廃線レポート 千頭森林鉄道 奥地攻略作戦 第17回

公開日 2019.05.01
探索日 2010.05.05
所在地 静岡県川根本町

37.3km地点 先行廃止区間の隧道


2010/5/5 12:27 《現在地》

栃沢を出て約1時間20分、推定1.3kmを前進した地点(起点より37.3km地点)付近で、今回探索区間(大樽沢以奥)5本目の隧道が発見された!

手のかかる土木構造物の代表格である隧道が現われたことで、この栃沢〜柴沢間を「牛馬道」と侮ることが適切ではないとはっきり分かった。
この区間のより適切な表現は、「先行廃止区間」というものだろう。
千頭〜栃沢間は昭和44(1969)年に廃止されたが、栃沢〜柴沢間はそれよりも先の昭和26(1951)年頃に廃止された後、牛馬道として使われたということなのだ。もともと牛馬道としての低い規格で作られた道ではないのだから、隧道が現われても驚いてはいけないということだ。

しかも、現われた隧道は、栃沢までの区間で見たものと同じく、コンクリートの坑口を有していた。
測ったわけではないが、サイズ感も変わらないし、見た目の老朽ぶりも同程度である。
ようするに、これまでの隧道と同じ時代に建設されたのではないかという推測が成り立つ。

というか、建設時期についてはむしろ、この隧道は新しいはずなのだ。
少なくとも昨日、林鉄跡を歩き始めた直後に大樽沢辺りで見たものよりは新しいはず。
『全国森林鉄道』によれば、大根沢までの完成は昭和14(1939)年だが、それより奥は日中開戦の昭和16年に延伸工事が始まり、終戦の年に柴沢までの全線が完成したというのだ。
だから、この辺りの奥地にある隧道は、千頭森林鉄道本線上で最も新しい隧道であるはずだった。そして、一番最初に廃止された…。



よし! 貫通してる!!

やはり、千頭の隧道は強い!

まだ一度も内部の落盤によって閉塞した隧道に行く手を阻まれていない。
最初は単なる偶然の幸運と思っていたが、5回続いてクリアとなると、千頭の隧道は強いと言って良いと思う。
地盤がそれなりに硬質で恵まれているのと、ちゃんと坑口をコンクリートで覆工したことが功を奏していると思う。

今回の隧道も、もしも迂回しろと言われたら大変な岩場だったから、こうして貫通してくれていたのは本当にありがたい。これでまた一歩、ゴールへ近づける。



短い隧道だった。
目測全長25m前後。
しかしこんなに短くても、覆工は坑口付近だけというのが徹底されていた。戦時中の建設であり、資材の節約が要求されたと思うが、それでも坑口の覆工だけは行ったのである。林鉄の隧道には完全な素掘り隧道も珍しくないだけに、千頭はやはり金をかけていると感じる。

加えて言えば、これまで目にしてきた隧道については、建設時点には素掘りでも、後に坑口付近を覆工したのではないかという可能性があったが、この隧道にはそのような「後」の利用があまりなかった(牛馬道であった)と考えられることから、これまでの隧道も含め、全ての隧道は建設当時よりこのような覆工を持っていたと考えられる。

洞内には外から舞い込んだ落葉がたくさん溜っていたが、僅かに露出している本来の洞床には、バラスト状の小砂利と、それに半ば埋もれた数本の枕木がそっくり残っていた。洞内は枕木の保存に適した環境なのだろう。



12:30
安心の隧道を抜けて、その先へ。

が、出た先の路盤にちょっと嫌な感じの窪みが見えますけど……

大丈夫だよね?

ちょっと、その場所はシャレにならないかも知れないと、私の危機感アンテナが作動した。

隧道直後の崩壊地は、正直……、震える。

前にもこういう展開があったけど、隧道付近は逃げ場の少ない状況であるだけに、崩壊が現われてほしくない筆頭の場所なのだ。マジで勘弁してほしい。




(冷や汗タラー)

これ以上前に進んで確かめるのが、怖い!

私は確かめたくない。


多分、これ、ダメっぽいぞ…………






くそー!!!

ダメだやっぱり!

隧道を抜けた意味がなかった。
完全に罠にハメられた。この隧道には何の意味もなかった。袋小路だった。

これはもうどう考えても、この路盤の高さを進むことは無理である。もちろん高巻きなんて考えられない地形だった。したがって、30mくらい下で白波を立てている谷へ下りて、沢を遡行する以外に手はないだろう。

しかし、ここからは降りることも出来やしない。

こうなれば、背にした隧道へ舞い戻り、もっと手前に下降地点を探さねばならない。
悔しいが、そうと決めたらグズグズしてはいられない。すぐに行動を開始しよう。

もしも、ここで谷底の迂回が成功できないようだと、これ以上先へ行くことは、時間的に諦めなければならなくなるだろう。無事に生還することの方が大事だから、そのときは潔く引き返すつもりだ。
この下の谷が、私の通過を許してくれる状況であることを、今はただただ願うしかない。



12:34 《現在地》

幸い、谷底へ下りられそうな場所はすぐに見つかった。
というか、こまめにチェックしながら歩いていたので、心当たりがあった。
それは、引き返した隧道入口の目の前だ。
そこには斜度30度くらいのガレ場が路盤から谷底まで一直線に続いていて、登るのは疲れそうだが、下る分には適していた。
だから、行程の手戻りは本当に最小限で済んだ。これはラッキーだった。

振り返ると、こうして路盤を辿ることが出来なくなって、谷底へ下りようとするのは、昨日から3度目だ。(1度目2度目
10km以上も未知の廃線跡を歩いてきたことを考えると、出来るだけ路盤を辿ろうという私の行動は健闘していると思う。これまで迂回せず正面突破した難所の中には、二度と通過したくないと思うような場面も、片手で収まらないくらいにはあったと思うが、いちいち迂回すれば時間と体力の消耗はより大きくなりがちで、このくらい頑張って、ようやくこのスケジュールで動けているというのが実際だった。リスクを避けたら、とてもここまでは辿り着けなかったと思うし、そもそも迂回など不可能そうな難所もいくつかはあった。



12:37

約6時間半ぶりに、手を触れられる位置へ近づいた、寸又川の清流だ。
これだけ上流へきても、まだまだ水勢を保っている。両岸の岩場が厳しく流れを圧迫しており、とても気軽に遡行できる渓相には見えない。
魚類は豊富かも知れないが、私には無関係である。

この右側のひときわ険しい岩場が、隧道によって抜かれている。
ここを谷沿いに潜り抜けて、その先から路盤へ復帰出来れば、この迂回は成功となる。

ここは、前進の成否を占ううえで本当に一つの正念場であったが、第一印象として、どうにか進めそうだという感じを受けた。
この部分に滝があったり、泳がねば進めないようなゴルジュがあったりしたら、たぶん終わりだったのだが、そうはなっていない。



よっしゃ〜!! 越せるぞ!

少しだけジャブジャブして、ここを越えることに成功した。

だが、嫌な予感は少しだけ的中しかかっていた。
実は危ない場面だったと思う。
ここは地形的に、急湍場の下にあるちょっとした滝壺のようなところで、切り立った両岸の岩場に逃げ場がなく、必ず水中を進むしかなかった。
この日は水量が適度だったから、水の中にも浅い部分があって容易に徒渉できたのだが、水位が高ければ、当然水勢も強いだろうし、ここは越せなかったと思う。少なくとも私の装備では。

そして、今回の探索中の天候には、まず急変のリスクはないと思っているが、増水すれば通過できない場所を越えて奥へ行くのが怖いという気持ちは、もちろん持ち合わせていた。計画通りに行けば、ここを戻ることは決してないのだが。



12:40
隧道と路盤欠落地点の下を潜り抜けたことを確認したので、直ちに路盤へ登ることにした。
幸運にも、下りてきたのと同じようなガレ場が随所にあって、難しい岩登りをしなくても、30m上方の路盤に到達できそうだ。
路盤を下から見上げると、随所に空積みの石垣が築かれていて、綺麗だった。


12:43 《現在地》

路盤に復帰した!
写真は、隧道方向を振り返って撮影しており、奥に小さく隧道と、隧道越しの向こう側が見えている。
隧道手前に踏破不能の大決壊があるように見えないが、確かにあるのだ。

この一連の迂回では、10分強の時間をロスした。
たかが10分と思うかも知れないが、既に時刻は正午を過ぎており、焦りが出ている。
そして、時間の消費だけでなく、こうした迂回は体力の消耗が恐ろしかった。
林鉄歩きの経験者は皆同じことを思っていると思うが、基本的に林鉄は勾配が緩やかなので、足腰にかかる負担は、素直に路盤を歩ける限りにおいて、アップダウンの激しい登山ほどにキツくはない。だからこそ、早朝から日没寸前まで行動し続けることもできる。だが、こうした迂回によって道のない斜面の上り下りをするシーンでは、登山のようなハイペースの体力消耗が起こる。
だから、出来るだけ上り下りのある迂回を減らしたいというのは、長距離の林鉄歩きをするときに必ず思うことなのだ。

ともあれだ。
隧道発見の喜びから一転しての恐怖と不安のシーンを、どうにか乗り越えた。 前進継続!



12:47
路盤に復帰から4分後、尾根の突端を巻くようなカーブが現われ、進路が西から北に変わった。
GPSを所持していなかったので、はっきりと現在地を示すことは出来ないが、こまめに地形図と照らし合わせているので、大体の想像は付く。
おそらくこのカーブは、栃沢を出てすぐに始まった大きな川の蛇行で膨らんだ左岸の突端だ。

だとすると、栃沢から1.6km川をさかのぼった地点ということになる。軌道跡は完全に川と並走しているので、私が終点に近づいた距離も同じ数字だと思う。このように仮定すると、当面の目的地である釜ノ島までは、あと3kmである。栃沢〜釜ノ島の3分の1が終わったのだ。




13:03 《現在地》

突端を回り込んで15分後、少し時間が飛んだが、休んでいたわけではなく、歩き続けている。この間、特に難しい場面は現われず、おそらく400m前後進んだ辺りで、寸又川の谷が広くなった。路盤の下に、3.5km手前の大根沢を思わせるような広い平坦地が現われたのである。

私が開墾者だったら、真っ先に居住地に選びそうな、陽当たりのよい小平地だった。小さな小学校の校庭くらいの広さだろうか、川沿いの低地林で、疎らに木が生えているが、太い木はなかった。
おそらく一度伐採されて、そのまま自然更新に任されているのだろう。営林署の事業拠点にもうってつけな明るい朗らかな土地だったが、建物があった痕跡はない。こうした条件の良い土地が全く未利用であるのを見ると、本当に奥地へ来たのだと実感される。




13:06 平和だ。

探索者として、大根沢以来の平和を感じられる土地だった。
路盤と川の高度差が、これまでの本線上のどの地点よりも小さくなったと思う。
どこへなりとも歩いて行けそうな心持ちになれる場面は、険しい千頭山ではとても貴重だ。

ここはやはり、大昔にはちょっとした拠点になっていたのではないだろうか。
建物の跡は見られなかったが、路盤が複線に出来るくらいに広く作られていた。
現役時代には、固有の地名があったと思う。だがそれを覚えている人は、一人もいないかもしれない。



対岸の山に、たくさんのヤマザクラが咲いているのを見た。

木々の総数から見れば僅かな数だが、毎年この季節にだけ、彼女らは山の貴賓となる。

ときおり舞い散る花吹雪にも遭遇した。こんなことで心満たされるのだから、私もずいぶんと山人になりかけている。

私がしているのは、おそらく登山ではない。こんなにだらだらと川沿いの低地を歩くだけの登山があるものか。

どこまでも昔の仕事人の足跡を辿るのは、一つの「道」を修める修行のようだ。自らを“探道家”と名乗ろうか。


……そんな臭いことを私はここで考えたらしく、ボイスメモに得意げに吹き込んでいた(笑)。


それよりも、いよいよ私の身体には、限界が近づいていることを窺わせるような変調が起き始めていた。




38.5km付近 変調の兆し


2010/5/5 13:18 《現在地》

平和だが空疎な複線区間は100mほどで終わり、再び谷が険しくなると、路盤は河床から10mくらいの高さに陣取った。もっと低い所にいてくれると安心できるのだが。
この辺りの険しさというのは、今までの歩いてきた中ではずいぶんと良い方で、本来なら難しさを感じるような場面はなかったはずだ。

だが、なぜか私はこの辺りから、結構な頻度で転倒した。
この写真も、呆気なく尻餅をついて転んだ時に、急いで立ち上がる気にはなれず、そのままの姿勢で息を整えながら撮影したものだった。

ここに来て頻発するようになった、容易な場面でのつまらない転倒の原因は――




動画(→)で私が訴えているとおり、「落葉で足元がよく滑る」ことだった。

だが、考えるまでもなく、こんなことは今に始まったことではないのだ。
動画ではさらに、「落葉がないところの方が多少険しくても楽だ」と言っているが、実際にそんな訳があるかという話で、これはもう単純に、どんな現状の路盤でも歩くのがキツくなってきてるということだった。
私自身もそのことは分かっていた。
分かっていたが、それでも落葉の路盤を歩くことが苦行に感じられて仕方がなくなっていた。

変調の根本的な原因は、疲労による総合的な脚力の低下だろう。
足全体が疲れていて、ももを高く上げて歩くことが辛くなっていた。
落葉が堆積している所を摺り足に近い姿勢で歩けば、落葉の中に隠れている転石に不用意に足を乗せることになる。それで何度も尻餅をつく羽目になっていた。
足を高く持ち上げて、落葉の中で触れた石を上から踏み、動くかどうかを峻別しながら歩くのがセオリーだが、それは体力と集中力があってこそなせる動作だ。
疲労で足運びが雑になってきたために、こういう基本が難しく感じられるようになっていたようだ。

そもそも、この探索(3日連続の歩行、今は2日目)は、これまで経験したことがない長時間歩行への挑戦であった。
探索自体が2日3日と連続することは当時もあったが、日を跨いでひたすら歩き続けることはなかった(途中で自転車を挟んだりしていた)。今回、相棒のはじめ氏が、慣れない自転車行程を初日の序盤に入れたために、足を痛めて早々にリタイアしてしまったように、慣れない動作は身体への負担が大きいのだろう。

しかも、歩いている場所が平地ではなく、ほとんど常に“傾斜”しているのも良くなかった。
この傾斜というのは坂道という意味ではなく、横に傾いていることだ。例えばこの写真の場所のような所だ。こういう傾斜した所を歩くときは、足の各部の中で足首への負担が一番大きい。油断するとグキッとやって捻挫する。奥地探索での捻挫は致命的であるだけに、足首へのダメージ軽減には常に注意を払っているが、無造作に歩くのと違って疲れ易いし、いくら気をつけていても徐々にダメージは蓄積していて、この頃には足首の関節が痛くなり始めていた。特に左足が。(左岸を歩く場面が多く、谷側にある左足のダメージが大きかった)

そのうえ(←まだあるのかよ…)、足のゆび数本と、土踏まずの辺りには常に痛みがあった。
あとで靴を脱いだときに驚くことになるのだが、この痛みの原因は、昨日ここで靴と足を濡らした後、ずっと濡れ靴を履き続けているせいで、足の皮が柔らかくなり、その後の圧迫で負傷していたのである。
濡れ靴のまま2日間も歩くことも、やはり経験がないことだった。



13:29 《現在地》

その後もしばらく難しい場面は現われず、淡々と前進ができる状況だったが、逆にそのことで身体を消耗を素直に実感させられた。

栃沢出発から1時間15分後、行く手に大きな川のカーブが見えてきた。
しばらく北へ向かっていたが、今度は西へ転じるようだ。
栃沢より上流の寸又川は、最初は西へ、次に南へ、そして西、さらに北へ進んで、今度また西へ折れようとしている。
ここは栃沢から2.5kmも続いた大きな川の蛇行の終点である。

右の写真は、ここで久々に目にした植林地だ。
この植林された斜面を200mほど登っていけば稜線で、越えて同じくらい下れば、1時間前にいた栃沢付近の路盤へ戻れるだろう。(代わりに長さ350mの隧道を貫通させても良い)

また、同じ稜線上を北に進めば、左岸林道へ辿り着くことも出来ると思う。おそらく、林道からこれら植林地へアクセスする歩道が存在したはずだ。
谷底にいるときは、エスケープルートの確保が安心のうえで欠かせないが、ここは久々に有力な候補地だった。




13:30 大蛇行が終わり、寸又川の地形はこれで一区切りついた。

栃沢からの前ステージを振り返ると、中間地点の隧道付近に一箇所だけ、どうしても路盤を進めない悪場があったが、
総じて見れば、おそらく昨日と今日の踏破を通じて見ても上位と思えるくらい、地形的には恵まれていたと思う。
「林鉄の先行廃止区間」と聞けば、安全な運材が難しいほどに劣悪な地形環境をイメージしがちだが、今のところ、
栃沢以奥の地形が栃沢以前より悪いという印象はない。単純に林業経営上の都合で先に廃止されたのだろうと思える。

さあ、次なるステージへ!




13:34 《現在地》

来やがったよ…。

進路を転じて50mも行かないうちに、なにこれ。

いったい何が起きた… 続きが見えないが…?



上の写真だと、急に脈絡なく崖を覗き込んだようにしか見えなさそうなので、少しだけ引いたアングルの写真も掲載しよう。

手前の私が立っている地面は、間違いなく路盤である。
その証拠と言ってよいと思うが、久々に見る「空中図根点」らしき標柱が立っていた。
前回見たのは、30km地点の諸之沢だったと思うが、数字は前回の「130」から「105」へ変化していた。進んだ距離とは一致しないので、林鉄の距離標ではない。

だからここまでは間違いなく路盤が続いていたと思うが、

急に終わった?!

クレパスのような支流の谷が、目の前で斜面を裂いており、その対岸は、

全く人の手が入っていない、急傾斜の山肌斜面に見えた。


いや……

終点に達したというのなら、それは喜ばしいことなのだ。
即座に歓喜の叫びを上げたいところ。
だが、にわかに信じがたい。
なにせ、これまで何度も引用してきた『路線図』やら『全国森林鉄道』やらが「終点」としている柴沢は、まだ何キロも先である。
実は公表されているこれらの記録が間違っていて、ここまでしか建設されなかったのが真相だった…… なんてことありうるか?




橋台発見!

まだ終わってない。

ここで終点だなんていうのは、

疲れた私が一瞬縋ってしまった、甘っちょろい幻想に過ぎなかった。

甘くない。

一層悪くなった路盤が、続いていた!

角度を変えて観察すると、クレパス谷の対岸に小ぶりな橋台が見えてしまった。
橋は、もう当たり前のように落ちていた。
とりあえず、この谷は横断できそうだが、先行き不安すぎる新ステージの立ち上がり…。 嫌な予感しかしない……。


覚悟を決めて侵入したクレバス谷の中には、大型車用のタイヤが一つ転がっていた。

これを見つけた瞬間、私の嫌な予感は深まった。
予感以上の予感というか、この先の路盤の荒廃は確定的だと思ってしまった。
なぜそう考えたか分かるだろうか。
林鉄跡が一番荒れ易い典型的な状況が、林道の下に並走する状況だからだ。
これは確実な経験則である。この2週間前に行ったばかりの逆河内支線の惨状を忘れているわけもなく……。
上部に林道が並走する状況は、林鉄にとって地獄である。

地図を見る限り、現地点の林道は河床から180mほど高い所を通っている。
軌道跡は河床の20mばかり上にあるので、林鉄と林道の比高は160mくらいだ。
昨日と今日を通しても、こんなに林道と近づいたことはなかったのだが、この先はさらに接近していき、両者は2.5kmほど先の釜ノ沢で一つになるはずだった。




釜ノ島(林道合流推定地点)まで あと2.5km

柴沢(牛馬道終点)まで あと5.0km