いきなりだが、
緊急事態が発生した。
景色は一見して普通の林道だが、私にとっては、ここに平静を乱される驚きがあった。
怖れていた事態が起きていた。
既にこの道は、
軌道跡ではない!
なぜ、そう判断したのか。
それは――
登りすぎなのである!
僅かな区間で、一気に高度を上げ過ぎだ。
上の写真と右の写真は一連の坂道だが、6:17に通過した分岐のすぐ先から10%前後はある急な登りが200mほども連続しており、道は一気に田代川の河床から離れた。
これは、軌道跡としてあり得ない線形。
……まあ一応は、インクラインやスイッチバックを用いて高度を稼ぎ出したという可能性も、ゼロではないのかもしれないが…。
(←) この急坂区間は、地形図では、こんな感じに描かれている。
正直、この地形図からは、これほど急激な登り坂で田代川から離れるイメージは持たなかったし、それゆえ、“田代林道の軌道由来説”を信じたのだ。
しかし、こうして現地で一度疑いの目を向けて見れば、この先の道のりもなんというか……
あまり、軌道跡っぽくはない。
大きなアップダウンこそないものの………いや、大きくなくても、アップダウンがある時点で、軌道跡としては不自然だった。
図中の左下の辺りなどで、林道は随分と、上ったり、下ったりを、繰り返しているじゃないか。
林鉄というのは通常、山元から土場へ向けて一方的な下り勾配になっていて、そこに上り勾配が入ることは“逆勾配”といって忌避される。
特にこの小坪井軌道ような手押し軌道において、木材を積載した台車を人力で押し上げねばならない逆勾配は、ほぼあり得ないはずなんだ。
インクラインとか、スイッチバックとか、そういう小手先の技以上に根本的な問題だ。
……ということは、どういうことになる?
………… ……… …… …
また、川の中か。
小坪井沢と同じように、
この林道の遙か下を流れる田代川の谷底に、軌道跡はあるのか……?
……その可能性は捨てきれない。 しかし………
前説でリンクを掲載したスー氏のブログを読んだ方は分かるだろうが、ちょうど彼がそこを歩いている。
彼は、私が6:17に通過した分岐のすぐ先で入渓し、林道が再び田代川を渡る上流の地点まで、約5kmも本流を遡行しているのだ。3時間ほどかかったとも書かれていた。
しかし、その間に何か軌道跡らしいものを見つけたということは、確か書かれていなかった。
これで当初の(心に秘めていた)目論見は、崩れ去った。
今回の元清澄山での探索は、田代林道を自転車で流し、その先で少しだけ沢歩きをして問題の隧道を見たら、満足して終わるつもりでいた。
長大な田代川の本流を歩きまわるつもりなど、無かったのだが…。
しかし、もうグダグダ言っていても始まらない。
とりあえず、今はこのまま田代林道を突き進み、スー氏が発見した、田代川源流谷底の隧道を目指す!
それを見て、本当に軌道跡なのかを判断してから、改めて下流のことを考えようと思う。
仙境橋を越えてまたひとしきり上りがきつくなり、それを越えると、少し見晴らしの良い広場があった。
そして、「この先車両の転回が出来ません」という、意味深な標識が。
こういうものが出て来たということは、おそらくこの先は…。
右の写真は、田代川の谷越しに元清澄山方面を望んだ眺めだ。
中央の一際高い部分が、標高344mの元清澄山だと思う。
この標高は千葉県の山ではベスト5に入るくらいの高さだが、現在地との標高差は150mにも満たない。
しかし、いかに近く低く見えても、道がなければ簡単に辿り着けないという房総の怖さを、私はもう知っている。
ところで地形図を見ると、この辺りから先には山中には少しだけ平坦な土地が広がっていて、「田代」という地名がふられている。
田代林道や田代川といった名前は、全てこの地名に由来するのだと思われる。
昭和19年の地形図には、周辺にぽつりぽつりと4〜5軒の建物が描かれており、田代集落と呼べるものが存在したようだが、現在の地形図では一軒しか描かれていない。
6:31 《現在地》
スタート地点から1.5km。
そろそろだろうという予感はしていたが、現れた。
封鎖されたゲートだ。
ゲートの周辺には、特に通行止めの理由や対象の説明はない。
というか、駐車禁止と書かれてはいるが、通行止めとはどこにも書かれていない。実力行使的にただ封鎖されていた。
脇は甘いので、歩行者や自転車には容易いが、自動車だとここまでである。
なお、右に分かれる道もあるが、こちらは私道との看板が立っていた。
すぐ先に民家が見えた。
ゲートを過ぎるとすぐにアスファルトの舗装が跡絶えた。
道に沿っていた電信柱もなくなり、いよいよ田代林道という名前に相応しい、本格的な山岳道路が始まる模様である。
願ったり叶ったりである。
また、私は今回の探索をするまで一つ勘違いしていたことがある。
それは、道の駅のある立派な交差点から始まり、元清澄山の山頂付近まで伸びている田代林道は、この山域のメジャーな登山コースだと考えていたことだ。
だが実際にはここまで首都圏の主要な登山コースなら当然ありそうな登山者向けの案内板はまるでなく、むしろ純粋な生活道路であり、そしてここからは林道であるようだった。
願ったり叶ったりである!
ゲートを過ぎてひとしきり下ると、また同じ作りのゲートが現れた。前のゲートから150mくらいしか進んでいないが、頻繁である。そして今度も閉じている。
また脇を抜けると、その先は橋になっていた。
ガードレールに銘板が2枚だけ付いていて、「梨木橋」「なしのきはし」という情報を得た。
竣工年などは不明である。
小刻みに上ったり下ったりしながら進んでいくと、路傍に一台の乗用車が打ち棄てられていた。
路面も所々コンクリートで簡単に鋪装されていたりはするが、落葉が溜まっているし、交通量は見るからに少ない。
さらに進むと、ますます香ばしい雰囲気になってきた。
何か劇的に路面状況の悪化するきっかけ(例えば大崩落)があったわけではないが、轍はどんどん薄れている。
というか、4輪のクルマは、もう長らく入っていない感じがする。
もともと鍵のかかったゲートの奥であるから、少数の関係者しか轍を維持し得ない。そのうえで、関係者にクルマで奥まで行く目的が生じなければ、自然とこんな感じになるのだろう。
実は、このように田代林道の奥が廃道状態になっていることもスー氏のブログで知った。そして、これを自転車で走るのが今日の秘かな楽しみだった。
6:55 《現在地》
スタートから2.8km(最初のゲートから1.3km)で、またしても田代川の無名の支流を渡る橋が現れた。
やはり銘板は2枚だけで、「節貫橋」「ふしぬきはし」と分かった。
この道は、本当にMTBで走っていて楽しい道だ。
猫の目のように谷と尾根の景色が入れ替わり、同時に上りと下りも変化する。
二つ上って一つ下るくらいのペースで、少しずつ房総半島の中央分水嶺へ忍び寄っていく。
節貫橋からしばらく進んだ所で、ついに物理的にクルマを通せんぼする自然障害が現れた。大きな倒木だ。
それにしても、ゲートを過ぎて砂利道に変わってからの方が、道幅が広い。狭いところでも4m、大部分は5mある。
これは私の想像だが、ゲート以降の田代林道は単なる林道としてではなく、登山バスの運行などを想定して整備されていないだろうか。
あまり知られていない事実だが、現在は君津市内で完結している「房総スカイライン」の昭和45年当初の構想ルートは、富津岬から勝浦まで半島を横断するというものであり、高宕山から清澄山へ峰伝いに走る壮大なスカイラインになるはずだった。だが、高宕山の天然記念物の問題などで全ルートを変更し、計画を縮小したのが現在のスカイラインである。当初構想の詳細なルートは決定しなかったが、元清澄山の一帯はまさにその経路上にあたっている。 …悪い癖で、本題とは全く関係ない未成の構想話に脱線してしまった。
7:13 《現在地》
新しい朝が来た〜♪
出発から1時間が経ったところで、ようやく山の端から今日の日が昇ってきた。
一瞬で世界の色が変わる。
轍の消えた広い道は、私を喜ばせるためにあるかのようだった。
今は再び下り坂に入っているが、この少し手前のピーク辺りが、田代川と林道の高低差が最大になる場所だった。7〜80mはあるだろう。
右の写真はキロポストだ。
これには「6.0」と書かれていた。
前後の数字のものは見あたらない。
房総の林道には、思わず「土の穴〜〜!」と叫び出したくなる(?!)ものが多いが、ここは珍しく高山然としている。
標高1000mと言われても普通に信じられそうな景色だ。本格派と言っても良い。
GPSで進捗を確認しながら進んでいるので分かるが、はじめは随分遠いと思っていた“今日の歩き出しの地点”は、もう間もなくだ。
田代川の源流へ入るためには、田代川を渡る橋から行くのが手っ取り早い。
そんなわけで、明澄橋以来の登場となる、田代川を渡る橋を目指して進んで来た。
この写真の橋ではない。
これはまたしても、無名の支流を渡る橋。
「倉見橋」といった。珍しく竣工年の表示があり、「昭和44年10月竣功」だという。
田代林道がこの辺りまで伸びてきた時期を示していそうだ。
7:22 《現在地》
来たッ!
次に見えてきた橋こそが、田代川源流の入口となる橋!
豪快な掘り割りを一気に駆け下って、未だ日の届かぬ谷底の橋上に躍り出た。
なんと、ここに来て1枚も銘板を持たない橋だった。
重要な位置を占めているのに、気の効かない。
…んなことはどうでもいい!!
問題は、4kmぶりに再会したこの田代川に、軌道跡があるのかどうか ――そこに尽きる。
それでは、谷底を覗いてみます…。
↓↓↓
…………
……
わからん。
だが、先人はこの谷川の奥に、間違いなく“隧道”を見た。
次回、“源流の隧道”へ!