2010/5/5 14:20
意を決して!路盤への復帰を選んだ私。
このタイミングでの復帰は、難所地帯を無事にやり過ごしたという判断があってのことではなかった。これまでの迂回によって多少は時間を節約できたことで、少しだけ心に余裕が生まれ、その分だけ、路盤をやはり歩きたいという気持ちが強く甦ってきたための行為だった。
それだけに、復帰した路盤が依然として険しさを失っていなかったのは当然だった。
崩れ果てた瓦礫の山に路盤は埋没し、獣道すらない感じは、ここが大きな崩壊地に囲まれた孤立した領域であることを予感させた。
「早まったかな?」という気持ちも生まれたが、自分の決断の結果を見るべく勇気を持って進むことにした。このタイミングで降りたりしたら本当に無駄足じゃないか。
14:21 ああっ。
路盤に復帰して1分後。1分後だぞ。
わずか1分後に、こうして路盤は途切れてしまった。
落ちた橋である。また例によってクレバスのような谷。
ノコギリの刃を渡るような危うい区間は、まだまだ終わっていない。
あまりに予定調和的な展開に、思わず笑いがこみ上げてきた。
眼下には、少し前まで辿っていた川の続きが光っていた。
黙ってあそこを歩いていれば、この苦闘は避けられただろうに、路盤を歩きたいという私の欲が、こうした難地へ誘い込むのだ。
14:22
ここは何とか乗り越えた……ようだ。
撮影している写真と経過時間を見る限り、迂回した様子はない。
このような不確定の書き方をしているのは、記憶を補佐するために頻繁に吹き込んでいたデジカメのボイスメモが、この辺りで長らく途絶えているせいだ。
途絶えた理由は、疲労か、面倒くさくなったからなのか、それとも脇目を振らず目の前の難関に専念したかったからなのかは分からない。
これを渡って前を見ると(チェンジ後の画像)、明るかった。
間髪入れずにキツい場面が現われることを予感した。
14:26 《現在地》
戦々恐々の気分で近づいていった“白さ”の中に待ち受けていたのは、細い滝のある沢だった。
見ての通りの荒々しい谷だが、ここはどうにか越せそう。
チェンジ後の画像で黄色くハイライトしたところに、対岸のコンクリート製の橋台があり、これに桃色のようなルートでよじ登ることが出来そうだった。
よじ登る橋台。
この辺りでは唯一の遺構らしい遺構が、コンクリートで堅牢に作られた、これらの橋台たちだった。
コンクリート以外のあらゆる人工物は、粉々に砕けるか、埋没するか、いずれかの末路を辿って姿を消したようだった。
それにしても、本当にこの周辺は橋が大量にあった。ことごとく落ちた木橋で、残っているのは橋台だけだが、規模は大きな橋が多かった。現役時代はさぞ見応えがあっただろう。私がこれまでに経験した林鉄の中でも、これほどの頻度は見たことがない。険悪な地形が如実に表れていた。
14:28
橋台を離れると、またもガレた斜面へ。
こんなところでも路盤だったと分かるのは、斜面の両側が崖になっているからだ。
この斜面は、崖と崖に挟まれた路盤が、上方からの落石に埋没して斜面となったものである。
したがって、この斜面から逃れる術はない。
そのうえ、万が一滑り落ちることがあれば、数メートル先で本来の路肩から飛び出して空中へ弾けることになる。その先に無事の幸運を期待することは難しい。
これが、いっときも気を緩められないということだった。
さあ、また前が白くなってきた。
選択の対価は、遂に豁然たる形をもって私の現われるのだった。
14:30 《現在地》
余計なことは考えなくていい。
うろたえている時間はない。 いけるかいけないか黙って判断しろ。
行けると思う。
視界を遮るものがないことからくる、逃げ場のない高度感に脅されはしたが、
冷静に判断すれば、斜面自体は今まで歩いてきたものの延長線にある。
落ちればただでは済まないだろうが、そんなのはここだけの話ではなかった。
河床への迂回は可能だが、そのためにはだいぶ戻らねばならない。このまま行けるなら行くべきだろう。
この場所、とても見通しが良かった。
いま取り組んでいる1156mピークを南に巻く蛇行の前半が一望できた。
そしてその進路上にも、灰色のガレた斜面や、崩壊により地肌が露出した部分が、幾筋も見えた。
目の前の難所を越えても、まだまだ気の休まる状況にはほど遠そうだった。
耐えるしかない。ゴールは未だかつてなく近づいている。ここは頑張りどころだ!
14:32
終わらなかった。
谷底まで見通せる危険なガレ場を慎重に横断し終えると、周囲にはいくらかの木立が現われたが、そこに望まれた平場との再会はなかった。
もはや路盤は消え失せ果てて、唯一の痕跡は、周囲の斜面より僅かに傾斜が緩やかなガレ場が帯状に連なっているという、無遺構であることを確定させる状態だけだった。
このような場所を歩くことをしたくて“復帰”したわけではなかったが、こうなっていることを知っていたわけではない。もしかしたら隧道があるかもしれないし、もしかしたら何か優れた遺構に巡り会えるかも知れない! そんな必死の願望を持っていた。
この状況を無駄足だと笑いたければ笑うがいいのだ。
はっきり言って、千頭林鉄の末端に近づいたこの辺りは、廃止の日から時間が経ちすぎていた。探索の賞味期限のようなものをとうに過ぎていて、ただただ過酷さだけが残されていた。
だがそれを確認するためには、誰かが人柱となる覚悟で挑み、その成果を克明に語らなければならなかったはずだ。誰にも教えられなかった景色を切り開いていくことの誇りと、生還への執着が、私を最後まで支えていた。
14:35
まるで世界の地平が45度傾斜してしまったような広大なガレ場を、黙々と歩き続けた。
本当に何も残っていないが、水平にトラバースを続けていれば、いつかは必ず路盤の続きに出会えるという確信はあった。
いつ落石に打たれても文句は言えないこのガレ場、疲れても休息を取るのはリスキーで、慎重かつ速やかに歩いた。
いわゆるアドレナリンジャンキーと化した私は、この頃は疲労から一時的に解放されていたようである。
3分……
乾いた落石を引き起こしながら、急傾斜のガレ場を歩き続けた。
5分……
それでも路盤は現われなかった。
路盤消失状態に入り込んでから、一度も平場を見ることなくなく迎えた7分後――。
前も書いたかも知れないが、この手の崖道を埋めたガレの斜面には、突破の処方箋が存在する。
それはガレの上端、法面だった崖にぴっちり沿って歩くことである。
一見気付きづらいが、必ずそこには少し傾斜の緩やかな平らに近い場所がある。これは落石が完全に崖に沿ってくるのではなく、跳ねながらくるために生じる。
この緩傾斜の部分は、だいたいは片足を乗せる程度の幅であることが多い。この崖もそうだった。両足を載せて歩ける幅ではないが、片足でも平らな場所に置いておけることの安心は、何物にも代えがたいだろう。
私はこのことを知っているから、この崖を横断できると判断した。
14:40
死体を見てしまった。
おそらく墜落死した哀れなシカの死体だ。
2週間前、千頭堰堤近くの路盤跡で私との遭遇に驚いて転落死してしまった子鹿を思い出した。
これを目撃した瞬間、四つ足の獣でさえ足を踏み外すことがあるという“現実感”が、もの凄い勢いで私にのし掛かろうとしてきた。麻薬のようなアドレナリンの高揚感から私を引き離そうとしてきた。
だが、私の生存本能が吹き出しかけた恐怖心を突っぱねた。
ここは私というオブローダーに用意された清水の舞台だった。私はいま山の神だけが観覧する舞台で輝かしい活躍を演じている。神は私の勇気を褒め称え、さらなる生を与える。
怖じ気を見せるな、堂々と横断して見せろ!
お前なら出来る! 出来ると思ったから踏み込んだのだろう!!
……これが、生死の境界に立った私の心境の一部であった。文章にするとだいぶ気違いじみているが……。
14:41
この先にガレが乗らない裸の岩場があり、そこを数メートル横断しなければならない。
最初にこの一連の崩壊地を見たときから思っていたが、間近に寄って見てもやはり怖い印象だった。
しかし冷静に観察すると、いいところに手掛かりや足掛かりがあるので、横断はできると思う。
ただ、その横断できそうな位置が、ここから見て下にあるのが嫌だった。
ガレを滑り降りるのではなく、グリップしながらゆっくりと下るのは、スリップしやすい非常に緊張させられる行為である。皆様の中にも、ガレ場を高巻きしようと登ったはいいが、つい登りすぎて怖い思いをした経験を持つ人がいるだろう。
ここから2メートルくらい降りたところから水平移動して、岩場を横断しなければならない。
私は慎重にこれを遣り果せた。
14:42
あとはここをセオリーに従って崖際で横断すれば……
14:43 《現在地》
っしゃあーーっ!!!
約200mぶりにまともな路盤が再開した!!
とたんに解れる緊張の糸。歓喜を絶叫。勝利の雄叫びが山峡に木霊した。
自己満足だが、路盤を歩いた者だけが体感できる充足感があった。これが私の林鉄歩きだ。
だからもう当分いい。あとは安全に収容されたい。
これから10年は自分を満たす予感がした、今日の成果を手に、無事生還したい!
14:45
どうなってるのあそこ?!
前方50mに黒い部分が見え、その先には路盤がないように見えた。
成果を求める私が望む一番は、もちろん“ヤツ”の出現だ。
だが、それを望むことは、いつだって諸刃の剣…
怖い。 本当に怖かった。 今のところを戻る羽目になることが……
どう見ても、この辺りには下降のできそうな斜面がない。
この先の展開次第では、最悪、直前の歓喜の全てが無駄になることを覚悟した。
だがこれは、裏を返せば……
14:47 《現在地》
あそこを歩き通した者だけが、
この隧道に巡り会えることを意味していた!
命を蝕む病みつきの興奮が、千頭林鉄の核心だった。
釜ノ島(林道合流推定地点)まで あと1.4km
柴沢(牛馬道終点)まで あと3.9km
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