2013/3/31 15:28 《現在地》
「どっから来た?!」
と、不意に横から声をかけてきたのは、古老と呼ぶにはいささか抵抗を感じる、浅黒い肌をした健康そうなおじさん。軽トラを道路に接する農場の入口に駐め、その荷台からは結構なボリュームで高校野球(だったと思う)の実況中継が放たれていた。
私は軽トラの存在は見ていたものの、人物がいるとは思っていなかったので、声を掛けられたときには少し動揺した。だが、「どっから来た」というのは旅人に浴びせかけられる常套句であり、私も飽きるほど多く対応してきたのである。すぐさま「コンビニ譲り」の満面スマイルに切り替えて、正直に答えたのだ。
「東京都の日野市から来ました。」
答えながら思った。咄嗟に笑顔を作る事に気を取られ、気の効いた返答が出来ていないなと。たとえば「東京都の」というのは余計だったかもしれない。私がおじさんの立場だったら「新島も東京都だがね」って、つっこみたくなるかも知れない。それにこれは少々自嘲的かもしれないが、「日野市」というのは東京の地名の中ではきっと地味組なので、相手を考えた良い答えではなかったなと思ったのである。もし芳しい反応が見られなければ、すぐさまもっと親切な言葉で言い直そうと思った。
だが、実はこんな私の心配は杞憂…というか、むしろまったく見当違いであった。
私の答えを聞いたおじさんは、それを呑み込むこともなく、すぐさまこう聞き返してきたのである。
「いや、本村から来たのか?」
…ギクッ!!
こ、これは迂闊だった。 ぬかった。
このナリを見れば、私が本土から渡ってきた旅人であることを先方は百も承知なのであり、それが本土のどこか(東京都のどこか)なんてことは、興味の外だったのだ。
それよりもむしろ………
見てるっ。
見てるよ! 俺の自転車を見てる!
迂闊すぎた〜〜!
若郷の大地へ近付くなり目に飛び込んできた素晴らしいパノラマや、最初の遭遇車(者)に誰何を受けなかったこと、さらに都道開設の経緯を記念した二つの石碑など、私の心を奪う多数の発見にうつつをぬかし、いまの私が背負っている“負い目”をすっかり忘れていたッ!
きっと読者諸兄は(馬鹿な私とは違って)忘れていなかったと思うが、自転車に乗った旅人が若郷地区を走り回る光景は、とても不自然である。
なぜならば、島に本土からの船着き場は3箇所あるが、かなりの確率で本村側の港(黒根港)が利用され、若郷にある渡浮根港に着岸することはほとんど無い。
そして本村に上陸した旅人が若郷へ至る陸路は、現在ただ一つしかない。
それが平成新島トンネルの都道211号だが、このトンネルは歩行者や自転車の通行は禁止されているのだ。
平成15年に同トンネルが開通するまでは、現在「旧道」となっている都道がその唯一のルートだった。
この都道はこれまで見てきたとおりで、歩道もあって歩行者や自転車であっても自由に往来が可能だったものの、(特に崩落などは見られないにも関わらず)現在はバリケードが閉じられていて、“自転車の分解をも含むワルニャン行為”無くしては通過不可能である。
私がしたことは行政側の明示した「通行止め」を無視する、おそらく触法行為なのだろう。
そういうワケだから、若郷のおじさんが私の自転車に奇異の目を向けるのは当然であり、それが私の狼藉に対する批判(たとえば「引き返しなさい」)へ結び付いたとしても、何ら不思議はない状態! ピンチ!!
さて、どうでるべきか。
私は素直になった。
おじさんは取り締まりをしている警察官ではないのだし、はっきり言って、「いい嘘」が全然思い付かなかった。私は廃道探索を目的とした完全な確信犯なんだもの(笑)。
「旧道のトンネルを抜けてきました! 柵があったけど、隙間を通れました!」
ゲロッた。
するとおじさんは少しだけ驚いたようだった。しかしその表情に「駄目じゃないか」ではなく「良く来たな」という意識を見て取った私は、好機を悟った!
押せ! ここは押せるぞ!!
「自転車や歩きで若郷へ来られないのには驚きました。島の方は不便ではないのですか?」
[オブローダー四十八手]の四十二手 [誰何に質問で反撃] である。これは経験的に非常に有効な技であって、こちらの目的を積極的に明かすことで相手のよそ者に対する不安を払拭すると同時に、探索に有効な情報を聞き出す一石二鳥の技である。基本的によそ者へ進んで声を掛けてくるような人は社交的で、かつ、何か知っている場合が多い。
私の質問が見事おじさんの“古老熱”(地元のことを語りたくなる熱意を示す私の造語)に火をつけたらしく、以下の大成功へと結び付いた。
おじさんから得られた情報を箇条書きに示す。どれも若郷住民のナマの情報として、とても価値がある。
何といっても印象的だったのは、若郷の住民であるおじさんが、はっきり「不便だ」と言ったこと。
そしてこれと関連し、それまで全島を上げたイベントであったマラソン大会(のコース)から若郷地区がノケモノになってしまったことに対する「不満」だった。
高校野球をラジオで楽しむおじさんは、マラソン大会も好きなのかも知れない。マラソン絡みのエピソードは私が問わずに出て来たものであり、おじさんの強い気持ちが感じられたのだった。
また参加するランナーにしても、陸海空がせめぎ合う吹上げ峠越えの景観を味わえないのは、とても勿体ないと思うし、「また来たい」と思う島の印象にも関わる事ではないだろうか。
平成新島トンネルでは、それが急を要する災害復旧事業だからか、税金による贅沢工事という批判を避けるためかは不明だが、歩道や排気施設の省略という目に見えるコスト削減を断行したことによって、我々部外者だけでなく島の住民にも犠牲を強いていることが感じられた。
もちろん、自家用車を用いる限りは大幅に利便性も安全性も格段に向上した事は間違いないが、車の利用にはガソリン代がかかるほか、潮風に晒される島でそれを維持する為のコストも馬鹿にならないだろう。ルートが一つか二つかというのは災害時に重視されるリダンダンシーにも関わる。地滑りには安全な長大トンネルだって、何があるかは分からないのだ。
それにもっと根源的な問題として、約8kmしか離れていない集落間を自動車でしか交通(交流)出来ないという状態は、素人目にも不経済で不自然である。
もしも私が免許や車を持たない若郷の住民だったとしたら、現状には耐え難い“閉塞感”を覚えるだろう。
吹上新道および旧新島トンネルの歩行者・自転車通行については、多額の費用が必要となるため、今年度は見送る。」と書かれており、問題意識を持っていることは分かるのだ。しかし、「同(平成25年4月号)」からはこの項目が消滅しており、実現にはまだまだ時間がかかりそうだ…。(旧トンネルの出入口に懐中電灯を置いて、ゲートを開けておくだけじゃ駄目なのかな…)
まあ、新旧2本の道を維持し続けるコストは誰が見るのかという問題もあるから、簡単なことではないのだとも思う。
あの新島近海地震さえ起きていなければ……と言っても、それは仕方のないことだろう。
「色々教えて下さり、ありがとうございました! 若郷の起点までいって戻って来ます。」
「おお。気をつけてな。帰りも大変だろうが、頑張ってな。」
「はい! 自転車を分解すれば通れますので大丈夫です!」 (←さり気なく種明かし)
……ありがとう、おじさん。
これにて私は、自宅と新島村若郷の間に横たわる
天・地・人の三関門
を突破した。
(注: 天=海路の日和。地=地勢の険。人=おじさん? 否、バリケードだ。)
おじさんとのコンタクトを終え、自転車による集落進入への了解を得た心持ちになった(あくまでも勝手に)私は、時間も押してきていることもあるので、急にピッチを上げて前進を再開した。
新道と一つになった都道であるが、分岐地点を振り返る位置には、本日島で目にする2基目の青看があった。
特に変わった内容は表示しておらず、旧道の行き先は「阿土山」となっていた。
これまで目にした青看はどれも新道絡みなので、それが開通するまでは1基も無かったのかも…とか思った。
ここで青看以上に目を引いたのは、その下に設置された二カ国語併記の「ご注意」だ。
文字色も赤でいかにも目を引くように作られていたわけだが、その日本語部分を転記しよう。
ご注意
新島港、羽伏浦方面へは思いっきり突き放している。代替策なんて教えてくれない。おじさんとは違って優しくない。
島へサイクリング目的で来た人が、たまたま天候の絡みで若郷の渡浮根港に入港したしたらと思うと悲惨である。
確かに日に3往復の無料バスはあるし、おそらく頼み込めば自転車も載せてくれるとは思うが、宿を若郷に取っていたりすると行って戻ってくるだけで大仕事で、ほとんど自由にサイクリングをする時間など無くなってしまいそうだ。
「わるにゃん」を人にオススメはしないが、しかし車輪をはずすことが出来れば旧トンネルの通過が可能だという事実は報告しておこう。
新島は景色的にも地形的にサイクリングにもってこいだと思うが、対サーファーの環境はいろいろ充実していると思う一方で、サイクリストやランナーやハイカーには冷たいな…。
私の目には、新島の魅力が海だけのようには到底見えず、むしろ陸海空が凝縮したジオラマのような景観全体に、本土には見られない面白みを感じたのだが。
新道の開通以前から何も変わっていないだろう、歩道を持たない2車線キツキツのコンクリート舗装路を進む。
道はほぼ平坦だが、まだ海岸線からは30mくらい高い高台の上であり、先ほど坂の上から見下ろした「緑の中に大きめの家屋が沢山見えた辺り」を走っている。
風除けだろう密な樹木や庭木が道の両側に茂っており、各戸の戸口が遠い。
それはいずれも別荘のような感じで、生活感が薄い。
本当の若郷集落は、まだここではないようだ。
そしてまもなく本島で3回目の青看遭遇となった。
これは「新道」とは関係ない内容だが、やはり真新しい感じがした。
15:31 《現在地》
青看に予告されていた分岐地点が現れた。
直進の若郷集落と左折の若郷漁港(=渡浮根港)の分岐地点だが、地方では珍しいデルタ交差点になっており、信号機はない。そしてこの左右共に都道211号であり、左は支線の扱いである。
なお、交差点中央の“島”には新島を象徴するモニュメントの「モヤイ像」が建立されているが、新島港付近では呆れるほど大量に見たそれも、ここには一つか二つしかない。
直前に「マラソンコースからの除外」の話を聞いてきたからかも知れないが、観光色に彩られた本村と、それがオマケ程度でしかない若郷の差を感じてしまった。もちろん、行き交う人や車の数も本村の「小都会」ぶりとは段違いであって、こっちは完全に「むら」な感じだった。
新島でも昭和40年代からの離島ブームがだいぶ生活に影響を与えたというが、若郷ではそれ以前からの本来の島の暮らしに近い風景が見られるかも知れない。
私は分岐を直進して進んだが、そこにこの標識があった。
案内標識の「道路の通称名」というやつで、東京都内でも良く見るものだが、新島ではここで初めて出会った。
「新島本道 Niijima hondō Ave.」と表示されており、そういえば「新島トンネル」内の案内板にもこの名前が表示されていたのを思い出す。
これが都道211号若郷新島港線に対して都が定めた正式な通称なのである。
伊豆諸島の島々は、終戦直後のごく短期間であるが、連合国側から日本国の施政権を剥奪する決定がなされた時期がある。これは日本側の動きで直前になって回避されたのだが、このとき伊豆大島などでは「大島憲法」を制定して独立国家となる動きがあったほどで、今日ではあまり知られていない一大事だった。もし新島も一国となっていたら(あるいは大島国(?)の一部になっていたら)、「新島本道」は「国道」だったかも知れないな…などと妄想してしまうのである。もちろん、終戦直後の新島では全線開通していなかったが。
15:32
港への分岐地点から1分後、再びの分岐地点。
実はこの分岐は私がコピーして持っていった地形図には記載がなく、左の道をゆく道が若郷へ通じていた。
しかし現在は明らかに右の道が本線であり、左の道は旧道のように見えた。
もはや若郷の起点までは残り1kmを切っており、どちらの道を選んでも、帰りは逆を選ぶことが出来る。
だから難しく考えず、ここは旧道を選ぶことにした。
新島の交通事情は、ここ数年で急激に近代化…というか地下化が進んでいる様相である。
このトンネルは“いかにも”な溶岩ドーム形をした新島山の地下に突入しているように見えて、なかなかインパクトがあった。
かなり下り坂のキツいトンネルのようだ。 (といいながら、逆へ行く)
徐々に集落への接近を感じさせる、窮屈なコンクリートの2車線道路。
もっとも、路駐の車が多い割に、走っている車は皆無なので、気付けばセンターライン付近を走ってしまう。
せっかく2車線の道路があるのに、敢えて20km/hの最高速度としているのも長閑さを感じる。
そしてこのまま生活道路の顔をしたまま緩やかに若郷集落へと逢着するものと思いきや、トンネル建設の原因となった光景が行く手を阻むのであった。
?!
突然現れた、車道を塞ぐ車止め。
道幅自体も一気に半減し、しかも突然の急坂になっている。
この道路状況の急変に、私は吹上げ坂の「仮設都道」を思い出す。
とても似ているのである。
もっとも、車止めの先の急坂には、こちらを目指してゆっくりと登ってくる2匹の犬を連れた老婦人の姿があり、前のようなバリケードに阻まれる展開は無さそうだと安堵したが、それでも最後にもう一つくらい“イベント”がありそうだ。
15:35 《現在地》
車止めの先に進むと、久々に海が間近に迫っていた。
そしてその海の隣には、いよいよ目指してきた若郷の村落が見え始めた。
吹上げ坂を越えた後も、これまではずっと手前の大地が邪魔をして見る事が出来なかった、若郷集落の中心部がここに来て初めて見えてきたのである。
少なからぬ感動と興奮があったが、しかしその前に眼前の奇妙な2本の道の謎解きをしなければならないようだ。
左の急坂道(犬を連れた老婦人が登ってきた)と、右の“ゆる”坂道が平行する。
しかし右の道は跡絶えている。その端は別に崩れたという風でもなく、左の道に進路を譲るように終っていた。
これを見る限りは、右が旧都道で、左がまたしても「仮設都道」なのかといった感じだったが…。
都道起点間際を目前に与えられた、最後の謎解き。
次回はこれを解き明かし、いよいよ折り返し地点へ辿りつく。
色々な意味で隔絶された村の景色を、目に焼き付けろ!
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