公開中コメント一覧

1,853ページ中 935ページ目を表示(合計55,575件)    1 ... 931 | 932 | 933 | 934 | 935 | 936 | 937 | 938 | 939 ... 1853    [前のページ] [次のページ]  
▼番号書き込み日時書き込みURL点数
コメント
32,0382019-06-03 00:24:34/mini/245/main2.html [コメント一覧]6
ミニレポが複数ページに別れる分量だった場合、後のページを先に開いてしまうとそこから前のページに直接飛ぶリンクって無いみたいですね。不便だなあ。
32,0372019-06-02 23:41:16/mini/245/main2.html [コメント一覧]10
なるほど、外環ノ2建設を見越した構造だったわけですか。外環ノ2については大泉ICから南の一部区間は外環道地下トンネルへの導入部分の工事と合わせて既に着工しているほか、そこから先も練馬区内の青梅街道に至るまでの区間については少なくとも練馬区は前向きに考えているようです。練馬区以南の区間については仰られている通り実現の可能性は極めて低いと思われますが、ルート上に道路用地として確保されている所もあったりします。例えば、https://www.google.co.jp/maps/@35.6856239,139.5856372,3a,75y,193.53h,91.88t/data=!3m6!1e1!3m4!1s9OSLK0sxj78oNaWNmAvH_A!2e0!7i16384!8i8192本当にわずかな箇所ですが、まだ計画としては死んでいないことが伺えます。
32,0362019-06-02 23:29:59/mini/245/main2.html [コメント一覧]10
あちらこちらに爪痕を残していることがよくわかりました。小田急線の成城学園前〜喜多見間が低く沈むのも地下になることになっている外環道の高架が上部を通過するためだったといわれていますからねえ。
32,0352019-06-02 22:53:15/mini/245/main2.html [コメント一覧]10
橋脚の銘版から見ると昭和40年には国鉄には外環計画が伝わっていたと見て取れます成田の三里塚闘争勃発という時代とは言え....街並みを見ると明らかにそれ以降に解ってて建てたお宅が多そうなのがなんとも....
32,0342019-06-02 22:33:35/mini/245/main2.html [コメント一覧]10
同じような話で、千葉県船橋市内には成田新幹線のために武蔵野線の架道橋が整備されている場所もあります。
32,0332019-06-02 21:52:20/mini/245/main2.html [コメント一覧]10
東京特別区の道路計画は、現在も昭和21年の戦災復興都市計画街路がベースとなっているため、それ以降に高架化された鉄道路線では、このようなところが幾つか見られます。たとえば、東急東横線の祐天寺〜学芸大学間。ここには補助26号線(中野通り)の計画があり、21世紀に入り漸く建設が本格化しましたが、1970年の高架化当時から、ここだけPGになっています。https://www.google.co.jp/maps/@35.6318006,139.687126,3a,75y,357.66h,84.28t/data=!3m6!1e1!3m4!1sW7pHUVjZvNyjBZ6CJfuNiw!2e0!7i13312!8i6656?hl=jaまた、西荻窪駅前は高架下にバスとタクシーの折り返しスペースがありますが、これも本来は補助132号線の道幅に合わせたものだと考えられます。
32,0322019-06-02 21:09:06/mini/245/main2.html [コメント一覧]10
TXとか東武伊勢崎線の交差部はこれの完成形かと
32,0312019-06-02 20:45:22/mini/245/main2.html [コメント一覧]10
これは資料的価値としては相当なものがありますよー!
32,0302019-06-02 19:31:06/mini/245/main.html [コメント一覧]10
まぁ、当然といっては当然なんですけど、外環道大泉JCTから工事中?の予定線を伸ばしていった先にある西武鉄道池袋線の高架も、跨道橋になってます。Googleマップのストリートビューで確認できます。(ちなみに、本レポートの中央線の高架もストリートビューで見れます)他の交差する鉄道路線(西武新宿線・京王井の頭線・京王本線・小田急線)は高架ではなく地上を走行してますので、そういった設備はなさそうですね。いずれにしても、もう地下で建設が始まってますから、もう本来の目的で陽の目を見ることってないんでしょうねぇ。
32,0292019-06-02 15:25:40/mini/245/main.html [コメント一覧]10
THETAでメットと自転車につっこもうとしたら本文にかいてあるんだもん.
32,0282019-06-02 15:10:38/mini/245/main.html [コメント一覧]8
東京外かく環状道路の西側区間は、古くから計画されていて未開通の道路の一つであり、中央本線との交差部分はどうなっているか以前から気になっていたところでした。似たような場所として、京都の山陰本線花園駅のすぐ東側に、一車線道路を跨ぐには明らかに規模の大きな2桁間の橋梁があります。そこには、現在建設計画がある葛野大路通りの丸太町通りまでの延伸に備えているものと思われます。山陰本線の高架複線化が行われた時期に、この道路は一つ手前の太子道通りまで延伸されましたが、高架橋が用意されている区間は未だ計画のままとなっているようです。
32,0272019-06-02 14:56:39/rail/jouban_1/main9.html [コメント一覧]10
今ごろ、読みました。やはり、隧道ものと、林鉄ものは、読みごたえがありますね。
32,0262019-06-02 13:52:53/mini/245/main.html [コメント一覧]10
外環道予定地近くに長年住んでいましたが、このような遺構があったとは知りませんでした。机上調査編がとても楽しみです。東京23区西部は昭和の頃から人口増加に交通整備が全く追いついておらず、特に南北方向は極めて貧弱です。かつて無責任な革新系都知事や一部住民のエゴにより、外環道等のインフラ整備が止められた結果、江戸時代以前からの狭小な道に大型バス迄もが行き交う危険な状態が放置されてきました。ご承知の通り、近年、計画が変更されて建設が開始されましたが、未だにこれに反対する向きもあるようです。この架道橋は外環道のそうした歴史的経緯の重要な証言者と言えるでしょう。
32,0252019-06-02 13:19:03/mini/245/main.html [コメント一覧]8
草加市在住ですが、40年以上前にやはりこんな住宅地だった場所に外環道作ってしまいました。小学生の頃、県分譲地の住宅街にぽつんと2ヵ所くらい家が建っていない場所があって、そこに道路予定地の看板が立っていて不思議でしたが、10年程後に外環道になっていました。埼玉だと強引に立ち退きさせて、都内だと地下にするんだなと思いましたね。
32,0242019-06-02 13:10:39/mini/245/main.html [コメント一覧]10
千頭林鉄の息詰まるレポートが続いてたから、良い口直しになりました。
32,0232019-06-02 10:54:47/mini/245/main.html [コメント一覧]9
おっ珍しく自転車用ヘルメットかぶってる!あれ自転車も新しい?
32,0222019-06-02 08:09:20/rail/senzu2/main25.html [コメント一覧]10
いつものことながら緻密な机上調査、興味深く拝読しました。栃沢以奥にレールが敷かれていたかどうかですが、開設時期から考えると、資材不足から栃沢まではレールを引けたが、その先は将来レールを引く前提で二級線規格の道床工事を行い、牛馬道として利用したという事になるのではないかなと推測します。これからも濃いレポを楽しみにしています。
32,0212019-06-02 02:39:51/rail/senzu2/main25.html [コメント一覧]8
釜ノ島より奥は自動車用林道で上書きされているとなると、仮に林鉄時代には隧道が有ったとしても車道化の際に破壊され消滅している可能性が高いということかな。だとすると現地探索では痕跡さえ見付けられない恐れが強く、明らかなやり残しが有るにもかかわらず9年も再訪していないのはそのせいということなのか・・・林道は軌道跡と違って登山者に多く踏まれているというのもモチベーションが上がらない原因かもしれませんが、登山者ではないオブローダーの視点からの千頭を読んで見みたいものです。しかし流石に9年(7年)も活動を続けていれば新しい資料に出会う機会もあるのですね。おかげでレポ執筆に漕ぎ付けたものの、まだまだ謎は尽きませんね。しかしここで、ヨッキれん氏の著書「廃道踏破 山さ行かねが」に記載されている“幻の中央自動車道”が出てきたのには流石に噴いた。
32,0202019-06-01 23:21:09/rail/senzu2/main25.html [コメント一覧]10
いつも素敵なレポートをありがとうございます。左岸林道現役時代に、奥大井や南赤石幹線林道の自動車での走行にいそしんでいた者です隧道の数ですが、千頭ー千頭堰堤間で既に「林業機械化情報」と「現地探索」に二本のずれがあります一方で、千頭ー栃沢間で、「橋本正夫氏」と「現地探索」の数が一致することから、未探索区間の隧道は2本と考えて良いのではないかと因みに林道に足繁く通っていた昭和50年代末期、よもや左岸林道が廃道になることは、とても想像出来ませんでした
32,0192019-06-01 22:07:42/rail/senzu2/main25.html [コメント一覧]10
こういった調査こそが、現地の探索の価値をすごく上げていますよね。トンネルの数は、沢間〜大間〜千頭堰堤は、電力会社由来の古い箇所ですから、現役中に開削されたトンネルも多いかもしれないし、現在も道路として利用されているようですから痕跡をとどめないところもありそうですね。そうすれば、3本くらいの差は納得ですね。それ以降については、1951年時点との差は2本となるわけですから、出現頻度だけ見れば、未探索エリアに2本ある(あった)としても不思議ではないですよね。そうだとすれば、探索範囲で明確に現存するものはすべて確認できたということなのでしょうが...
32,0182019-06-01 16:17:22/rail/senzu2/main25.html [コメント一覧]8
よっしゃ帰還編!
32,0172019-06-01 13:35:32/bridge/ichiba/main2.html [コメント一覧]9
いつも面白く拝見させていただいています。現在のGoogleEarthだと、中央部のない橋が立体で見れますね。ストリートビューのほうはすでに橋がなくなってしまっています。。
32,0162019-06-01 11:41:34/rail/senzu2/main25.html [コメント一覧]10
まだ続きが有るってのがスゴイ。
32,0152019-06-01 10:29:07/rail/senzu2/main25.html [コメント一覧]10
机上調査ありがとうございます。最後の希望を抱いて時代の流れに逆らって。。。当時はそれを最良と信じる人たちがそこにいたからですね。
32,0142019-06-01 08:50:11/road/shimizu/main9.html [コメント一覧]10
清水峠旧国道のレポが読めるとは思いませんでした。
32,0132019-06-01 07:52:13/koneta/koneta_121.html [コメント一覧]10
何かと秋川に縁があり、周辺を自転車でよく走っていましたが、例の交差点から北西方向に進み、本宿のあたりで山田通りと交差する道が計画されているようです。例の場所から100メートルくらいは先行して建設されていてもっと物々しくなっています。道はガードレールで封鎖されていて(隙あり)、しばらく行くと唐突に終わっています。少なくとも3〜4年はそんな状態なので計画が凍結されているのかもしれません。なお、本宿からは西に向かって伸びる道が開通しています。規格はやや下がったような気がしますが、山際に伸びる嫌に広い(そしてズドン)道がそれです。私の推測に近い部分はありますが、もし今の話が本当だったら随分遠回りです。どれだけ需要があるのか…
32,0122019-06-01 05:40:33/bridge/r158_inekoki/main2.html [コメント一覧]10
最後の石碑、「鷲」らしき文字があるようだが後はサッパリわからない。光加減と苔生し具合が“障害”である。現地調査しかないようである。
32,0112019-05-31 23:28:58/rail/senzu2/main25.html [コメント一覧]10
机上調査面白い!こういう仕事を生業にできたらどれだけ幸せか。
32,0102019-05-31 23:17:19/rail/senzu2/main25.html [コメント一覧]10
凄い濃い内容しかし、東京営林局の部内誌のインタビュー中の、「事業の縮小となって大根沢奥は廃道となり」の廃道という言葉がひっかかる。廃線じゃなくて廃道という言い方が。
32,0092019-05-31 21:32:48/rail/senzu2/main25.html [コメント一覧]10
帰りの林道で1泊されたんですよね。そんな様子や、同行者との再会編も見てみたいです。

1,853ページ中 935ページ目を表示(合計55,575件)    1 ... 931 | 932 | 933 | 934 | 935 | 936 | 937 | 938 | 939 ... 1853    [前のページ] [次のページ]  

この画面の説明