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廃線レポート 白砂川森林鉄道 最終回

公開日 2025.08.21
探索日 2021.05.15
所在地 群馬県中之条町

 引沼集落で林鉄起点と“隧道ゼロ”を捜索する


2021/5/15 17:01 《現在地》

前回の最後、15:13に白砂川大橋から帰路に就いた私は、ポケモンGOのイベント「コミュニティデイ」の終了時刻とほぼ同時に、今朝の出発地点にほど近い白砂大橋へ戻ってきた。
この場所を自転車で走るのは、23時間ぶりである。
本レポートの導入回で紹介した、昨日夕方の偵察をスタートした場所がここだった。

たった1日では橋から見える風景に変化はないが(雨が降ったくらいだ)、景色を眺める私の心はまるで別物といえた。
昨日はこの景色を見ながら、そのどこかに隠されている未知の林鉄に対して、期待よりも遙かに大きな恐怖心を持っていた。だが、1日でその大部分を征服し、数多くの成果を挙げた今の私にとっては、“知る者”の自尊心を駆り立てる、なんとも心地の良い景色であった。

終盤の私がポケ活ばかりに現を抜かしていた訳ではない証しに、これから本日最後の探索を始めよう。
まだ、今日の探索は終わっていないぞ!!
まだ見ぬ白砂川林鉄の隧道が、この近くに眠っている可能性がある!




もう良い具合に夕方だが、今から探索を試みるのは、今朝の探索スタート地点と、白砂川林鉄の本来の起点までの区間である。
上の図に緑の丸線で描いた辺りに、地図上の計測でおおよそ800m内外の未探索の軌道跡が存在する可能性が高いのだ。
本編導入回の復習となるが、この林鉄の起点については、昭和28(1953)年の文献に次のような記録を見つけている。

引沼の農協事務所前には、白砂川の奥から営林署の林産物搬出用軌道がきているので、これから奥地の開発にはこれの利用も考えられる。

『群馬県地下資源調査報告書 第3号』より

「引沼の農協事務所前」が、白砂川林鉄の起点であったと読み取れる。
その詳しい場所はまだ不明だが、引沼集落はそれほど広い範囲ではない。
先ほどの地図に青丸でハイライトした範囲のどこかであろう。

さらにこの同じ資料には、起点付近に隧道が存在したと読み取れる次のような記述もあった。

六合村の葦谷地(Yoshiyachi)とは、花敷温泉の北東部に当り、白砂川に沿ってトンネルをくぐって3Kmほど登った左岸(南岸)の地名である。ここには営林署の軌道が通じていて、歩行及び物資の運搬には至極便利となっている。高距は海抜900m余の場所で、引沼部落との高さの差は100mを越えない。

『群馬県地下資源調査報告書 第3号』より

本日の探索でこの「葦谷地」と見られる場所を通っている。
そこは探索のスタート地点から2.4kmほど進んだ場所で、起点からだと確かに「3kmほど」の場所である。
起点からこの葦谷地までの間に「トンネル」があったと文献にはあるが、今日探索した区間内にはなかった。今日最初に見つけた「隧道1」は、葦谷地を過ぎた後であった。

よって起点から今朝のスタート地点までの推定0.8km内外の軌道跡には、隧道があった可能性が高い。
この区間には、並行する国道405号に白砂トンネルがあるので、軌道跡にもあったとしても不思議ではない。
さらに、探索済み区間との接続関係を考えれば、それはおそらく温泉療養施設「バーデ六合」(探索当時は営業中だが現在は閉業)が建っている尾根の近辺だろうということまで、相当絞ることが出来ている。

人里の間近にありながら、まだ発見された記録がない、もし見つかれば白砂川林鉄の最も訪れやすい遺構となるであろう隧道を、今から探しに行こう!




17:04 《現在地》

2日間を通じ初めて白砂大橋の下流側へ探索の足を伸ばしている。
写真は、橋のすぐ下流にある白砂トンネル(全長112m)を潜るところだ。
このトンネルは昭和42(1967)年の竣工と記録されているが、昭和34年の地形図に既に描かれている。

トンネルを出て右側に少し草が生えた空地があり、何気なく旧道でもないかと目を向けたところ、【性具】が化粧箱や【プレゼントシート】ごと捨てられていた。いくら満足が得られなかったとしても、自分の技術を棚に上げて、道具のせいにするのは良くない。

チェンジ後の画像は、トンネルの坑門上部の斜面を望遠で撮影した。
とりあえず、軌道跡やその隧道のある気配はない。
登って確かめることはせず、再び自転車に跨がって引沼集落を目指した。

ちなみに、雨はピークを過ぎたのか、少なくとも今は小康状態でほぼ止んでいた。



17:10 《現在地》

緩やかな下り坂の国道を進んでいくと、あっという間に引沼集落の入口に辿り着いた。
白砂川左岸の緩斜面に広がる山間の集落で、温泉に恵まれてはいるものの、長野原の市街地から15km近く峡谷を遡った所にある秘境である。
本来ならこの場面の背景も間近に迫る緑の山肌だが、重い雲が谷に垂れ込めているせいで、まるで山の上のような景色だ。

目の前の青看がある交差点を右折すると花敷温泉へ、左折すると集落内の生活道路である。
とりあえず軌道跡がどこへ降りてくるのか分かっていないので、より山際にある左の道を進むことにした。



17:14

明確なあてがないので、山から下りてくる軌道跡を出来るだけ高い位置、集落の外れで捕捉しよう。
そのような方針を立てた私は、広い道から外れて、地理院地図にも描かれていない山手へ延びる小道を上っていった。
登っていけばどこかで軌道跡と交差するのではないか。
目指す軌道跡の道は、水平に近い独特の勾配を持っているはずで、私ならその違和感に気付けるはずだと考えた。



17:18 《現在地》

来たか?!

集落の最も高い辺りまで登っていくと、車の通れない幅の狭い道が、山から緩やかに下りてくる所にぶつかった。
立地のイメージ的にはドンピシャだ。
この道を上流と下流のどちらへ進むか考えたが、少しでも明るいうちにトンネルの可能性が高い山側を攻略することにした。

軌道跡となれば自転車は役立たないだろうから、徒歩に切り替えて、突入開始!



17:19

明らかに古そうな山道だ。
軌道跡にしては、少し勾配が強い気もするが、この立地条件の符合は捨て置けない。
高確率で、探しているものだと思う。
全てが目論見通りであれば、ここから400mくらいで、隧道の存在が強く疑われる「バーデ六合」が建つ尾根に到達するはずだ。



14:32 《現在地》

…………ダメみたい。

即落ち2コマみたいで恥ずかしいが、どうも、この道は違うらしい。
集落のはずれで出会ったときは、これぞ!と思ったが、山へ入るとすぐに急坂となり、ものの100mほどで30mは登ってしまった。
明らかに、軌道跡どころか、車道ではない勾配だった。

それでもすぐに引き返さなかったのは、道の雰囲気が良かったのと、荒れていなかったこと、そして確かにバーデ六合の方向へ進んでいたからだ。
朝の出発時点でバーデ六合に車を止めてあるので、この道で車に戻るのもありだろうと思い直した。
軌道跡については、バーデ側から探すことも出来るだろうし。



17:39 《現在地》

すでに軌道跡ではないことは確信しているこの道だが、実は最初の急坂を過ぎると、あとは軌道跡と見紛うばかりの水平路であった。
しかも道幅も軌道跡として不自然でないくらいあり立派であった。
次第にまた、「軌道跡なのでは?」と心が揺れ始めた私だったが、幸いにして、この道の本当の正体を教えてくれる存在が現われた。

地図に無い道に、地図に無い分岐が現われた。
その分岐の三つ角に、小さな石の碑が置かれていた。
道標石であった。

光を当てて文字を解読すると、正面には「大日如来 右ハ山 左和光原」、側面には「嘉永七年寅七月吉日」と刻まれていた。
嘉永7(1854)年、前年に続いてペリーが来航し、日本中で地震が頻発し途中で安政に年号が変わった年に建てられた、古い道標石であった。
わざわざ軌道跡に移設するとは思われぬ遺跡であり、これらの道の正体が、地に根付いた古道であることを物語っていた。



軌道跡探索としては完全に余談になってしまうが、この道は古い地形図に「小径」として描かれているのを見ることができた。
道標石の導き通り、確かにこの道は「和光原」へ通じていた。
昭和30年前後に現在の国道405号の元の道路が開通するまで、この徒歩道が和光原・野反湖方面と長野原方面を結ぶ主要道路だったようだ。
その愛着が成せるわざか、今でも手入れがされていたようで、バーデ六合までは良い状態が保たれていた。



17:43 《現在地》

明らかに軌道跡の想定位置よりも高所を進んで来た道は、最終的にはバーデ六合が建っている尾根の上に出た。
私が今朝出発した広場は、ここよりも20mくらい低い位置にあるから、ここは軌道跡に対しても同じくらい高い位置ということだ。
逆に言えば、軌道は確かにこの尾根を越えるために、隧道を用いる道理があったのだ。

問題は、かつて隧道があったとして、その存在を証明できるものを見つけられるかどうかだ。
バーデ六合の存在が、この尾根に相当の変化をもたらしているのは間違いない。
特にいま見ている尾根の東側については、遺構の現存は絶望的と思われた。
眼下の駐車場も、私が車を止めた出発地の広場も、どちらも軌道跡を消失へと導く存在であった。

隧道跡および軌道跡発見の可能性は、尾根の西側に託された。

この足が導き出した最後の答え合わせをしよう。



一歩引いて尾根の西側を意識すると、誂えたように、階段の小道が下って行くのが目に留まった。
今度の道は刈払いはされていなかったが、ほんの20mほど下って確かめるにはどうでも良かった。
果たして、軌道跡は、ここにあるのか。

いや、 ここになければならないはず。

なければ私は答えに窮する。
大事な起点という存在が、私の中で行方不明になる。
運動のためではなく、緊張のために、心臓が早鐘になった。


その決着は――



17:45 《現在地》

想定した位置に、明瞭な平場を発見!

軌道跡か?!

ここはもはや「隧道0」の擬定地、そのものだぞ。