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コメント
39,6242018-10-23 06:09:21/mini/240/main2.html [コメント一覧]10
自分も行田から川越に向かう時にGoogleマップでここを案内され、幅員制限のゲートにS字カーブと度肝を抜かれましたねぇ…最近のGoogleマップは幹線道路から外れて無理矢理なショートカットばかり選択するので本当に困ります。…この場でこんなことを言うと県道76号に悪いかもしれませんがw
39,6232018-10-23 04:46:27/road/r148_simodera/main4.html [コメント一覧]10
小谷村はのどかできれいなところですね
39,6222018-10-23 00:02:37/road/sukki/main5.html [コメント一覧]10
この度は素晴らしいレポートを、最終回までありがとうございました。 ご指摘のように、北海道の歴史については資料の不十分なものが多数あり、苦労します。工事用道路の可能性は最初からあり得ないと考えて良かったと思います。資材を運搬するなど、この細道ではどだい無理で、船による海上輸送一択でしょう。 場所は須築とは違いますが、知り合いで神恵内村出身の古老がいましたが、やはり道路開通までは岩内町からの海路のみだったと言っていました郵便配達がこの細道を使う理由ですが、目的地が須築だけならば船舶利用可能ですが、途中の番屋など一軒一軒に立ち寄る必要があるので仕方ありません。ただ、往路または復路の何れか片道は船舶を利用した可能性はあります。また、時化で船が欠航した場合、基本休めない郵便配達は往復とも細道利用でしたでしょう> 海が荒れた日はこの道もヤバいでしょ…確かにその通りですが、死人が出た時など、船の出せないような時にどうしても伝達する手段が欲しいですから、やはり。細道の開設時期が気になりますが、1948年米軍撮影の空中写真には道形が写っているので、少なくとも第二次大戦以前のようです。正確なところは現時点で当方もわかりません。       F生
39,6212018-10-22 23:49:12/tunnel/naranoo/main2.html [コメント一覧]8
youtubeはリンク切れでしたが、youtube内で「利賀村」で検索したら、最上位に出てきました。探索記の後に、昔の動画を見ると、感慨深いですね。
39,6202018-10-22 20:36:55/road/sukki/main5.html [コメント一覧]10
歴史ある道だったんですね。それが波にさらわれて自然に帰っていくのも趣があっていいと思います
39,6192018-10-22 16:56:06/road/sukki/main5.html [コメント一覧]9
藻岩トンネルの上を越えた道の続きは…え?わからない?引き返す?ええぇぇェェーーー?珍しいそれはそうと昭和32年の地形図には描かれていて良さそうに思うがまさか国土地理院が道と認めずひっかき傷と見做したというわけではなかろうな江戸時代の浦田兵次が切り開いたという道のコースも引っ掛かる1000mに届きそうな登山コースなら相当ハードな
39,6182018-10-22 13:53:57/road/sukki/main5.html [コメント一覧]10
ロープを張ったうえで、蟹歩きで進んでいくような道を、荒廃した後に、徒手で写真を撮りながら歩いていくような人がいたんですけどね。
39,6172018-10-22 13:17:39/road/sukki/main5.html [コメント一覧]10
作られた時期はさすがにわからずじまいでしたか。現役のときは手入れもされていたわけで、昭和期にコンクリ補強されたりしたのでしょうね。..ブナオ峠といい利賀村お好きですなあ......あそこは誰だって惚れるよ。
39,6162018-10-22 09:02:20/road/sukki/main5.html [コメント一覧]10
更なる調査報告を期待します。おねがい。
39,6152018-10-22 00:30:25/road/oochiyo/main11.html [コメント一覧]10
崩落事故については当時の読売新聞(1994.09.28 東京夕刊 15頁)にあり、郵便局長・郵便局員・郵便局のATM修理に島に来ていた3名が巻き込まれたそうです。
39,6142018-10-21 23:52:35/road/sukki/main5.html [コメント一覧]10
終戦までは召集令状によって入営の日時が指定されていたので郵便配達人も危険を顧みずこのような道を通ったのでしょうし 入営に遅れると処罰されるので住民も必死の思いで通ったのではないでしょうかそういう必要もあって開かれた道だと思います
39,6132018-10-21 22:56:57/road/sukki/main5.html [コメント一覧]10
あの橋は死亡遊戯再びって感じ。どうやって作ったんだろう?
39,6122018-10-21 21:13:21/road/sukki/main5.html [コメント一覧]10
生活道路でしたか。凄い!そして難所を実踏したのも、回想を見つけだしたのも凄いです!お疲れさまでした。ひっかき傷のような頼りない道も、海からは距離をとりたいけどあんまり高巻きはしたくない、藻岩岬は急斜面すぎるし長大な隧道も掘れないから岩場に下りざるを得ない…といったように、とても合理的に考えられているようですね。この道を(たぶん)普請した須築の人たちは、日頃船上から現地を眺めてルート取りを決めたのでしょうか?シケの時のいわば生命線の道なので、こんなことを言うと不謹慎ですが…ルーティングの仕事すごく楽しそう!(おい)>30,224さんもしかすると須築トンネルの工事で、古道が何らかの形で活用されたのかもしれませんよね。
39,6112018-10-21 20:29:36/road/sukki/main5.html [コメント一覧]10
怖〜〜〜〜〜っ
39,6102018-10-21 18:59:30/road/sukki/main5.html [コメント一覧]10
この道と非常に似た当時の映像がニコニコ動画の【ニュースで見る鉄道の歴史2】に有ります、ただ釧路町跡永賀〜十町瀬間ですが...映像を見る限り昭和三十年代当時の北海道には同様な道が多数存在していた模様です。
39,6092018-10-21 16:56:54/road/sukki/main5.html [コメント一覧]10
すげえなあ。。昭和30年代の北海道の僻地の交通がこんなんだったとは。。それにしても>現在のせたな町と島牧村の海岸線に沿う新道、太田山道と狩場山道だった。長大である。距離にして実に36里余(約144km)もの新道とか>安政4(1857)年から、昭和44(1969)年の国道229号が須築へ通じた日まで。この二つの時を隔てる100余年の空白とか北海道スケール矢鱈でかすぎw
39,6082018-10-21 16:50:29/tunnel/midasan/main2.html [コメント一覧]10
昨日ここ見に行ってきました。私が周囲をウロウロしたり通り抜けしてる間に3台ほど車が通りぬけていて、そのうち1台は郵便配達車だったので西側民家へのアクセス路として現役で普通に使用されてると思います。あ、あと私も徒歩と車と両方で通りました。
39,6072018-10-21 16:33:16/road/sukki/main5.html [コメント一覧]10
エスケープルートで無事降りられたから良かったが、奈川渡ダムを思い出してしまった。気をつけてください。ところで須築トンネルの須築側坑口の右上に写っている黒々とした穴はなに?
39,6062018-10-21 15:49:12/road/sukki/main5.html [コメント一覧]8
紫色の花はカタクリ(片栗)ですね。雪解け後の初春に開花しますが、ていていは日当たりのよい林床で群生をなします。海岸線に分布するのは珍しいかもしれません。ちなみに、カタクリはエゾエンゴサクなどとともに、アイヌの伝統的な食用植物でした。
39,6052018-10-21 14:21:06/road/sukki/main5.html [コメント一覧]10
「昭和33年 あの道、この道」という動画を紹介して下ってありがとうございます!旧標識が写っていたりと道路趣味者眉唾ものですね。ナレーションも言いたい放題言ってて傑作ですw
39,6042018-10-21 13:39:32/road/sukki/main5.html [コメント一覧]10
平沼さまメール失礼します。既に他の方からもご指摘があったかようですが、掲載されているピンクの花はカタクリです。この辺りの急斜面には広く分布しています。
39,6032018-10-21 10:38:40/road/sukki/main5.html [コメント一覧]9
ヤギのような急坂に対応した足持っていたら楽に通過できるけど人間様でここを通るのは危険すぎ。当時絶対にシニンやけが人いたはずだ
39,6022018-10-21 08:38:26/road/sukki/main5.html [コメント一覧]10
今回の探索、凄い発見だと思います。いつも素晴らしいレポートありがとうございます。P.S.旧道の最後、無事に下りられて良かったですね。
39,6012018-10-21 06:09:57/road/usidake/main8.html [コメント一覧]10
第4回に出てくる脇谷の滝は恐らく正式名称布滝だと思います。なぜスーパーマップル10に脇谷の滝として記載されたのかは分かりませんし、旧道まで登って写真と同アングルで見たこともないので間違いないと断定は出来ませんが、滝の所在地と同地で現道を見下ろして撮影された写真に写る構造物(恐らく脇谷の堰堤)から推察するに十中八九合っていると思います。緑が特に濃い時期と雪深い時期でなければ、現道から堰堤越しに見上げることが出来ます。
39,6002018-10-21 04:43:56/road/sukki/main5.html [コメント一覧]8
江戸時代に拓かれたという古道が気になったので国土地理院の航空写真を見てみたのですが1976(昭51)年の写真に、不自然なほどクッキリと写っている道っぽいラインが古道なのでしょうかだとすると須築トンネルより先から藻岩トンネルを超えた先までのエリアではだいぶ内陸寄りの高い所を通っていたことになりますが藻岩トンネルの上あたりに隧道あるかも知れませんねただこのラインは戦時中や戦後間もなくの物では写真自体が不鮮明な事を抜きにしてもはっきりしなくて2000(平12)年撮影の写真のほうがまだ良く見えるので古道の跡だとしても戦後に何らかの再利用で改変を受けているのかもしれませんけれどもそれと1947(昭22)年撮影の写真には古道は見当たりませんがそのかわりに今回探索で踏破断念した部分がかなりハッキリと写っていますね特に藻岩トンネルの上あたりは明瞭ですがこの道には尾根を突っ切るような隧道は無さそう
39,5992018-10-21 03:17:43/road/usidake/main8.html [コメント一覧]10
防火栓の隣の隧道の中と先がどうなってるのか気になる!
39,5982018-10-21 01:55:58/road/sukki/main5.html [コメント一覧]9
2018/4/27 9:58 《現在地》 は map_27 かと思いますが、map_8.gif になってます。
39,5972018-10-21 01:39:18/road/sukki/main5.html [コメント一覧]10
学究的なアプローチが素晴らしいです。
39,5962018-10-21 00:48:34/road/sukki/main5.html [コメント一覧]10
http://hokkaidoufish.blog.fc2.com/blog-entry-15.html>ガイド見ると完全に根魚場的な場所です。>素掘りのトンネルも非常に気になりますね。http://michiiro.blog.fc2.com/blog-entry-25.html>奥の岬には、車も通れない徒歩道時代の旧道が崖に刻まれている。ネット上では断片的な(現在の)情報しか見つかりませんねぇ……モイワ繋がりで茂岩2号トンネルというトンネルもあるようで。http://www.geocities.jp/tenku_kaihatsu/challenge008-01https://goo.gl/maps/QcxMnZQ5z8J2いや、229号沿いはイロイロ凄いですねぇ……
39,5952018-10-21 00:37:10/road/sukki/main5.html [コメント一覧]9
気軽に再度出向いて、古老に話を伺えるような場所ならもう少し情報も出るのかもしれませんねしかし探索時の様子が、実用されてた当時とあまり変わりがなさそうというのは衝撃の事実でした北海道すごいね!

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