道路レポート 青ヶ島大千代港攻略作戦 最終回

所在地 東京都青ヶ島村
探索日 2016.03.05
公開日 2018.03.30

隔絶された車道、基部〜岸壁間道路


前回の最後に公開した全天球動画の録画開始ボタンを押す直前に撮影したのが、この写真だ。海抜60m付近の階段通路上から大千代港の全景を俯瞰した。
この直後に私は、全天球カメラを聖火の如く右手に掲げながら、直下に見える二段の平場(港の基部)のすぐ上まで文字通り駆け下った。
あとから要した時間(=動画の再生時間)を確認すると、約66秒だった。
また、上記を含む、海抜70m付近の“引き返し地点”から基部に下降するまでに要した総時間は、約5分だった。

普段、ここまで時間を意識しながら探索することはないが、ストレスを感じるどころか、逆に私の人生では未体験の“敏腕ビジネスマン”にでもなったような心境で、爽快だった。これが、エリート・オブローダーだ!(笑)

それから私は探索済の基部内を速やかに移動し、写真内の★印(基部の下段南端付近)へ向った。
そこを起点に、矢印に示したルートで、最後の未探索領域である基部と岸壁の連絡道路へ入っていく。




9:34 《現在地》

上の写真の★地点から、岸壁への通路入口を見ている。
険峻な青ヶ島にあってはここも非常に低い土地といえるが、それでもまだ海抜15mほどあり、ほぼ0mに位置する岸壁まで、この正面に見える傾斜路を下って行く。
なお、航空写真および現地を確認した限り、岸壁へ至る通路はこれしかないようで、選択の余地は存在しない。

それにしても……

車道なのである!

ここからは!(←力説)



ここに来て、高低差にして百数十メートルぶりとなる車道との再会であった。
それも、上にあったような軽トラサイズの小さな車道ではない。
大型ダンプさえ悠々と通過できそうな、地方港湾に相応しい規模の車道である!!

面白すぎる!
以前の回にも書いたが、地続きの陸地に存在する他の車道や集落と完全に離れている、離れ小島・飛び地的な車道は、神津島の砂糠山の例を含めて、もはや島という“小世界”ならではのものであるかもしれない。
本土(内地)にはもう、こういう場所が残っていない可能性がある。
こういう状況を示す“陸の孤島”という表現も、実際は比喩的なものになって久しく、その比喩でさえも最近はあまり用いられていない気がする。




右の写真は、この場においては車道の象徴のようにも見える、ガードロープの支柱だ。
本来ならば見慣れた道路構造物だが、限界を超越した錆び方をしており、接続した鋼鉄製のワイヤーロープはおろか、2本目以降の支柱が全て消失していた。
錆びたところで、大波を被ってへし折られたものと想像する。
残骸さえもないのである。

この坂道に入って間もなく、路面が大きく陥没している場所があった。
上から見たときにも、はっきりと見えていた陥没だ。
そこは割れた板チョコのようなコンクリート舗装板が、飛び石状に残っているお陰で人は辛うじて横断可能だが、すり鉢状に崩れた底は深く深く抉れていた。
この陥没は、堅牢に見える右側の防波堤の底が既に抜け、海中まで通じてしまった証しである。
やがては防波堤の転倒にまで至るものと思われる。

早急に復旧の手を入れなければ、この道はここから消失するだろう。


岸壁へと至る最後の高低差を相当のハイペースで埋めていく、完全人工地形の坂道を振り返る。
コンクリートの下にもともとの地形が隠されているのかも知れないが、この写真に写る範囲には全く見て取れない。
都心もかくやと思わせるほどの、完全人工地形の道路だった。

これには、島の地形が人を容れるに不都合ならば、全てを人の手で作り替えてやろうという気迫を感じる。
その行為が今日まで実を結んでいるのが三宝港で、結ばず果てる危機にあるのが、この大千代港であろう。

道幅は5m以上もあると思われ、普通車ならばすれ違いも可能だろう。スリップ防止のパターン舗装が、いかにも見慣れた自動車道らしい。
工事中には実際に重機が通過したと思うが、一般の自動車も通ったことがあっただろうか。
重機にせよそれ以外の自動車にせよ、ここを通るにはまず海上輸送か空輸(索道による架空輸送を含む)を経なければならないから、砂糠山などと同率首位で――




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“日本一走ることが難しい車道”と言っても、過言ではないと思う。

わが愛車である自転車を持ち込めれば、よかったが…。



やばい…!格段に規模の大きな陥没が…!

本来の坂道はこの先、奥に見える工事用プラットフォームの下辺りまで行ってから、切り返して右下へ続いているのだと思うが、その始まりの辺りから先が、予想を遙かに上回る崩壊を見せていた。右に建っているコンクリートの塔の正体も気にはなったが、現地の私はもうそれどころじゃなかった。

航空写真で事前に見た岸壁は、よく形を留めているように見えたため、とりあえず港の基部まで辿り着ければ、岸壁に立つという最終目的の達成はほぼ叶うと楽観視していた。
だからこの最後の最後、港の基部と岸壁を連絡する通路に、これほどの障害が横たわっていることは、予想外だった。
というか、多少は崩れていることがあったとしても、ここまで来れば海面との落差は小さく、どのようにでも迂回が可能だろうという気持ちもあったのだ。

しかし… これは……



無理なんじゃね?(涙)

ここまで来てそりゃーないぜ!とは、私だけじゃなく皆様も同じ気持ちだろうと思う。

私は、コンクリート板の飛び石伝いに、奥の★の位置まで行った。

そこで私は、「無理なんじゃね?(涙)」という感想を抱くと同時に、

その感想を抱かしめた進行方向の眺めを撮影したつもりだったが、撮れていなかった(泣きっ面に蜂)。


…なので次の写真は、少し後からこの一段上にある基部の縁より、撮れなかった写真と近いアングルで撮影したものである。



道が海にさらわれて、消失していた。

飛び石伝いに進んでいける路面は残っていないし、この上から見下ろした写真だと分かりづらくて大変申し訳ないが、

いろいろと落差が大きすぎ、無理矢理進むことも難しい状態なのである。

そのことを、私は直に自分の目で見て肌に感じ、戦慄した。

私には「戦慄」という言葉をよく気安く使ってしまう癖があるが、ここに来てこれは、

マジ戦慄!(涙)


もう少し、この状況を説明したい。

左の写真は、先ほど撮影した俯瞰写真であるが、今いるのは×印の辺りである。

ここは俯瞰写真でも基部の影になっているので見えづらく、そのため私も肉視では状況を事前に把握できなかったが、今改めて拡大して見てみると…(↓)




おそらく防波堤に護られていただろう切り返しのカーブ部分が、すっかり磯の深潭にとって変わられてしまっている“絶望的な状況”が、見て取れる。

とにかく、この場所にあるものは何もかもスケールが大きい。
ちょっとした段差のようにしか見えないものも、近づいてみれば背丈よりも高いものばかりだった。
垂壁ならば背丈と同じだけでも踏破は不可能だし、ましてこの海を泳ぎ渡ることなど、考えられないのである。



最後の最後で、これは酷いよ…。

前回最後からかけっぱなしだったヨッキれん“勝利のテーマ”のBGMも、止めて止めて…。



9:34

しかし私にも意地がある。時間の限り足掻くぞ。

ちょっと戻ってコンクリートタワーの手前、ここから右へショートカットはできないか?!

ちょうどこの先に、断念した切り返し地点の先の道が通っているはず。

改めて見てみると、なんかボロボロのロープみたいなのが崖に引っかかってる気がするし……(汗)。



コンクリートタワーに組み込まれた巨岩、大千代港最後の自然が、最終関門として立ちはだかった。

本当にこれが最後の障害物だ。

夢にまで見た大千代港の岸壁は、この大岩の向こう側に平和な姿を横たえている。そこに見えない危険はない。

大岩には、何者かが設置したロープがぶら下がっている。しかしあれは目に見える死亡フラグだと思う。明らかにボロボロ過ぎる…。

自力でどうにかしなければならないが、まずは★の地点まで進んでみよう。 怖いが、行ける。




★地点に立った。 足元を見る。

海に途切れた道の続きが、すぐ足元にある。そこまでの落差は目測で5m。

飛び降りられる高さではないが、かつてはここにも多くのロープが垂らされていた気配がある。

1本も下まで通じているロープはないが、ここならば、どうにか手足のグリップだけで上り下りできる気がする。

そう思ったなら、あとは自分を信じて実行するよりない。

下降開始!



溶岩の表面がザラザラしていて、しかも容易に欠けない堅さもあり、まさに天然の滑り止め舗装のようだった。
そのため、見た目は非常に急な斜面であるが、手足のグリップだけで安定して下ることが可能であった。
もっとも、装備品などの条件次第では、下ったは良いが上れない事態が起きるかも知れない。慎重な判断を。

こうした斜面を3.5mほど下ると、目指す路面の1.5m上にある狭い平場に降り立った。
この写真もそこから振り返って撮影したもので、次の全天球画像も、同じ位置から撮影した。



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俺の勝ちだ!!

実は大千代港の基部へ辿り着いたときにも喉から出かかっていた“勝利宣言”だが、
今度こそ、それをしても良いだろう。あとは足元にある1.5mの段差を飛び降りるだけである。

なお、画像で薄い白色を重ねた部分が、本来の道のあったと思われる場所だ。
ここを通過することができないために、今のショートカットを行ったのである。



9:37 《現在地》

最後の1.5mの段差を飛び降りて、ショートカット大成功!

これで遂に、クリア確定状態へ! 残り時間もまだ(十分とはいえないが)ある。

にこにこにこにこしながら、降りてきたところを振り返って撮影したのが、この写真だ。
写真を見れば、最後のショートカットがいかに綱渡り的であったかが伝わると思う。
岩やコンクリートの配置がこれと少し違っていただけでも、本当にこの最後の最後で断念する羽目になっていた可能性があると思う。

例えばだ。この大岩の垂直に切り立っている部分がもう少しでも上に寄っていたら、ショートカットの最初の一歩を踏み出せなかっただろうし、【最後の段差】が1.5mではなく2mであったとしたら、降りても戻れなくなるから進むことはなかっただろう。
存置ロープも直接の役には立たなかったが、それがあるお陰でかつて通った人がいたのだという確信が持てたことは、プラスだった。

最後は、幸運に恵まれた展開であった。
私の勝利は、強引に手にしたようでもありながら、導かれたようでもあった。そう、思う。




もう進むべき“先”はほとんどないが、そちらへ進む前に、このショートカットの必至と必死を裏付ける景色を振り返っておこう。

……これですよ。
この路盤がなくなっていたから、ショートカットを余儀なくされたのである。
一見すると波打ち際を通行できるように思うかも知れないが、濡れた磯の巨石は滑りやすく、無事にやりおおせることは難しそう。
また、向こう側から波打ち際へ降りる段差が大きいので、通行不可能だ。

かつてここにも巨大な防波堤に護られた路盤が存在したのだろうが、もはや路面は跡形もない。
転倒した防波堤の残骸らしき巨大なコンクリート塊(赤破線)が磯の浪間に散乱しているが、それらも自然石との区別が付かなくなってきている。

東京都八丈支庁のサイトに公開されている大千代港の空撮写真では、ここまで激しく港が破壊されているようには思わなかった。
同所の説明文にも、「港へのアクセス道路が崖の崩壊により寸断され使用できない状況にあります」としか書かれていなかったので、なおさらそう思った。
しかし実態は、アクセス道路だけでなく、港自体も半壊といっても良いくらい荒れ果てていた。
これを将来的に復活させようとすれば、アクセス道路の開設だけでは全く足りないだろう。
時が経つほどに溶けていく。まるで氷で作ったように。



島の東の端へ決着の歩を刻む


9:36

探索開始から2時間16分。

東京都が指定する地方港である、青ヶ島村無番地所属、大千代港岸壁へ到達した。

空母の甲板を思わせる広い岸壁には、働く人も、走る車も、舫(もや)われた船もないが、帳簿上では今日も働いている港湾だ。

廃道の果てに辿り着いた、島の果て。今から最果ての突端にタッチする。それが終われば撤収だ。


最後の動画、スタート。




9:37 この島での最大探索目標を達成した。

珍しく私は、カメラに向って実況や説明、あるいは雄叫びのような声は一切上げていない。

どんな叫びも風濤に洗い流される、特殊な“静寂”の世界があった。



い ま 私 は ――



この世界の中の小さな陸の果てに立っている。



これより東に、この島の陸はない。

これより下に、この島の陸はない。


ゆえに、この場所に立つと――



200人足らずが暮らす、この小さく偉大な島の全てと1人対峙する、一対全の不思議な感覚を体験する。

しかしそれは、支配者のものではない。直接手を下すことは何もしない、傍観者のそれである。



この島のif〜未完の城塞を、ここに見た。

土木という終わりのない戦いの戦果や戦禍を、傍観者に徹しつつ体験し、

心を打つものがあれば誰かにも知らせたいと思う、そんな素直な心の動きを起こさせる。

それが釣りも船の操縦もしない私にとって、大千代港の唯一の効用であったのだと思う。

その結果が、このレポートである。


ここに立ってしまえば、愛さずにはいられない。この島の虜になる定め。

長い人生でも、おそらく二度目はない場所だと思うが、ここに来られて本当によかった。

オブローダーとして、究極に濃密な2時間あまりだった。



島では数が少ないという漁師や釣り人でない限り、生活圏からは遠く離れた存在である海が、今の私にはとても近い。
昨日島に上陸するときに利用した三宝港でも触れはしなかった海水を、初めて触れてみた。
塩辛いだけの普通の海水だったが、港の周囲はどれほど深いものか、色が異常に青黒いのだ。

そして、これで大丈夫かと心配になるほどに、岸壁が低い。海面すれすれだ。
先ほどの動画撮影中にもそういうシーンがあったが、岸壁の先端付近は、ときおり波に洗い越されているほどである。
同じ岸壁でも付け根付近はここまで海面に近くないように思うので、ちゃんと計測したわけではないが、細長い岸壁が陸から海へ傾斜してしまっているのかもしれない…。




港の構造を解説するような知識がないことが悔やまれるが、素人目に見て、岸壁自体は常識的な造りであると思う。
鉄道のホームにたとえれば片面ホームというやつで、海上に突き出た岸壁の陸より見て左側だけが、船の接岸できるような造りになっている。

また、この左岸岸壁の一部がより低く、海面すれすれの高さに作られており、喫水の小さな船(漁船とかボート)の接岸も可能な造りになっているようだ。
もっとも、そのスペースは一艘分だけしかなく、大量の船を同時に扱うようなことは考えられていなかったと思う。
それに、この港は前方や周囲の海上に一切の波除けをもっていない、ただ外洋に向って1本の岸壁が突出しているだけの造りであるから、船の係留や保管には全く適していないと思われる。

対して岸壁の右側は、列状に並ぶ露岩の上に乗っており、低い防波堤で縁が作られている。
この列岩の地形を補強拡張する形で岸壁を建造したのであろう。
もっとも、原地形としての列岩があったとしても、莫大な量の工事量(コンクリートの物量も)投入されていることは確実だ。

それにしても、ここに船が接岸している姿を一目でも見てみたいものだ。
現状でも埠頭自体は形状を保っていると思うので、目的さえあれば漁船の接岸くらいはありうると思うが…。
港が港として活躍するシーンを、見たいッ!
私がここで定期船を待つ演技をしても、いくらかは気分が晴れると思うけど…。



9:40 

長居は出来ない定めである。帰り道は全て把握しているが、今の私には辛いことになるのが目に見えている。

到着から3分後、最後にもう一度だけ突端から“全て”を眺めて……

目に焼き付けて……

撤収開始!



9:54 …撤収開始から14分後。 釣り人は、まだ同じ場所で釣っていた。



10:24 …撤収開始から44分後。 海抜230mの村道18号線に登着。自転車を回収。



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10:38 …撤収開始から58分後。 海抜300mの都道合流地点、すなわち探索開始地点に帰還。

全身筋肉痛のうえ、左足腿が痙攣しかかった状態で、文字通りの“峠”を越えた。

あとは三宝港まで全て下り坂なり。


タイムリミット、三宝港での乗船手続き開始まで
1:22

なお、私の島での探索は、20分後から、この回へ続く。






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