2011.1.3 7:03 《現在地》
おはようございます!!
ただいまは1月3日の夜明けでして、おそらく本日も穏やかな晴天なりだ。
もっとも、夜明けといってもそれは世間のことであり、この南北にだけ開けた新倉の地で東の山に陽が昇るのを待っていたら、午前中が大半が終わってしまいかねないので、とりあえず明るくなったのを見計らって行動を開始したのであった。
昨日は午後から左岸道路の探索を開始したが、夕暮れ寸前までやってなんとか攻略出来たのは、推定される全長の約4分の1の1.6kmばかりであった。
まあ、昨日は時間が幾らあってもあれ以上先には進めなかったであろうから、結果的にはオーライだったのだが…。
ともかく今日は朝からフルタイムでヤル! やるッたらヤル!
残り4.4kmくらいのうち、「青崖」以外の全部を攻略するのが目標だ!
昨日の古老の話だと、新倉から楠木沢の水路用アーチ橋までは、今も月に1回くらい東電の職員が巡視に歩いているとのことだから、よもや昨日のような危うさはないと思う…。
そんなわけで、まずは新倉集落裏手の(赤く囲った)辺りを目指そう。
左岸道路のスタートは、新倉集落の上手の “どこか” だ。
7:14 《現在地》
地形図だと、新倉集落の中にはほとんど道が描かれていない。
その描かれていない道の一つが、昨日通行してレポートにもした「2t制限路」なのだが、もちろん他にも道があって、今の私はそんな道のどれかを、結構闇雲に辿っている。
地形図に道が描かれていない以上、「あのへん」に行きたいなと思っても、そこへ実際に辿りつくルートは、試行錯誤の結果とならざるを得なかった。
激しく高低差がある集落内ので道探しは、意外に難航し、初っ端から予想外の汗を掻かせられたのだった。
ともかく、2t制限路よりも高い位置にある集落内の道に十谷林道からアプローチしたのが左の写真で、同じ場所から集落内を見晴らしたのが下の写真である。
早川町では最大の人口規模を誇るという新倉集落は、決して広大ではないものの、家並みの密集度が一般的山村のイメージからかけ離れていて、どちらかというと山岳都市の気配が漂っている。
そして、決して交通の要衝でもないこの集落が大きく育った原因は、大正から昭和にかけて繰り返し行われた発電所工事の中心地となったことで、多くの労務者が流れ込んだ事によるという。
現在の地形図を見ても、新倉集落の近くには発電所の記号が3つも描かれている。
このうち左岸の2つは早川第三発電所(1号機・2号機)で、右岸のものは田代川第一発電所。どれも現在は東京電力の管理下にある。
そして既に述べた通り、左岸道路誕生のきっかけとなったのが、大正15年に着工して昭和3年に完成した、早川第三発電所(1号機)であった。
新倉集落の風景と発電所、そして左岸道路とは、歴史的に切り離せない密接な関係を持っていたといえる。
この風景のどこかに、左岸道路の起点があるのだろうか…?
黄色い枠の辺りを拡大して見ると… ↓
目指す道かどうかは分からないが…
とりあえず、気になる場所が見つかった!
ここからだと、ちょうど集落の反対側で一番遠いのだが、行ってみよう。
7:22 《現在地》
7〜8分かかって、やって来た。
ここへ来る途中では、一旦「2t制限路」へ降り、そこから車が通れない民家の軒下の狭い階段を上って、やっと辿りついた。
そしてその過程で私は自転車を乗り捨てていた。
集落内の誰からも不審でないように巧みにカムフラージュしてきたつもりだが、再び戻ってくる時まで無事でいてくれよ。
…で、やって来たわけだが、私が「左岸道路の始まりか?」と期待した部分は残念ながら道ではなくて、単なる石垣の段々に設けられた犬走りであったようだ。
だが、まだ諦めるのは早い。
ここに来て初めて気付いたが、この地に築かれた巧みな石垣の上に、小さなお社が建っていた。
どうやら、左岸道路の高度はもっと上のようだから、今度はあのお社へ登ってみよう。
ムムム!
お社の間近まで来てみたが、依然として水平方向に続く道が見あたらない代わりに、さらに上にも小屋のようなものが建っているのを発見!
さらに登ってみるしかないだろうな。これは…。
…そもそも、この界隈はなんなんだろう?
ただの杉林や畑の中に、集落内と同様の緻密さで無数の平場が拵えられていて、異様な雰囲気だった。
しかし、集落内にある石垣との違いもあって、それはここの石垣は空積みで、モルタルによる固定(補強)がされていないこと。
激しい過疎化によって、人口が数十年前から見て半減している早川町である。
これは全盛期の新倉の町並みが現在よりも遙かに大きく広がっていた、その侘びしい痕跡らしかった。
むおっ!!
レールが地面からまっすぐ突き出ていた。
昨日左岸道路で目にした廃レールを思い出したが、こいつの出所は分からない。
工事用軌道よりは、後まで存在していた西山林用軌道に由来する可能性のほうが高いと思われるが…。
こんなものにドキドキさせられながら、同時に肉体的な意味でも心臓の鼓動を急かせられつつ、私はお社よりも奥にある小屋を目指して上り続けた。
その小屋の正体は…
う〜ん。 小屋だな。小屋としか言いようがない。
しかし、辺りにはやっぱり石垣が点在していて、元は母屋に付属した物置小屋だったのかも知れない。
それが造林の物置として残されているのか。
そして、ようやく “平場” らしきものが見えてきた。
小屋よりもなお高い位置に、杉林の山腹を横切る “平場” のようなものが。
…なんか、様子がちょっとおかしいんだけど…
7:31 《現在地》
これが、あの左岸道路なの?
昨日、私を骨の髄まで寒からしめたあの道の続きとは、ちょっと思われないような道路の有り様だった。
さすがに2車線まではないものの、妙に余裕のある道幅と、綺麗に整った砂利の路面。
そして何よりも似つかわしくない、都会の新興住宅地にありそうな法面と路肩のコンクリートブロック擁壁。
辺りが一面の杉林であったり、その所々に遺跡のような石垣を見たりというのが少々ミスマッチだが、この道は紛れもなく現代の道路だった。
確かにこの辺りは、古地形図による左岸道路の擬定地点だと思うが、本当にこの道を辿って行くことが正解なのかどうか。
少々の間答えに窮して立ち尽くしたが、結局奥へ向かって歩き出した。
(これは確認せずじまいだが、ここから逆方向に進めば、すぐに十谷林道に出会ったものと思われる。逆に言えば、その入り口を最初から知ってたら、ここまで自転車で登ってくることが出来ただろう。)
見つけた道を北へ歩くこと、わずか1分。
何の前触れもなく、その道は突然終わっていた。
辺りに何かあるわけでもなく、この道がなぜあるのかも分からなかったが、行き止まりである。
…車道としては、ね。
行き止まりの先にも、人が歩けるだけの道が続いていた。
しかし、今度はいきなり狭すぎて、昨日の左岸道路にはあった、“車道だった感じ”が薄い。
…う〜〜ん。
位置的には決して見当違いな場所にはいないと思うんだけど…。
なかなか、「これだ!」と思える道に出会えないな。
時間が経ちすぎていて、地形自体も変わってしまっているのだろうか。
ともかく、今は他に手掛かりもないので、この道を辿ってみるしかないが……、もどかしい。
こ れ は … ?
ますますよく分からないよ!
これを進めば、誰かの隠れ住まいにひょっこり出会っても不思議ではないような、奇妙な雰囲気の道。
昨日の道とは、どうにもイメージが結び付かない。
そればっかりだが、じっさいそうなんだもん。
明らかに古くは無さそうな人道桟橋を渡って、見通しの利かない山腹を、なおも根気強く進んでいくと……。
7:36 《現在地》
ナンカデター!!
コンクリートの巨大な箱か土台のような建物。
その上には見張り所のようなものが、びょこんと出っ張っている。
バルブを付けた数本のパイプが生まれる、この無骨な建造物の正体は…。
これはどうも発電所関連ではなく、新倉集落の水源絡みの施設っぽい。
現地に何も表示物がないので、これが現役の施設かどうかを含め、断言は出来ないが。
この施設の正体云々よりも私が気にしたのは、ここまで細々と続いてきた道が、こうした明確な目的地となりそうなものに出会ったことで、終わってしまうのではないかという事であった。
だが、そちらの方は取り越し苦労に終わった。
道はまだ続いていた!!
この「続いている」というのが、重要だ。
やはりこの道、ただの造林用の作業道如きではないのかも知れない。
一見たどたどしい道のりに見えて、その実には、何か確固たる目的を秘めた道であるような気がしてきたのだ。
この道は、ちょっとやそっとでは終わらない… そんな予感。
この奇妙な道に出会って6分ばかり経過。
ずっと半信半疑だった私も、気付けば、なんか正解っぽい場所にいた。
この写真は新倉の方を振り返って撮ったんだが、
早川谷底との間に広がる、この大袈裟過ぎる高低差が、
昨日の景色とは、確かに繋がっている気がしたのである。
(谷底との高低差は、実に130m前後に及んでいる。
したがって、本日ここまでの行程が、既にミニ登山である。)
そして行く道を見れば…
道の行く手は暗澹としていて。
しかし車道たるを忘れていない、独特の平坦さもあって…。
はい。
この道が、左岸道路みたいですのヨ…!
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