17:00 《現在地》
今しがた私の場所の日は落ちた。ここからは1日の探索時におけるロスタイム的な部分に入る。だがもちろんここまで来たからには、写真の写りや遺構発見に不利はついても、終点到達という目的達成までやるつもりだ。
……といった状況で……
なんだこの可愛い景色は!www
林道第11号隧道の隣にぽっかりと口を開けているのは、もちろん我らが早川林鉄の隧道だ!
軌道としては通算23本目の隧道(及び隧道擬定地)であり、林道第8号隧道脇での発見(通算20本目)以来の遺構として現存している廃隧道だった。
サイズ感の違いも露骨に出ている。たかだか幅4.5mの林道トンネルの脇にあるのに、比較してこんなに小さいのはヤバいだろ。
たぶん多くの読者に正確には伝わっていなかっただろう、この林鉄ならではの小断面ぶりが一番よく分かる場面だ。
4分の1どころじゃないんだよな。幅は3分の1、高さは2分の1で、断面積は6分の1くらいしかないと思う。
なお、林道の進路上には、次のトンネルを通り越して一つ先の第12号隧道も見えており、実はその先の左カーブにはギリギリで第13号隧道の坑口まで見えている。深沢右岸の5連続トンネルの2〜4本目が、この場所から一通しに見えるのである。
果たして、軌道の方はこのような複雑な地形をどんな手口で通過していたのか、お手並み拝見と行こう。
楽しみも、苦しみも、全ては終わりに近づいている!!
軌道と林道の路面と高さが揃っているのも、観音経隧道以来初めてのことだ。
おかげで変な段差もなく、ガードレール代わりの鋼管の柵を跨ぐだけで容易くアプローチが出来た。
入口に迫ったとき、出口の代わりに目に入ってきたのは、洞内に集め寄せ置かれたような数本の廃レールたちだった。
通常敷かれているレールより明らかに曲がりが強いものと直線のものが何本かあったが、いずれも通常のワンスパンよりも短く、かつ銀色に塗装されていた形跡があった。
これらのレール、はかつて林道のガードレールに転用された資材ではなかったかと推理した。答え合わせは出来ないが、おそらく間違ってはいまい。
さて肝心の洞内は……
大落盤ッ閉塞ッッ!!
入口が全然崩れていなかったのに、入った直後にこれは意表を突きすぎだッ!
唐突すぎて、ちょっと笑ってしまった。
まるで人為的に塞いだみたいな綺麗な土山だが、わざわざ入口でない場所を塞ぐ理由はない。
天井に地層に沿った深い空洞があり、明らかに天然の崩壊であった。
そしてその天井のクラックには、ザックすらもデポして超絶身軽になっていた私が、すぽりんと通り抜けられるだけの空洞があった!
肉体の門!
「肉体の解放こそ人間の解放である」。
この隧道を見つけたら誰もが覗き込むとは思うが、隣にトンネルがあるのに、通り抜けようとここまでする人は少ないだろうから、出口の状況次第では、この先は人類が初めて到達する空洞(それはさすがにウソ)であるが……。
モゾモゾッとヨッキ虫が這い出しまして……。
洞内カーブ&レールッ!
何この至福シチュ?!
どれだけオブローダーとしての徳を積んだらこんな景色に出会えるのかと思うくらいの至福の光景ではないかッ!
いや、マジでこれは徳を積みすぎたか?!
早川林鉄の隧道内で敷かれたレールを目の当たりにしたのは、これが3本目だ。
1本目は、今日の午前中6:46に遭遇した廃隧道で、内部には錆びきってボロボロになったレールとともに、いつから置き去りか分からぬ寝袋らしきものが散乱していた。あれは間違いなく、廃止後無作為のレールであろう。
だが2本目の14:32から観音経で遭遇した廃隧道内部のそれは、『トワイラ〜』も解き明かしていたとおり、明らかな廃止後作為の復元レールと復元枕木であった。
今回の3本目は、どちらであろうか?
立地的には、2本目のそれに近い「林道からの近さ」を持っているが、言うまでもなく、無作為のものであろう。
根拠は、レールの激しい錆び具合が自然であることと、枕木の朽ち方も同様であることだ。
なお、早川林鉄の路盤で敷設された枕木を目撃したのは、この2日間を通じて、昨日の最序盤6:11以来の超久々のことだが、あそこのレールはほぼ間違いなくドノコヤ鉱山絡みで後年再敷設された軌間610mm鉱山軌道用途であったと推理しているから、純粋な早川林鉄用の枕木は初めて発見したと思う。
地味に超レア凄い発見!
出口アリガトウッ!!
あとこの隧道がもう一つ凄いのは、全長30mに満たないほどの短さながら、全体が綺麗な(おそらく)固定半径の右カーブで通されていることだ。
戦前の林鉄隧道は、設計の簡便さや技術水準の低さから、直線線形の隧道が圧倒的に多く、曲がるとしても崖際で地形に沿って不規則にカーブするものや、出入口付近で地上進路に合わせてカーブするものが大半だ。
だがこの隧道は、谷と谷に挟まれた狭い尾根を貫くために、短い洞内の全体を使って30度くらいも曲げている。
軌道の線形を重視した高度かつ合理的な設計だと感じる。
……こんな小断面&ヘロヘロレールで、今さらという感じもしないでもないが……。
おかげで、素晴らしいシチュを体験できたぞ!
探索者として、久々に“ご褒美”を貰えたと感じられる1本だった。
17:06 《現在地》
えらく濃かったが短い地底探索から戻ると、地上では6分が経過していた。
チェンジ後の画像は、林道からの終点側坑口の振り返りだが、こちら側もなんとも綺麗に横並びである。
ついに柵もないので、今までで一番入りやすい状況だ。ここだけ手入れされた公園みたい。
というわけで、第11号隧道終了。 お次ッ!! あと3本!
3本目のトンネル「第12号隧道」と、その直前に架かる「二之沢橋」。
このトンネルが貫く尾根は、直前のそれと比べて一回り以上は大きくて険しい岩尾根だ。
果たして軌道跡があるかどうか……。薄暗くなり始めているせいもあって、まだ判断をしかねる。
17:07
あるッ!軌道跡アルルッ!!
しかもこのカンジはっ!!
隧道が連鎖ッ!!
ここまでの頑張りを報いる展開が、私にためにちゃんと用意されていた!
うれしい……。
17:08 《現在地》
やったぜ!!
日没後のロスタイム的探索に、欲する成果が集中してやって来た!
これまた探索のご褒美と呼ぶに相応しい、素晴らしい隧道ではないか!
直前の片洞門から、吸い込まれていく感じが堪らない。
坑口前のハングのキツさも、もしも【未踏の“隧道B”東口】
に辿り着けたらこんな感じかもしれないという雰囲気があった。
短いッ!! そして全く崩れていないッ!
奈良田以奥の早川林鉄で発見、あるいは過去存在していたことが予測される隧道としては通算24本目となる本隧道、長さは3mくらいしかないが、毎日掃き掃除でもされているのかと思うくらい洞床が綺麗だった。天井にも欠けたような形跡がなく、ほぼ完全に原型を止めていると思われた。
ほんと、現役の遊歩道トンネルみたいな綺麗さだ。
単に崩れていないだけでなく、草とか泥とか遊歩者に嫌われそうなものが全くないので余計そう見える。わざわざ綺麗な白い砂利を敷き詰めたみたいな見栄えだし。
あまり綺麗なので、逆に違和感というか、疑問がよぎる。
それは、ここにひとつ前の廃隧道にあったような枕木やレールが残っていないのはなぜなのか、ということだ。
残っていないのは撤去されたからだと考えるのが普通だと思うが、ほとんど隣接している2本の廃隧道のうち片方だけのレールや枕木を撤去するというのは不自然で、むしろ逆で、さっきの隧道にあった枕木やレールはやはり後年の復元品だったのではないかという、一度は自身で否定したはずの疑惑が再燃してきたり……。
いや、違った!
レールはあった!
が、自然に分解されて、消えかけていた。
驚いたことに、レールを粉砕した残骸のようなものが、洞床にいくつも散らばっていた。
単にレールを撤去するのであれば、こんな粉々にする必要はないし、しようと思っても難しいだろう。
レール同士を締結するペーシやモールが取りつけられたままのレールが、こんなに細切れになっている光景など、他では見たことがない。
この異常な事態の原因として、一つは土壌の中の何かの成分が極端に錆を進行させているということが考えられた。
だがもしそうだとしても、それだけではあるまい。何らかの人為も加わっているのは確かだろう。
レールが自然に溶けたとしても、こんなに食い散らかされた残骸みたいに散らばらないだろうし、残骸自体も少なすぎた。
やはり林道に近い場所にあるレールは、野呂川林道建設時に撤去が試みられたのだと思う。
だが、その時点でよほど腐食していたとか、何かの原因で放棄されたものの残骸というのが、現状の説明として説得力がある説だと思う。
17:09
早川林鉄は、山梨県営であることや、立地の険しさ、存続期間の極端な短さなど、特異な部分の多い林鉄である。
そんな特異さの一つとして、廃止後も撤去されずに放置されたレールが多くあるということも挙げられる。
だが、それはやはりイレギュラーの結果であったろうと思う。
なぜなら、昨日歩いた区間のほぼ全線(“尾根F以南”)のレールは、あれほど険しく人跡未踏を感じさせる状況にあっても、ちゃんと撤去されていた。
レールが撤去できない区間があったのは、大規模崩壊など、已むに已まれぬ事情の結果(=イレギュラー)であったことを物語っている。
現在林道化している観音経以奥も、林鉄の廃止時点では全てのレールが残ったままだったろうが、昭和30年代の林道建設時に可能な限り撤去・搬出を行ったのだと思う。
今いる場所は林道化から漏れているが、林道に近いので一緒にレールを撤去をしたのだろう。
ここまで探索した林道沿いのいくつかの軌道跡についても、レールは残っていない場所の方が多かった。
その時点で撤去が可能だった場所は、ちゃんと撤去したのだと思う。
(そう考えると、さっきの隧道の崩壊は林道建設当時からなのかも。それでレールの撤去を諦めた可能性が…)
17:10
美しい隧道に別れを告げ、前進を再開。
30mほど先に見える林道に向かって、切り立った崖道を歩いて行く。
遊歩道みたいだったのは隧道内だけで、やっぱり間違いなく廃道だったと再認識。
(チェンジ後の画像)路肩に太い丸太を井桁に組んだ低い桟橋の残骸が残っていた。
林道建設以降に、この部分の軌道跡を再整備する理由は全く思いつかないので、おそらくこれはちゃんと軌道時代の桟橋の遺構だと思う。
木造橋の残骸を見たのは、昨日の15:18以来だろうか。
この路線の木橋の数は、小規模な桟橋も含めれば百を優に越えていたと想像するが、やはり木橋の残存は特別に難しいのだと分かる。
17:12
たった5分ぶりくらいに林道に戻ってくると、そこは三之沢橋。
だが意表を突いて、林道路面との間にまた2m近い高低差が出来ていた。
またしても林道が軌道跡を鋭利に切断していたのである。
やっぱり遊歩道なんかじゃなかったな(笑)。
足を庇いながら控え目に飛び降りて、林道の第12号隧道脇軌道跡を終了!
深沢の林道5連続トンネル、残りあと2本!
くっ!
林道第13号隧道脇にも明確な軌道跡の存在を目視できたが……
林道の坑門が邪魔をしていて、こちら側から接近不可能である!
いつかも見たこのパターン……、またしても林道が叛逆を……!
しかも、今度のトンネルはこれまでの2本よりもやや長く、50mくらいある。
それだけ旧道たる軌道跡の長さもあるだろう。
この流れなら隧道もあるかもしれない。
……が、それは自分の足で確かめてみろ、ということなのだ……。
(チェンジ後の画像は、石垣をズームで撮影。地味に石垣も珍しい。こんなものでさえろくに残っていないのが、早川林鉄の荒廃度であった)
…………。
17:13 《現在地》
第13号隧道をくぐり終えると、最後のトンネルである5本目の第14号隧道が既に待ち構えていた。
軌道跡の有無が気になるが、まずは、残してきたものに決着を付けよう。
くぅ〜〜〜。
ここまで来てなお抗うか。
ここでは軌道跡と林道路面の落差が3mほどあり、またしても林道によってそれは断たれていた。
落差だけでなく水平方向の隔たりも同じくらいあり、どちらも地形次第では全く問題にならない程度の距離だが、ここでは林道の落石防止ネットが邪魔をしていた。それを迂回しては行けない地形である……。
こんな金網を横移動や縦移動して先へ進むなんてのは、『スーパーマリオワールド』でしか見たことがない動作だ。
果たして、過去一度も行ったことがないそんな動作を、私は行えるのだろうか。
失敗したら、たぶん崖下へ落ちるぞ……。
これ、ふざけてるわけじゃなくてマジで大変なんだけど、でもこれがなければないで登れなかった可能性は大だ。
いずれにしても、完全に“ご褒美ラッシュ”は終わってる……。
やるしかないか……。
17:17
たどぉりついたぁ〜〜!
ホントナニヤッテンダヨ。
もしこんなところで滑落死してたら、死体を発見する人も、不思議だろうな。
いったい何をしたかったんだろうかって、絶対に大きな謎になると思う。
隧道があるかどうか確かめたかったんですなんて、死人にくちなしだからな。
でもいいんだ。
これで確かめられるはずだ。
『トワイラ〜』にもなかった答えを!
17:18
隧道は、無かった。
(ご褒美ラッシュ終了してんだもんよ……)
この第13号隧道脇の軌道跡は、片洞門を駆使しながら忠実に岩崖の縁を回り込んで、反対側へ通じていた。
しかし良いんだ。確かめたことに価値がある。
17:19
また、完全に起点側の端部までは歩けなかった。
ちょうど尾根の先端を回り込んだあたりで路盤が切れ落ちていて、多少無理すれば(例えばここを越さないと先へ進めない状態なら)越せそうな状況に見えたが、足も痛いし時間もないし、何よりこの区間の全体に視界は通ったことから、満足して引き返した。それが写真の場所である。
チェンジ後の画像は、同地点から撮影した、鷲ノ住尾根から深沢までの林道である。先ほど歩いた道を深沢越しに見ている。
やはり総合的には深沢も険しい谷だった。今までの恐々たる谷たちと変わることはなかった。
林道まで撤収!
17:21
再び“配管工”の真似事をさせられつつ、無事林道へ帰還。
これで残す林道トンネルは、あと1本!
泣いても笑っても、次で最後!
もう成果的には満足しきっていて、どんな形でもゴールできれば万々歳という状況だが、どうせならね、最後の1本にも軌道跡があって欲しいなぁ。贅沢かな。
終わると思ったら、やっぱりね、少しは名残惜しいよね。
まだ帰り道があるけどね。
ありがとう!!
最後も、ちゃんとあってくれるんだ。 ……俺のためにかな。
しかも、ご褒美と言うほどではないが、突入は難しくない段差だった。
イクゼ、最後の軌道跡ッ!
17:22
わずか30〜40mという長さの第14号隧道の外側を巻く軌道跡へ突入。
最後だと思うから特にそう感じるのだろうが、これがなんとも早川林鉄らしい景色と状態の軌道跡だった。
恐ろしく切れ落ちた底知れぬ急崖の縁を、怪しく点綴して延びる軌道跡だ。
滑り易い落ち葉や、隠された転び石、躓きを誘う岩など、見えない地味なトラップが無数に潜んでいる。
そのどれか一つでも命を奪う凶器になりかねない、そういう危うい軌道跡を2日で延べにして20kmくらい歩いた。
結構行ったり来たりしているからな…。
それでも私は生きて還る。
私の一番楽しい場所を、血塗られた悲しい場所にしたくないから。
次のカーブが、おそらくこの尾根の突端だろう。
なお、この区間にもレールは残っていない。林道工事が行われた当時は、撤去の作業が出来る状況だったのだろう。
17:24
ここが、この最後の尾根の突端だ。
隧道はなし。
確かに、確かめた。
間もなく空の台車を終点へ引き揚げて、今日の仕事も上がりだ。今日も生き残った。
そんな安堵の心で、この場所で向こうの白い山々に手を合せたトロ夫もいたかもしれない。
ここは谷の上なのになぜか風もなく静まりかえっていて、霊峰を遙拝する祭祀場のような何か神妙な気持ちにさせられる場所だった。
17:25
はははっ! それでこそだなッ!
この最後の短い軌道跡も、尾根を回り込んだところで、執拗に切断されていた。
こんな短い区間にも、突破の出来ない場所が度々現われるのだ。
やはりここはオブローダーにとって、日本最凶の軌道跡だと思う。
もし林道がなかったら、終点深沢尾根への到達という目標達成には、あとどのくらいの苦労を要しただろう。
終点だけならともかく、途中区間には永遠に謎のままで終わる場所が、無数に生じただろうな…。
なお、ここも突破は出来なかったが、約20mほどの未踏破路盤の先に林道のガードレールが見え、未踏破区間の全体に視線が通ったので、見落とした隧道などはないはずだ。
林道へ撤収!
林道の第14号隧道を通過。
直前に引き返した軌道跡の続きが、この出口に合流してきているが、その様子はというと……
17:27 《現在地》
1mも入れなかったです(笑)。
最初からすっぱりと切れ落ちていて、桟橋でも架かっていたのか分からないが、道がない。
その欠落した3〜4mの向こう側には、鏡みたいな崖に張り付いた狭い路盤があり、さらに10mほど先に、反対側からも見えた路盤があった。
両側からの視界がドッキングして、この区間も確認完了!
これで、深沢右岸の5連続隧道を完遂。
林道から外れて軌道跡が存在する箇所の探索を、全て終えた。
(最終到達目標)
深沢尾根 軌道終点 まで (推定)1.0km
17:27 《現在地》
気付けば今朝の出発から12時間を経過していた。
終点まで、最後の1kmを歩いて行こう。
写真は、林道第14号隧道の坑口前から見る進行方向だ。
左は深沢の谷で、その向こう岸にも元軌道であった来た道が横たわっているという、これまで幾度となく見た構図だ。
そしてこの景色からも、道が常に緩やかな一定の勾配で登り続けていることが分かると思う。遺構がないところにも軌道の名残を感じることが出来た。
あそこの林道を歩いているときには気付かなかったが、こうして対岸から見てみると、ヤバそうな崩壊の切っ先が林道のすぐ下まで迫っている場所が幾つかあった。
いずれは林道を壊すだろうが、その都度、大枚を叩いて補修をしていくのだろう。
今のこの道には、簡単なことで廃止はされないだろうなという安心感がある。
軌道の時代はロクに活躍出来ずに終わったし、未だに一般の車は通れない林道に過ぎないが、それでも観光面や治水治山の面から欠くことのできない重要道路になった。
17:33
アスファルトの堅い道を歩き続けるのも地味に堪える。
もう半日以上ずっと痛いままの足は、この頃になると爪先の痛みがまじで厳しく、ひょこひょこ歩いてみたり、後ろ歩きをしてみたり、少しでも痛い場所を休ませるために苦心していた。当時の私は足の装備に全くと言って良いほど拘りがなく、ただ体力任せの一辺倒で激安トレッキングシューズが破れるまで履きつぶしていたから、痛くなるのも仕方なしだ。
このときのダメージが原因だろうが、後日両足の親指の爪が完全に剥がれて未だ生え方が歪なのも勉強代である。
それはともかく、最後のトンネルから400mほど歩くと、再び深沢の谷から野呂川本流沿いの斜面へ復帰した。
写真はその辺りで進行方向を撮影している。
正面にどっしり見える尾根が深沢尾根だ。あと600mくらいに迫った、終点の在処である。
こうして深沢尾根を目視するのは、鷲ノ住尾根を出て以来約1時間10分ぶりで、すごく近くになっていることはもちろん感じたが、相変わらず、これといった特徴を見出せない尾根であった。単に地形だけでない林業的着目点として、例えば植林されている様子が見えるとか、伐採によって丸裸であるとか、そういうのもあるだろうが、特に違いを感じられず。
17:42
また10分ほど経過して、まだ林道歩き中。
さすがにあり得ないことなので、意志を以て、なんとか却下して“持ちこたえた”のだが、実はこの辺りで私は引き返したい気持ちと戦った。
あと数百メートルで終点だし、道もただの林道で歩き易いのに、あり得ないと誰もが思うだろうが、逆を言えば、残りは全てただの林道歩きでツマラナイし、10分進めば帰りも10分プラスになるしで、暗くもなってきたことだし、ここで引き返しても良いんじゃないかというそんな気持ちがしたのである。
でも耐えたよ。
さすがにレポとして収まりが悪すぎると思ったからね(苦笑)。
チェンジ後の画像は、この辺りの路肩の下にあった、廃レールを2本組み合わせた“何か”だ。
支柱状の何かであるが、何に使っていたかは不明。標識柱っぽいサイズ感だが、2本組み合わせているのは他で見たことがない。電信柱にしては低すぎる。
最後の最後は、悪魔の甘言に耐えながら……。
これは、GPS画面上の「現在置」が、“深沢尾根”に辿り着いたところである。
地形図上では特に何の地物もない(航空測量による標高点1542mだけある)地点であるが、実際に辿り着いてみると、地図にはない分岐があった。
が、それぞれの勾配を見る限り、明らかに軌道の跡は本線である林道側である。
右の地図にない道は軌道跡ではなく、かつ車道の造りをしているから、旧野呂川林道時代の施設である可能性が高いだろう。
素通りして、そのまま林道を進むと、数十メートル先が……。
17:46
広かった。
ここが早川林鉄終点のターミナルであり、積込みを行う土場であったに違いないと思った。
これまで沢山の林鉄跡を見てきたし、林道化している終点も少なくなかったが、これまでの林道上では見られなかった奥行きを伴った幅の広さは、まさしく林鉄の……それも大規模な終点土場を思わせる特徴であった。
単純に線路を横に敷き詰めたとしたら、複線どころか複々線(複線の倍)の幅はあるだろう。
開通当時の起点であった新倉から39km、最奥集落であり今探索起点の奈良田からでも20kmの長程を持って辿り着く終点に相応しいと思われるだけの施設……であったかは情報がなさ過ぎて分からないが、少なくとも広さという点においては、野呂川奥地開発の一大拠点として恥ずかしくないだけの規模を持っていたと感じた。そしてそれがなんだか自分のことのように誇らしく思われた。 終点だけ良くても、途中があれでは宝の……。
とはいえ、この尾根が40kmに近い軌道の目指すべきゴールとして、白羽の矢を立てられた納得がいく理由があるかといわれると、正直、現地の風景だけでは分からないという感想だ。
現在では林道の一通過点に過ぎなくなっている現実もあるわけで。
あれほどの地形の険悪を全て切り開いて辿り着くべき場所として、ここにはそれだけの林業的な旨味があったのだろうか。
確かに沿線の中では随一に膏沃な感じのする明るい尾根だとは思うが、途中があまりにもキツかったという印象だ。
実際、そのせいでまともに機能しなかったのだし……。
なぜ軌道が深沢尾根を目指したのかという私の疑問は、現地探索以外の方法で解決できると良いのだが…。
……そんなわけで、ここが終点である事への根本的な疑問は残ったが、探索はここで綺麗に完了だ。
また、林道化によって確かに軌道跡は失われていたが、決して“何も感じられない場所”ではなかったことにも救われた。
当たり前だけど、来て良かった。
(最終到達目標)
深沢尾根 軌道終点 まで 0km 【到達】
こんなところに深沢バス停がある。
甲府駅前と広河原を結ぶ登山バスが全便停車するようだが、いったい誰が利用するんだろう。特にここから入り込む登山道などは見当らない…。
とはいえ、公共交通機関だけで終点に訪問可能というのは、途中の状況とのギャップが凄くて面白いと思う。
バス停の背後に立つ「野呂川林道愛護会」の看板も良い感じだ。
緑色なのは、まさか昭和40年から42年までの有料林道だった期間に設置したなんてことはないよね。
でもフォントも公団ゴシックっぽい(ぽいだけ?ゴミだけに)。
ちなみに観音経の隧道内にレールやトロッコを復元したのも同会だ。
“次のカーブ”から、進行方向を撮影した。
もう道幅は元通りである。
特に軌道跡ではなくなったという証拠はないし、地形的にもそのまま伸ばして行けそうだが、この先は純粋に林道として昭和30年代の後半に誕生した道である。
旧野呂川林道はこの辺りが最高標高であり、しばらく進めば広河原へ下り坂になる。そこまでいけば完全に軌道跡ではないと膚で感じることが出来るだろう。なお広河原まではまだ7kmくらいある。
引き返す。
……これまで何度も引き返させられたが、初めて何の憂いも無く引き返す。
最後に、深沢終点の附属施設に見える林道上段の空間を確かめてみよう。
写真の矢印の位置に間知石の立派な石垣があり、その上が広場になっている。
これがその石垣の写真が、よく見ると縁の部分に廃レールとコンクリート支柱を組み合わせた高欄が設置されていた。
大半が壊れていて、この写真のところのように残骸になっているが……。
とはいえ、林鉄時代には大変貴重な資材であったレールを手摺りに使っていることからも、やはり後年の林道化時の施設だと思う。
そこから視線を左にずらしていくと、端っこの方は高欄が綺麗に残っていた。
林鉄当時の施設の跡だと出来れば言いたいくらいの立派な構造物だが…。
やはりそうではないらしく。
これは昭和27(1952)年と昭和45(1970)年にそれぞれ撮影された当地の航空写真の比較であるが、林鉄廃止から林道建設のまでの間に撮影された前者だと、一帯は鬱蒼とした山林ばかりで、軌道跡らしいラインも、終点の広大な敷地も、何も見えない。
おそらく、野晒しのレールが敷かれたままの草生した終点広場だけが、ここにあったのだろう(探索者として見てみたい風景だ…)。
それが林道建設後の後者だと、林道の上段に大きな広場があるだけでなく、その背後の山が丸裸に伐採されているのである。
林道建設に伴い、周辺の恩賜林の大規模な伐採が、林鉄時代の敗北を埋めるように行われたことが窺えるのである。
したがって、この林道の上の広場は林道化後に整備された土場の跡だと思う。
17:51
とはいえ折角なので、林道時代の土場にも登ってみる。
深沢尾根が林業で賑わった、おそらく林鉄が果たせなかった夢を果たせた場所を、ちゃんと見てあげたい。
右の草生したスロープへ。
うん……。こっちもとっくに廃道であり廃墟だった。
土場ならばたいらであったんだろうが、今ではすっかり山から流れてきた土砂で斜面化してしまっていた。いちおうまだ広場のカンジは残っているが…。
常に手間をかけ続けなければすぐに失われようとするのが、早川であり南アルプスである世界屈指の破壊地盤に立地する人工物の定め。厳しすぎる定めだった。
ただ、やはり登ってみて良かったと思ったのは、林道より一段高いおかげで尾根らしい眺めの良さに恵まれていたことだ。
写真は野呂川の下流方向、すなわち軌道の来た道を振り返っている。
中央の鷲ノ住山の鞍部が大きな妨げになっていて、過酷な過去が隠されているが、隠れたところで記憶からは消せない。
……それはそうと、あそこまで戻るのだけでもうんざりします…。この足だと1時間はかかるだろう。
はい。共有。
早川林鉄、深沢終点で働いたトロ夫や牛たちが見た眺め、共有します。
景色に恵まれた職場だけど、命との引き換えレートが低すぎてね、良い景色が剥き身のナイフに見えるんよ…。
まあ、でもちゃんとご褒美は得たな。 満足です。
18:03 終了、帰投開始!
トボトボいくよぉ〜〜〜。
ゴールは7.4km先の夜叉神峠登山口。
18:20 (帰り道17分経過)
深沢橋の袂で、置き去りにしていたザックを回収した。
重さを感じたので、その場に捨てていきたくなった。
18:44 (帰り道41分経過)
深沢左岸を歩行中。
トンネルも何もない区間は変化が乏しく辛かった。
とはいえ、この成果を手に生きて帰れることの高揚感は半端なく、昨日のこの時間に同じようにトボトボと歩いた早川の河原とは、全然心境が違った。
何度か山の中で雄叫びを上げたことも覚えている(笑)。
18:50 (帰り道47分経過)
鷲ノ住山展望台(慰霊碑)、再会。
日中は読み取りづらかった碑文が、光の加減ではっきりと読めた。
黙して偲ばむ。
18:57 (帰り道54分経過)
手持ちのライトに照らし出された、林道8号隧道脇のヤベー〜軌道跡。
夜でもレールはぶら下がってましたよ。
しかし、高度感が強制的に闇でキャンセルされるので、案外こういう場所の探索には向いている? ありえないかw
いやでもこれ笑い事ではなく、昨日の終盤の選択次第では、林道じゃない場所でこんな景色を見ていた恐れもあったな…。そして【あの寝袋】
に包まって…。
18:58 (帰り道55分経過)
さすがに手持ちLEDの光量程度では、アザミ沢の向こうを照らせるはずもなく、懺悔の白タオルは、あれっきり二度と私の前には現われていない。
今は谷底の土になってんだろうか。私のDNAと一緒に。
19:33 (帰り道90分経過)
観音経隧道西口まで来た〜〜。
ちゃんと時間も経過してるよ……遠いよぉ………。
ここで軌道跡とは本当にお別れだ。
まあ、またいつか来るだろうけど、当分いいや。
19:50 (帰り道107分経過)
観音経隧道の東口から夜叉神隧道西口までの約400mは、今日このタイミングで初めて歩く林道の区間だった。
往路は谷底に並行する(といえるのか?)軌道跡を歩いているからな。
この短い区間内には、短い林道のトンネルが1本ある。写真がそれで、辯天隧道の扁額を掲げている。しかしおそらく工事中の名前は第1号隧道であったと思う。本編レポートでは林道の第2号〜第14号隧道が登場していたが、ファーストナンバーだけが抜けていたのが気がかりな人もいるだろうから、ここに記しておく。
19:47〜19:50
闇の中から現われた一際古そうな橋は、崖沢橋。
忘れもしない、今朝初めて軌道跡へ下降したのが、この橋の袂であった。カレイ沢を渡る橋である。
ということで、ここでまた“往路”と合流し、すぐに同じくらい古びた夜叉神隧道へ。
1148m。
夜になっちゃあトンネルも外も変わりはしないが、足音の反響音だけを数え歩く1148mはやっぱり長くて、何度か座り込みたくなりました。
20:05 通用扉を開けて脱出。(鍵かけられたりして無くて良かった〜〜w)
20:06 (帰り道123分経過)
ふぁ〜〜〜。
下界の街の灯りが見えるぅ〜〜〜。
なお、ケータイの電波も復活したので、早速トリさんや細田に生還のメールを打つ。
(調子に乗って続報として何度もトリさんに成果自慢のメールをしてうざがられた。デレのないツンデレか?)
20:11 (帰り道128分経過)
ふぁ〜〜〜。
林道のゲートの灯りが見えるぅ〜〜〜。
良かった〜。足がモゲる寸前だった。
20:12 (帰り道129分経過) 《現在地》
お行儀良く駐車マスに収まっているエクストレイルを発見した。
今日は珍しく一度も車外に出ることがなかった自転車が窮屈そうであった。
生還した。
私は早川林鉄の奥地探索から生還し、
昨日の朝までは知らなかったそのほぼ全容を、知った。
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