東京都道211号 若郷新島港線 第3回

公開日 2013.4.14
探索日 2013.3.31

島の廃道 VS ヨッキれん ついに始まる!


2013/3/31 13:18 《現在地》

いよいよ待望の、新島における廃道探索を開始するわけだが、その前にフォームチェンジを行なった。

探索の邪魔になる60リットルの巨大リュックを「都道開設の碑」付近にデポし、その中に“マトリョーシカ”よろしく潜めていた普段の探索用リュックを取り出して、背負い直したのだ。
これが、このレポートの冒頭より匂わせてきた秘策の“Wリュック作戦”である!

置き去りになるのは主に野営道具などで、食料や貴重品は常に持ち歩くようにしているが、念のためデカリュックは植え込みの中に隠しておいた。(笑)
これで本当に準備完了だ!! 




かの「塩那道路」を封鎖しているものよりも厳重な、

有刺鉄線2.5m高の金属製フェンスによる全面バリケード。

開閉部分が存在するが、しっかり施錠されている。
また、脇や下の隙間もしっかり固められていた。



私が何をしているかは敢えて書かないので、画像から判断して貰うとして…

バリケードの先の道路の様子が、明らかに普通じゃない!!

バリケードの前にいるだけでは見る事が出来なかった、カーブの先の部分には、
さらに道を塞ぐように高い砂利の山が築かれているのが見えたが、真の問題はその奥だ。


私には道が無いように見えるんだが。



やっべ…!

しくじったかも……。


バリケードを越えた開放感から、すぐに自転車を足元の路面に降ろしてしまったが、これは先の状況を十分確認し、自転車で走れる状態かをチェックしてからにすべきだった。

…が、もう後の祭。

なんか島に来てから、行動が前のめり気味だな…(苦笑)。




厳重なバリケードに続く、封鎖の第2弾

“巨大砂利山”が出現!

ここはギリギリ、タイル貼りの歩道部分に、自転車と一緒に進める余地が残っていてくれたが…。




砂利山を躱して進むと、間髪入れず封鎖の第3弾が出現!

今度は“巨大土嚢山”が、行く手を遮る!!

これはなんだ! 道路封鎖の見本市か!


これまた本当に辛うじて歩道部分に余地があり、自転車と一緒に先へ進むことが出来たのだけれど……

なんというかもう先行きに戦戦兢兢。先細り感が半端ない!


そ し て



即座に封鎖の第4弾…

“巨大コンクリートブロック山” で、

道路が完全に打ち切り!


俺の探索はまだおわらねぇえええええ!!!!

などと明らかに虚勢を張りつつ、自転車を担いでCBによじ登る。



そ し て




原野の彼方に、2本の電信柱を見る。



以上、

新島の廃道の現場から、ヨッキがお伝えしました。




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13:27 《現在地》

新島廃道界の思いがけない手厚い歓迎に、私は自転車を持ち込んでしまった事を単純に後悔した。

この場所は、一見したところ、過去に道が作られた事の無い原野のようでもあるが、
やはり間違いなく、ここにも先ほどまでの立派な歩道付きの2車線道路が、
平成12年の新島近海地震に被災するまでは存在していた“廃道”なのだった。

その証しは、この深い緑の奥にたくさん、隠されていた…。



先へ進む前に、道をこんな姿に変えてしまった元凶に違いない、

宮塚山の山腹に目を遣った。

道から近いところにある柱状節理の黒い岩場に目が行くが、
それよりずっと山頂に近い高い所の岩場の方に目を凝らしてみると…



お分かりいただけるだろうか。

普通ならばこの道の法面とは考えられないような遠く離れた山頂付近に、人工的な斜面の補強が行なわれている。
(この道とあの斜面の間に、他の道や施設は存在しない)

大体あの辺りは道から見て水平距離が300m、さらに高度が300m離れている。

おそらく補強してある場所は、新島近海地震で崩壊した跡なのだろう。




当然、これでは自転車に乗れるわけもない。しかし、置き去りにする決断を下すには、まだ早い。

自転車は明らかに足手まといだったが、置き去りにすれば取りに戻ってくる手間が“確実に”増えるのだ。
そういう“負い目”を持ちたくないという気持ちから、ついつい無理をして自転車を廃道の奥まで運び込んでしまう。
その結果、見事に突破出来て大成功ということもあれば、結局実を結ばず、苦痛だけを増す場合もある。
こればかりは、未来を見通すエスパーでも無い限り、事前に答えを見出すことは出来ない。

苦労しながら、自転車を草むらの中に50mほど押し進めてゆくと……。




助かった! のか?

とりあえず、遠くから見た時には一面の草むらにしか見えなかった中にも、
こうして残っている往時の舗装路面を見つけて、我が意を得たりの気持ちになった。
とても心強かった。これならば、自転車もなんとか連れて行けそうだ。
このまま県道の起点である若郷集落を取りに行こう!

ん? 何か見えるな。 銀色のものが。



銀色のものの正体は、無惨に破壊されたステンレスかアルミ製のガードパイプだった。
これは先ほどまでの現役区間にも見られるものであり、そこは歩道の路肩である。

当然、ここでも歩道部分の舗装は……




観光色たっぷりのタイル貼りである…。(→)

廃道は廃道でも、“災害廃道”という非情さと相俟って、タイルの明るい色を見ていると、少しばかりいたたまれない気持ちになった。

道自体は見事な長大トンネルによってちゃんと復旧したけれど、旧道や旧旧道だけが誇っていた珠玉の車窓は、(おそらく永久に)失われてしまったのである。

その眺めは、もう少しで私の前に登場する…。



なんとかこのまま舗装路面が続いてくれと願いながら進んで行くも、その願いは呆気なく否定されてしまった。

こんもりとしたススキの“森”が…。




13:31

唐突ですが… 自転車もー無理!

とりあえず、【ここ】に置いていくことにした。

いや、死力を振えばまだ自転車を担いだり投げたりしながら、少しずつ進むことは不可能では無いと思ったが、
先行きがまるっきり分からない状態で頑張りすぎても、万が一それで引き返す羽目になったら目も当てられない。
最悪、この最初の廃道だけで今日一日が終ってしまいかねない予感さえあった。

ここに自転車を置き去りにすることは、最初のバリケードに自転車を持ち込んだ事が失策だったと確定させることになるが、仕方ない。
こういう押し引きも廃道探索の醍醐味だと割り切るしかないのだ。




自転車を置き去り(デポと言いたい)にした地点から、数十メートル進むと、再び半車線分ほどの広さで舗装路面が現れたが、そこには2m四方もあるかという巨石が、主面をして鎮座していた。

当然、これも山から転げ落ちてきたものだろう。
覆い被さるジャングルのため、見上げてもここから岩場は見えないが…。

この岩の無造作な置かれ方は、被災直後の道路がどれほどの“修羅場”であったかを想像させるに十分だった。
交通量が少なかったため、通行中の車への被害が無かった(らしい)のは幸いだったが…。
いま辿っている廃道区間は、被災後に一度も復旧されることなく、そのまま廃止された区間と見て間違いなさそうだ。
平成新島トンネルの坑口に飾ってあった案内板の写真の末路だったわけだ。




その後もときおり背の高い草むらに行く手を阻まれたが、平成12年まで歴然と存在していた2車線片側歩道付きの舗装道路は、断続的な路面を存続させており、私を導いてくれた。

まるでジャングルような灌木帯の中を身を屈めて進むことしばし、ふと首を上げると、見覚えのある電信柱が間近に突っ立っていた。
このジャングルに突入する前に遠見した電信柱のうちの一本であろう。

それからまたジャングルに突入し、薄暗い所を進んでいく…。




宮塚山の斜面崩壊がこの道路にもたらしたのは、落石という生易しいものではなく、植生ごと山の斜面を道路上へ送り出してきたようだ。

この先では完全に路面が“山の斜面”の下に覆い隠されていた。
これを見て、たった12〜3年前に廃止された道路だとは誰一人思うまい。

ここに至り、先ほど自転車をデポしてきた判断が間違っていなかったと思った。




マジか!





13:37 《現在地》

廃洞門!

はいどーも、どーもー!!!

旧トンネル(新島トンネル)の存在は地図上で予期していたが、

よもや、その他に廃洞門が存在していようとは… チョー嬉しい誤算だ。

しかも、現代的な作りをした構造物の廃物件は、“災害廃道”を象徴する、悲しくも貴重な存在である。




哀れな都道の残骸に与えられた名は、

吹上げ洞門!

石の島“新島”を象徴するような、石タイル貼りの上品な坑口には、
コーガ石の淡いクリーム色をした銘板が、誇らしげに填め込まれていた。

とても廃道には似つかわしくないお洒落な姿が、自然の非情な暴挙を物語っていた。



ここから見上げる宮塚山は、標高432mばかりの低山とはとても思われない峻険さで、

太平洋が直にぶつけてくる強い東風を、俎板のごとき絶壁で上空へ “吹上げ” ている。

このときも強い汐風が、不安定な崩土の山に立つ私に微かな浮遊感を与えていた。




眼下に目を向ければ、そこには原色の海!

子供の頃、空の色を映すから青いのだと教わった海だが、新島では曇天でも遠慮なく青かった。

アメリカの西海岸ロサンゼルスまで約9000km続く水平線が吐き出す本当の海風が、新島を削っている。




そして、

ここで来た方向(南)を振り返るとき、


そこには 都道が永遠に喪ってしまった、忘れがたい車窓 があった。




新島を最初に訪れた観光客の大半が真っ先に向かうという、伊豆諸島最大の砂浜 「羽伏浦」。

私は今から約1時間前にその入口を「時間がないから」とスルーしていた。
しかしそのお陰で、こんなに俯瞰的でダイナミックな初対面を果たせた。


島の人々が誇る全長5kmにも及ぶ白砂の海岸線だ。この距離は新島の全長の半分よりも大きい。
そしてそこはサーファーたちのメッカでもあるが、この日は浪にたゆたう彼らのカラフルな姿が見えなかった。
今日の新島を“趣味的に占有”するのは廃道探索者一人だけなのだろうかという勝手な想像が、私を微笑ませた。




新島の立体的な地形を一言で表現すれば、それはまるで天秤棒か鉄アレイのようだ。
北側の宮塚山から中央の低地を見下ろせば、その向いに「向山」が、「利島」を移設したような山容を見せる。
地図の上では比較的単純な海岸線である新島だが、実は十を超す火山が狭い島内に割拠する、
極めて複雑な地質と地形を有する島なのである。

そんな地形に真っ向勝負を挑んだのが、昭和33年開通以来の都道…通称「新島本道」であった。
もちろん戦いは人智の勝利ばかりとはならず、わずか半世紀の間に2世代(旧道と旧旧道)を放棄させられた。


そんな放棄された道の姿だけでなく、その道と共にあった車窓を記録することも、私の旅の目的だ。

道と車窓とは、常に一体のもの。

そしてここ新島こそ、上記二つが共に満たされた、オブローダー至福の地……。