2013/3/31 14:48 《現在地》
奇妙な洞内接合部から始まる、739mの新島トンネル。
長いトンネルを抜ければ、そこは若郷集落がある島の北部である。
出た先にはどんな風景や道路が待っているのか、楽しみで仕方ない。
いつものヘッドライトが故障で使えないため、サブの懐中電灯を用いた「片手塞がり状態」で自転車に跨り、“昼闇”の開削を開始した。
(注)このトンネルは歩行者「立入禁止」ではないけれど、灯りを準備してこなかった人は、諦めてここで引き返しましょう。無灯火歩行は怪我の元です。
入洞直後、トンネル内では見慣れないものが現れた
小振りな電柱が歩道上に1本だけ現れたのだ。
しかし、その電柱にはあるべき配線が存在せず、手持ちぶさたの状態になっている。
ハテナと思って周りをよく見れば、配線が無いのはこの電柱だけでなく、照明からも配線が取り除かれていた。
これは実は大きな意味を持っている。
新島トンネルの照明は、“消灯”ではなく、“廃止”されていたのである。
トンネルが異境ではなく、人間界であり続けるための最重要のアイテムである照明の削除。
これは道路管理者から我々に対する、重大な意思表示である。
“仮設都道”の辺りから感じ始めていたことだが、いよいよ“廃道探索”の臭いが濃厚になったと言わざるを得ない!
それで天井から取り外された電線がどこへ行ったのかというと、このように路傍に寄せられていた。
なぜわざわざ取り外したのかは不明だが、再利用するつもりはまるで無さそうだ。
砂や土に混じり、もう打ち捨てられたも同然であったから。
なお新島トンネルには、車道の海側にタイル敷きのゆったりとした歩道が完備されており、しかも車道とはガードパイプで完全に分離された安全設計(歩行者にも優しい)である。
この辺りは既に紹介した「吹上げ洞門」と共通した設計思想を感じさせる。
島の交通量に較べれば贅沢だったかもしれないが、むしろ世界に開かれたリゾート地の道路に相応しい姿であったと言うべきだろう。
そしてこのことは、本トンネルよりも新しい「平成新島トンネル」との間に存在する、大きな設計思想のギャップを感じさせる。
右の画像は、新旧新島トンネルの工事銘板(スペック)を比較したものだ。
新(平成)は全長において旧トンネルを遙かに凌駕しているが、幅は9.25mから8.0mに縮小されている。
この幅員の減少分は歩道の設置を見送った分の差に他ならない。
災害復旧という事情はあったにせよ、このある意味で時代に逆行した新トンネルにより、自家用車を持たない来島者は従来なかった縛りを受けることとなった。
それでも縛られたくないならば、この“闇”を受け入れざるを得ないのだ。
非常電話機がホラー化していた。
腐りきった蝶番が蓋の重さを支えきれなくなり、勝手に脱落。
そのグロテスクに変貌した内部を、闇の中にさらけ出していたのである。正直ギョッとした。
コンクリートの内壁や舗装された路面だけを見ていれば、これは確かに平成生まれの現代的トンネルであり、現役と言われても(無灯火に目をつぶれば)信じられるが、随所にある金属部の腐食ぶりは明らかな管理放棄を物語っていたのである。
思えばこれは“吹上げ坂”に存在するトンネルだ。ここは常に潮風が通る風穴なのである。
金属の腐食は一般的な立地のトンネルに較べても、圧倒的に早いのだろう。
しかしそれにしても平成生まれのトンネル…もっと言えば平成15年までは間違いなく現役であったトンネルの変貌には、戦慄した。
逆に、我々が普段使っている現役のトンネルがこういうことになっていないのは、目に見えないところでちゃんとメンテナンスされている証といえる。
ホラー物件第二弾…。
今度は道路標識の死体があった…。
おそらく自然に倒れたのだろう。
支柱部分の朽ち方が、やはりホラー物件になっていた。
下の美しいままのタイルとの対比が、死体の惨たらしさを一層際立てていた。
ちなみに周囲に散らばっている破片は、支柱から禿げた塗膜である。
潮風の力が、独りでここまで破壊したのである。
我々人間が浴び続けてもどうということはないが、金属にとっては死の風に他ならないらしい。
そして肝心要の標識の中身だが…。
これ以上壊さぬように最大限注意を払って裏返してみると、島でははじめて見る「信号機あり」の予告標識だった。
向きから考えて、いま来た方向に対する予告である。
だが、信号機なんてあったか?
そんなものは無かったはずだ。 無かった。
いや、実はあったのだ。洞内信号機が。
左の画像は、日本サミコン株式会社公式サイトに掲載されていたもので、私が「奇妙なとんがり頭の仮設トンネルのようなもの」と表現した新島トンネル延伸部分の貴重な施工写真である。
この写真と記録の発見によって、延伸部分が同社の「Ap_pass」という全国に多数の施工事例を持つ看板商品だったことに加えて、新島近海地震の災害復旧工事に関わる施工だったことも確かめられた。
さらには、現役当時この接合部の壁面に信号機が設置され、1車線&急坂の仮設都道での交通整理を行っていたことも判明したのである。(情報提供者様、ありがとうございました)
信号機の行方は不明だが、朽ちた道路標識は、たった3年間だけ稼動した洞内信号機の名残りだったのである。
この写真が一番 “らしい” のではないかと思う。
それにしては平凡な写真だって?
…その通りである。
ここが離島であることを感じさせるものなど何もない、平凡な現代の道路トンネル風景。
だが、そこにあるべき自動車の姿はなく、全てを紅く照らすナトリウムの光もない。あるのは地下の闇と静寂だけ。
どこか未成道にも通じる、完成された構造物と、その極端な使用感の乏しさのギャップ。
これこそ、誕生から15年足らずで(都道としての)役目を終えた新島トンネルの(気の毒だが)“らしさ”だと思った。
トンネル内に立つ道路標識も、やや珍しい眺めと言える。
しかも塗装された反射材のおかげで、極端に目立っていた。
(皆さんも意識して見て欲しいが、意外にトンネル内は(支柱式の)道路標識が少ない)
そんな目立ちたがりの標識が教えているのは、この739mのトンネル内が7.5%という結構な上り勾配であるということだ。
私はここへ来るまで、てっきりトンネルの中央付近に峠の頂上があるものと思っていた。
だが実際は違っていて、このトンネルは全線が本村側から若郷側への上り坂になっていたのである。
しかも結構な急坂(全線7.5%)であり、私に新釜を彷彿とさせた。(新釜の勾配は10.9%)
新旧トンネルの高低差を示したのが次の図だ。
新旧トンネルともに、本村側から若郷側に向かって一方的に上る片勾配のトンネルである。
そして図は概念図なので高さも長さも正しく描写できていないが、平成新島トンネルは全長約2800mで60mの高低差であるのに対し、新島トンネルは全長約700mで50mの高低差を克服しており、単純計算で4倍近い急勾配なのである。
そしてこの海面から突き上げるかのような急勾配が、新島トンネルに「ある注意すべき現象」を引き起こしていたが、その事を知るのはもう少し先だった。
トンネル内にも200mおきに見慣れた青色のキロポストが設置されていたが、終点から起点に向けて徐々に減ってゆくその数字が「4.0」となったとき、そこには初めて目にするカラフルな案内板が立っていた。
ちなみにこの画像は上下反対ではなく、ありのままだ。
本来は反対の歩道側に向けられていたものが、強風で付け根から折れ曲がってこうなったものと思われる。
キロポストを兼ねた案内板は、島の全体を描いた可愛らしいイラストマップになっていて、「島唯一の都道」に対する親近感を感じさせる作りになっていた。
しかし、少々トンネル内には不釣り合いであった。
そしてこの案内板により、都道若郷新島港線に与えられた通称(愛称)を初めて知る事になった。
「新島本道 (Niijima Around Road)」というのがそれである。
これは素直でなかなか格好いい愛称だと思った。
そして、トンネル内で「目的地」までの残りが4kmを切った。
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14:56 《現在地》
入洞から7分が経過した頃、私はようやくこのトンネルの中間地点に辿りついていたことを、壁面の非常口案内板から知った。
もちろんアレやコレやと撮影しながらのペースではあるのだが、肌に感じるはっきりとした逆風の中、景色に変化のない上り坂を漕ぎ進むのは、時間を長く感じた。
なお、トンネルで正面を向いていると上り坂か下り坂かが分かりづらいが、側壁に取り付けられた非常口案内板はどのトンネルも大抵水平を意識して取り付けられているので(おそらく防災上の意味があるのだろう)、この写真では7.5%という勾配がよく分かると思う。
再び空虚な “らしい” 写真を1枚。
トンネルは最初左にカーブし、それから緩やかに右へ反転してから、終盤は再び左へ舵を切るという、全体としては凹形の線形である。
それゆえに、トンネルの全長の大半は、出口も入口も見えない状態に置かれている。灯り無しでは攻略出来ない。
目的地へは徐々に近付いているのであり、気持ちはそれなりに昂ぶっているが、それでも深く単調な闇は気持のクールダウンを促した。
つまらないとか面白いという問題以前に、これが闇に対する精神の自然な反応だった。
そしてクールダウンするにつて、私は嫌な予感を感じ始めていた。
それが何なのかも分かっていたが、敢えて口にすることは無かった(独りだからね…笑)。
トンネル探索は後半戦に入っていたが、序盤の200mほどで見た景色が定期的に(数字を少し変えながら)現れるだけだった。
天井から壊れて垂れ下がる電線を見て、私は自然と「廃隧道」なんだと受け入れていたが、
否。
ここは「廃隧道」であってはならなかったはず!そうでなければ、この島は歩行者や自転車利用者にとって甚だ不名誉な事態を確定させてしまう。
それは本土とは違う離島の意外性として「面白い」かも知れないが、
一道路ファン(そして旅行者&サイクリスト)としては、あって欲しくない事態だった。
そんな “嫌な予感” を闇の中でたっぷりと育て、背負ってきた私の前に、
眩い光に包まれた待望の出口が、
“答え” を用意して、
待っていた。
↑答え。
↑Answer↑
マジなのか?
ここまで来て…
長大暗黒激坂トンネルを脱出する直前でのこの仕打ち……
「大島支庁」は修羅か羅刹か?
ただの柵ならば、まだいい。
しかしここにあるのは、高さ2mを優に超える有刺鉄線付きのバリケード。
ワルニャンを許す気が全くないとしか思えない。
マジで帰れってか?
この光景を見た瞬間、色々な考えが一気に頭の中に渦巻いた。
このゲートが開くかどうか。そしてもし開かなければ、どうやって先へ進むか。
それは確かに大きな関心事であったが、それよりも先に私の心を奮わせた事がある。
それは…
本村から若郷へ自転車で行く正規の陸路が存在しないという事実に対する驚きだった。
普通、交通手段ごとの移動の自由度は、「自動車<自転車<歩行者」の順に大きくなる。
つまり、自動車は通れない峠道も自転車や歩行者ならば通り抜けられて、隣の町や村や集落へ直接ゆく事が出来る。そういう場面は数多く存在する。
だがこの新島では、島内の二つの集落を徒歩や自転車で行き来するという、余りにも当たり前で必要最小限度と思えることが、出来ないのだ。
基本的人権の中に移動権が……などと分かりもしない高尚な話をするつもりはないし、実はその対策として、新島の村営バスは完全無料で運行されているというこれまた驚きの事実があるのだが、それにしても運行は1日3回に過ぎない。
自家用車が無ければ、例えば夜間に両集落を行き来することは出来ないのである。
そこに需要があるかないかは(私にとって)重要ではなく、島民は自由に漁船を使って移動しているのではないかという可能性さえ、重要ではない。
ただただ、土地の広さに応じて交通手段の自由度も大きい本土と、その両者に大きな制約がある離島の間にある、交通に関する“常識”の違いを思い知ったのだった。
本当に驚いた。
←扉は施錠されていないように見えたが、全く動く気配を感じさせない、土砂が詰まった門扉の溝…。
これでは開けられるはずもない!!
実は、入島直後の「この段階」から薄々感じはじめ、「この時点」からますます大きくなっていた“嫌な予感”は、こうして見事(?)に的中した。
迂回路が案内されていなかったのは、何も不親切からなどではなく、そんな物ははじめから用意されていなかったのである。
“仮設都道”の出入口のゲートが積極的に封鎖されていなかった理由は不明だが、とにかくこの最も迂回困難な位置にあるゲートが閉じているというのが、行政側(大島支庁ないし新島村)の歩行者およびサイクリストに対する“答え”に他ならないだろう。
そのうえ、「施錠されていないように見えた」のは私の勘違いで、実は施錠されてもいた…。
15:02 《現在地》
事がここに至りては、
もう、ワルニャンしかない!
天の慈愛かあるいは悪魔の誘惑か、
文字通りの“鉄壁”と思われたバリケードの山側の隅に、草木の通じる小さな隙間が存在していた。
その狭さたるや…
←物理的に、自転車を通す事は不可能。
……だと思うスべ?
ところが。
ワルニャン・スピリッツを継承した我が愛チャリ
「ワルーキー」にさほどの不可能はない。
チャリは人間とは違い、分解することで狭い部分を通る事が出来るのだ。
特に少ない手間で効果が絶大なのが、前輪を外すことだ(写真では後輪も外しているが)。
前輪を外した状態でハンドルをフレームと平行に(則ち90度)曲げることで、ペダル幅まで狭いところを通過出来るぅううう!!
さらに私は常にペダルレンチ(ペダル取り外しの器具)を持ち歩いているので、ペダルも外せば、私が通れないほど狭い隙間も通せるが、
私が通れないのでは意味がないかも知れない(笑)。
15:09 《現在地》
一時は真剣に万事休すかと思ったが、
灰の中から蘇る不死鳥の如く、トンネルの闇の中から、
ヨッキが脱出してきた!!
そんな、文章にすると、さすがにちょっと恥ずかしいくらいヒロイックな気分に浸りながら、
私は遂に島の北部へ…都道起点「若郷」の地へと、歩みを進めた。
この展開は、ちょっと有頂天もやむなしでしょ??
おぃおぃ…
トンネルを抜けたらそこは「ギアナ高地」かよッ!
マジで都内は広いなぁ…。
次回、
“8年ぶりの自転車” が若郷襲撃?!
の巻。
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