2011.1.2 14:19 《現在地》
限界を試験された1時間10分間の歩行に耐え、
(うち10分以上は例の場所で膠着していた)
私は遂に“青崖”へ辿りついた。
この風景を目にした瞬間、一番早く頭に浮かんだことは、
「これでようやく、引き返しても良いんだな!」
という、引き返す事が自分でも嫌になるくらい下手くそな私にとって何よりも有り難い、道に特別な許しを貰えたような思いであった。
突き進むほど累積してきた“死”へのリスクが、これでようやく、やっとやっと頭打ちとなる。
ここで引き返しさえすれば、これ以上のリスクを抱える心配は無い。
この大変な“成果”を、家へ持ち帰れるのである!
だが、もちろん
行けるところまでは、行く!!
それは当然だ。
まずは、あの“木”の生えているところまで…。
少々センスがクサイと思われるかもしれないが、
私はこの木を即興で “命の木” と名前を付けた。
もちろん、“命綱”にかけてのネーミングである。
この環境でここまで育つのには、どれだけの幸運と苦難があったのだろうか。
がっちりと根を張ってビクリともしない幹を、私の3本目の足と頼って立っているときは、確かな安心が得られた。
そしてこの木が頼りになるばかりに、1本の木も生えていないその向こう側へと踏み出す行為には、尋常でない躊躇いを感じた。
(そういえば、前回の最後の写真に対するコメントとして、「青崖にうっすらと道のような物が見える」というのを数人から戴いた。
それは仰るとおりである。もちろん私もその事は現地で把握していたし、見えて当然だと思っていたから驚きもなかった。状況証拠的に、かつては間違いなくこの崖を横断する道が存在したわけで、むしろ、全く跡が残っていないほうが不自然だと思ったろう。)
はい!
木ではなく、
私の根が、ここに降りました〜。
この木、マジで助かる。
ホッとする〜。
この木が無かったら、
とても、次の写真を撮る気にはならなかったかも。
鳥の目になったような高度感!
超高層ビルから見下ろす街路のような、圧倒的な鉛直的俯瞰の中に、県道が横たわっていた。
なんつー場所に、昔の人は道を作ったんだ…。 しかもレールを敷いていたなんて…。
ひとしきり(実は5分間も)“命の木”に身を寄せて、そこから得られる超然的な視界を満喫した。
また、ここに来て微風であったのには大いに救われた。これで強風だったらと思うと、たまらない。
この間、大量に写真も撮影していたが、今それを見ても、どれも同じような写真だったり、道もないただの山肌の遠望だったり、ここで皆様にお見せしても蛇足になりそうな物ばかりだ。
それよりも皆様が興味を感じておられるのは、「もっと先は?」と言うことだろうと思う。
これは、そういう読者さまになってしまわれるよう私が仕向けてきた部分も多分あるので、何も言えないけれど…。
正直言って、私の中のファイティングスピリッツは既に燃えさかる火力のピークを過ぎ、熾火(おきび)になりつつあった。
もう、頃合いじゃないかと言うことだ。
このわずか1時間強の短い時間に、普段ならば数ヶ月分でも余るくらいの危ないことをし過ぎているという実感があった。
例えば1万分の1という低確率でしか起きない致命的事象でも、試行回数が数回ではなく何百回にも及べば、かなり現実的な確率に変わる。
私のリスク管理は、(正しいかどうかは別として)この確率論をベースにしている。
だから、興味はあっても、特にハード(そう)な場所の探索は回数を限るように心がけていたりもする。
…言い訳が長くなったが…
とりあえず、あそこの“草付き”までは、行けそうかな……。
う、う……
14:26 前進極めて困難。
無理だと自分が納得出来る場面が、本当に今度こそ出現してくれたので、ここで撤収します。
確かに道があった形跡は、この先にも明確に残っている。
しかし、次のステップの難しさは、私の度胸と技術(特に前者)を共に凌駕していると思われる。
想像してみて欲しい。
道幅40cm。
しかも平坦ではなく、自然と谷側へ傾斜している道。
縁も丸い。
そして何よりも絶対に我慢ならなかったのは、路面から1mほどの高さにコブのような大きな岩の張り出しがあって、立って進めば間違いなく歩行者の上体に干渉するということ。
もちろん、ここが万が一落ちても大丈夫な高さの崖ならば、膨らんだ岩場を抱くようにカニ歩きで横断可能と判断した可能性が高い。
その程度といえば、その程度の場所なのかもしれなかった。
だが、ここは万が一が許されない高さ。(涙)
崖側の背中に重いリュックを背負った状態で、頼りになる草付き根付きもないこの岩場を抱きながら、当然足元もよく見えない状態でのカニ歩きなど、私にとって言語道断なのである。
(もう一つの方法として考えたのは、四つん這いかしゃがみ歩きで進むこと。それだと重心が低くなって安定すると同時に、膨らんだ岩場にも干渉されずに済むと思った。だが、実際に少し広い場所で試してみたところ、その体勢では、狭い場所や平坦ではない場所での方向転換がとても難しい事が分かった。 当然、却下である。)
ええい! ヘタレとでも何でも言いや崖(ガレ)!
今度こそ、本当に撤退します。
ということで、ここからは“ も し も ”の話になってしまうが、
もしも眼前の狭窄部を突破出来たと仮定しよう。
そうしたら、果たしてその先へどのくらい進めたであろうか。
というか、ずばり青崖の完抜は可能であっただろうか。
もし、本当の難所が目前の狭窄部だけであったとしたら、今回の撤退は一層悔しむべき事態と評価できるかも知れない。「惜敗」ほど悔しいものは無いのだ。
というわけで…
← あなたは、この崖をどう思いますか?
なお、「参考意見」として、現場で私が踏破可能性について言及した【この動画】もある。
とは言いながら、正直この動画は「撤退ありき」の気持ちが先走っている気がする。
動画の風景も、左の写真も、これだけを見る限りは、(これまで通り空手での)踏破可能性がないとは断定出来ない気がする。
むしろ、あの“13分難所”を越えた人間ならば、ここも超えられるのではないかという気さえしてしまう。
これが今、写真と動画をじっくり見直した私の、偽らざる本音である。
だ が、
実はそれ(「行けるかも」と思える眺め)こそ、
この地獄の廃道が手巡らせた、最終かつ最も凶悪なる “罠” だった可能性が高い。
ここでまんまと嵌っていたら、私は生還できなかったのではないか。
たぶん、私は安心していい。
今回の撤退は「惜敗」などでは決して無く、「完全なる敗北」だったと思う。
いまから、その罠を暴くために、下の県道から仰瞰した数枚の写真を順に見て戴く。
見覚えのある写真もあるかも知れないが、全てこの日の帰路以降に改めて撮影した物だ。
まず、この全体像だけでも、とても人間が横断できる状態ではないことが分かると思う。
それではなぜ、路盤上から見ると、つい横断できそうに見えるのかと言う事だが、
通行人視点では、斜面の凹んでいる(谷になっている)部分がよく見えないからだと思う。
巧みな罠と言わざるを得ない。
青崖の表面にある波状の凹凸のうち、私が路盤上からは見る事が出来ない凹みの部分に、難所が集中していた。
………、
さすがにもうこれで、撤退の言い訳は十分尽くしたであろう。
撤退する。
そして、
明日は朝一から、この反対側を目指して探索する!!
やっぱり、このままでは終われない気がしたのだった。
まだ私は、左岸道路の半分も辿りきっていない。
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しかし、今はまず帰路をやらねば。
ここから200mほどの至近距離に存在する県道へと、直接に下降するウラワザでもあれば即採用したいところだが、もちろんそんなものは無いので、来た道を寸分違わず馬鹿正直に辿り返すよりない。
途中で手間取らなければ、1時間程度で戻る事は出来るはずだ。
さほどの高低差はないので、体力的にもまあ心配はない。
時間的には今日一日分の疲労が蓄積してくる辺りだが、この道の恐ろしさの大半は体力的な部分ではなく、純粋な難場突破能力(+精神力)にあった。
結局、青崖には14:18〜14:28の10分間滞在してから、もう2度と同じアングルで見る事の無いこの眺めに背を向けた。
…こんな険しかったか………。
青崖に近い所から、第2号隧道のあった小尾根を振り返って撮影。
道は中央に細々と見えているが、こうして見ると、青崖の中にある物とさほど変わらなく見えてくる。
違いと言えば、多少の樹木が茂っていることか…。
しかし、どう見ても岩山なのである。
長い年月が過ぎれば、青崖にもいつかこの程度は樹木が育つのであろうか。
一度歩いた道とはいえ、やはり油断は出来ない。
特に、道中3箇所ほどあった“大難所”を突破するまでは…!
青崖出発から8分後、
大難所の一つに数えられる“第2号隧道前の崩落”を超えて、第2号隧道を潜り抜けた。
残り二つの大難所も、それぞれ1分後、3分後くらいに現れるハズなので、結果的に見ればこの短い300mほどの区間が、青崖以北で最大の難所地帯であったわけだ。
だから、この区間を集中的に修繕すれば案外歩ける道になりそうだが、そんなことをする人も無いだろうな…。
さあ、来るぞ!
復路の“13分難所”に到達。
とにかく今日歩いた中では圧倒的に恐ろしかった、この10m。
だが、往路と今とで決定的に違うのは、覚悟が決まっていると言うことだ。
これを越えるほかには助かる道はないわけで。
ケータイの電波も通じないこの場所では、本当に自分でどうにかするより無いわけで。
この30分の間に技術的な何かを体得したわけではないので、依然として危険は大きい。
しかし、何事にも覚悟の有無は大きな違いを生むのだろう。
私は立ち止まることもなくぐんぐん突き進み、やはり1分以内でこれを横断することに成功した!
(地形的にも、多少復路の方が与しやすかった。“下る動作”の部分の傾斜が幾らか緩やかである点で。)
一難去って、また一難。
まさにそんな感じで現れた、三大難所(復路側から見た)最後の一箇所、“1分難所”。
“1分難所”なんて侮っているように聞こえてしまうが、実は復路に関しては、“13分難所”よりもこっちが怖かった。
覚悟を決めて行くのは同じなのだが、写真中央の二つのコブみたいになっている岩場の上を右から左に横断し、そこから少し下ってトラバースに移る部分では、下へ重心ごと移動するという例の苦手な動作を要求されたのである。
しかし、ここもまた回避&救援不可能な場所であるから、根性で突破した。
三大難所を全部克服(往復)完了!
↑↑
そこで初めての自分撮り。ホッとした自分撮り。生還を噛みしめた自分撮り。
あまりのことで、顔が歪になっているのがよく分かる。
(ちなみに首に巻いているのは、マニアパレルさん謹製の「落ちたら死ぬ!タオル」だ(笑))
青崖を出発して20分後の14:48。
道中唯一の大がかりな休み場であった“広場”へと到着。
改めて、レールや枕木など、軌道の存在に関わるアイテムが落ちていないかを軽く捜索したが、追加の発見は得られなかった。
徹底的にやれば、まだナニか出て来そうな気配は感じるのだが…。
そして、プチ迷宮チックだったこの第1号隧道も、何事もなく無事に通りぬける。
この動画の1:00過ぎに注目して頂きたいのだが、なんと天井に埋め込まれた小さな碍子を発見している。
往路では気付かなかったようだが、復路で発見し、そのままコメントもなく通り過ぎていた。
そしてこの動画を見直すまで、私もすっかり忘れていた。
まあ、碍子があったから何だと言うわけではないのだが、隧道と同じ時代を生きた文明の痕跡に他ならない。
第1号隧道を抜けると、いよいよゴール&スタート地点の蓬莱橋が見え始める。
路盤にも例の崩れかけた金属の手摺りが現れ始め、それから東電の横坑を脇目に見たり、梯子や階段を上るなどして…。
懐かしのこの分岐地点に戻ってきたときには、心底ホッとして、そのまま横たわりたい気持ちになった。
青崖を出発してから、なんと33分しか経っていなかった。(現在時刻15:01)
往路は正面の杉林を横断してきたが、帰りはこのまま道なりに、東電が開削したと思しき鮮明な左のスロープへ。
スロープには途中に樹脂製の階段があったりしたが、歩きやすく、あっという間に…。
15:05 県道の蓬莱橋の袂へ脱出完了!
一瞬、傍の路上にいる警備員に抱きつきたい気持ちになったが、自重して極めて平静を装いつつ、
すぐ近くに停めておいた自転車を回収しに、凍った県道を100mほど歩いた。
鋪装された路面の確かな感触に、両の頬が熱くなるのを感じた。
そして、帰りは行きの半分の37分しかかからなかった。
体力的にはまだ余裕があったのも大きかっただろうが、やはり何と言っても、
開き直りと覚悟がばっちり決まった状態の凄みであった。これは使えるなぁアハハ…
……助かった。
というわけでして、この初日の探索では結局、
左岸道路の推定全長6kmのうち、1.3kmを制覇する事が出来た。
残りは4.7km!
次回、
夕闇迫る新倉集落での聞き取り調査で、
この道の驚くべき “真相” が語られた。
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