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コメント
35,5862020-08-26 07:24:16/mini/253/main.html [コメント一覧]9
ちょっと北には「大切通し」などという気になるものもあるが、、、
35,5852020-08-26 05:50:27/rail/sugisawa/main4.html [コメント一覧]10
仁別側(旭又登山口からの登山道)にも枕木の一部が残っていますね!5年前の記事だけど、敷かれたままのレールは今どうなっているのでしょう。
35,5842020-08-26 05:26:43/road/sasikiri/main5.html [コメント一覧]10
「かちょー『府縣道』なんて今は廃止ですよー」「うるせー誰が迷惑すんだ言ってみろー」
ゴリ押しで今に至る。
という微笑ましい光景が目に浮かぶ良い時代
今ならネチネチ突っ込む無粋な輩が多そう…。
35,5832020-08-26 04:35:30/road/abura/main5.html [コメント一覧]10
素晴らしいの一言
35,5822020-08-26 03:23:15/road/abura/main5.html [コメント一覧]10
素晴らしい廃道レポートありがとうございます。
行ってみたいけど、自分の足では厳しいので、こうやってレポートしてくださることで行った気になってます。
昔の人もヨッキさんと同じように命がけで旅をしていたのでしょうね。
35,5812020-08-25 22:43:16/mini/246/main2.html [コメント一覧]10
この短命さは対抗できるとしたら清水隧道くらいか
机上調査1枚目の大正時代の地形図、隧道疑定値に何か記号があるように見えなくもないですね
35,5802020-08-25 22:39:14/rail/senzu2/main28.html [コメント一覧]10
続きはまだですか?
35,5792020-08-25 22:13:11/koneta/koneta_176_2.html [コメント一覧]10
いつも楽しく拝見しております。
おいらん淵は若いころ心霊スポットブームに乗じて良く行ってました。寂しい限りです。2〜30年前の記憶で曖昧ですが、幅2〜3m高さ1.5〜2mほどの黒い石碑も立っていたように思います。
いつも真夜中に行ってたので、あり得ないくらい綺麗な星の記憶だけ鮮明です。
これからもお体に気を付けて、ご活躍を期待しております!
35,5782020-08-25 22:06:10/mini/253/main.html [コメント一覧]10
本籍地が旧坂北村で、役場の割と近くに今でも実家が有るので、この建物前は月に数回通っています。今回は寄られなかった様ですが、資料館の中にはうちが提供した資料もありますよ。そんなこと思いつつ、前編を読ませていただきました。
35,5772020-08-25 21:17:11/road/abura/main5.html [コメント一覧]10
糸魚川の親不知のように、むかし波打ち際の浜を歩いていた事による親不知かと思った
35,5762020-08-25 20:43:55/rail/miyama/main6.html [コメント一覧]10
ここ、気になってました。
やはり旧隧道は現存したんですね。
さすがよっきさん。
35,5752020-08-25 20:38:58/mini/253/main.html [コメント一覧]10
ミニレポにしては,なかなか濃いな…当初はミニレポだとは気が付かなかったww
35,5742020-08-25 19:05:56/road/oochiyo/main11.html [コメント一覧]10
私は7月頃にこのレポートを全て読ませていただいていたのですが、先日駿〇予備校の実戦模試で青ヶ島の地形図が載った問題が大問1つ丸々出題され、解きながらこの場所はこんな風景だったなと思い出しているうちにもう一度読みたくなって見に来ました。自分自身でも1度は行ってみたい場所です…
35,5732020-08-25 18:00:49/road/abura/main5.html [コメント一覧]10
とんでもない場所を自動車が通行していたのですね。
間違いなく死傷事故が起きていそうな気がしますが。
35,5722020-08-25 17:44:28/road/abura/main5.html [コメント一覧]10
こんな悪路僻地にも人の生活と歴史が綴られていることに驚嘆させられる
山いがの真骨頂みたいなレポ
35,5712020-08-25 16:44:32/road/shimizu2/main12.html [コメント一覧]10
一気に読んじゃいました。面白かった!
35,5702020-08-25 16:37:24/road/yagisawa/main4.html [コメント一覧]7
>ブラックやのに、加糖
https://en.wiktionary.org/wiki/black_coffee
Coffee served as a beverage without cream or milk.
つまり加糖であってもブラックと言っていいのです。
ティムホートンズなんてデフォがダブル・ダブルなのでw
単にブラックと注文するだけでは、十中八九甘いのが出てくるw
35,5692020-08-25 13:29:43/road/r253_hakka/main4.html [コメント一覧]9
アプローチの車道とはつまり魚沼スカイライン(新潟県道560号田沢小栗山線)ですが、計画時は有料道路として小出まで通すつもりだったようですね。ウィキペディアには1963年(昭和38年)ころとありますが、確かに「ころ」だけど前年には計画があったようで、昭和37年の記念碑にその名を見ました。
八箇峠と同じ山脈をトンネルで抜ける峠としては一つ北側になる峠が一村尾峠になると思います。現トンネルが一村尾トンネルと後山トンネルで、その間に旧後山トンネル(後山隧道)の開通記念碑があります。
碑文に「昭和の青の洞門は昭和十八年以来遅れがちな教育文化産業の原因が交通の不便にあるを痛感して関係地域の熱誠の結晶により二十年間注いできた心血が実り西山連山紅葉散りしく本日こ丶に開通を見た この苦行は待望の僻地脱却と交通の便とをもたらしたに止まらず物資流通の円滑は勿論のこと文化の交流に益することは正に歴史的驚異に値する偉業であるを伝えたい 焼野浦佐停車場線こそはこの洞門を中心に四季の景観に美を添え大自然魚沼三山を背景に魚沼観光スカイライン唯一の名所となり人々の心温まる話題の地となるであろうことを記念してこ丶にこの碑を建立し併せてこれが完成に半生を捧げて東奔西走暇なく献身された小川泰夫外関係者一同を顕彰する 昭和三十七年十二月一日 有志一同」とありました。
58年を経た現在、魚沼スカイラインの話題の地になる見込みはなさそうですが、(ここが唯一の名所とは大袈裟と思いますが)魚沼スカイラインが当時大変に期待されていた事がうかがい知れます。
一村尾トンネルにその役目を譲ってからそれなりに長く経過した、後山隧道(夏場も楽々近づける)ですが、過去のレポートでもストリートビューでも通行止めがよく見えず、廃隧道なのかどうかわかりませんでした。本日訪れてみたところ、設置されて2年以内くらいの(工事しない限り開けることができない)新しい柵がありましたので、晴れて?廃隧道の仲間入りをしている事を確認しました。ただしこの柵(両面共同じ仕様)はこれ以上は無いというくらい脇の甘い柵です(藁
http://photozou.jp/photo/photo_only/3259187/266234612?size=1024#content

周辺情報ですが、バブリーな現後山トンネルの上の旧道は廃道化しつつあり、狩り払いが無いので夏の今は4輪は断念、2輪ならどうか?という感じです。
35,5682020-08-25 10:05:40/road/nagawado/main5.html [コメント一覧]10
奈川渡ダムの廃遊歩道めっちゃ楽しく読めました!ありがとうございます!生還おめでとうございます!12年前のレポートなんですね、もっと他のも読みます(^^)
35,5672020-08-25 07:35:43/road/abura/main5.html [コメント一覧]10
正直なところ「崩」の付く地名は意外と多いと聞いていたので、地名そのものにはあまり関心を曳かれていませんでした。
このレポを読み始めたのは、以前にまとめていただいていた須築への道のりの続きであり、かつての瀬棚線への追悼然とした
気持ちが有った故のことでした。

ですが、やはり信用はするものです。
本当に、凄い崖を見せていただきました。
そして凄い崖に挑んだ先人たちの苦闘の跡と、離れていても離れずにその後を辿ろうとするヨッキれんさんの覚悟も見せていただきました。
35,5662020-08-24 23:53:25/road/abura/main5.html [コメント一覧]10
さすが沿岸バスの祖先(?)、石が降っても走ります。
35,5652020-08-24 23:14:26/road/abura/main5.html [コメント一覧]10
こういった天険を仰ぎ見ながら通っていた危険から解放されてまだ半世紀、快適な交通は現代人にのみ供されている特権なのだとしみじみ感じます。しかしこうしたインフラは維持費も莫大で、果たして持続可能なのでしょうか?人口が減り、経済が縮小してインフラが元へ戻ることがないことを希望します。
35,5642020-08-24 22:22:38/road/abura/main5.html [コメント一覧]10
素晴らしかったです。
最後の3行、以前公開されていた”勝ったのは山チャリストだった”(うろ覚え)の一文がふとよみがえりました。
時間を経て言い回しは変わっても、語る目線はずっと同じなのだろうなと思いました。
35,5632020-08-24 21:11:08/road/abura/main5.html [コメント一覧]10
最後の一文、心に響きます。ぶれてないんですね。拍手!
35,5622020-08-24 20:18:43/road/abura/main5.html [コメント一覧]10
229号線 オソルベシ
35,5612020-08-24 18:13:38/road/abura/main5.html [コメント一覧]10
まさに天から降ってくる岩石による、刑場のような驚嘆の場所。
すごい道路を紹介して頂きありがとう御座いました!
35,5602020-08-24 14:54:14/road/abura/main5.html [コメント一覧]10
クズレの本名は悪岩石だったのか
北海道の道はすごいな
35,5592020-08-24 14:22:44/road/abura/main5.html [コメント一覧]10
松鶴家千とせ風に言うならば
「俺がダートだった頃、弟は木橋だった。母親は素掘り隧道で、父親は国道だった。わかるかなぁ、わかんねぇだろうなぁ」
35,5582020-08-24 13:24:45/road/abura/main5.html [コメント一覧]9
新道に役目を譲り廃止された道が
現役の国道と集落のすぐ近くで
さほと厳重に封鎖されていないにもかかわらず
封印されたように手付かずな状態で残っていた
という事にえも言われぬ感慨を覚えますね

道が通過する地形があまりに険しいため
沿道に利用可能な土地が無く
土地所有者の思惑や欲望の干渉を受けない
純粋廃道 の魅力がきわだつ実踏調査でした

しかし古い時代からノータッチで放置された廃道だけに
机上調査で得られた情報が乏しいのは如何ともし難い
現役当時の写真などがどこかに残っていないものかな
特に隧道や橋の完成時には
時代を考えても写真が撮られていた可能性はありそうですが
35,5572020-08-24 10:19:23/road/abura/main5.html [コメント一覧]10
まさに天嶮.
とはいえ爽快なお天気のせいで突き抜けた解放感.
行ってみたい.

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