廃線レポート 早川(野呂川)森林軌道 奥地攻略作戦 第17回

公開日 2025.12.19
探索日 2017.04.14
所在地 山梨県早川町〜南アルプス市

  ※ このレポートは長期連載記事であり、完結までに他のレポートの更新を多く挟む予定ですので、あらかじめご了承ください。


 カレイ沢への生還RTAと 驚きの新発見!!


末端で約10分間休息を取った後、帰投を開始。
ここへ来る途中、地形を見ながらずっとイメージを温めていた最速の帰投プランを早速実行に移す。
それは、チェンジ後の画像に青線で示したように、「現在地」からそのまま“尾根F”を登っていき、往路で利用した高巻きルートに合流しようとするものである。多分これが一番早いと思います。
それに何より、安全だと思う。(今来た道は戻りたくなかった!)

9:22 末端より帰投開始!



9:25

尾根を登り始めて間もなく(路盤から15mくらい上)、右下方に昨日の私を引き返させ、今日の私も引き返させた崩壊地の上部が現われた。

結論から言うと、この崩壊地は高巻きで突破が可能である。
尾根が近いため、その尾根まで登れば越えられるのである。
したがって、単純な突破難度はそこまで高くはない。
そのことは昨日の時点で想定はしていたが、越えた先がどうなっているか分からないことや、単純に時間的な不安が大きかったことで、突破しなかったのであった。

結果的には、安全寄りの良い判断をしたと思う。



9:47 (帰還開始から22分) 《現在地》

“尾根F”は、初めのうちこそ立木を掴んで登るくらい急であったが、登るほどなるくなり、約100m高度を上げると、まるで天然の林間キャンプサイトみたいな平坦な尾根が広がっていた。
あれだけ苦労した林鉄のわずか100m上に、このような地形が広がっている。そのギャップが印象に残った。

しかし、早川の山は、南アルプスは、ことごとく地獄の如き崩壊地とガレと急傾斜であると思いがちなのは、このエリアで林鉄や廃道ばかり探索してきた人の陥りがちな考えであろう。
それは谷に近い部分の一面を見たに過ぎないのであり、むしろ登山の対象となるような上部については、嫋やかな地形を以て特徴付けられる部分が少なくない。

……始めから終わりまで谷沿いのトラバースに終始する宿命にあった林鉄には、決して辿り着けなかった領域だった。



9:52 (帰還開始から27分)

写真は、高度1450m附近の高巻き最高所から撮影した上流方向の眺めだ。
これまでも繰り返し見えていた南アルプス林道の特定の範囲がまた見える。
繰り返しになるが、この早川林鉄を転用した林道である。
このまま順調に行けば、今日の午後、今から数時間後には、あそこを歩いていそうだ。

チェンジ後の画像に示した矢印の部分に道が見え、見えない部分には隧道がある。
林道化した上流部にも、多数の隧道が犇めいている。
しかし、今やその隧道の多さに突飛な印象は受けない。
なぜなら、林道化していない区間にも多数の隧道があることを、私はもう知っている。



10:18 (帰還開始から53分) 《現在地》

GPSのおかげで、道迷いの不安を感じることなく、道なき山稜の跋渉が出来た。
やがて往路の高巻きで通った場所に合流し、ガレ場には私が刻んだ足跡がちゃんと残っていた。
とても順調である。

が、やはり疲れは隠せない。
足、特に両足の親指の痛みが酷くなってきた。
体重が爪先にかかる下りがキツイ。(この探索による負担が原因で、後日両足親指の爪が自然と脱落した。今は治ったけど)

行程としては順調ながらも、疲れのせいで思いのほか時間を費やし、ようやく軌道跡への下降地点へ。
往路で登ってきた尾根を逆に下るのである。



下りはちょっとだけルートを変えて、尾根右隣の湾状に窪んだ単調な斜面を落葉を利用した尻セードで下った。
爪先が痛すぎて下りを歩きたくなかったというのが、最大の理由である。
動画では、「楽し〜い」と楽しがっているが、強がりであり、あまり楽しくはなかった。

やっぱり復路って、キツくなってくるよね…。



10:26 (帰還開始から64分) 《現在地》

1時間強ぶりに、路盤へ降着!
ヒョロガリ宙ぶらりんレール橋の100mほど上流側に降り立った。

往路では、ここから末端まで約2時間10分かかっていたので、全く軌道跡を無視した高巻きに終始した復路は、その約半分の時間で戻ってくることが出来た。
とはいえ、移動している距離の割には酷く時間がかかっているのは変わらずである。時間の経過が早く感じられる。



10:36 (帰還開始から74分)

一旦軌道跡に復帰してからは、もうウラワザは無い。
往路で私を苦しめたいくつかの難所は、素直に逆コースで越えた。
往路で私を喜ばせたこの【写真の場面】は、色褪せずにまた私を喜ばせた。
時間の経過で光の当り方が変わり、よりノスタルジックな雰囲気になってるよ。いいよいいよ〜〜。



10:39 (帰還開始から77分) 

次の隧道では、どうしても他人事のようには思われぬ、あるじに忘れられてしまった哀れな寝袋(?)に、自身の無事を祈りつつ……



10:44 (帰還開始から82分)

“黄色い大崩壊地”と再まみえ!!

なんだかんだ、往路で突破した難所の中では、最初のここが一番危険度が高かったと思う。
しかも正面突破以外の方法を知らないので、またそれをやるしかないからな…。ちょっと怖い。
とはいえ、これが本区間最後の難所である。ここさえ越えればカレイ沢はすぐそこだ。

というわけで、そろそろカレイ沢の先、次の区間の探索についても考えていきたい。
カレイ沢の砂防ダム地帯を渡った軌道跡は、ここからも見える対岸の斜面に続いているはずだ。
今のところ、はっきりとしたラインは見えないが……。



いや、見えた!

対岸の斜面にも、仄かにラインが見えている!!

とりあえず、次の区間が「ある」ことが確信できた。


……先の見通しが立ったところで……




10:47 (帰還開始から84分)

突撃ィ〜〜!!


生還に向け、必死に手足を動かした。


そしてその成果――




このいきり立つ岩峰を越えた、向こう側。

本崩壊中の最大難所を乗り越えて、再び路盤に手が届こうとする、その 最後の瞬間――



!!!




刻印のあるレールを発見した。

それも、とんでもなくレアな刻印……。



厳密には、このレールそのものは往路でもご覧のように目にしている(写真に写っている)。

しかし、まさかその先端に刻印があろうとは!

というか、古レールに刻印があるケースはままあるとしても、それは得てして通常のレールである。
林鉄で使われるような軽レールで刻印を持つものはほとんど知られておらず、(だから、普段は探しもしないわけで…)、
まさかこの場面、この先端の一欠片が、その激レアとは……
そしてそこに気付こうとは……!!


レールを愛し続けた私は、遂にレールの神に祝福をされたのかもしれない。

そう思える、これは 奇跡 だった。

林鉄での刻印を持つ軽レールとの遭遇は、これが私の探索における1回目。(ちなみにこれを執筆している現在でも2回しかない)




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