2013/3/31 12:06 《現在地》
接岸の順番待ちが発生したためにダイヤより5分ばかり遅れはしたが、私は無事に東京都新島村の人となった。
船からは私を含めて数人が降り、そしてやはり数人が新たに乗り込んだ。
他に貨物の積み卸しをする港湾関係者数名と、パトカーで乗り付けた警察官が一人、この埠頭にはいた。だがその全てを合せても、大型客船にサイズを合せられた埠頭の人影は、たいへんにまばらな印象だった。
私は自ら持ち込んだ大量の荷物を両手に抱えて埠頭に降り立つと、通行の邪魔にならない所まで最小限歩いて、すぐに全てを地面に放した。
1歩でも早く自転車を組み立てて乗りたい! 60リットルリュック+自転車を持ち歩くのは、さすがに重い。
幸いにして、船は同じ輪行の舞台でも鉄道や飛行機に較べて大らかで、陸に降りたその場で自転車を組み立てても文句を言われないのがいい。
駅や飛行場の構内でそれをやったら大顰蹙だろう。
輪行はお手の物だが、今回は慣れない船と言うことでいつも以上に嵩張らないように気を遣い、自転車のハンドルやペダルも工具を使って分解していたので、ここで再度組み立てるのに少し手間取ってしまった。
そうこうしているうちに20分が経過し、あぜりあ丸は短い汽笛を残して式根島へ旅立っていった。
警官も出航と共にいなくなり、最後は私がたった一人、広大な埠頭に取り残された形となった。
自転車の組み立てがやっと完了したのは、12時25分だった。
今回の新島滞在のリミットは、明朝8:40の東海汽船かめりあ丸の出航時刻までである。
このうち探索が出来る時間は、今日これから日没までの約6時間と、明朝の3時間を合せた9時間程度しかない。
新島の大きさは22.8km2と、田沢湖(秋田県)より少し小さい程度しかないが(これでも伊豆諸島では大島、八丈島、三宅島に次いで大きい)、山がちな地形なので、とてもこの9時間で全ての道を巡るなどと言うことは不可能であるから、優先順位を付けて辿らねばならない。
では何を優先するかというと、ここは何と言っても「都道221号若郷新島港線」を一通り走ってみたいと思う。
それが済んでから、他の道にも目を向けてみよう。
12:26 《現在地》
ようやく準備が整ったので、愛車に跨り埠頭を後にする。
しかし背負った60リットルのリュックがパンパンに膨らんでいるので、早速、股間にずっしりとした重さを感じると共に、重心の高さがアンバランスで大層気持ち悪い。
今までも何度かこのような装備で“山チャリ”をしたことはあったが、いい思いをした憶えが無いのである。何と言っても、頭よりも荷物が背が高い状態だ。
そのために、山道で立木の下をくぐったときに木にリュックが接触し、それごと自転車から引きずり降ろされた、大変恥ずかしい転倒の記憶もある。
今回の県道や、もしあるならば“廃道”がどういう状態であるかは、まだ全然見当が付かないが、出来るだけ早急にこの巨大リュックとはおさらば(ウラワザ(後述)を使用予定)したいものである。
と、ここで唐突ではあるが、
新島の方言講座〜! ドンドンパフパフ
定期船の船着き場と、そこから300mほど離れた港入口にある待合所(兼チケット売り場)の建物を結ぶ屋根付きの通路には、こんな変わった名前が付けられていた。
ぬぃねぇどぅ
雨が降っても「濡れないぞう」という新島の方言。
どぅ は道や洞にも通じます。
…とのことである。命名者にはそんな意図は毛頭ないだろうが、私のように道路目的で訪れた者は、入島して最初に目にする「道」や「洞」という言葉に過剰反応してしまうことだろう。困ったものだナ。
港の道と西海岸沿いの村道がぶつかる丁字路へとやって来た。まだこの道は都道ではないが、ここを左折すれば間もなく都道区間が始まるはずだ。
いよいよ、島の公道を自転車で走る!
だが、私には島の交通事情についての予備知識がほとんどない。
よって、これから本土との違いなど、気付いたことがあれば、どんどん書いていこうと思う。
最初に私が気付いたのは、道を行く軽自動車の多さだった。
我がふるさと秋田は“軽トラ王国”だが、新島は軽トラも多いものの、軽の乗用車が目立つ。
伊豆諸島にはカーフェリーが就航していないので、日常的に本土からマイカーを持ち込むことは出来ない。
そして新島は大きな島ではないうえに、島民も2000人程度であるから、自動車などは相当まばらではないかと勝手に想像していたのだが、実はそんなことはなかったようだ。
島民の足として軽乗用車が広く利用されている事を、先ほど埠頭に接岸した瞬間から慌ただしく何台も行き来する姿を見て、思い知ったのだった。
そしてこの島の予想外に進んだモータリゼーションは、自転車の私には全く想定外の大変に驚くべき事態を、引き起こしていたのだった……。
12:29 《現在地》
黒根港入口を左折すると、こんな風景である。
コンクリート舗装の2車線道路が、見渡す限りに続いている。
車通りはそれなりにあるが、周辺に人家はなく、あるのは港湾施設や観光施設である。
新島には定期船を受け入れる港が三つあるが、通常はこの黒根港が使われるので、ほとんどの(船による)来島者にとって、この眺めが新島のはじめの景色であり、またはじめの道と言って良いだろう。
進行方向は北で、本村集落まではここから約1km、この島のもう一つの集落である若郷までは9kmといった距離である。
行く手には先ほど海上より“洋上の山脈”であると形容した宮塚山が、その独特な台形の山容を横たわらせている。
言っておくが、若郷集落はあの山の反対側にあるのである。
ゴクリ……。
都道211号、スタートです!!
初めて尽くしの離島旅における最大の関心事、離島にある都道の旅がここから始まる。「9.512K」「終点」「都211」と刻まれた奇妙な物体を発見した。
この地点(上の写真の矢印の地点)は都道211号若郷新島港線の「終点」であり、舐めかけの抹茶飴で出来たような美しい透明なキロポストが設置されていたのである。触ってみるとひんやり冷たく、その硬質な手触りはプラスチックではなく、ガラスであることが感じられた。
これは少し後で気づいたことだが、このキロポストは新島の特産品であるコーガ石ガラスを利用した、まさに新島でしか見る事が出来ない“道路付属物”だったのだ。
新島を訪れる道路ファンは、都道沿いに数箇所設置されているこのキロポストをぜひ見て欲しい。ガラスのキロポストなんておそらく日本中でもこの島(この村)にしか無いだろうし、こんな不定型な形をしたものも珍しい。
島の道路に平和な形で個性をもたせた「大島支庁土木部」の工夫を称賛したいと思う。
いきなりの粋な計らいで私を喜ばせてくれた都道だが、波と砂浜をイメージしたと思しきカラータイルの歩道もまた旅情の助けとなる、観光地の道路としては相応しいものだ。
(島の全域が富士箱根伊豆国立公園の区域に指定されている(集落内は普通地域だが、それ以外は全体が特別地域ないしは特別保護地域である)新島は、島そのものが観光地といえる)
立派な2車線道路を走る車は、まばらである。
先ほどは「軽自動車が多い」と書いたが、部分的に前言を撤回したい。
港と集落を結ぶこの道は、船の出入りが無い時間は基本的に閑散としているのである。
そして新島への定期船の出入りは、(この時期は)東海汽船の大型客船が南行きと北行きがそれぞれ日に1回ずつ午前と午後、そして私が乗ってきた神新汽船の客船が日に1回という、合計3回だけである。
時間によって交通量が激変するのが、この区間の都道である。
そしてそんな島の都道に正直配備されていると思わなかった(失礼)、本土ではお馴染みのハイテク装置が現れた。
電光掲示タイプの道路情報板である。
わずか10km足らずの都道のどんな情報を表示しているのかと、ワクワクしながら近付いてみると…
そこには、驚くべき想定外の事柄が書かれていた!
平成新島トンネル
自転車・歩行者 通行禁止
なんですとォ〜!
なんですとォ〜!
なんですとォ〜!
なんですとォ〜!
マジかよ。
じゃあ、自転車では都道を完全走破は出来ないということなんですね…(涙)。
……そうか。
つか、歩行者も駄目とかって、ようは(原付は通れる)自専道なワケね…。
でも、これって私にとっては、完全走破が出来ないというだけじゃなく、二重に由々しき事態じゃね?
だって、平成新島トンネルが歩行者・自転車通行禁止ということは、当然それらが若郷へ行くための別の道があるって事だろ?
でも、地形的に考えてそれ(迂回路)って、旧都道以外ないよね?
右図の通り、最新の道路地図から完全に道の表記が抹消されていた旧都道は、きっと廃道なんだろうとのワルい期待を持って新島にやって来た私だが、その期待は(半分くらい)肩すかしを食らってしまったようだ。
そりゃそうだよな。
道が無いところに「吹上の坂展望台」なんて注記もあるし、都道としては廃道かも知れないが、歩行者や自転車用の迂回路として再整備されてしまったのだろう。
…島民が享受すべきインフラとして、島の南北を徒歩で行き来出来るのは当然であるから、私がその存在(特に“再整備”)を残念がるのは誠に身勝手であろうと思う。
しかし正直な心情としてここに書くことくらいは、別に問題ないはずだ。
正直、事前に知っていれば、新島探訪は後回しになっていたかも…。
島嶼部では国内最長を誇る平成新島トンネルのチャリ走破レポートは、この時点で執筆不可能が確定。
旧都道の廃道探索レポートについても、いささか当初の目論見とは異なるものとなってしまいそうだ。(旧旧道に期待を繋ごう…)
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本来は私の好物である「道路情報板」がもたらした衝撃的予告によって私のテンションは低下し、島の名物(といっても昭和50年代くらいからの)である“モヤイ像”が林立する日本中でもここだけに違いない都道の車窓も、ただぬるりと私の視界を通過していった。
下は本村集落の入口にある、東京電力新島内燃力(ディーゼル)発電所だ。
新島での24時間送電が開始されたのは昭和33年からで、現在は許可出力6000kWのディーゼル発電によって全島(および式根島)の電力が賄われているという。
ここまで港から1kmほど新島の道路を走ってきて新たに気付いたことがある。
それは、どの道もみなコンクリートで舗装されていることだ。
一般にアスファルト舗装よりもコンクリート舗装は持ちが良く堅牢だが、固まるまでに相当の時間を要する事など施工性に難がある。
そのため本土の道路は、高度経済成長期にそれまでのコンクリート舗装にかわり、アスファルト舗装が大半を占めるようになった。
島の道路は新しい舗装路でも、みなコンクリート舗装をおこなっている。
もっとも、アスファルトが全く使われていないわけではなく、修繕箇所などに見られるので、なぜコンクリート舗装が主流なのかは分からない。
いずれ、新島の幹線道路の風景は、昭和30年代頃までのわが国の街路風景に近いのではないかと思う。
いよいよ新島村最大の集落であり、行政の中心でもある本村(ほんそん)集落に入った。(ちなみに式根島は新島から隔てられた離島だが、新島村に所属している)
右に見えるのは、島内に数えるほどしかないガソリンスタンド(エネオス新島SS)であり、レンタカーでも借りない限り、島外の人間が利用する事はほとんどない。
良くある田舎のスタンドよろしく価格表示はなされていないが、きっと本土に較べて安くはないだろう。(幾らなのか興味がある…)
ちなみに、コンビニを含め“チェーン店”がほとんど無い新島における、数少ないチェーン店だ。
また、左には本土ではほとんど絶滅した石ブロックの建物が見える。
これも代々コーガ石の産地として名を馳せた新島の特色ある風景であり、最近は新たに建てられることはほぼなくなっているとは言え、まだまだ沢山の石造建築家屋が存在する。
ブロック塀もそれである。
12:39 《現在地》
私の地図では島でただ1箇所しか描かれていない信号機。(実際は確かこの先にもう1箇所あった気がする)
変則的な形をした交差点で、道なりに右へ向かうのが現在の都道、(自動車は左折禁止だが)左へ入るのが都道整備以前の「旧村道」である。
私は、より集落に密着した姿を道路風景を期待して、旧道へ進んだ。
なお、この辺りが村の商業の中心地であり、スーパー、酒屋、雑貨屋、お土産物屋、食堂などが数軒ある。
しかし元来私の興味の中心ではないことや、時間的余裕があまりないことから、町並みは道路に較べて相当雑な観察であることをご了承頂きたい。
今夜を迎える前にはこのへんにまた来て食料の買い出しをしなければならないだろうが、今はスルーだ。
(右に見える「どさん子ラーメン」もチェーン店だな…)
旧道はセンターラインのない1.5車線程度の道だが、大型車の姿が見られないせいか、これでも狭苦しい感じはあまりない。
動いている車よりも遙かに停まっている車が多いが、どれもみな黄色のナンバープレートを身に付けている。
そして旧道に入って新たに目にした、本土ではあまり見ない「道路の風景」が、路面にペイントされた、この「20」という最高速度規制標示だ。
「狭い日本、そんなに急いでどこへ行く」は、昭和48年に総理大臣賞を受賞した有名な交通標語だが、“本当に狭い”新島では、時速20kmの最高速度もスンナリ受け入れられたのかも知れない。
1〜1.5車線程度の集落内道路には、大抵この時速20km最高速度規制表示が見られた。
島の最高峰である宮塚山の裾野にあたる位置に、新島村役場があった。
すぐ近くには新島村全域の郵便事業を担当する新島郵便局も。
いずれも島では上位を争う大きな建物であろう。
そしてこれらは共に旧道に面しており、旧道は今も島の最重要生活道路である。
私は辺りの雰囲気にピンと来るものが有って、この辺りにもしかしたら道路元標がありやしまいかと、少し探して歩いた。
新島に自動車が通行するような本格的な道路が誕生したのは戦後と思われ、道路元標の設置を義務づけていた旧道路法時代(大正9年〜昭和27年)の道路に関する遺物が現存すれば貴重である。
だが、結局それは見あたらず、代わりに「旧跡 新島測量起点」という、江戸時代に伊能忠敬の弟子達が伊豆諸島の測量を行った際の標柱(の跡地を示す案内板)を見つけただけであった。ちょっと古すぎるな…。
「道路元標」や旧道路法について詳しい解説が、『大研究 日本の道路120万キロ』にあります。
海岸沿いのほぼ海抜0mから始まった道は今、島の東西を区切る分水嶺に挑んでいる。
…なんて言うのは全く大袈裟で、本村がある西海岸の前浜と東海岸の羽伏浦(はぶしうら)を隔てる地面の高まりは、都道の最高地点で海抜30m弱、それより少し宮塚山寄りを走る旧道でも海抜45m程度しかない。
それでも旧道が私に苦しい印象を残した理由は、ただ一つしかない。
背の荷物が重いんだよ!(苦笑)
…山越えと言うほどでもない分水嶺越えの道は、都会とはまた違った感じで石とコンクリートの密度が濃かった。
おそらくこう言うのも、木材よりも石材に不自由が少なかった島の風景なのだろう。
12:50 《現在地》
またまた、山チャリスト(サイクリスト)にとっての残念なお知らせです。
旧道から分岐する島随一の山岳道路であり、長距離のダウンヒルも期待された「村道239号線」…宮塚山山頂に至る道路は、ご覧の通りアジも素っ気もない1枚の看板で自転車だけ通行止でした…。
まあ、今回はスケジュール的に走れないとは思っていたが、この道は自動車や徒歩でお楽しみ下さいってことか…。
バイクもオッケイなのに自転車だけ禁止なんて、新島は案外自転車には冷たひ……。
おそらく事前に予習せず島へ渡ってきたサイクリストで、この通行止に泣かされた人が相当数いると見た!
12:53 《現在地》
自転車には少々冷たい島独自の交通ルール、背中の荷物の異様な重み、空模様の怪しさ、タイムリミットの余裕の無さ、逆風…などなど、あぜりあ丸に乗り込んだときには、まさかこれほど打ちのめされるとは思いもしなかったほど、私のテンションは下がっていた。まさかこれは本土シックか?(ホームシックみたいな…)
そのせいか、新島を訪れた観光客はほぼ例外なく見に行くであろう最も有名な景勝地「羽伏浦」(写真の右の道)を躊躇いなくスルーし、さらにその先で待っていた「新島ファミリーパーク」や、コーガ石で様々な動物を象ったという「石の動物園」もスルーした。余裕があれば「ワルニャン石像」があるかチェックしたかったが…。
軽く歯を食いしばり、逆風の都道を黙々と北進していく私と巨大赤リュック。
目指すはあと1.4kmの至近に迫った平成新島トンネル、およびその旧道だ。
どこかの何かで気持の下降を食い止めたい!
ゴゴゴゴゴ…。
この擬音は、私の進路上にいよいよ牙を晒し始めた宮塚山火山に対する“心の高鳴り”(これは当然プラス方向の気持の動き)と、
実際に山の方の上空から、この耳に聞こえてきた音を現わした。
伊豆諸島滞在中はときおり、姿の見えない飛行機が発する遠い雷鳴にも似た鈍い音響を聞いた。
そのうちのいくつかは、本当に雷鳴だったかも知れないが…。
念入り、である。
電光掲示板の勇み足などではなく、平成新島トンネルはマジで「自転車・歩行者通行禁止」であり、
しかもそれは「新島警察署」が布令する、自主規制などではない、法的効力を持ったルールであるようだ。
さすがにこれでワルニャンをする気は無いが、ここまで来てなお迂回路のことが書いていないのは、少し不親切ではないか?
羽伏浦の海岸線から500mほど内陸の緑地帯を北進する道の先、やっと上り坂が見えてきた。
あの上り坂から本村と若郷を隔てる新島最大の山越え道路が始まるのであり、
平成新島トンネルの入口まで、残り500mを切っていると思われる。
そして、自専道のトンネルを迂回する旧道や旧トンネルがあるだろう山の斜面も、遂に肉眼で確認できるようになった。
私はカメラの30倍ズームレンズを使って、これより私が挑む山腹に、視線を投げた。
………!
うおーっ!
格好いいッ!
そしてここには、旧道だけではなく旧旧道も存在する事が確定!
そのうえ旧旧道は、明らかに廃道だ!!
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