廃線レポート 元清澄山の森林鉄道跡 第17回

公開日 2017.03.07
探索日 2017.02.07
所在地 千葉県君津市

田代川中流部の探索をはじめる


2017/2/7 11:44 《現在地》

田代川の源流をほぼ最後まで遡上し田代林道に登り着いたのが10:23で、それから80分ほど経過した現在、源流探索の入渓点だった「無名の橋」へ戻って来た。

この間、田代林道を終点まで歩くという“寄り道”をしている。田代林道は廃道状態であり、なかなか愉快な時間を過ごすことが出来たが、本編とは関係が薄いのでレポートは割愛する。

さて、4時間20分ぶりに再会した我が自転車の姿にホッとしたのも束の間で、一転して、この自転車の存在が頭痛の種となるのだった。

源流部に軌道跡とみられる遺構の存在が確かめられた以上、笹川湖で発見されている水没隧道との間にも軌道が存在した可能性が高くなった。
そして従来は、田代林道こそがその軌道跡であると推定していたのだが、それが今朝の行程で否定されたことで、源流部や小坪井沢と同じように、路盤は田代川の谷底に存在していた公算が強まった。
地形図に描かれた田代川の長さを測ると、蛇行が激しいために、林道と高低差をつけて流れている距離は約5kmもある(林道はこの間約3.7km)。

左の写真は、無名の橋から見下ろした、田代川下流方向の眺めだ。
さしあたって軌道跡があるように見えないのは相変わらずだが、状況的に、あったことはあったはず…。
しかし、一度この谷底に入ってしまったら、容易には林道へ脱出することが出来ないだろう。そういう地形なのは、十分承知している。

また長大な行程が予想されるなか、残念なことに、大きな発見は期待出来そうになかった。
なぜなら、今回の源流部探索の導き手となったスー氏の記事に、この田代川を歩いたことが出てくるが、約3時間かかったという長い行程では、(源流部で彼が見つけたような)隧道や切り通しとの遭遇は書かれていない。

とはいえ、私としてもこのまま引き下がる訳にはいかないし、田代林道を通った往路とは気分を変え、谷底の復路も良いとは思った。
残る問題、憂鬱の種は、一つだけ。 それは――

自転車同伴で田代川を下ることへの不安だった。

かといって、今ここに自転車を残していったら、ゲートから2.5kmも奥のこの場所まで歩きで自転車を回収しに来なければならず、それもイヤだ…。
地形図の地形やスー氏の記事を見る限り、田代川本流には大きな難所はないようだし、まあ俺の“ルーキー号”なら…
なんとかなるだろ!
…というわけで、私は勇気を持って愛車を谷底へ連れていくことにしたのだった。



朝と同じ入渓ルートを、今度は自転車と一緒に下る。

そして朝とは違い、橋を潜って下流方向へと機首を向けた。

とりあえず、河床はゴロ石の河原状態で、自転車は押して進むことになりそうだ。

乗って走れるような甘い話は無いか。やはり…。



自転車同伴での入渓が11:45で、写真は5分経過後の地点。
まだ100m程度しか進んでいないが、もうあんなに林道のガードレールが遠い。
これ以降、林道とは高低差だけでなく距離も離れるので、見上げることも当分出来まい。
両岸の険しさが緩む場所があるかも分からず、なければ最後までエスケープ不能かも。
なかなかリスキーな選択肢を採ってしまったものだと、少し怖じ気づきそうになった。



正午になった。入渓からは15分が経過している。前進した距離は約300m。
未だ軌道の痕跡は見あたらないが、源流部探索ではほとんど見なかったほど広い川幅に遭遇。
しかし水が一滴も流れていないのが妙な景色だった。きっと、こういう回廊がずっと続くのだろうな。



12:07 《現在地》

入渓から20分少々が経過したところで、おおよそ500m前進した。
谷底の通行を予定している全行程が5kmほどなので、10分の1を来たことになる。
ここが特に変わった景色というわけではないが、前進ペースから所要時間を予想したいという思惑があり、GPSで小刻みに現在地を確認しながら進んできた。
このペースだと、やはり3時間は余裕で見る必要がありそうだ。
自転車が、当然のように足手まとい(過ぎ)だ。写真の風景だと、マウンテンバイクだったら走れそうに思われるかもしれないが、実際は甘くない。滞積した川砂利には締まり気がまるで無く、ほとんど砂地のようなものなのだ。結局、淡々々々と押して歩くよりなかった。

谷幅は徐々に広がってきており、いずれは水流も現れ始めるのだろうが、そういうものよりも、軌道跡に関わる発見が欲しかった。




涸れた川底を更に進むと、右岸に少し緩やかな地形が現れ、その気になれば川から上がっていけそうだったが、唯一のエスケープルートである林道が通っているのは左側。右側に登れたとしても、何の意味もなかったりする。左側は、最初からずっと崖ばかりでどうにもならない。

え? 

この右側の川縁に、いかにも軌道跡みたいな平場が見える?

確かに見えるんだけど……、私はそう簡単には騙されないぞ!
こういう堆積物の多い場所だと、しばしば川縁に段丘状の小地形が形成されることがあるのを私は知っている。

案の定、次のカーブを曲がる頃には、この平場は忽然と姿を消してしまった。



500m地点以降は、これまでより膨らみの大きな蛇行が4連続で現れる。
この先には、もっと遙かに大きな蛇行がいくつもあるようだが、その前哨戦といったところか。
私としては、源流部で見た切り通しや隧道の立地を思いだして、蛇行には軌道跡の土木遺構を期待してしまうが、残念ながらそう都合良くは行かない。

しかし、軌道跡そのものではないものの、「無名の橋」より下流で初めて炭焼き窯の跡を見つけた。
それも、連続する川の蛇行の先端にある陸地にそれぞれ一基ずつ、約100mおきに何カ所も現れた。

写真は確か二基目の窯跡で、風化が進んでいるものの、盛り土により成形された窪みの規模は、これまでこの流域で見た窯跡の中でも一番大きかった。
未だこの区間で軌道跡の痕跡を見つけられていないのはもどかしいが、間違いなく大量の輸送物を必要とする生業が、この区域でも行われていたのである。昭和40年代に開通した田代林道を使った輸送とは明らかに時代が違っており、軌道の存在を支援する発見といえるだろう。



12:18 《現在地》

もう間もなく1kmになろうかというところで、ようやく、

例の“孔”を見つけた。

源流部では飽きるほど見たものだったが、久々の登場だ。

なぜ、ここまで1kmも見つけられなかったのか。
理由はいくつか推定出来るが、はっきりしたことは分からないうえに、この孔も一つか二つ見つけた程度で、またすぐに見あたらなくなってしまった。
ゆえに、軌道の路盤を支えるための橋脚孔だったのかどうかも、自信を持て言えるほどではない。

ポツポツと、人の手が加わった形跡は現れ始めたが、本当に、ポツポツって感じだ。源流部のような密度は、到底感じられなかった。



蛇行の途中で川幅が狭くなった部分に、結構深く水が溜まっていた。
自転車がなければ普通の川歩きなんだろうが、なぜこんな大荷物を持ち運んでいるのか。なんの役にも立ちやがらねぇ…。

既に1km以上は進んでいるが、この間案の定、林道へ脱出出来そうな場面は皆無である。
もう完全に腹を決めて、5kmをこいつと一緒に下るしかないだろう。
せめて少しは乗って移動出来る場所があれば良いんだが、ここまでの乗車率は見事に0パーセント。




1.3km付近。相変わらず“孔”はほとんど見つからないが、窯跡は現れ続けている。窯の立地パターンは主に二つで、支谷の合流地点に面した堆積地か、川の蛇行の内側舌状地という、どちらも河床から3m程度高い川岸の緩斜面上だ。これは、小坪井沢でも同様だった。

何もかもが小坪井沢で見た景色と似ているが、この段階で既に違いがあるとすれば、谷の規模の大きさだろう。
小坪井沢から隧道を抜けて辿り着いた本坪井沢と同程度以上に河床の幅が広く、両岸の崖も高い。
まして、これから長くこの谷を下るわけだから、最終的にどれくらい闊大な谷となるのか恐ろしいと思った。ハンデのある私に、優しくして欲しいんだぜ…。




12:40 《現在地》

入渓から55分で、1.5km付近に到達したところで…

←マジか!! 路盤だろこれ?!

突如としか言いようのない展開だった!

川の蛇行の頂点部内側の崖、河床から3m程度の高さに、曲面の崖を巻き取るように付けられた平場が、忽然と表れたのである!


蛇行の先に視線を向けると…(→)

やっぱり路盤だ、これ!!!

続いてるし!!!

蛇行頂点の崖に視線を戻すと(←)
ここまでほとんど現れなかった“孔”が、ここには目立つ形で二つ付いていた。
上に路盤があることを考えると、この孔の正体はなんだろう?
路肩を支える桟橋の可能性が考えられるか。
登れないので今は下から見上げるしか出来ないが、この路盤らしき平場はいかにも狭そうだった。



先ほどは慌ててしまい、「突如して」「忽然と」この“路盤らしき平場”が現れたのだと表現したが、そんな不可解なことを容易く受け入れてはならないと思い、少しだけ引き返して確かめてみた。

写真は、問題の地点の50mほど手前(つまり上流側)を振り返って撮影したものだ。改めて言われてみれば……というレベルではあるが、確かにうっすらとラインがあるような気はする。
このラインは崖で一度切れてしまうが、そのすぐ先で既に紹介した明瞭な平場が現れるのだ。

こうなると、過去に通りすぎてきた場所…例えば1km近く前に通りすぎた【川縁の微妙な平場】なども路盤だったのかなと思えてくるのだった。現金だな(笑)。

しかしともかく、田代川の中流域でも、源流部とは異なる姿をした、より通常の林鉄跡に近い雰囲気を持った路盤跡が発見された。この事実は大きい。大発見ではないか!



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発見された路盤跡の行く末は


意外なほど高い位置に姿を現した路盤跡の平場は、なかなかよじ登って状況を確かめられる場面に恵まれなかった。

そうしているうちに、崩れて欠けたか予め桟橋だったのだろう断絶が随所に現れ、路盤は断続的となっていた。

まあ、実際に立ってみるまでもなく、そこに枕木やレールが残っていないのは明らかだったし、とても歩けそうな状況ではなかった。



100mも進むと川岸の崖が少し緩やかになり、登って確かめられるようになった。

が、そこに立って写真を1枚も撮らなかったことからも分かるとおり、特に何も無かったのだ(笑)。
まあ、それ自体は予想通りだった。
これまで田代川筋ではレールも枕木も発見されておらず、今さらそれらが敷かれたまま現れることは期待していない。
それでも、源流部ではまるで河床と不分明だった路盤跡が、こうして川岸に明確に出現したこと自体が嬉しい発見であり、まだまだ長いだろう今後の行程への期待を充足させてくれた。



12:47 《現在地》

入渓から約1時間で1.8kmを進んだ。
この300m手前の地点で明瞭となった路盤跡は、以後ここまで断続的ではあったが、左岸に沿って目で追える形で続いていた。
現在地でも、河床から2mほどの高さに、明確な平場が見えている。
私は、自転車という大荷物を運んでいることもあって、時々路盤に登って確かめるほかは、基本的には広々とした河床を歩き続けていた。

とうてい道などあるとは思えなかった、まるで壷の底のように隔離された谷底に、俺お前の仲を思わせる親密さで川と路盤跡が寄り添って続く展開は、本当にドキドキした。

林鉄としては、相変わらず遺構に乏しいと評せねばならないのだろう。橋もトンネルもレールもないのだから。
しかしここには、私が一番欲する“未知”の匂いが充ちている…。




この1.8km地点から先には、これまでで最も大きな河川の迂曲が待ち受けている。
1スパンの蛇行で、なんと500mも費やしている。
目の前の壁の裏側、わずか20m程度の位置に川の続きが横たわっているはずで、尾根を越えてショートカット出来れば楽なのは間違いないのに、壁面の崖は思いのほか高かった。

源流部で隧道や切り通しが発見された現場は、まさにこのような地形の場所であったのだが、スー氏はこの中流部では何も報告しなかった。

これより、迂曲区間に入る。




あ。

この風景、確かスー氏の記事で見た気がする。

それがどこなのかは分からなかったが、右の壁面に大きな黒い影が写っていて、それが気になった。
しかも、彼の同行者がこの黒い影の前に立っていて、笑顔だったのも印象的だった。
写真のキャプションには、隧道の「阝」さえ出ていなかったが、

その場面が、この大迂曲の中にあったとなると……

まさか、そんなことないよね?





!!!!
隧道出現!




Post from RICOH THETA. - Spherical Image - RICOH THETA

↑ おっと! 全天球画像を撮影したのに、

興奮しすぎて、手ぶれしちまったぁ。


手ぶれしてない全天球画像は…… ↓↓↓



Post from RICOH THETA. - Spherical Image - RICOH THETA

やりやがったよ……



12:52 

スーさん!!
人が悪いじゃないか!! 絶対に貴方もこの隧道を見つけていたはずだ。
見つけていたのに、教えてくれなかったんだな。
まったく、なんというびっくり箱演出!喜びの玉手箱。

隧道は、この長い中流部にもあったのだ。

本日発見本目。
一連の森林鉄道内では本目となる、目視可能な隧道!!

隧道発見現場は、既に述べた通り、田代川有数の大迂曲の付け根付近である。
(林道からも近い位置だが、両岸が切り立っているので、直接の訪問が可能であるかは未確認だ。)
この隧道により、一気に500mもの流程をショートカットすることが可能である。
源流部にあった隧道と同じメカニズムだが、ショートカットの大きさは段違いだ。

隧道の長さは僅か10〜15m程度で、見事に貫通していた。
また、源流部の隧道とは異なり、水は引き込まれていない。
上流側坑口は河床より40cmほどの高さに洞床がある。自転車を連れて、入洞する。



隧道内部。

ひんやりとした空気は乾ききっており、これまで見てきた全ての隧道が潤っていた(水没も多かった)のとは対照的だった。
あまり地質には恵まれていないのか、小規模な落盤が多発しており、洞床が崩土で盛り上がっている。とはいえ通り抜けには全く苦労を感じない。

メジャーを取り出して幅を計ってみたところ、洞床付近で約210cmであった。
林鉄としては小ぶりだが、良く見るサイズ感である。まさに手押し軌道らしいサイズだ。




出口は、呆気なく目前に迫った。


500mもの流長を、僅か15mの水平な直線に短絡した結果、


その先に待ち受けているものは、



落差。

隧道の下流側坑口は、崖の中腹に忽然と出現していた。

悪いことに、外の崖はなかなかに険しい。下には水も溜まっている。

ここから外へ出ようとするのは、仮に荷物がなくても緊張を強いられる地形だった。



かつてあった軌道の路盤は、、隧道を出ると即座に架橋し、

15m以上も離れた対岸へ進んでいたようだ。

しかし、橋は跡形も無くなっていた。


おいルーキー号よ! 万世大路工事用軌道名物 【逆落とし】 (1) 切り立った崖(がけ)のようなところから、まっさかさまに落とすこと。
(2) 急な斜面をかけおりること。
 「岩波国語辞典」より
の準備は良いか? 「OK!」




ルーキー号のヤツは上手く谷底へ向かったが、より問題だったのは、ポンコツの私自身だった件(笑)


しかしともかく、

無事に“我々”は隧道を乗り越えた!



13:08 《現在地》

これにより私は、一気に2.3km地点へワープ!

谷底探索のほぼ中間地点へと辿り着いた。

下流側坑口は、河床から5mほどの高さに口を開けていた。
下以外を見ながら歩いていれば見逃しそうにはないが、事前に路盤の存在を意識していなければ、おそろしく唐突な立地である。




おそらくここには、右図のような大きな橋が架かっていたのだ。

橋台は無論のこと、河床の橋脚孔さえ見あたらなかったが、路盤らしき平場がこちら側にあるので、架橋は間違いないと思われる。

思いがけない隧道の出現により、消化試合さえ覚悟していた中流探索が、俄然と面白くなってきた。

ますます谷が深く太くなっていく後半戦。
さらなる隧道の出現は、あるか?!