2017/2/7 13:14
私をこの上もなく励ましてくれた、新たなる隧道発見。
興奮醒めやらぬまま、現在は約200m下流へ進んだ2.5km地点付近にいる。
相変わらず軌道跡らしき平場が左岸沿いに断続しながら続いている。写真の左側に見えるのがそれだ。
谷の地形の険しさも、これまた相変わらずのものであり、脱走は許されそうにない。まして、自転車同伴ではまず無理だろう。
今回、自転車を連れたまま帰路を兼ねた田代川の下降を行っているが、予想される下降距離(川の長さ)は5kmなので、ここは中間地点ということになる。
下降を始めてから要した時間は1時間30分ほど。まだ、先は長い。
しかし、その長い“先”の中に一箇所、とても大きな楽しみな場所が出来た。
それは、3.3km付近から3.9km附近までの、田代川筋で最も“トンネル効率”の高そうな大蛇行だ。
これまでの隧道の出現パターンからして、大いに期待して良いと思うのだ。(フラグになるなよ…)
そんなわけで、後半戦もはりきってスタート!
ん! 前方の川の中で、何か大きなものが動いている!?
そいつは、私の接近を意に介する様子もなく、まるで獅子舞の獅子(しし)のようにかぶりを振る大きな動作を繰り返している。
まさしくそいつは、探索中にはあまり遭いたくない大型の野生動物であるに違いなかった。
私に緊張が走る。
さすがにクマは房総にいないはずだが、あいつの正体は――
獅子は獅子でもイノシシ(猪)(読者さまより、イノシシではなくイノブタとの指摘あり)だった。
彼らはクマや野犬ほど危険ではないが、気性の荒い彼の突進には人に怪我をさせる破壊力があると聞く。
しかも、まさにいまヤツは興奮の渦中にあるように見えた。
私が通過のために近付く素振りを見せても、一向に逃げる気配を見せず、激しく頭を振り続けている。
異変に気付いたのは、少し経ってからだった。
はじめは水場で“ぬたを打つ”ことに夢中になっているのだと思っていたが、いくら私が音をたててもこちらを見ないし、バタバタと破壊的に動くばかりで逃げ出しもしない。それで分かった。
どうやら彼は、この場所から離れることが出来なくなっているらしい。崖から転落したか何かで、下半身が思うように動かせないようだった。
必死にもがく姿を見て可哀想と思ったが、何かが出来るわけもない。
ただただ野生の非情を想い、我が身を戒むのみだった。
13:24 《現在地》
生死の現場を足早に通りすぎて少し進むと、2.8km地点付近で、これまで見たことのない広い谷間に出た。
ここは左から細い支谷が合流する出合になっている。
今までもそうだったように、こんな場所の川畔の微高地には、やはり大掛かりな炭焼き窯の跡が残っていた。
全国的に見ても、このような低山で、しかも古くから人の手が入っている森でありながら、ほとんど人工林に更新されず残っているというのは、案外に珍しいことだと思う。
これは私にとっても大きな美点であり、遺構の密度があまり濃くない、それでいてかなり長い行程でありながら、苦痛と思うほどの退屈を感じずここまで来られている。
堰堤だ!
窯跡がある広い谷のカーブを曲がった直後、二段になったコンクリート造の堰堤が行く手を阻んだ。
確か出発前に読んだスー氏のブログにも、途中一箇所堰堤があったことが書かれていた。「途中で意外にも小さな堰堤が現れた。右岸のロープを頼りに越えていった
」と。
自転車同伴で谷を下るという決断をするうえで、この堰堤の存在は大きな気掛かりだったが、“小さい堰堤”という表現を頼ってきたのだった。
実際の堰堤は、確かに大きいか小さいかと問われれば、小さなものであった。
しかし、自転車同伴で下るには、悩ましい高さと両岸の急傾斜だ。迂回するルートもこれといって見あたらず、スー氏があると書かれていた“右岸のロープ”とやらも確かにあったが、自転車の移動に役立てることは出来そうになかった。
結局、我が愛車“ルーキー号”は、本日この谷で二度目の逆落としの洗礼を受けることになった。
一度目はとてもお利口さんに動いてくれた愛車だったが、今度は少しばかり崖から跳ね、
フロント部分が淵に嵌まり込むという、ささやかな反抗を見せた。
すみやかに救助し立ち上がらせた。大丈夫だ。まだやれるな。よし、やれる。
ところで、堰堤にはしばしば取り付けられている竣工年などを記した銘板を探してみたが、
この堰堤には見られなかった。作り的には昭和後半のものだと思うが、取水堰ではないようなので、
房総の谷では珍しい砂防ダムであるようだ。軌道跡とは無関係だろう。
13:30〜45 《現在地》
堰堤の下に待ち受けていたのは、これまでとは一変して堆積物がほとんど無い、恐ろしく平滑な一枚岩の河床だった。
その平らさ具合といったら、深さ5cmにも満たない薄い水面が、ごくごく小さな流紋を浮かべながら、幅10mもあろうかという河床を広く覆っているのであるから、もはやこれは“砥の如し”なる古の道路改修記念碑に頻出する比喩的な路面への讃辞を、天然の造形物である河床に与えたくなるほどであった。
となれば、私は当然考える。
これまで約2時間も地形による抑圧に耐えてきた“愛車”による、華麗なる反逆を。
ここならば、自転車で走れるんじゃねーかと。
これまでのスローペースを一気に巻き返すチャンスの到来に、私は意気揚々と濡れたサドルに跨がった。じんわり来た。
愛車の時代は、来なかった。
河床の滑らかすぎる一枚岩は、あまりに長い年月を水面下で過ごしたためか、ヌルヌルとしていて、
MTBタイヤが自慢げに見せる凹凸では、まったく歯の立たぬこと、まさに児戯のようであった。
私はたちまちのうちに二度三度も転倒の危機を迎え、突っ張った足で無様に水飛沫を跳ね上げたばかりか――
私の身勝手な振る舞いに堪忍袋の緒が切れたのか、愛車の駆動系にトラブルが発生し、応急修理を余儀なくされた。
(チェーンがフロントギアのプレート内側に入り込み固着した。プレートを固定するネジを取り外すことでチェーンを元に戻せたが、最初はネジを外さずに直そうと横着したため、10分近く浪費してしまった。)
くっそ。
正味にして、この堰堤で15分を要した。
私は乗車を断念し、自転車は引き続き押して進むことにした。
ちなみに、タイヤほどではないが、靴で踏んでもヌメヌメは滑りやすく、注意を要した。
それから少し進むと、今度は河床に洗濯板のようなギザギザが現れ始めた。
こういう光景は、房総の谷でよく見るものだが、一見小さな凹凸に見えても、実は案外深い場所もあるので、良く足元を注意しながら歩く必要がある。
そんな深みの一つに目を向けると、沢山の魚が棲んでいた。
彼らの祖先は、トロッコ運びに汗した人々の貴重なタンパク源になったのだろうか、などというどうでも良いことを考えた。
それからしばらくはまた、黙々と進む時間が続いた。
軌道跡であるとの確たる物証こそ未だ得られないものの、状況証拠的に軌道跡と信じるに足る路盤跡は、断続的という表現よりはもう少し強いほぼ連続した存在として、林道からは隔絶された田代川の唯一の伴侶となって寄り添っている。基本的には左岸にある距離が長かったが、稀に対岸に渡ることもあった。
なまじ河床が歩きやすいがため、私のようなオブローダーにさえ歩いては貰えない軌道跡は、可哀想な存在かも知れない。
上の写真は2枚とも軌道跡が分かり易い場面の例だが、右は分か分かりにくい場面の例だ。
だが良く見れば、左岸の崖の中腹に、微妙な緩斜面の連続性が感じられるだろう。そこが軌道の名残である。
おそらくこういう場面には、簡易な木造の桟橋を設けていたのだろう。
他の林鉄では石垣を以てしそうな場面でも、石垣に適した硬い石の入手が難しい土地柄だけに、それは徹底的に見あたらなかった。橋台でさえも全て木と土であったとみられる。
14:02 《現在地》
堰堤から約400m進んだ、3.2km地点。
谷が大きな右カーブを描く地点の左岸はるか上方に、久々(2時間ぶり以上)の林道を目視した。
林道付近には電信柱も見える。ここは往路で通過した田代集落の辺りである。
見えると言っても、林道と河床の高低差はおおよそ3〜40mあり、斜面の傾斜も威圧感を覚える急さがあるが、それでも(珍しく)崖ではないので、時間をかければどうにか自転車を持ち上げることが可能そうだ。
とりあえず、久々のエスケープポイントがゲット出来たと思え、ホッとした。
しかしこのとき、私には安堵よりも緊張の度合いの方が、より強かった。
なぜなら、これより間もなく沿川随一の “隧道期待地点” に入るからだ。
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私は臆病者だということを、今さらながら自覚する。
私は今、こんなにもドキドキしている。
そして、まだ諦めるには早いはずなのに、
目の前の地形の拒絶するような急峻さに、こんなにも畏れを抱いている。
“前回”の隧道が発見された地点と較べても、今回の尾根は遙かに高くそそり立っている。
それは地図で見る印象よりも遙かに高かった。それでいて、地図に見る尾根の厚みは“前回”と同程度であり、
かつ川の迂回する距離は“前回”以上だった。まさに隧道にとってお誂え向きの地形であることは疑いがない。
しかし、ことは思うように運んでくれない。
ここ最近は鮮明である場面が多かった路盤跡が、ここにきて、急に不鮮明になりやがった。
そして、“隧道期待地点”の入口に現れた、大量の土砂が崩れ落ちて出来た崖錐斜面。
それは、隧道坑口が埋没した跡に出来やすい、典型的な地形だった。
せめてもの救いは、私が隧道を発見出来るチャンスが二度あるということだ。
今はその一度目であり、二度目はしばらく先の下流にある。
二度目で成果が得られなかったときが、本当の敗北となる。
谷の蛇行に従って、進路は北東へ。
谷はこのまま300mほど直進してから、そこで180度向きを変え、また300m直線に流れる。
そうしていま左側に見えている、この垂直に近い切れ尾根を迂回していくのである。
果たして、路盤はどこにあったのだろうか。
これまでは左岸にあったという想定で進めているが、現状では右岸の方が与しやすい地形である。
短い距離で両岸を行き来するような線形も、十分考えられることだ。
その場合、このまま隧道無しで川に沿って進むこともありうるか。
隧道の出現が期待される左岸岩壁の状況(→)は、今のところ私にとって好都合だ。
というのも、切り立ちすぎていて、土や植物といった視線を遮るものが余りない。
これは、隧道が存在しているとしたら、発見しやすい状況といえる。
この状況で見つからないなら、「なかった」と断定しても良さそうだ。
!!!!!
あった!
やっぱりあった!
14:08 《現在地》
やったぜ!
本日発見3本目!
一連の森林鉄道内では実に6本目となる現存隧道を発見!!
しかも、これまで見たどの隧道よりも“軌道跡らしく”、河床よりだいぶ高い位置に口を開けていた!
…いや、それにしてもだ。
どうやって、この隧道に路盤は辿り着いていたのだろう。右岸と左岸どちらに路盤があったかさえ分からない状況で、ただ忽然と口を開けている。
そして、
この隧道に私はどうやって辿り着けば良いのだろう?!
つるりとした一枚岩の斜面が、河床から反比例曲線のような急峻さで一気に突き上げている。
坑口は河床より5mは高い位置にあり、うち4mほどは何かを掴んでいなければ立っていられない傾斜がある。
これは、きつい…。
まず、自転車同伴での隧道侵入は、即座に諦めた。
単身でどうにかなるのかという話しだが、かなり頑張ってモノに出来るかどうかのレベルに感じる。
斜面には完全に手がかりが無いわけではないが、目立っている太いツタは、引っ張ってみた感じ、完全に体重を身体を支えられるかは微妙だった。
足で上手く崖の凹凸を捉えながら、補助としてこのツタを使い、その上では頼りなさげに見えるススキの草付きを頼ってよじ登るのが、この坑口で私にとって可能性がある唯一のアプローチ方法になると思う。
ただ、自転車の同伴が無理である以上、どうせこの後で河床を迂回し、隧道の反対側へ行くことにはなる。
そちらが楽に坑口へ辿り着ける地形である可能性も、十分にある。
そうであるなら、私がここで大きなリスクを冒してまで“頑張る”意義は、あるのだろうか。
いやしかしである。
反対側がどんな地形かを知るのは、延々と600mも河床を歩いた先のことだ。
そこで上手く坑口を見つけても、こっちよりさらに“どうにもならない”地形であるかもしれない。その時、私はもう一度ここまで戻って来てチャレンジする決断を迫られるのか。それはそれで辛いことだ。
また、隧道内が閉塞していて通り抜けられなかった場合も、似た悩みに直面することになるだろう。
うぅむ…。 やはりここは……
うおぉおぉ!!!
掴め!この手で坑口!
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ヤリマシタ。
貫通してるぅーー!!!
房総の隧道って、マジで生命力すっげぇ!
この立地である。どれだけ長い間、誰にも通られず放置されていたのか分からない。
でも、未だに余裕で通れる状況で残っている。
此度のよじ登り。
そう自慢出来るほど、すんなりいったわけではなかった。手の爪にひびを入れるような悪戦苦闘になってしまった。
だが、大きな成果を手にすることが出来た。
これで出口側がすんなり出入り出来る状況だったら、その時は皆さま、温かい拍手でお迎え下さいね。
貫通していてくれたお陰ではっきりと分かる隧道の長さは、予想した通りだった。短い。目測20m程度だ。僅かこれだけの長さで、高さ30mはありそうな尾根を貫通しているのだから、驚くべきはその尾根の鋭さだ。
意外性があったのは、隧道の断面。特に天井の低さである。
この一連の林鉄跡でこれまでに見たどの隧道よりも、圧倒的に天井が低い。
ただ、その理由は予想が付く。
天井の地山が崩れて、より密度の小さい砂という形で洞床に堆積しているからだ。洞床の踏み心地は、どんな高級ベッドよりもきっとフカフカである。柔らかいといっても泥のような不愉快な重みはなく、サラサラだ。
この新雪のような洞床に刻まれた我が足跡は、未来どれだけの長さ残るのだろう。その答えと同じ期間程度は、過去に何者も通っていないと思われた。
この隧道の中に居る時間は、私にとってプレミアを存分に感じられるものだったが、
あいにく、長居出来るほどの奥行きはない。
ものの数分、いや、数十秒で、出口の他に行く場所が無くなった。
出口付近は岩盤が固いのか、天井や壁面の融解とそれに伴う砂の堆積がほとんどなく、
前回の隧道と同じ程度の高さと幅、つまり本来の断面が温存されていた。
残念ながら、枕木やレールなど軌道の存在を確約するものは、ここにも見られない。
さあ、私の頑張りが報われるか、はたまた道化となるか、その別れ道。
これより、出口へ立つ。
もうこの時点で、見るからに高い場所に出た気配はあるが…
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14:16 《現在地》
報われた(笑)。
ここからは、誰も出られない!
あとで下から見るのが楽しみだが、おそらく私は、崖のとんでもない所に顔を出していることだろう。
撤収だ。 戻るのにも不安がないわけではないが、登れたのだから、なんとかなるはず。
↑ 隧道を引き返しながら撮影した動画。
なぜかでかい“ぬこの手”が出てくるが、私はスルーしている(笑)。
さて、後はこの崖を下ってね。
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