2013/3/31 6:40 【現在地(マピオン)】
これが私を島へ運んでくれる、頼もしい相棒か。
神新汽船の中型客船「あぜりあ丸」460トンは、出港3時間前の人影まばらな波止場で静かに泊っていた。
この船の第一印象…… 「思ったよりも小さいな…」。
今回私が向かう新島へは、東京港竹芝桟橋から出帆する東海汽船の大型客船「かめりあ丸」3837トンを使っていくのが、おそらくメジャールートなのだろう。
しかし私は下田より発つこの船を選んだ。その理由として、それなりに揺れる経験を積みたいと言うこともあったが、一番は探索用の「大きな荷物」を持って都心を横断する事の億劫さ(電車で行った場合)や、侮り難い3日分の駐車場料金(車で行った場合)を嫌ったという、そんなせこい理由が挙げられる。
これが今回の私の携行品一式だ。
左から順に、愛車の入った輪行袋、リュックサック(60リットル)、ウエストバッグ。
携行品の取捨選択にはかなり気を遣ったつもりだが、それでも随分嵩張ってしまった。
今回の島旅は2泊3日を予定しており、2泊とも野宿をしたいと思っている。そのために荷物が増えてしまったのだが、ただでさえ船賃を取られる旅なので、宿泊代などは最大限切り詰めたいという、またしてもせこい思惑があった。
それに、明るい時間は全て探索に費やしたいので、民宿などでは色々不都合もあろう…。
8:30 (出航50分前)
だいぶ早くに着いてしまったので2時間ほど車で仮眠した後、ようやく窓口の開いた「神新汽船下田営業所」にて、乗船券の購入を行なう。
何もかも初めてなのでいちいちどぎまぎしてしまうが、窓口のおばちゃんが親切にやり方を教えて下さった。
結果、神新汽船の運賃は新島までの乗船券代金4070円に加え、輪行袋に入った自転車の手荷物代500円を徴収された。
そしてこのチケット購入の際、おばちゃんが事も無げに言ったことを聞き逃さなかった。
「新島は今日、“条件”が出ていますが、よろしいですね?」
私はこの“条件”という言葉の意味を、やんわりとだけ予習していた。
これは「条件付き出港」の略であり、新島近海まで行っても悪天候のために接岸できず、そのまま帰ってくる可能性があると言うことである。
はっきり言って、私のようなビギナーには、神新汽船が口にする“条件”というのがどのくらいマジなのかを判断しかねたし、もう行く気になっているから、当然「はい」と答えたわけだが、…一抹の不安を感じた。
しかもその不安の中心は、上陸できずに帰ってくるのではないかと言うことより…
この船は、揺れまくるんじゃないかという…。
8:50 (出航30分前)
自転車を抱えた私、旅行鞄を持った中年のご夫婦、大きなボディボードを抱えた男性、二人組の西洋人などなど、おおよそ10〜15人くらいの乗客が係員の誘導でタラップより甲板に乗り込んだ。
それから各自が購入したチケットのグレードに合せた客室へと移動した。
もちろん私は一番安い二等…すなわち雑魚寝の座敷室である。
なお、私の自転車などの大きな荷物は、甲板上の「荷物置き場」に置かれた。
当然と言えば当然だが、このときから“揺れ”が始まる。
もちろん、幾重にも防波堤に護られた下田港内の波など波ではないのだが、お風呂に浮かべた船の模型だって微妙に揺れるでしょ。そんな感じ。
そして二等客室はとても空いており、6畳以上もありそうな仕切りの内側を全て独占できるくらいだ。
これはラッキー。船底に近く窓などは全く無い場所だが、居心地がなかなかよい。
出航まで20分を切った。
乗船したのでもう後戻りは出来ない。
いまのうちに今日の航海を予習しておこう。
この定期船は下田港を9:20に出航し、まずは利島(としま)を目指して相模灘を横断することになる。
利島までは約35kmあり、ダイヤでは1時間35分の航海となっている。そして10:55に利島港着岸の予定だ。
利島はわずか5分で出航し、それからいよいよ我が目的地の新島を目指す。
利島と新島の距離は約20kmで、1時間の航路である。
新島にはいくつかの港があるが、今日は西側にある黒根港に入港する予定であることが、先ほど船内アナウンスで案内された。
しめて2時間40分の船旅(航路長約55km)ということになる。
なお、私が乗るのは新島までだが、そのまま船は新島の属島である式根島を経て、大島支庁管内では最南の有人島である神津島まで行く。
そして同島を出航し、本日16:20に下田港へと帰港する周回航路なのである。
ちなみに、日、火、金がこの時計回りの航路で、月、木、土は逆回りとなる。そして水曜日は欠航日だ。
また、下田からの料金は、利島、新島、式根島、神津島が全て同額である。同じ料金で沢山船に乗りたい人は、時計回りの日に神津島へ行くなどすると良いのだろう(笑)。
9:20 (出航0分前)
そして定刻通り船は岸壁を離れ、それと共に鈍い長声一発が放たれた。
船着き場は下田海上保安部の隣にあるので、そこに停泊中の巡視船「あまぎ」の鼻先を掠めるように港内へ出た船は、まず内側の防波堤と一体化している「犬走島」を回り込んで、続いて反対側から伸びてくる外側の防波堤もかわす。
そのようにして下田港から下田湾へと出ると、天城山地が海に落ち込む複雑な海岸線を後ろにして、ぐんぐん速力を増しながら南東へと走った。このとき湾内へ進入してくる黒船を模した観光遊覧船「サスケハナ号」と、短い汽笛を合図にすれ違ったのが印象的だった。
9:35 (出航から15分経過)
甲板に立ちっぱで強い潮風に眼を細めながらの初出航は、よほど興奮していたせいか、陸地が遠くになるまであっという間だった。
写真は後方に擦れ行く伊豆半島南端石廊崎辺りの陸影だ。
そして港を出て30分もすると、四方の水平線にいかなる陸地も見えないという、感動的な初体験をした。
もっとも、天気が良ければ新島からも伊豆半島は見えるはずなのだ。
それが見えないというのは、今日のこの薄曇りの天気のせいであろう。
そもそも、今日の伊豆諸島南部の天気予報は「曇り」、「風速5m」、「波は2mでうねりを伴う」となっていたのだが、この海上に少し白く波立っているのが、うねりってやつか?
10:00〜10:25 (出航から40〜65分経過)
やっぱりけっこう揺れた…。
ある程度覚悟はしていたし、波があるのだから揺れないはずはないのだが、前に細田氏と敢えて波の高い日を選んで乗りに行った東日本フェリーの青函航路とは、比べものにならなかった。
確かあのときに乗ったのは1500トンか2000トンくらいのフェリーだったと思うが、この「あぜりあ丸」はわずか460トン。
波を切り越えて進むときの前後の揺れだけでなく、横風や横波を受けた横揺れもかなりある。
恐怖を感じるほどではない(プロが操縦しているのだから恐れる必要など無い)が、船内にはやはり船酔いに苦しむ人の姿もちらほらと見受けられた…。
私はしばらく酔い止め薬を飲まずに「強がって」いたが、1時間以上揺られていると次第にグロッキーになってきて、さらにすぐ近くの座敷であの嫌らしい「けポッ」と言う音が聞こえてきた時には、いよいよ「貰い○○」の危険を感じたので、意地を捨て2錠ほど服用した。
そうすると忽ち元気になり、空腹を思い出した私は船内のカップラ自販機を目ざとく見つけ、大揺れに揺られながら「どん兵衛」を食したのであった。
どん兵衛食って、今一度外甲板に出て周囲に陸影の見えないことを確認後、少しだけ雑魚寝をしてから再び外へ出てみると……。
10:45 (出航から85分経過) 《現在地》
わあああっ!
これぞまさしく、絵に描いたような火山島の姿!
少し小振りな富士山が、海から直接に雲を突き破っている姿は、とても神々しかった。
私はその威容にあてられて、しばし目を見開いた。
…そうか。
そうか…そうか…。
そうだったか。
島だったか。
これまでの私には欠けていた刺激が、島にある!
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10:50〜11:00 《現在地》
おおおっ! やはり愛しきは陸地なり。
ついついパトカーと警官の存在を意識してしまうが、特に事件の調べでないことは、周りの長閑な光景が教えていた。
船はほぼ定刻通りに利島港へ接近し、アナウンスと共に接岸作業が行なわれた末、無事着岸した。
確か今日は利島にも“条件”が出ていたが、こうして何事も着いたのは、同じく“条件”行き旅人にとって、どれだけ心強かったか。
後から知ったが、この航路の中では利島が一番“条件”となりやすく、また実際に欠航する事も多いらしい。
利島は一島で東京都利島村一村を形成している。
その面積はわずか4.12q2(千代田区の1/3、奥多摩町の約1.8%しかない)で、人口も346人(平成23年の東京都人口(推計)より。これは都内の市町村で2番目に少ない)しかいないそうだ。
そのため人や荷物の乗り降りが少ない利島は、他の島々よりの停泊時間がとても短い。
この日も数人の乗客の乗り降りが終ると、息つく暇もなく出航してしまった。
だが、そんな利島にも都道がある。
一般都道228号利島環状線だ!
いつかは走破したいものだ(歩いても回れるくらいの距離だが、敢えて自転車で)。
“海上の富士山”と言いたくなるような端正さだと思った利島だが、出航した船がその西側に回り込むと、全く別の表情を見せ始めた。
集落があるのとは反対側にあたる島の南側は、恐ろしく切り立った断崖絶壁が雲の近くにまで続いていたのである!
どうしてこんな歪な形になったのかは知らないが、こちらから見た姿はでかいナメクジのようだった。
…ますます魅力的だ。いつか上陸したい!
私にとって、島に対する刷込み学習の対象は利島となった。
それだけに利島の静と動を同居させた姿には惚れ込んだが、船は私の気持ちを置き去りに速力を強め、そして新たな島影を、この利島の背後に見せ始めたのだ!
利島の次の島、則ちこれが新島かと一瞬早とちりしたが、全く別の島だった。
地図の縮尺を上げていくと、利島と新島のほぼ中間に、もう一つ小さな島が浮かんでいる。
鵜戸根(うどね)島である。
無人島なのだが、私が無人島という言葉に抱いていた岩礁程度の小島(例えば犬走島のような)というイメージではない。
利島よりもなお小さいとはいえ、人間の生活を余裕で包含できるだけの広がりはありそうに見える。
無人島という響きが、なんかぞくぞくするんスけど…。
でかい島影、発見!
き、キターッ…。
あぜりあ丸ありがとう。
俺を新島近海まで連れてきてくれたね。
見えてきたよ、俺の新島。新たな島旅の舞台。
相変わらず船はユラユラと動揺を続けていたが、酔い止め薬の効果か、
あるいは身体も徐々に慣れてきたのか、残り少なくなってきた
船内の時間をどうやって過すか悩むくらい楽しくなってきた。
(普段の探索中は常に自分の足で動き回るので、こうして自由が利かない船で運ばれる時間は、
焦っても仕方がないと泰然としていられて、凄く居心地が良かった。船旅いいね!)
11:20 (出航から2時間経過) 《現在地》
船は鵜渡根島に最接近した。
その姿は、なんとなく哀感に包まれて見えた。
中央の高い島を取り囲み、周りに小さな岩塔がいくつも集っているのは、島が激しい風波に削り取られて次第に消滅していくイメージだった。
高い木が1本も生えていない、ひたすら切り立った岩の島だ。
面積はそれなりにあっても、確かに人が暮しを維持していける場所ではなかったかも知れない。
鵜渡根島、東京都新島村所属、面積0.4km2、外周3.3km、海抜210m。
「式根島」と同じく古くから新島の属島とされ、明治時代には新島島民が養蚕のためにこの島に渡って暮らしたこともあったが、短期間で無人島となる。島内には現在も神社があるという(角川日本地名辞典)。
利島や鵜渡根島がほとんど真ん丸な形をしていたのに較べ、新島は随分と細長い島なんだナァー。
船は新島の西海岸を南下しはじめていたが、失礼ながら今のところは鵜渡根島同様、人が住む余地があるように見えない。
なんだか出発前に道路地図で見た印象よりも、随分と山がちな島である。
細長い島が、海上に屹立する山脈そのもののように見えた。
良い意味で、とってもワルそうな島だと思った。
改めて地図を確かめると、新島には集落が二つある。
北側の若郷(わかごう)と、南側の本村(ほんそん)である。
そして今回の私の目的である都道若郷新島港線は、この二つの集落を結ぶ島の縦貫線である。
その経路が本格的な峠越えであることが伺える、そんな始まりの眺めであった。
11:35 (出航から2時間15分経過) 《現在地》
船は間もなく新島北寄りの集落、若郷の沖合いを通過した。
背後に屏風のような山脈を背負っていたが、確かに海岸線に近い緑の中に、白い家並みがあるのが見える。
若郷にも渡浮根(とぶね)港という定期船の停まる港があり、特に海況の変化に応じて利用されるらしいが、この日は特にアナウンスもなくスルーし、予定通りに本村の黒根港へ進んでいった。
この旅が計画通りに進めば、今から数時間後の明るいうちに、私はあの若郷の集落からこの海上を眺めているはずだ。
これは一時の別れである。
若郷の前を通過すると、そこから本村の砂浜まで約4kmほど、アジア磯という名の険しい険しい海岸線が続く。
海岸線の背後には、島の最高峰である宮塚山(432m)が、洋上のアルプスよろしく雲を棚引かせていた。
その山姿は奇妙な台形をしていて、まるで上部を風雲に削り取られてしまったかのようである。
今回の私の探索とは、幸いにして衝突しないが、アジア磯の地形は。「こんなに険しい海岸線がこの世にあるか」と言うほど凶悪だった!!
都道がこの西岸ではなく、反対側の岸に沿って走っているのは、当然のことである。
地形図だけでは計り知れなかった、トンでもない険しさだ。
…東京都の島は、ただの島ではなかった。
全く侮り難いスケールをもった別世界だ。
11:55 (出航から2時間35分経過)
アジア磯に沿って南下する最中は、このまま新島には上陸できる場所など無いのではないかと思えるほどだったが、20分もすると島はまた大きく表情を変えた。
新島のほぼ中央部にある、大きな低地。
素人目にも新島が二つの大きな海上火山の繋がった島なのだと分かる伊豆諸島で最大の平野部と、その入口である穏やかな砂丘が姿を見せたのだ。
船は吸い寄せられるように、低地へと舳先を向けた。
ほぼ同時に、新島への接近を知らせる船内アナウンス。
お降りの方は準備を始めて下さいと言っている。
私も外甲板を一度離れ、下船の準備をせねばならなかった。
無事に最初の航海をやり遂げ、遂に新島が私の探索を受け入れようとしている。
こんなに興奮したのは、久々ではないか。
黒根港へ接近していくと、新島と相対する位置に平らな二つの島影が前後して見えた。
手前は地内島という無人島で、奥は新島の次の寄港地である式根島だ。
伊豆諸島では珍しいリアス式海岸をもつ式根島には、都道237号式根島循環線が、その名に反して島を半周だけしている。
これもやがては走破しなければならないターゲットだ。
12:00 (出航から2時間40分経過) 《現在地》
黒根港着の予定時刻である正午となったが、船はまだ接岸できずにいた。
これは“条件”が発動してしまった…わけではなく、アナウンスによると、同じ埠頭を利用する東海汽船の船が今ちょうど接岸しているので、同船が出航してからの接岸作業になるとのことだった。
…むむむ。
スグソコに見えている愛おしい陸地に、なかなか辿り着けないのである。
私が新島に滞在できるリミットは、明日の午前8時過ぎまでだ。
丸一日もない。
しかも夜は探索出来ないので、2泊3日の旅とは言え、新島での探索時間は半日程度しかない。
ここでの予定外のタイムロスは私を少しヤキモキさせた。
仕方がない。天気予報に反して少し雲間に日射しが出て来たラッキーで穴埋めしてやろうか…。
もうっ、気をもたせないでよねッ!
12:04
仁王立ちの新島警察署員に歓迎され…
ヨッキれんは間もなく「 島 」に解き放たれるッ!
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