東京都には、これまで当サイトのレポートでもその一部をご覧頂いてきたとおり、東京という大都会の他に、奥多摩町や檜原村のような山岳地帯が存在する。
そしてさらにもう一つの大きな場面としては… 離島 がある。
具体的には、伊豆諸島や小笠原群島に属する200を越す島や岩礁がこれにあたるが、今日一般人が定住している島は伊豆諸島に9島、小笠原群島に2島があるのみだ。
そしてこれらの有人島も無人島も全て東京都に所属していて、東京諸島という総称も存在する。
東京諸島の広大な地域(海域)の広がりは、東京福岡間に匹敵する1200kmをも越えており、実は東京都こそが日本一の広がりを持った都道府県といえる。
しかしこれら島嶼(島しょ)と呼ばれる東京都のエリア人口は少なく、平成20年当時のデータだが、28,741人と記録されている。
これは東京都民1,279万人の0.22%に過ぎない数字だ。
ともかく、海の上にも東京は尋常でなく広がっている。
平成19年に東京都民の仲間入りを果して以来、そんな漠然とした意識をもってはいた。
だがいかんせん島とは縁遠い秋田暮らしが長かったこともあり、私の中で島は「島である」というだけで、遙か遠い異国のような印象であった。このまま島を知らずに、いつか東京を離れる日が来るのだろうかと、そんな風にも考えていた。なにせ私は今まで探索目的で本州の外へ出たことはなく、離島ではないものの、島の探索レポートとしてはミニレポ1本を数えるのみという体たらく。
自分の足だけでは近付けないという島の物理的障壁は、精神的な隔絶にも繋がっていた。
だが、私が突如島への興味に目覚める出来事があった。
場所は自宅のPCモニタ前である。
時期は…ちょうど1年くらい前だった。
次の地図を見てください。
左の道路地図は、最近の新島(にいじま)を描いている。
新島は上の全体図にも見えるが、伊豆諸島の有人島の中では大島から数えて3番目の島で、東京港からだと150kmほど離れている。本州の最寄りである伊豆半島の静岡県下田市付近からでも40kmほどあるから、東京の離島の中ではまだまだ“近場”とはいえ、離島に違いはないし、ビギナーな私にはこれくらいが相応しいという位置と見える。ちょうど地球が太陽系第3惑星である事とも不思議な符合でしょ?笑
さておき、島にお住まいの方には全く不本意な差別とお叱りを受けるに違いないが、こうして道路地図を眺めるときまで私は東京の有人離島に漏れなく都道が存在する事を知らなかった。
その中で新島の幹線となっているのが、本稿の表題である東京都道211号若郷新島港線であり、いわゆる一般県道に相当する一般都道である。
(ちなみに私が大好きな東京都道日原鍾乳洞線は204号である。多摩の都道も島嶼の都道も100の位で区別されたりはしていない)
島にも馴染みある東京都道が存在する。
と言うことは、やはり愛すべき「ヘキサ」もあるのだろうか?
そんな素朴な気付きと疑問から、島への興味と愛着が湧いた瞬間だった。
だが、“新島の衝撃”は、これだけに到底収まらなかった。
南北10km少々の新島の都道など、さほど長大な路線であるはずはないが、その途中には異様に目立つ長大なトンネルが描かれていた!
その名も……平成新島トンネル!
地図上で距離を測ってみると、驚くなかれ2.8kmもあるではないか!
無料の一般都道にあるトンネルとしては、間違いなく東京一である! 都道府県道のトンネルとして見ても相当長い部類だ。
(これは後から知ったことだが、実は日本の全ての離島にあるトンネルで一番長かった…!)
島の都道に長大トンネル。
となればもちろん疑わしきは、
旧道廃道の存在!
やっべ、やっべ! おいだばワクワクしてきたスや。 地図をもっと拡大だ!
…ある!
これはきっとある。
あるに違いないぞ…。
廃道と化した旧都道が、海岸線の急峻な絶壁に掻き消えている光景が、地図の上からありありと浮かんでくるようではないか。
まさに、廃道の理想的シチュエーション。
奇をてらわない、ただ険しきに破れた旧道が廃道となって横たわる。
そんな光景が目に見える!
…これは…
これは…!
島さ行がねば!!
…というような興奮時があってから、島探索を具体的に練り始めた。
もちろんただ行くだけならば、大型客船で東京から約8時間、調布から出ている飛行機ならば30分少々で島に立てる。
しかし、事はオブローディングである。
必要な物資は…、まず自転車。
自転車を持ち込まなければ、私個人の都道への愛敬を表することが出来ない。
さすがに島で借りたレンタサイクルでの廃道探索は、大人としてマズイだろう。
だが、自転車のような嵩張る重量物を持ち込む時点で、空路は消えた。
新島へ行くことが出来る航路は、大きく見ると二つだった。
一つは東京港から伊豆諸島のうち大島支庁に属する5つの島を順に巡る、東海汽船の大型客船による航路。
もう一つは、伊豆半島の南端に近い下田港から、上記より大島を除いた4島を順に巡る、神新汽船の中型客船による航路である。
どちらを選んでも自転車を島に持ち込むことは問題無いが、せっかくの船旅なんだから多少は海ならではのハードルも実感したいし、敢えて波の影響をより多く受けそうな中型船を使っている神新汽船(あぜりあ丸460トン)を利用する事に決めた。
(実はこの最初の島旅の時点で、さらに遠い島を次なる目標に定めていたので、船旅に慣れる必要を感じていたというのもある)
後は、島で2泊ほど野宿するのための道具を見繕って通常の探索道具に加えたところ、60リットルのリュックにちょうど収まった。
だが、60リットルをパンパンにして廃道を探索するのは、かなり足に堪える。1年目の清水峠攻略では本当に苦しんだ覚えがある。
そのため、几帳面な方にはあまりオススメ出来ない方法だが、現地ではウラワザを用いる事にした(本編で紹介する。大したことではない)。
もっとも実際はここに書いたほど、とんとん拍子で準備が進んだわけでなく、どうしても割高になる探索費用に対する躊躇いや、さすがに真夏の繁忙期&繁藪期に南の島でもあるまいという臆病。さらに、いざ準備が整ってからは天気が今ひとつ振わないなど、最初に志を立ててから実行まで実に1年近くを要してしまったが、ともかく去る平成25年3月30日の深夜、私は出港地下田を目指して車を走らせていた。
初めての島<オブローディング>旅。
新島には果してどんな都道が、旧道が、廃道が、山や海や人が、待っているんだろう。
私の胸は期待のため、60リットルのリュックよりもパンッパンに膨らみまくっていた。
そして新島には、私の期待に応える用意があった。はっきり言って、手ぐすね引いて待っていたっぽかった。