16:12 《現在地》
小尾根を一つ回り込み、最寄りの緩斜面を下降路に選定した。
ここからみたび軌道跡を目指す。
はじめは緩やかだった斜面も、少し進むと足首に力が入る急斜面に。
それに伴い前方の視界が開け、ほとんど真下に逆河内の水線を見るようになった。
はっきり言って、足がすくんだが、心が折れる寸前、目指すべき軌道跡を発見した。
軌道跡は大岩に削られた堀割のようであったが、半ば以上埋没していた。
以降は斜めに斜面を下り、そこを目指した。
また、こんな感じなのね…。
どこまで行っても、軌道跡に平穏はなさそうだ。
路盤はちょうど45度の傾斜になっていて、もうこれ以上瓦礫を乗せることが出来ない状態で安定しているようだ。
まあ、歩けないというレベルではない。
ある意味、慣れっ子だ。
慎重に歩を進めることにする。
林道は、すぐ上にあった。
往路でも路肩から下を覗き込めば、当然軌道跡の存在に気付いたであろうが、
その時は林道=軌道跡だと信じていたので、この辺りの軌道跡は全部「未確認」だったのである。
その存在が予想される4号隧道(仮称)も、同じ理由で「未確認」だったが、
私が路盤から振り落とされずにこのまま進めれば、遠からず解決が出来るだろう。
久々に日射しの元へ来た。
逆河内の谷の出口に近付いたために、背後の山の端から、太陽が再び“日の出”をしたのだろうか。
或いは雲の動きによるものかも知れない。
前方には、林道が堀割で越えていた、逆河内出口の大きな尾根が壁となって立ちはだかっていた。
明らかにこの軌道の高さ(レベル)では、尾根を大きく回り込むか隧道を用いる以外に、向こう側へ越える術はないように見えた。
いよいよ4号隧道の出現は、予想より強く“予期されたもの”になってきたのである。
こんな所を、独り寂しく越えてきた。
今日一日で、私は何回、危ない場面を、自ら進んで乗り越えてきたのだろう。
自己最高記録を更新したのは、ほぼ間違いない。
親からもらった命を、これほど無造作に、しかもくり返して危険にさらしていることへの、幾ばくかの背徳感があった。
そして、それが当然のようになってしまった、今日の異常さについて思った。
普段の平均的な探索日なら3日に1回程度の危険な場面を、今日はこの直前を含め、20回は経験していた。
限界に近付きつつある疲労と、“慣れっ子”になってしまった危険地突破。
ここに精神的な緩みが加われば、事故が起きる条件は揃う。
それだけに、私は慎重にならざるを得なかった。
16:20 《現在地》
傾斜した軌道跡を歩くこと7〜8分で、いよいよ眼前に逆河内出口の尾根が立ちはだかった。
真っ正面には、林道の深い堀割のシルエットが見えていたが、それは間違いなく軌道跡のレベルまでは達していなかった。
ほぼ隧道意外は考えられない状態となったが、問題はその坑口が存在しているかどうかだ。
そして、通り抜けが出来るかどうか…。
おそらくこれが、今日最後の勝負所だろう。
出やがった。
まさに期待した通りの位置に、それは半円形の口を空けていた。
坑口前にも瓦礫が山積しており、
それは洞内にまで入り込んでいるようだったが、
それでも人が十分出入り出来るスペースは残っていていて、
未知の洞内へと私を誘った。
迷うことなく、私は進んだ。
苦難に満ちた“逆河内路”の出口へと、
輝かしい生還の期待を胸に。
裏切り!
期待を裏切る、閉塞という回答。
土壁の決着は、身じろぎ一つ見せないコウモリたちによって黙殺され、私はもうどうすることも出来ず、すぐに引き返さざるを得なかった。
果たしてこの閉塞は、いかなる原因によるものなのか。
天井には破壊の痕跡は見えなかったので、おそらくは5号隧道と同じく、閉塞部=坑口部だったのではないだろうか。
洞内に僅かの落葉も舞い込んでいないことから、この土砂は表層のものではなく、かつ崩落は一時に発生したということも想像が出来た。
坑口から閉塞部まで、レポートではあっという間だったが、距離はこの写真の分だけあった。
長さは7〜80mといったところか。
この長さを尾根の規模と比較すれば、やはり閉塞部≒坑口部という結論が導かれるように思う。
なお、この隧道は内壁が全てコンクリート巻き立てに拠っており、あまり地盤が良くなかったのかも知れない。
それ以外は、特筆するような事は見あたらなかった。
例によって、隧道内部は“平和”だったのだ。
16:24 《現在地》
約4分間の洞内探索(往復)を終え、地上へ戻った私だが、閉塞による落胆はほとんど無かった。
それよりも、予期された隧道を確認出来た事の達成感が勝った。
5号隧道にしても4号隧道にしても、跡形無く埋もれているのは片側だけで、なお地上へ痕跡を留めていたことは、まるで探索される事を待っていたかのように思われて愛おしかったし、その期待に見事応えた自分を誇らしくも思えた。(見方を変えれば、それは私に対する“挑戦状”に他ならなかったのだが)
リスクを甘受したことについてまわった背徳感も、今は達成感へ昇華した。
4号隧道の探索終了は、今日の逆河内支線探索が事実上完結したことを意味していた。
未確認に終わった区間も少しはあるが、予備知識ほとんどゼロの初回探索の成果としては、十分だった。
ほぼ完遂という評価を下せる。
そして、この初回探索で唯一やり残した「終点の確認」は、2週間後に無事達成されている。
あとは、この坑口脇の崖錐斜面を斜めによじ登って、林道の切り通しへ復帰すれば良い。
普段の体力ならば何の問題もない行動だと思うが、これがえらくキツかった。
数歩ごとに膝を押えて休みながら、顔を引きつらせて登った。
あまりに辛く、登り終えた私はまた自分撮りをしたのだが、ひどいものが写った。
林鉄と林道を相互に行き来しながら探索する場合、
その比高が大きければ大きいほど行き来は苦しいが、
比高が小さすぎると、今度は林鉄が酷く破壊されているというジレンマがある。
逆河内支線にはそうした林鉄探索の苦しみが凝縮されていたが、挑むに足る実りもまたあった。
16:28
わずか20mの比高をクリアするのに4分もかかって、林道へ復帰。
目の前には、逆河内の出口となる大きな堀割の姿が。(→)
まだこの場所へ来るのは2度目だというのに、妙に懐かしく思えるほど、私は逆河内に没頭していたようだ。
名前から既に怖ろしげな“サカサコウチ”に、私は愛着を覚えてしまった。
林道から軌道跡を見下ろすと、歩幅の極端に小さな足跡が、小さな坑口から伸びていた。(←)
これが誰のものかは言うまでもない。
― これ以降は、消化試合。 ―
隧道の埋没した反対側の坑口は、やはり地上には痕跡を留めていないようだった。
それどころか、そこに繋がる軌道跡も、林道の路肩に連なる斜面に掻き消されていて、
全く見る事が出来なかった。
林道は切り通しを過ぎると、急激な下り坂となる。
そしてその傍らにある谷は、さっきまでの逆河内ではなく、寸又川の本流である。
逆河内支線の探索を終えた私だが、本流沿いの千頭林鉄本線は、
大樽沢分岐から逆河内支線へ折れたため、以奥の探索は残されたままになっている。
千頭林鉄の本線は、大樽沢から奥にも続いている。
今日探索したのは、図中の黄色く示した部分である。(加えて大間〜千頭堰堤間も探索したが、レポートを未制作なので除外した)
既に入手済みの【路線図】によると、大樽沢の先の本線は、小根沢、大根沢事業所、栃沢、釜ヶ島を経て、柴沢という所まで続いていたというのである。
そしてこの大樽沢〜柴沢間の距離は、実に17kmもある。
今日の苦労を思えば、それはまさしく絶望的な長距離。
にもかかわらず、まさかこの2週間後にそこへ挑むことになるとは、流石にこの帰路、思いもしなかったことであった…。
堀割以降、林道“下”にはもう2度と軌道跡を見つけることはなく、次にそれを見たのは…。