廃線レポート 早川(野呂川)森林軌道 奥地攻略作戦 第9回

公開日 2023.07.22
探索日 2017.04.13
所在地 山梨県早川町

  ※ このレポートは長期連載記事であり、完結までに他のレポートの更新を多く挟む予定ですので、あらかじめご了承ください。


 ミヤタ沢への挑戦と、拡大する“不安”


2017/4/13 13:11〜13:13 《現在地》

今朝の出発からおおよそ8時間20分を要して到達した「尾根E」より、次なる「尾根F」を臨む。
この区間の推定距離は約1.5kmと、ひとつ前の区間に次いで長い尾根間距離が予想されていた。

だが実際の眺めとしては近かった。眼前に切れ落ちているミヤタ沢の対岸でどっしりと視界を遮る目の前の大きな山の突端が、「尾根F」である。
直線距離では遠くなくても、これまでに越えたドノコヤ沢や八層沢のように、最初は大きな高度差があるミヤタ沢が、軌道の高さまで上がってくるのを待って渡るため、対岸へ行くまでに大きな距離を必要とするのである。この探索のために地形図上に描いて持参した軌道跡の予測ルートが、そうなっている。

ここで、前回の最後に私が言及した、ここに来て膨らんできた“ある不安”の中身を告白したい。
(前回の公開時点でズバリ正解を言い当てている読者様のコメントが多くあり感心しました)


それにはまず、「現在地」から「今日の最終目的地」までが含まれる右の地形図を見て欲しい。
この地図上に、薄い破線で描いているのが、探索前に予測して描いていた軌道跡の予測ルートである。

チェンジ後の画像(拡大図)になるとよく分かると思うが、
軌道跡を半日以上歩き続けているうちに、いつのまにやら……
事前の予測ルートよりも高度差にして70〜80mも低い所を進んでいたのである。

しかもこれは急に予測からズレてきたわけではなく、かれこれ3時間くらい前から、少しずつ意識していたことではあった。
最初のうちは誤差の範囲と思える程度の差だったが、進んで現在地を確かめるたびに、予測ルートとの高度差は埋まるどころか広がり続ける一方だった。
そしていま、本日の最終区間である「尾根F越え」に立ち向かう段になって、大丈夫なんだろうか?と、不安を吐露しているのである。(現地においては語りかける相手はいないので、ただ不安に震えるしかなかったが)

もっとも、今回のように、事前に終点の位置やその標高が判明していたのでなければ、このことでそれほど不安になることはなかっただろう。単純に、軌道は予測よりも低い位置にあるから、終点も事前の予測よりは低い位置かもしれないと考えただけだと思う。

でも今回は、この軌道が後に到達する地点が明確に判明しているために、その標高までは必ず登らねばならないことが確定している。
したがって、これだけ進んで来ても標高がなかなか増えていかないことが、この先に予測ルート以上の距離があるのではないかという不安に直結したのである。

なんといっても相手は森林軌道である。自動車用の道路のように、後半は一気に急勾配で高度を稼ぐぞ〜、なんて自由はあまり利かないはずなのだ。
高度差は、基本的に距離で埋めるしかない。 裏技的に、インクラインとか索道という可能性はあるが………。


もう少しだけ説明を続けさせて欲しい。
今回の探索対象ほど、起点と終点ははっきりしているのに、途中に長い距離の未解明区間があるという林鉄は、私の探索では前例がなかった。

導入回の解説編のところで既に紹介をしているが、この前例がない長大な未解明区間の探索にあたっては、『トワイライトゾーンマニュアル7』に掲載されている右の地図を参考に(というか頼って)臨んでいる。この地図に太い破線で描かれている区間が、未解明区間である。

2011年の偵察探索も、この地図が推測している軌道位置を元に行ったものであり、結果、その位置に軌道跡を発見したので、いよいよ地図の信憑性を確信したうえで、今回の本探索に臨んでいた。

だが現状、私が頼った地図上において約12kmと推測された未解明区間のうち、おおよそ7.6kmを辿り終えた時点で、推測された標高よりも70〜80m低い所に留まっていた。

右図には、各地点の標高を描き足している。
未解明区間の起点である奈良田橋が840mで、未解明区間の終点である観音経が1390mである。
これらの数字は、まず間違いがないものだ。

未解明区間全体の高度差は550mだから、これを12kmという推定距離で均等に割り振ると、平均勾配は4.6%(46‰)となり、7.6km地点においては標高1190mにいるべきことになる。
だが、実際の7.6km地点「尾根E」の標高は、GPS測定によって1130mと測定された。つまり60mほど高さが足りないし、ここまでの平均勾配は3.8%(3.8‰)に留まっていたことになる。

もちろん前述の“いるべき標高”は、全線が均一な上り勾配であるという仮定に基づいた計算なので、正確ではあり得ない。
だが、残りの12-7.6=4.4kmで、残りの1390-1130=260mの高度差を埋めようとすれば、この先の区間の平均勾配は5.9%(5.9‰)を必要とすることになる。これはここまでの1.5倍強の勾配だ。
まあ、5.9%という勾配も林鉄としてはあり得ないというような無理な数字ではないけれども……。

また、これもあくまで計算上の話だが、仮にこの先もこれまでと同じ3.8%勾配を維持し続けるなら、現在地の標高1130mから観音経の1390mに辿り着くにはさらに6.8kmの距離が必要であり、これは事前の推定よりも2.4kmほど長いことになる。

ここまで、レポートの各回の終わりごとに

(本日最終目的地)
夜叉神隧道西口直下まで(推定).2 km

のような表示をして、着実な前進を心の励みとしてきたが、この残距離の数字が、キロ単位で伸びる可能性がある…。
おいそこ喜ぶな!

まあ、推測であれこれ言うのはこれが最後だ。
実際にどうなるかは、これから歩いて確かめるより手はないことは重々承知しているが、今日の最終到達地点がどこになるかというのは、どのようにして今夜を越えるかという、山岳探索としては相当にクリティカルな問題と直結していたからこそ(山中泊の装備は軽量化のために未持参だし)、残距離が大きく増えるかも知れないという不安は軽視出来なかった。

だいぶ文字数を消費してしまったが、「尾根E」において私の中に明確に顕在化した不安の内容の説明は以上である。

結果については、この先のレポートを、ごろうじろう。

前進、再開!




「尾根E」を出発する直前、足元から早川の谷底へ向かう長い尾根の上に、「ピンクの尾根」で見た以来のピンクテープが結わかれているのを見つけた。
心強い発見だ。
この尾根を通って、160〜170mもの高低差がある谷底とこの軌道跡の間を行き来した、何者かがいたのである。

もしその何者かが、私と同じような“林鉄探索の者”で、ここで軌道を発見したことを大々的に発表してくれていたら、それは私にとって大きな事前情報になったことだろうが、そうならずここで初めて知ったとしても、やはり今後に繋がる重要な情報といえる。ここに信頼性の高いエスケープルートを得たことになるのだから。

(探索中の私はよく“ゲーム脳”になり、エスケープルートを確保することを「セーブした」という表現で心に仕舞っている。この「尾根E」は優良な「セーブポイント」だった。もっとも、私のゲームは常に残機が1しかないのが問題で、その残機を失った瞬間にセーブデータも全ロストする鬼畜リアル仕様である)




13:14

前進再開直後、驚くほど太いモミの木に出会った。
モミ、ツガ、ヒノキなどの天然針葉樹は、早川・野呂川流域において最も価値があるとされた森林資源だった。そして林鉄が運用されていたおおよそ70年前にあっても、この木は相当の大木であったと思うが、伐採は免れたらしい。

既に何度も述べている通り、この林鉄が早川流域最奥の集落である奈良田から、20km奥地の深沢尾根まで延伸されたのは、昭和14(1939)年日中開戦の年の着工から、昭和18(1943)年ガダルカナル失陥の年に完成し、昭和20(1945)年の終戦まで、わずか3年間であるという。そしてこの間に運び出された総材積は3万石(=8340㎥)(推定総蓄積量の0.5%)に過ぎなかったそうだ。

せっかく敷設した軌道が十分に活用出来なかった理由は、ここまで探索を進めた今ならば誰よりもよく分かる。
原木を大量に伐出するには、この軌道は余りにも脆弱なのである。
特に、ここまでに潜ってきた余りにも狭小な隧道たちは、このような大径材の伐出を事実上不可能にしていたと思う。



最後にもう一度「尾根E」を振り返る。

1時間ほど前までの文字通りの“死闘”が嘘のようにしっかりした軌道跡だ。
この辺りの区間だけを歩く人がいたら、最近まで利用されていた林道や作業道の跡と思うかもしれない。まさか終戦と同時に時が止まった軌道跡とは思うまい。
もちろん、軌道が撤去された後もいくらかは歩く人がいて、簡単な補修を受けていた可能性はあるが、軌道が運用されていた当時のように機械力を使て整備される機会は二度となかったはずである。

チェンジ後の画像は、何気なく路上で拾い上げた石英らしき結晶質の岩石片。
もし最近のトリさんが見つけたら間違いなく持ち帰るだろうし、見つけたことを伝えたら、いくら重くても持って帰ってくるように命ぜられたことだろう。
この輝く石は、この先の軌道跡で頻繁に目にした。




13:15

まもなく路盤を横切る涸れ沢が現れた。
橋がないので沢底に降りて横断する必要があるのはこれまで通りだが、すぐ下が現在進行形で崩れている感じがする砂の急崖なので、いずれ簡単には乗り越えられない難所に成長してしまうかもしれない。

チェンジ後の画像は、この谷を渡る途中でたまたま目にした、とある立ち木の幹だ。
地面から1mくらいの高さの位置に、例の結晶質の岩の欠片が深々と突き刺さっていた。

こんな小さな欠片が、堅い幹に突き刺さるほどの速度で落ちてくることを想像すると恐ろしい。
このサイズだと本当に何の前触れもなくぴゅんと落ちてきてもおかしくない。それに直撃するほど運がなかったなら、そこで人生を手放す理不尽も受け入れるしかないだろうな。



13:25

順調に10分ほど歩くと、これから渡ろうとしているミヤタ沢が行く手を阻む高さと圧迫感をもって立ちはだかってきた。
同時に対岸の斜面上には、この道の続きとみられる平場の列が目視された。
結構高い位置に見えるので、この先は勾配を強めて登っていくのかも知れない。良い傾向だと思う。

全体的な地形の印象は、これまで横断してきたドノコヤ沢や八層沢と比べれば、全体的に緩やかに思える。もっとも比較対象があれなんでね…。
それに、このミヤタ沢が早川にぶつかる最後のところに【巨大な滝がある】ことも、かれこれ2時間近く前に「尾根D」から見て知っている。油断はならないぞ。




13:26

案の定、久々に震えを感じるような高度感ある難所が現れた。

……ここはかなり怖かった憶えがある。

しばらく平穏だったせいで、難所が連発している頃は良い具合に麻痺していた恐怖感が少し戻ってきていると思った。
あと、当然のことながら、疲労も蓄積していた。私がこの日数十回も撮影しているボイスメモ代わりの動画の中で、敢えて疲れを口にしたことはなかったが、ここまでの歩行時間と内容を踏まえれば、既に相当の疲労度に達していたはずだし、後にこの日をどうにか終えたときの状況というのは、探索初日の夜とは思えないほどのグロッキーだった。
それに、難所の突破には最も重要な要素だと思う集中力にも消耗があったと思う。



13:34

100m以上にわたって、独り言を何度も口にするレベルの難所(これを越えると多分“自撮り”になる)が続いたが、ようやく出口が見えてきたようだ。
この写真の奥の場所まで辿り着ければ突破だろうと思った場面だったが、

モソゥッ

唐突に視界の中央で黒い毛並みが動いたのでビックリした。
最初尻しか見えず、その巨体とゴワついた毛並みから、クマを連想した。
こんな一本道で対峙するのは相当に御免こうむりたいとビビったが、正体は見ての通りの巨大なカモシカだった。

オマエー……

びっくりさせないで……。




13:36

ようし……越えたぞ。久々の難所地帯を。

カモの野郎は私に気付いてもすぐに立ち去らなかったが、10mくらいまで近づいたところで
ようやくノソノソと動き出し、最後は何か思い出したみたいに走って崖を登っていった。

そして、難所を越えることができたこの時点で――



13:37 《現在地》

ミヤタ沢の渡河地点が目前に迫った。

尾根Eからおおよそ350mの地点で、沢は路盤の高さに呆気なく追いついた。
こうなれば渡って対岸へ逃れるより手がないことはよく知っている。

難所はあったものの、距離的にも時間的にも、ずいぶんと呆気なく渡る印象だ。
高度を稼ぐ余地もほとんどなかったし。まあ、他に選択肢はないので、対岸へ。



ミヤタ沢の渡河地点は、2本の沢が集まる地形になっていた。
状況的には、この2本の沢を一度に跨ぐ長さ30〜40mの曲線形の橋が架かっていたと推測できるが、例によって明確な痕跡は見いだせない。

……と、思いきや!




対岸に、おそらくは橋台の残骸と思われる、大量の岩石を積み上げたように見える斜面があった。橋台由来と断定は出来ないが、位置的に確率は高そうだ。
そしてこれが橋台だとすると、橋台発見はドノコヤ沢の北で無名の小沢を渡った8:27以来となる。橋の遺構の中では最も残りやすい橋台ですらこういう残存状況なのだ。なんとも分の悪い探索である。



ミヤタ沢も足を濡らさず徒渉出来る水量だった。
これだけの長時間歩いているが、早朝に早川を徒渉して以来、足を濡らす場面はない。

写真は、渡河地点で合流する2本の沢に挟まれた狭い斜面で撮影した。
矢印の位置2箇所に倒木があるが、これらは単なる倒木ではない可能性が高い。
特に、右の矢印の倒木は――




ほぼ間違いなく、橋脚の残骸だ!

錆び付いたボルトとナットと座金一式が、柱を貫通する形で突き刺さっていた。

ボルトやナットはわが国でも戦前から利用されているが、昭和20年に廃止された林鉄の木橋の橋脚の1本が、このような沢に近い位置で埋没・消失を免れただけでなく、完全には倒れていない状況で残っているのだとすれば、驚くべきことだと思う。

実は林鉄の廃止後に歩道などとして再設置された橋が存在していて、その残骸という可能性も否定出来ないと思う。
もちろん、林鉄の橋の残骸なら嬉しいが、それを確定させるほどは原型を止めていないのである。


これは少し余談だが、戦前の古い地形図(例えば左図のような昭和4年の地形図)を見ると、ミヤタ沢に沿って1本の小径が描かれていることに気付く。
○印の所には滝の記号が見える。現在の地形図からは消去されているが、古い地形図の方が正しく【この滝】の存在を表現出来ているのが面白い。

この山道は「高谷山」を越えて芦安村(現在の南アルプス市芦安地区)に通じており、また反対側はミヤタ沢に沿って早川本流まで降りたところで終わっている。
そこに建物の記号が二つばかり描かれており、隔絶された山奥にあって、芦安村の人々が働いた古い山仕事の拠点があったものと推測される。

同じく芦安村から高谷山の尾根を夜叉神峠で越えて早川沿いの鮎差(あゆさし)へ下る山道も描かれており、こちらは戦後に夜叉神隧道と南アルプス林道が整備されるまで、多くの登山者が3000mの峰々を目指して歩いた有名なクラシックルートとして、古い登山書なら確実にガイドされている。
ミヤタ沢沿いの道は登山ルートとしては無名であり、どのような道だったかを知る手掛かりはこの地形図くらいしかないのであるが、戦時中の短い区間、孤立無援の険しい山並みを貫いていた早川林鉄にとって、このミヤタ沢は数少ない外界との接点になっていた可能性がある。




閑話休題。

林鉄時代の遺物と断定は出来ないものの、木造橋梁の残骸の一部が残るミヤタ沢の徒渉を終え、地図上では早くも「尾根F」への折り返しを果たした。
予想よりも短時間かつ短距離で最後の谷を越えることができたが、予測ルートとの高度差はますます拡大したように思う。

どうなる、 どうなる? どうなる?!

キニナルー!!!

自分の命の行先だけに、この先が気になって仕方のない私であった。




 最後の尾根を目指し、高き山腹をゆく


2017/4/13 13:44 《現在地》

ミヤタ沢を徒渉して右岸に取り付いた。
いま谷を渡ったばかりだが、すぐにもう一度谷を渡る。
ミヤタ沢は樹枝状に多くの枝沢を周囲に展開しており、その一つを渡るのである。

チェンジ後の画像は、この無名の枝沢を見上げて撮影した。
事前に予測していた軌道跡は、ここよりも100mくらい高い位置を通過するものだったが、ここまでこの道から分岐する“正しいルート”なんてものはなかったと思うので、どんな展開が待っていようとも、いまは辿り続けるより手はないだろう。




13:50

切り立つ城壁のような巨大な岩体が行く手に現れた。
路盤はその下端部、土砂面と接する辺りを通過するようだが、少し先には路盤よりも低い位置にも同じような切り立った岩体が見えており、上も下も切り立つ岩場のその隙間をすり抜けて行かねばならないようだ。こんなことは初めてではなかったが、これまで同様に、シビアな展開を覚悟する必要があるかも知れない。
かつて一度は開通している路盤が、上手い具合に残ってくれていれば、いいんだが……。




13:52

路盤というよりはほとんど斜面であり、登って降りるアップダウンが連続しているが、それでもどうにか危ない橋は渡らず先へ進むことが出来ている。
この先、一際大きく尖った岩の出っ張りが見えている。
ちょうど路盤の高さがその下にあり、岩は軌道を開通するために削られたのだろう。いわゆる片洞門である。

そしてこの場所、近寄ってみると、
ただの片洞門ではないことが判明!




13:54 《現在地》

片洞門の下を、橋を架けて渡っている!

しかも驚いたことに、その木橋の残骸が残っている!!!

右の矢印の位置には、主桁と見られる太い丸太が接地した状態で斜めに置かれ、
左の矢印の位置には、床材の路肩側の一部とみられる部分が、やはり接地して残っている。
“架かっている”とはいえないものの、木橋としての原型を止めた姿で残っている!



これまで頑なと思えるほど現れなかった木橋の残骸が、ミヤタ沢の徒渉地点に続いて、僅かな距離で2回目の出現となったのである。

ミヤタ沢でも書いたが、この残骸が林鉄時代に架かっていた橋のものであるという確証はない。
ただ、今回の橋はミヤタ沢で見たもの以上に、その可能性は高いと思う。
なぜなら、残されている残骸の配置から推理される橋の幅は、登山道やいわゆる杣道にあるような歩道の幅ではない。いかにも軌道跡と思えるような幅があり、加えて主桁とみられる丸太の太さも頑丈さを感じさせる。

この橋の残骸は、ほぼ間違いなく、軌道に由来すると考える。
昭和20年に廃止されて久しすぎる木橋の残骸が、このように鮮明に残っていることに違和感を持つ人は少なくないと思うし、私もそのような考えを捨てきれてはいないが、ここが沢水の影響を受けない高燥な桟橋で、かつ上部を片洞門に守られているという環境が幸いして、奇跡的に残ったのではないだろうか。




謹んで、渡らせていただきます!

架かっているというよりは、斜面に敷かれてあると言った方が近そうな主桁の残骸だが、ケモノと私を安全に通行させるという機能においては、桟橋と同様の価値を発揮してくれた。
橋の上から見下ろす眺めも、渡橋中のそれを思わせる。
眼下のミヤタ沢の流れは既に50m以上も低い位置に離れている。
本来は、この桁の谷側にあと2本くらい、同じ太さの主桁材が渡っていたはずだ。


(→)
路肩に残る桟橋残骸の一部。
まるでミイラのように乾ききっているが、枕木を並べた構造になっていたように見える。
また、左端には転落防止のための縦木も配置されていた感じだ。

本当なら、下に回り込んでも撮影したかったが、地形的に容易ではなく断念した。





13:56

片洞門と桟橋のセットが、ミヤタ沢右岸の難所の出口だった。

結局終わってみれば、木橋の奇跡的な残存にも助けられて、ほとんど苦労せずに岩場を通過することが出来た。
この先は、ミヤタ沢に近づくまでの調子が良かった軌道跡が戻ってきそうな感じがする。
やはり廃道にとって、川や谷、水の影響に近い場所こそが鬼門である。

それに幸い、この軌道跡は季節を問わず、ヤブという種類の障害は皆無であるようだ。
ヤブがない廃道歩きは、全国的に見ればとても恵まれている。どういう理由か私には分からないが、この山域には笹を含む下草がほとんど見られない。これはなんともありがたいことである。




13:58

あ〜〜〜 気持ちが良いねぇ。

これもう、ウィニングランに入ってるのか???

いやいや、相変わらず想定した高度よりも低い位置を歩いているという大きな不安材料があるので、
とても油断していい状況ではないことは分かっているのだが、しかし本当に気持ちが良い山になったな。

仮に序盤からずーーっとこういう状況が続いていたのなら、もうとっくに飽きていただろうが、
ここまでの何度も何度も何度も針の穴を潜り抜けるような厳しすぎる道のりを思えば、
ようやく辿り着いた平穏の地に対する感激は、簡単に言い表せないものがあった。




現在の安堵したムードと、風渡る爽快な山腹の気持ちよさを、動画からも感じて欲しい。

「普通に山の中を歩いている感じになった」という表現が、とても端的に私の安堵感を表わしている。

少し前まではずっと、「この山は普通じゃないんだ」という大きな畏れが私を縛っていた。

やっと今だけは、普通の山になってくれている気がする。




14:09 《現在地》

それから10分ほど歩くと、ミヤタ沢から北に伸びた樹枝状の小谷の一つ、地形図ではかなり大きくV字型に山が抉られているように見える谷を横断する場面に差し掛かったが、そこに心配したような険悪は現れなかった。
何事もなく水涸れの小沢を横断し(橋の跡はなかった)、それから僅かに進んだところで、私は再びレールに出会った。

13:02以来、約1時間ぶりのレールは、路盤上に敷かれたままの位置にも見えたが、前後とも深い土の中にあって出土している部分がとても短いので、なんともいえない。
また、前回のレール(おそらく6kgレール)より一回り太く見えたのでメジャーで計測してみると、9kgレール程度の高さがあった。
前回からここまでのどこかで、使用する軌条が変わったのだろうか。さすがにこの程度の発見で判断は出来ないが、2種類のレールが同じ軌道跡で目撃されたことは事実である。




14:12

思えば遠くへきたもんだ。

そんな言葉を反芻している。

先ほどから進行方向の左手に、私を長く閉じ込めていた早川の下流が見下ろされている。
噛み合うように交互に落ち合う両岸の尾根の連続が、山が青く見える遠くまで続いていた。
あの中に私が越えてきた尾根AからEがあるはずだった。いくつ見えるかなんて、わざわざ検証してはやらないけれど。

今日最後の「尾根F」が、近づいている。





14:13

「尾根E」を出発してちょうど1時間、

「尾根F」の一画と呼べる地点に辿り着いた。

敢えてこういう表現をしたのは、私が事前に予測していた「尾根F」の横断地点よりも大幅に低い高度で、
「尾根F」が下部でいくつかに分岐している枝尾根の一つを跨ぐ形となったからだ。
予想地点よりもこんなに低いと、果たして枝尾根のどれを「尾根F」と判定してよいか悩んでしまうし、
「最後の尾根に到達したーッ!!!」って大喜びするのも、まだ早い気がしてしまう。

120メートル。

これが、現在地と、事前に想定した「尾根F」通過予測地点の高度差だ。

「尾根E」での高度差が60mくらいだったはずなので、
低い高度のままミヤタ沢をコンパクトに渡った結果、この「尾根F」では
さらに予測ルートとの高度差が大きくなってしまっていたのである。



これが現場の風景。

今まで越えたどの尾根よりも、周囲は“緩”の気に満たされている。

それ自体はとても順調でありがたいことだったし、

苦闘の末に勝ち取ったこの平穏を心から謳歌したいと思っているのに、

さっきからアリとキリギリスの寓話が連想され続けているのは、私だけ……?



……とりあえず、このまま尾根を回り込んで進もう。




あっ。



ヤラレタ!!
切り返しだ!

つちのなかにいる

やっぱり、ゴール(夜叉神隧道)に向かうには高度が足りなかったんだ!

きっと、この切り返しからの九十九折りで、足りない分の高度を補填させられるんだ…。


現在時刻 14:13



(本日最終目的地)
夜叉神隧道西口直下まで(推定) 不明

(明日最終目的地)
軌道終点深沢の尾根まで(推定) 不明



辿り着けるのか、これ…