道路レポート 青ヶ島大千代港攻略作戦 第9回

所在地 東京都青ヶ島村
探索日 2016.03.05
公開日 2018.03.04

大千代港到達! 繰り返す。 大千代港到達!!



9:17 《現在地》

私というオブローダーの額縁に一生飾っておきたいと思えるほどの、猛烈な歓喜の瞬間が訪れている。

探索開始から要した時間は1時間57分。それだけを書いてしまえば特別な苦労はなかったようにも思える程度の時間で、

しかし忘れがたい苦闘を制し、私の中で前人未踏の存在に近かった大千代港の一角へ、遂に立つことに成功した。

決め手は、事前に航空写真で当りを付けていた“第二のルート”の存在に尽きる。


しかしこれが正面からの到達でなく、裏口どころかバグのような地面のスキマを通って着いたため、
久々の平らの地面に立ち上がった瞬間には、周囲360°に突然新天地が現れたような感覚だった。

そのことと、あまりの歓喜と興奮のために、脳の情報処理がしばらく追いつかず、
ただ夢遊病者のようにフラフラ動き回る時間があったから、以下の写真を撮り始めたのは、
私がほんの少しでも落ち着いた、到着2分後くらいからだった。


……さあ、レポートを始めるとしよう!

まずは、“ぐりぐり”してね。↓↓



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いま、私の前には二つの道が開けている。

か? か?

これはもう、悩むまでもない。もちろん、上から行くに決まっている!

「最終目的地は埠頭の突端」と最初に決めていたのだから、逆側を先にやっつける必要があるし、そもそも“道”が“手段”でなく“目的”である廃道探索者(オブローダー)としては、時間が許す限り、道を辿り尽くしたい。
なお説明は不要だと思うが、これは私が今から67分前に前進断念を決断した、その先の道だ。
これは、雪辱を果たす最大最後の機会である! 逃してなるものか!!



ここから移動を開始する前に、もう少し辺りを観察しておこうかと思ったが、あまり時間に余裕はない。
いや、“あまり”どころでなく、かなり時間にプレッシャーを感じている。
帰りの船の乗船手続きが三宝港で始まるのが正午(から15分間)なので、今から2時間40分後である。

ここと三宝港の間は直線距離なら3kmも離れていないが、ほぼ島の反対側であるうえ、高さ300mの外輪山を越えねばならない。徒歩や自転車で高さ300mの峠を越えるのに要する時間は、大雑把に考えて約1時間。そこから逆算すると、この大千代港にいられる時間は、どう考えても1時間半もないわけだ。
ましてや今の私は疲労しまくっていて、万全からはほど遠い。

ようやく辿り着いたこの孤独な征服地で、悠々のんびり過ごしてみたかったが、それは許されない…。
ここに来て駆け足気味の探索になってしまったのは、私自身も口惜しいし、皆様にも申し訳ないと思うが、揺るがせない事情があることなので許して欲しい。(今日の船を逃せば、数日は島に閉じ込められる…。)



私はこの地面の壊れているところから出てきた。本当にイレギュラーなルートだった。しかも、後方のガレまくった海岸線を通り抜けてここへ来ている。
私は来たから分かるが、もしそうでなければ、ここから海岸線へ降りることが、この港から島へと上陸する唯一のルートだとは誰も思わないだろう。

奥には難所だった“尖塔”が聳えている。
ここにいる間に天候が急変して波が荒れ始めたら、簡単に帰還不能になりそうだ。
島の嵐が過ぎるのをここでじっと耐えるとか、考えただけでも、気が遠くなる。
そもそも、天候の急変だけでなく、潮の満ち引きでも状況が悪くなる可能性はあるわけで、正直、帰路でもう一度通過する瞬間まで、ずっと気が気でなかったのである。

話は変わるが、写真には小さな蛇口が写っている。
水道が引かれているわけはないので(ちなみに、電線も来ている様子はない)、蛇口が付いているコンクリートの巨大な箱状のものが、雨水の貯水槽なのだろう。
この蛇口から出る水を、港の利用者が使っていたのか、工事関係のものだったのかは不明だ。
というか、この港の過去に“一般利用者”といえるような存在があったのかどうかも、定かではない。
(ちなみに、ハンドルが固着していて回らず、水は出なかった。)

また、蛇口自体が不自然に横向きになっていること。
そして、周囲の地面に、流れたような砂が堆積していること。
これらが何を意味しているのか、気になるところだ。
後者は雨水の仕業とも考えられるが、前者は、この高さまで波が上がったことを示しているような…。
この地面の高さは、海面から15mくらいあると思うが……。


“波”といえば、他にもその作用を疑わせる景観が…。

私が“等身大のパイ畑”か“錆びた針山地獄”だと感じた、この不気味な工事用プラットフォームだが、縁にある転落防止用の高欄が倒れていたり、積み上げられたH鋼が陸側に押し倒されたように散らばっていたりする。

やはりこれは、この海抜15mの高さにあっても鉄骨を押し流すほどの高波が襲来した証しなのではないだろうか。
三宝港に面する青宝トンネルの建設時には、「波浪の影響を避けるために高さ25m以上に建設した」ことが記録されているくらいなのだから、この大千代港も時化た青ヶ島の海には無力であったことが想像に難くない…。

それにしても、この工事は何を目指していたのだろうか。
鉄骨が組まれた領域まで港の施設を拡大するつもりだったのか。
そして、工事に従事していた人々は、どこへ消えたのか。
平成6年の村道被災の当日も工事は行われていたのだろうか。
……気になることが、多すぎる。

しかし、大千代港の活気と希望に満ちた日々の残滓が、このさび付いた鋼鉄の廃墟には宿っている気がして、心くすぐられるものがあった。



次に進もうとしている方向は、こちらだ。

大千代港という施設は一般の港と同じように、海上に面していて船舶との直接のやりとりを受け持つ岸壁(物揚場)と、その付け根でコンテナストックや人員の乗船手続きなどを受け持つ基部に大きく分かれている。
地形が平坦であれば、岸壁と基部が同一平面上にあることが多いが、海食崖下のわずかな平地も存在しない海岸に築かれている本港の場合、両者の間に15mほどの大きな落差がある。(三宝港も同様だった)

今いるのは基部だが、そこがさらに2段に分かれていて、ここは下段(1階部分)だ。
写真の左端にあたる下段部の南端に、岸壁へ通じる唯一の通路がある(まだ見に行っていない)。
上段はさらに5mほど高い位置にあり、両階を隔てるアーチ型にカーブした垂直の擁壁が無骨なバットレスの列に支えられており、大型土木構造物らしい迫力ある景観を見せている。大千代港の魅力の一つに数えて良さそうな目立つ構造物である。

この1階部分の広さは、工事用プラットフォーム部分を除いて20m×50mくらいか。
東京都はここに「地方港」という高い格付けを与えており、その格を考えれば決して大規模とはいえないだろうが、この島の全人口が整列しても十分に余る広さがある。実際に立ってみると、人ひとりには広大過ぎる空間である。

背後にある海食崖の切り立ち方との対比を見よ!
この地形に、これだけの平地を築いた工事量を思えば、開発の本気度が伝わってくるではないか。
ここが物資や観光客に埋め尽くされた風景を幻視することは、廃もの好きの心を震わせる。



港を護る圧倒的人工壁!

この斜面の安定が、港を建設し、維持していく上での絶対条件であったと思われ、
それだけに尋常ではない工事量が投入されたようだ。三宝港の背後に匹敵するか、
上回るほどのとてつもないコンクリート吹き付けを主体とした治山施工が行われている。
現にこうして20年も使われていない港が、大部分の形状を留めているのは、そのお陰なのだろう。
まさかアプローチルートである村道の崩落が致命傷になるとは思わなかっただろう。そりゃそうだ。


しかし… この景色は…… いろいろと… 凄まじい。

改めて、この港が一度でも一般の島民に利用されたことがあるのか、ますます疑惑が深くなった。

なにせ、まともな道が来ていないのである。


上から見下ろした感じとか、空撮写真でも薄々感じてはいたことだが、マジで、

まともな道が来ていない!!


コンクリート吹付けの壁に、九十九折りの形で何やら道が付けられている(写真の黄線の部分)のが見えるのだが――

実際の危険の度合いは別としても、港への一般道としては、外見の時点でもう非常識である。


でも…青ヶ島だったら、あり得るのかも……。

このまま観光客まで受け入れるつもりだったのかも………。

そうかも…しれない…。


ともかく道はあるようなので、これから海抜100m付近にある“前回断念地”へ、できる限り近づいてみようと思う。



この急なスロープが、下段と上段を結ぶ唯一の通路である。
私が下段に最初に到達した地点のすぐそばに、これはある。

スロープの落差はたった5mに過ぎないが、勾配は20%以上もあると思われ、港湾の荷役作業でよく目にするフォークリフトなんかで通行したら、ひっくり返るか、勾配が変わるところで車体がつかえるかして、とても通行できないだろう。
しかし繰り返すが、この通路は岸壁への必要経路上にあるので、絶対に避けて通れない部分である。

もしかしたら、完成形は別のものを想定していたのかも知れないが…、もしそうでなければ、「港としてまともに使う気があったのか」という本末転倒なことを疑問視してしまうほどに酷い造りだと思った。



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9:20 《現在地》

ここが基部の上段だ。
下段よりも一回り狭いが、それでも20m×30mからの広さはあるだろう。
しかし下段もそうであったが、特に建物などはなく、本当にただの広場である。
もし旅客船の取扱いもするなら、待合所や乗船手続き窓口などの機能を持った建物が必要だろうが、それらが建設されていた様子は見られない。
まあ、最悪はプレハブ小屋でも代用が可能なものではあるが。

やはり全体として、「未完成の港だったのかな」という印象が強い。
実際のところ、どのような姿が完成形として計画されていたのかをまだ知らないので、なんとも言えない部分もあるのだが…。
従来、航空写真でも海上に突出してよく目立つ岸壁のあるおかげで、既に完成形に近い港だというイメージだったが、こうして岸壁以外の部分を間近に見てみると、完成度の印象はだいぶ後退した。

それに、港の機能の生命線ともいえる陸路との接続が、あまりにも不完全であることは、特に強く述べねばならない“未完成点”といえるだろう。

この件について、今からちょっと信じがたいものをお見せする。



↑ これが、大千代港の唯一の出入口だ。

ステップごとコンクリートの吹き付けによって固められた、幅50cm程度の階段だ。

これしか、道がない。



そんな工事用仮設通路としか思えないような道が、遙か上方、おそらく50mくらいの高度まで、
曲々と悪夢の中に現れる道を思わせるようなカーブを描きながら通じている……。

……いくらなんでも、酷い。

私もさすがにこれが完成形だとは思っていない。でも、どんな完成形を目指していたのだろう…?
既にコンクリートでガチガチに固められてしまった斜面は、このまま弄らずに使うつもりだったのだろうか。
この斜面に新たな道を設ける余地があるようには、正直思えないが……。

唯一可能性がありそうなのは、今の三宝港と同じように、外輪山をぶち抜くトンネルを掘って、
カルデラ内から直接ここへ乗り込む手だと思うが、そんな計画はあったのだろうか。
とはいえ、現実には遙か上方の村道18号線を唯一のアクセスルートに頼っていたからこそ、この顛末になった。
道が途絶してから、かれこれもう20年以上も経っている。トンネルを掘って復旧するというのなら、
いい加減実現していても良さそうな時間は経過している……。




この階段の先が、オブローダーとして私が取り戻すべき道に他ならない。

行くぞ!

再び足に鞭を打つ!



海抜20m〜100m 断念を越えた先の世界


9:20 《現在地》

それでは今から“本来の大千代港への進入路”を探索する。
村道の崩壊事故が起きるまでは、間違いなく使われていた道だ。
当時も港は整備中だったが、岸壁などはかなり完成の姿に近づいており、この道が島民による一般利用に供されていた可能性もある。

しかし、まず最初の入口からして、尋常ではない。
人二人は決して並んで歩けぬ幅の狭い階段だ。
しかも恐ろしく目立っていない。
階段は、大地を文字通り封印するかのようなコンクリート吹き付けの崖に刻まれていて、一見すると相当に同化している。
突兀(とっこつ)としたコンクリートコーティングの岩肌に浮かび上がる規則的な凹凸と、申し訳程度に据え付けられた手摺りの柱だけが、そこが通路だったことを物語っていた。


この時の私の興奮度は、蓄積した疲労を忘れさせるほどであったようだ。
落差50mからの階段を、少しも辛いと思った記憶がないのである。
それこそフワフワと雲の上を行くような快楽の人となって、草木一本育たぬ死の景色と化した急斜面の階段を駆け上がっていたらしい。

ここで撮影した写真は、次々に移り変わっていた。
同じアングルで撮影した写真が2枚ない。
この階段は斜面をジグザグに折り返しながら詰めており、撮影の度に進行方向が変わっていた。




この写真は下から数えて二度目の切り返しで撮影したものだと思う。
下に見える直前までいた平場からは、すでに10mを越える高度がある。
手前に写る黒い棒状のものは、異形鉄筋を束ねたものだ。赤く錆びきって膨らんでいる。これに括られたトラロープが手摺り代わりだったようだが、ことごとく吹きちぎられたように切断していた。
現在この斜面通路には、転落を防いでくれるものはなにもない。

命あるものが通う道とは思えぬような、吹きさらしの現場であった。
太平洋の荒い潮騒と潮風に、常時鼻っ柱を殴られ続けているようだと思った。
この日の海況は青ヶ島においては週に1度といっても良いくらいの平穏だったと思うが、それでもこんな感想なのである。
雨の日、風の日、この通路はたちまちに人命を脅かしたのではないか。



空以外が全て色を失った灰色の世界を、この階段を行く者は必ず見る。
これが、来訪者への出迎えにこの島が用意していた「あったかもしれない」景色だったのかと思うと、唖然となる。

しかし、今日の状況は本当に恵まれている。私もことさら危険を煽る真似をする気はない。
この状況であれば、少なくとも外見の恐ろしさほどの危険は感じない、真っ当に往来可能な通路だ。
だが、なにが起きるかは分からない。転がっている小石に躓けばもちろんのこと、運悪く転げてくる小石が当たれば暗転する。
特に後者は防ぎようがない。見えない位置から常に機関銃で狙われているようなものだ。この上には島の外壁の全高がある。



風を突き破りながら、何度か切り返して駆け上るうちに、下からもよく見えていた“頑丈そうな通路”の部分が近づいてきた。感覚的には、あっという間だったと思う。

この先は明らかにこれまでとは通路の造りが違っていて、それが仮設と本設の違いを想像させた。
これまでの階段は完成形ではないのかも知れない。そう考えでもしないと、この地方港を地方港というものの常識の範疇には収められない。「建設中だから!」が、あらゆる非常識風景の免罪符になるということにしておいてあげよう。

なお、この手摺りならざる手摺りから下を見下ろした眺めは、きっと多くの人が、モニター越しなら見たいと思う種類の景色である。
しかし、実際にこの場所に立ったときに見たいと思える人は、半分くらいに減るだろう。 ↓↓




もうこんなに高い!

高かろうが、低かろうが、道の造りや手摺りの造りに違いはなかった!
ステップが不明瞭で斜面と階段の真ん中みたいな通路の気持ち悪さも、流水に運ばれてきただろう小石が浮き石として転がっている状況も、全部が歩行の真剣さを要求してくる。まるで登山みたい。

うん。登山と一緒。
要は、落ちなければよいのだ。
ただただ幅50cmある通路から転落しないように注意すればよい話で、往事は有り難いロープの手摺りすらあったのだ。
それでも転落するような不注意者は、この大自然驚異島ではどうせ生存できないからサヨウナラと、最初に選別する。

…そんなのは私の悪趣味な妄想だとしても、仮にこの状況で旅客船を受け入れていたら、高所恐怖症の旅行者は誰も島に上陸できなかっただろう。
私も高いところが嫌いじゃないが、ここからの眺めは当然のように上体が仰け反り、腰が引けた。
マジで半端なく高いのに、足元の通路はただただ、あるがままでしかない。保護機構皆無。“仕事人”たちの現場となんら違わない。




9:23 《現在地》

海抜50m付近から先は、このように造りがグレードアップした階段通路になるが、なまじ高欄があるせいで堆積した土砂の逃げ場がないせいか、部分的に足元の不明瞭さは増している。
もともと高欄が低く、転落防止の役に立つようなものではないので、あってもなくてもあまり違わない気がする。
相変わらず、高所恐怖症の者を殺しに来ている道である。

この道のコンクリートでガチガチに仕立てられた造りは、“断念”以前にも大崩壊斜面の縁で残骸を【目にしている】
そのときには崩れていてまともな姿ではなかったが、ようやく通路として形を保っているのを見た。
確かに同じ道の続きなのだと実感できる光景だった。




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逃げ道なしのスライド移動中!

ここまで上ると、それまで繰り返してきたような九十九折りの折り返しがなくなり、
港の直上から南へスライドしながら、勾配的にはこれまでと同程度のペースで上るようになる。

これは下から【見上げた】ときにも分かっていたことだが、ちょうどこの辺りで斜面の傾斜が変化しており、
下部は九十九折りでもどうにかなるくらいの傾斜だったものが、上部はほぼ垂直な絶壁で、
梯子でもなければ決して登り得ない状況なのだ。道はこの傾斜の変化に応じて巧みに進路を変えていた。

しかし、そうして入り込んでいった先が、この港に致命的な打撃を与えることになった、あの大崩壊斜面だったわけだ…。
私はすでに確約されたこの道の終わりへと、着実に近づいていた。



見よ! これが大千代港における、最高の俯瞰全景だ!

陸からも海からも途絶された、信じがたい道を持つ港の全景だ。

もしも途中での断念がなく、順序通りにこの景色に出会い、それから初めて港に下降できていたら、
獲物を仕留める前の征服者の気分としては、さらに理想的な高まりを迎えていたのかも知れない。
だが、そんな順序は些細な違いと思えるくらいに、あらゆるものを超越した“廃の絶景”だった。

私は今回○印のところから初めて港に上陸してから逆走して、ここまで駆け上がってきた。
もうこの景色の中に踏破していない場所は、最終目的地である奥の突堤だけである。
この時の私は、4日前に家を出てから味わった全ての苦労が一挙に報われた幸せを感じていた。

なお、皆様にはこの回の最後に、爽快な動画を見ていただく。
この尋常ならざる階段通路を上から下までほぼノーカットで踏破した全天球映像である。



海抜は早くも60mを越えている。
先の断念地点は100〜90m辺りなので、未踏派の落差は30m前後となっている。
終わりへ私を導く無機質な階段通路は、いよいよコンクリート吹き付けの人工の世界を抜け出そうとしている。
周囲の守りが手薄になるにつれ、路上に散乱する瓦礫は急激に増えてきた。緑の浸食も始まっている。
そしてその先、久々に目にする緑の斜面に道が入り込むのと同時に、道は呑み込まれて、見えなくなっていた。

案の定か……。


…やっぱり、ろくでもないことになっていた。
まだ歩けぬほどの急斜面ではないし、藪の濃さもマシなほうだが、ここへは人が来ている気配がまるでなかった。まるで当然のように、そうなっていた。

土地鑑のない私が見逃していただけで、実はこの正規ルート上にも往来可能な抜け道があって、下からならそれを見つけられるのではないかというような淡い期待(帰り道はそこを通っても良いと思った)があったのだが、これはダメだろう。
まるで人の来ている気配がないうえに、早くも道を見失ってしまった。

ここから進行方向を見上げると、明らかに行き来できなさそうな高い崖が連なっていて、あれが先に私を断念させた帯状の崖だと分かった。



あのコンクリート吹き付けの壁との位置関係は…、 うん、間違いない。

上から降りてきたときに、【断念を決意した場所】は、あそこだ。
この場所からは、屏風のような断崖によって完全に隔てられていた。
どこかに下降できる抜け道があるのではないかという期待は、無駄だったようだ。
むしろ、あのとき無理を承知で踏み込む真似をしなかった自分の勘と臆病さを褒めてやりたい。
無理に入り込んでたら進退窮まっていただろうという、薄ら寒いものを感じた。

そして、着々と狭まりゆく進路の予感に心細さを感じつつ、なおも見えない道を進むこと数分……



9:28 

道、現われると同時に尽きる!

道というか正確には、その擁壁だっただろうコンクリートの残骸が。




この先は、全てを呑み込む大崩壊!

地面がないから、もう1歩も前には進めない。
登り初めから8分にして到達した、再びの限界地点である。

これより下に道は見えない一方で、ここから見上げれば、私の思い出が詰まった――



絶望の断片たちが、勢揃い。

おもひでぽろぽろ…

大千代港の開発は、島の大地に封印されていた荒くれの怪物を呼び覚ましてしまったかのかもしれない。

怪物をひとしきり暴れさせたあと、何食わぬ顔で戻ってきて、それまでより強い力をもって最後には征服する。

そんなことが、人の進歩してきた歴史であったはずだが、未だこの地に勇気の槌音は戻っていない。

東京都が地方港指定を解除する日まで、希望の芽は摘まれていないと信じているが…。




現在地は、海抜70m付近の大崩壊の縁だ。
私にとっては、再びの終端だ。
見上げると、かつて「E」から【見下ろした】道路断片「F」と「G」が、すぐ上にそそり立っていた。
これにて、私がこの大崩壊で視認した全ての道路断片を上下両方向から目視したことになる。目視による征服である。

ここからさらに“踏破征服”へ至るためには、目前の「G」をよじ登り、その上の垂壁「F」をよじ登ったとしても、「E」との間には【大きな段差】が存在しているはず。
それをよじ登り、海抜100mにある「E」をもよじ登れば、ようやくこの正規ルートを突破出来るわけだが、……無理だ。

なお道はそれでも終わらない。大地に突き刺さったトゲのような「D」をよじ登り、天空のお立ち台「C」を脇に見ながらよじ登り、海抜200mより上にある付け替え村道の末端までよじ登れば、ようやく完全踏破だ。
ここからそのゴールが見えた。
見えすぎである。

落差100mを越える廃道断片群の死屍累々が、この眺めの全てだった。



なお、このことには帰宅後まで気付かなかったが、私はこの末端に到達する直前の【この辺り】で航空写真に見える道を上に外れて、図中の桃色矢印のように移動していた可能性が高い。
なにせ、体験した九十九折りの数が一つ足りないので。

正直もの凄く急いでいたのと、道が非常に不鮮明だったために直感的に通れると思った場所を強引に進んでいたので、航空写真にある道形を正しく辿れていなかったとしても不思議ではない。

荒いが今はこれでよし!
「E」から「G」までの落差2〜30mの踏破こそならなかったが、道の全容は把握できた。
小さな何かを零しても、港の征服という大目的だけは果たしたかった。もう島を出る乗船手続き開始まで、150分しかない。

残すは今度こそ本当に、港を港たらしめる核心部、島の大地の果てにあたる突堤だけだ。
そこを攻略すべく、まずは今から来た道を港の基部まで一気に駆け下る。港からここまで8分かけて登ったが、下降は5分以内が目標だ!

9:29 転進し下降開始!
皆様が想像する“ヨッキれん勝利のテーマ”を脳内BGMに、次の全天球動画をお楽しみください!!




まるで、正規ルートからの大千代港入場に成功したみたいだな!(笑)

大千代港よ目を覚ませ! 利用者が来たぞ!






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