神岡軌道 猪谷〜神岡間 第17回

公開日 2010.11.17
探索日 2008. 7. 4

吉ヶ原の軌道跡


2008/7/4 11:04 【現在地】

現在地は割石橋の袂で、これまで探索してきた方向を振り返って撮影。
右が旧国道であり、“悪魔の自動販売機”がある。

今回はここを後にして、いよいよ神岡軌道の最大の目的地・神岡鉱山(神岡鉱業所)のある、鹿間(しかま)エリアへ前進する。
鹿間と(狭義の)神岡町はほとんど地続きであり、神岡の街はいわゆる“鉱山街”であった。

この2日間の探索は、神岡軌道の主部である猪谷から神岡までの約21km踏破を目的としていたが、残す距離は3kmほどである。
新旧地形図から今後の探索の進め方を最終確認しておこう。




現在地の吉ヶ原から鹿間までの現国道は、主に高原川の左岸を通行している。
しかし神岡軌道が動いていた当時は別で、ずっと右岸を通り抜けていたのである。
したがって前回までに紹介した二ツ屋〜吉ヶ原間同様、神岡軌道と旧国道が並行している。
(現在の地形図では、そのどちらもがきれいさっぱり、何事もなかったように消されている…)

この旧国道にトンネルはないものの、軌道にはやや長めの一本のトンネルが旧道の下をくぐるように描かれている。
これまでに確認されているトンネルは16本で、この国道をくぐるトンネルは17本目になるのだろうか。

なお、我々は現国道が高原川を渡る「吉ヶ原橋」の竣功年を確かめなかった。
銘板が無かったのかも知れないが、この未確認のために、旧道から現道に移った時代がはっきりしない。
二ツ屋〜吉ヶ原が現道に切り替えられたのは昭和39年であり、同じ頃だとは思うが。


二ツ屋〜吉ヶ原間が“ああいう状況”だっただけに、それより遙かに長い今回の旧道&軌道跡には相当に警戒が必要だ。
しかも、仮に通り抜けに成功したとしても、その先は「神岡鉱業」の敷地内かも知れない。
或いは途中から私有地になっているかも知れず、そういう意味でも警戒が必要な区間と思われた。

事実、気持ちの上でも実際の難易度においても、神岡軌道(猪谷〜神岡間)踏破を達成する上での“最大の難所”は、この吉ヶ原〜鹿間間だったと思う。




自転車で吉ヶ原の国道を南下しはじめると、遠方の山肌に異変が現れた。
さほど高くもない山なのに、ほとんど木が生えず、ゴツゴツした岩肌を日射しに灼いているのである。
地形図を見るとちょうどあの禿げ山の裏側が鹿間の鉱業所であり、それが長年の煙害によるものだと想像することは容易かった。
そして、進むべき軌道跡も旧国道も、あの禿げ山の下にあるはずだった。

発見は遠くだけではない。
間近に迫る路肩の「落石注意」の道路標識。
その左側に草むした空き地があることにお気づきだろうか。

この空き地は、ただの空き地ではなかった。




【現在地】

坑門発見!

実はこれ、神岡軌道の(仮称)「第16号隧道」の南口である。

昨日猪谷を出発して以来17kmあまり、はじめて特に探さずに発見可能で誰が見ても“それと分かる”ような明確な遺構を、国道の車窓に晒した。
これまで延々と並行してきたにもかかわらず、軌道跡は常に国道の上となり或いは下となり、こうして同一平面に並走するような場面がほとんど無かったし、その忍びっぷりは優秀な忍者かまるでステルスのようだった。

それが、ようやく…。
我々には感慨深いものがあった。




すでに見慣れたコンクリート坑口は、当然のように塞がれていた。
閂(かんぬき)は南京錠で固定されていて、蹴破れそうな扉ではあるが、開けて中にはいることは出来ない。

この国道端の隧道の出口は、【この写真の坑門】だ。
つまり、両側の坑口が封鎖されている、進入不可能隧道なのである。
全長は約300m。
かなり長いが、内部が貫通しているかどうかも分からない。



…覗いてみるか?

上の窓から。




重苦しいかび臭さ。

沢山の錆びたドラムカン。

終わりのない闇。

封鎖された廃空間が、確かに存在していた。





坑口前の僅かな空き地はすぐに国道の法面と路面に挟まれて消滅し、猪谷以来はじめて軌道跡と国道敷きと同一平面になった。
おそらくかつて国道が1車線であった当時には、左側に軌道が、右側に砂利道が並行していたと思われる。

茂住〜神岡間の軌道が撤去されたのは昭和41年の10月だから、国道41号(昭和28年指定)とは13年間くらい共存していたはずである。
そんな大昔のことではないので写真も残っているのではないかと思うが、私は見たことがない。
しつこいようだが、国道と神岡軌道が同じ高さに並んだ構図で写真を撮影出来たのは、全線中でもここだけであったはずで、すでに当時から“撮り鉄”がいたのならば、撮影していると思う。




自転車に乗ったまま悠々と軌道跡を辿れる幸せ。

だがそれは長く続くものではなかった。


見えてきたのは、現国道が高原川を渡る吉ヶ原橋のトラス。
この快走の終わりを告げる風景。

青いトラスの向こうには、禿げ山の山脚が高原川の濁流に洗われている。
幸か不幸か軌道があるだろう高さは一面の緑に隠されていて、地形の緩急はまだ分からない。
しかし緑が深いということは、藪が深いのだろうか…。
それはそれで、この猛烈な熱射の日には、命懸けの探索に他ならないのである。




11:07 【現在地】

吉ヶ原橋の袂に着いた。

例によって左側に広いスペースがあるのだが、その奥は猛烈な草の盛り上がりである。

まさかあそこが次なる旧道なのか?

いや。

いくら何でも酷すぎるだろ。
最初の一歩目から全く踏み込める気がしないぞ。

よく周りを見て見ろ。
別のルートがあるのではないか?




ん?
何かあるぞ。

空き地の山側を取り巻く高い擁壁が、一箇所だけ途切れているのを発見した。

どうやら擁壁の裏側へ行く道があるようだ。

見失ったままの旧道や軌道跡の手掛かりがあるかも知れないので、行ってみることにした。




スポンサード リンク
ちょっとだけ!ヨッキれんの宣伝。
遂に「山さ行がねが」が書籍化します!過去の名作が完全リライトで甦る!まだ誰も読んだことの無い新ネタもあるぜ! 道路の制度や仕組みを知れば、山行がはもっと楽しい。私が書いた「道路の解説本」を、山行がのお供にどうぞ。 ヨッキれんやトリさんの廃道探索シーンを一流のスタッフが命がけで撮影した、日活の廃道ドキュメンタリーシリーズ第1弾


背丈よりも遙かに高いコンクリートの擁壁は雪崩防止のものらしく、裏側に回り込むと意外に広い空間が存在していた。
そこに一本の舗装路が通じていて、北に向かっている。

しかしこれ自体が旧国道という訳ではないらしい。
私が欲しい旧国道は南に行く道であるはずだ。
この舗装路の正体は、地形図にも描かれている林道だろう。

だが、ここで我々は旧国道以外の、より重要と思える発見をすることになった。




林道に入って50mほど進んだ向かって右側。

そこに低いコンクリートの擁壁が存在していた。


この壁…

なんか不自然じゃね?

妙に低いし、垂直だし。





え? え?え?


こ、これってどう見ても…


アレ …だよね?




間違いない!

これは、軌道の隧道だ!

こんなところにあるというのは、非常に予想外の発見であった。

これを地図上に落としてみると、次のような感じになる。




国道のカーブの外側を雪崩防止の擁壁が囲っており、その外側に林道が通行している。

今回、坑門が発見されたのは、この林道のさらに山側である。
しかも、林道の路面よりも一段低い位置に開口していた。

この隧道が確かに軌道跡であるとしたら、どのような線形で先ほど見た「第16号隧道」の南口と繋がるのだろう。
地図を見ていても、よく分からない。

とりあえず隧道に入って、行き先を確かめてみよう。






あ。これは駄目だな。

内部に足を踏み入れたほぼ瞬間で、この隧道を通り抜けて行き先を確かめるという行動は成功しないことを予感した。

駄目な空気が満ちていた。

水蒸気が靄ってるしな。

ちなみに天井のアーチに“噛まされている”つっかえ棒は、正体不明。
著しく建築限界を支障しているが、流石に現役当時のものではないと思いたい。




この今では忘れられたかのような空間だが、廃止後も人の出入りがあったようだ。
ご覧の子供用自転車ほか、いろいろなものが捨てられている。
不法投棄場所になっていたのかも知れない。




そしてこれは重大な発見。

向かって左側(すなわち林道がある側)の側壁にのみ、アーチ状の窓が等間隔に開けられていた。
つまりこの隧道は実際には隧道ではなく、これまでも多数見てきた形式のロックシェッドだったらしい。
しかし現状ではこの窓の外は間違いなく地中、というか林道の舗装路面の下であり、隧道となんら変わらない状態になってしまっている。




案の定、

閉塞していた。

最後まで側壁には窓があり、閉塞地点の天井ではアーチが綺麗に途切れていた。
つまり、このロックシェッドの出口が閉塞地点なのだと思われる。

ということは、隧道の閉塞は林道を造成するときに、人為的に行われたことかも知れない。




閉塞地点より振り返って唯一の坑口を撮影。

全長は30mくらいだろうか。
もっと短いかも知れない。
線形は直線で、何度もいうように隧道ではない。
地形的にも特に隧道が必要な場所にも思えず(というかロックシェッドでもちょっと大袈裟に思える…。無論、建設された当時の地形は現在と違っていた可能性があるが)、ちょっと不思議な存在だ。

しかし現状は隧道同然であり、敢えて「17号隧道」と呼びたい。




そういえばさほど涼しさを感じられなかった隧道内。
あんまり地面から浅いせいだな。

そんな感じで隧道探索を終え、反対側の坑口を探しに来た。
といっても、内部の状態がああでは、見つかるはずがない。
林道の路肩に怪しげな盛り土があるだけで、坑門は全く見えなかった。

それにしても重要なのは、軌道は林道の路面より4m位も低いところを通っていたということだ。
これは林道を適度なスロープにするため、客土をして軌道跡を埋め立ててしまったという事であろう。
つまり、これ以上先に進んでも、軌道跡を目撃できる可能性はほとんど無いことになる。 の土木工事によるのだろう、




地下に埋まってしまった軌道のラインを脳内で再生しながら、林道を(入口から数えて)70mほど進むと、林道は右に折れていた。
軌道はそのまま真っ直ぐ進み、盛り土と土留めの擁壁を突っ切って国道に合流していたものと想像できる。

大胆な地形の改変であり、「第17号隧道」を発見していなければ、このルートには絶対に気付けなかっただろう。
次に想定される軌道のルートを図示する。




青いラインが軌道跡だが、破線の箇所は存在が確認できていない想像上のものだ。
この部分は擁壁や盛り土の下なので、やむを得ない。

だが、よく考えれば“ルートが変わった”のは軌道跡ではなく、現国道の方だろうと思う。
おそらくは、軌道跡に沿う形で旧国道も存在していたのだろう。
その証拠に、現国道は高原川に巨大な土留めを設けて内回りをしている。
この構造物が無ければ道は山側のギリギリを通らざるを得ない。
また、第17号隧道の上部の地形は凹んでおり、雪崩の常襲地形である事も確かなのである。

以上、特に矛盾はない。




「第17号隧道」という予想外の収穫は、併せて我々に進むべき進路も教えてくれた。

当初の“あり得ない藪”は幸いにして回避され、真の旧道&軌道跡のラインは、この石垣の奥という公算が極めて強まったのである。

この景色ではにわかに信じがたいが、冷静に判断すればここしかないのだ。
丸石練り積みの古びた石垣も、実は30年かそこらの年代物ということになろう。


実際に、石垣の上に登ってみると…。







来ただろ、これ!

ナイス発見!!


目の醒めるような、鮮やかさ。
すこし涼しい、気持ちよき森。




だがこれは、

疲弊…消耗…苦渋…朦朧…苦闘の最終決戦…

…嵐の前の静けさだったかもしれない。




         10 11 12 13 14 15 16 17 
第二次探索 廃線レポ トップ