点で、路上への到達を確信することが出来た。
あとは、力一杯、この土と草の斜面を這い上がるだけだ。
前の区間で、私が危うい崖をよじ登った高さを思い出してもらいたいが、
今度の斜面登りも、高さの上では完全に匹敵するものがある。
ただ、危うい斜面ではないので大騒ぎしないだけで、振り返り見る高度感は相当のものだ。
写真の右側に深く陸地に嵌入した海面が見えるが、その左側に連なる眼下の岩石海岸は、
崩れてきた巨石によって埋立てられているだけで、本来は海上であるべき部分だろう。
これほどの大崩壊が起きたとしたら、轟音はどれほど遠くまで響き渡っただろう。
はぁはぁ はぁはぁ
ラストぉ!
7:30
はぁ はぁ はぁ はぁ……
きたぜぇ…!
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