2010/5/5 14:47 《現在地》
審判を待つ罪人の気持ちで望んだ、怪しいブラインドカーブの先には――
やった!! 隧道だ!!!!!
この喜びは、荒廃が極限まで進んでしまったこの区間で、苦闘の価値ある希少な遺構を発見できたこともさることながら、この隧道を通り抜けることによって、目的地までの行程をいくらか短縮できるという予想からもブーストされた。
この隧道がある位置は、尾根突端の150m程度手前とみられる。
ここで尾根を貫通できれば、川沿いを進むより3〜400mの行程を短縮できるはずだった。このことは、いろいろとギリギリの状態が見えているいまの私にとって、本当に値千金の価値ある事実だった。
(なお、レポート各回の末尾に掲載している柴沢終点までの残距離は、路線図掲載の距離をベースにしているので、隧道による短縮があっても織り込み済みだ。したがって、貫通に成功しても距離のショートカットは発生しない)
来た道を振り返る。
もっとも、“道らしい”姿があるのは、ここから50mくらい先までだけだ。
その先は、本当に地獄のようなところであり、戻ることなど絶対に考えたくなかったが、まだその可能性は捨てきれなかった。それは隧道発見という歓喜に潜み続けた、不吉なギロチンの影だった。
そしてまた、もっと大きな大局的な意味での探索終幕の影が、着実に現れ始めていた。
今日は朝からずっと深い山峡の底にある林鉄を歩き続けており、快晴にもかかわらず朝日を初めて浴びたのは7:49と遅かった。
それからちょうど7時間を経過したいま、早くも太陽が山影に隠されつつあった。
いまはまだ対岸のそこかしこに日向が見えるが、既に今日という日が下り坂を転げ始めていることを意識せざるを得ない、斜光の時間に入っていた。
計画では、この時刻には既に柴沢の終点を征服し、折り返して帰路の長い長い林道歩きを始めていなければならない頃だった。今日の泊地は大根沢付近の林道上にある無人小屋にしたいと思っていたのだ。
しかし残酷な現実は、今日を出発した時点よりも、栃沢を通過した時点よりも、さらにさらに遅延は拡大しているように思われた。
言うまでもなく、原因は本日行程の想定を上回る苦戦にあった。
約2kmぶりに出現した、久々の隧道。
大樽沢以奥では通算6本目となる発見だ。
前回の隧道発見によって、いわゆる牛馬道とされていた区間内にも、林鉄区間と同じ姿の隧道が存在することが確かめられたが、それからまた2kmも奥地へ進み、牛馬道区間も後半に差し掛かろうというところで再び出現した同形の隧道には、この区間の全線が紛れもない林鉄だったという確信が一層深まった。
どこからどう見ても千頭林鉄の隧道だ。今回と2週間前の第一次探索と合わせて20本以上も見てきた、千頭林鉄らしい隧道の姿だ。
どんなに奥地へ入っても、造りが雑になるような感じはなく、断面が小型化した様子もなかった。
この不変性からは、全線40km以上が短期間で竣成したことが感じられる。しかもこの40km以上のほとんど全部が寸又川の険しい峡谷にあるというところに、この路線の特異さと恐ろしさがある。
一歩足を踏み入れると、先は暗闇だった
が!
祝! 貫通確認!
光より先に風来たる!
( なお、しばらくボイスメモの収録をしていなかったので、約1時間ぶりに記録された肉声だったが、
いま改めて聞いてみても、さすがに声の疲労感というか力の無さが酷い )
貫通(ほぼ)確定となる風の存在に、ホッとした。
微風だったら、実はほとんど閉塞していて人は通り抜けられないという不安もあったろうが、坑口が風通しの良い谷に面し、かつ尾根を回り込む位置にあるせいだろう、ひんやりとしたよそ風が常時吹き抜けてきていた。
しかし、動画で口にしているとおり、まだ肩の荷は下ろせない。貫通していても、その先が心配だった。特に前回の隧道では痛い目を見ているし、その前から隧道周辺は自然と険しい地形であるため、油断出来ない。とはいえ、ここが閉塞していた場合の迂回の大きさと、その絶望を想像すれば、まずは喜んでよし!
写真は振り返った坑口だが、シルエットに張り出した右側岩塊の存在感が怖い。
激しく左にカーブしているので、ぎりぎり建築限界には支障していなかったのだろうが、見た目にはいかにも接触しそうだ。さすが林鉄と思えるようなアドベンチャラスな設計だった。そもそも、こんなに見通し皆無の下りカーブで、トンネルから大絶壁地帯へ飛び出していくというのが、非常識に運転士泣かせだ。もし万が一、カーブの先に落石でもあったら、ひとたまりもない。
14:48 (入洞30秒後)
すっげー曲がってる!(笑)
なかなか異様な感じのトンネル風景に、ニヤニヤしてしまった。
戦前は、測量技術の未熟さと、トンネルの全長を出来るだけ短くしたいという思惑から、ほとんどのトンネルが直線とその単純な組み合わせで線形設計がされていたなかで、戦時中にこれほどの奥地にこんな勢いよくカーブしたトンネルが掘られていたのは意外であり、面白いと思った。
14:49 (入洞1分後)
まだ曲がってる!(笑)
この写真、前の写真と似ているが、数十メートルは先の風景だ。
入口からずっと右カーブが続いていて、まるでループトンネルを彷彿とさせた。
そのため未だ出口が見えてこない。地形的に全長100m程度に過ぎないはずだが、4〜50m進んでもまだ、数メートル先のカーブしか見えない状態が続いていた。本当によく曲がっている。林鉄でこんなにずっと曲がっているトンネルは珍しい。
ところで、写真左端の壁に、木の棒が固定されているのが見える。
林鉄隧道ではお馴染みの光景で、電話線固定用の碍子を取り付けていた跡だろう。
林鉄としての廃止は早かった区間だが、牛馬道時代にも引き続き使われていたのか。もちろん、そのまま林鉄時代の残骸かも知れない。
14:50 (入洞1分30秒後)
やっと直線化&出口発見!
結局、入口から60mくらいまで延々とカーブし続けていた。
そして突然直線化したが、出口はまたグイッと曲がっているようだった。
このやっかいな線形は、それだけ必要に迫られたということなのだろう。
ここで林鉄は単に尾根を抜けるだけでなく、進行方向を120度くらい急転させる必要があった。
設計や施工の容易性からみれば、出来るだけトンネルを直線かつ最短距離にして、地上のみでカーブを終わらせたかったところだろう。実際、坑口前も45度くらい急激に曲がっていた。だが、地形が険しすぎて地上だけでは限界があった。やむを得ずトンネルの半分も長いカーブの一部にするような設計になったと思う。
なお、地上と地下をシームレスなカーブで結ぶこのような線形設計は、現代においてはスタンダードだ。木材生産の至上命題を達成する必要に迫られて、ここでは時代を先取る高度な設計が行われたのか。
14:50 (入洞2分後)
出口の30mくらい手前が、少しヤバかった。
これまで千頭林鉄の隧道たちではあまり見なかった規模の落盤が起きていた。
しかも、落ちた土砂がもの凄く風化していて、嫌な雰囲気だった。ぐしゃっと逝っちゃう隧道は、だいたいこのような感じだと思う。
隧道内は安泰という今までのセオリーに、黄色信号が灯っていた。
とはいえ今回は大丈夫。問題なく通過する。
出口が迫る!
マジで頼むぞ!
隧道前の難所からずっと続いている“ノーエスケープ状態”からの解放を、私は早く確信したかった!
私は未だに【あれ】も【それ】も背負って歩いていて、このまま進めば進むほど、袋小路と判明したときのダメージは致命的になる。
考えたくもないが……、もしそうなったら、生還することで精一杯となり、釜ノ島への到達も断念することになるだろう。
14:52 《現在地》
とりあえず前進可能! 状態は悪くない。
だが未だ険しさ緩まず、ノーエスケープ状態が継続中!
プラス材料として、隧道によって一気に3〜400m分の寸又川を遡ったことにより、
河床と路盤の高度さが数メートルほど小さくなったように思う。目が眩む高さではなくなりつつある。
とはいえ、自由に行き来できるほど近くはなく、引き続きノーエスケープ状態にあった。
一方、マイナス材料も……。
隧道出口付近の寸又川は絵に描いたようなV字谷の急流で、いまの私が溯行出来るようには思えなかった。
実際に試していないので不可能だと断定はしないが、この先で引き返す羽目になった場合、
もう精神的にも限界で、3〜400mも多く川を歩いたうえに、これを溯行しようとは思わないだろうな…。
さらに、不安材料が。
あそこ、通れるのか?
木々の向こうに見え隠れしている向こうの川岸、どう見ても岩場の色をしている。
高さ的に間違いなく路盤はあそこへ入り込んでいて、横断しているようなのだが…。
私だって、これまでいくつもの難関を突破してきた自負がある。
大抵の難関は正面突破できると思っているが、サドンデスに近い状況に追い込まれているだけに、
もうここから見ているだけでも怖くて、心がささくれ立った。
さようなら、最後かも知れない隧道よ。
ここへ戻ってこないよう、一緒に願っていてくれ。
自惚れかもしれないが、この隧道が置かれている極限の立地の状況を考えれば、これを人が通り抜けたのは30年ぶりとかじゃないかと思ったりもした。
そして、もう二度と目にすることもないだろうなと思った。
一期一会は廃道探索において全く珍しいことではないが、千頭の奥地ほどそのことを念じながら歩いた場所は多くない。
再び日の下を歩けるようになったのは、隧道を潜った大きな収穫だった。この明るさがある限り、天に味方されていると思えるのだ。
おそらくこの先は、推定1.4km先にある釜ノ島到達まで、ずっと川の東岸を歩くことになるだろうから、頻繁に日差しは拝めるだろう。
この辺りで川に降りられる場所を見つけられたら、一気に安心出来るのになぁ。
願っても答えを見つけられないまま、次なる難所を予感させる斜面へ、私は入り込んでいく……。
なんとか大丈夫かな……。
見えて来たのは、崩れてから時間が経っていそうなガレ場で、少しずつ植生が復活し始めているようだった。
これが今まで越えてきたものよりも難しいということは、なさそうだ。
14:57 《現在地》
いやー… やっぱりここも怖いぞ。
手前はシカ道も鮮明で問題ないが、日影になっている後半は相当険しいぞ……。
川に逃げられそうにもないし、怖いよー。
少なくとも、ここから見えている範囲では、川へ降りられそうにない傾斜だ。
頼むぞ本当によー。なんでこんなにヒヤヒヤさせられるんだよー。
15:05
引き返したら、川は右側になる。
そうなっていないので、大丈夫、私はまだ前進を続けている。
あそこも難所だったが、今まで越えてきたものを思えば易かった。
突破してさらに数分進んだところで路盤は徐々に回復し、また河床もますます接近してきて、いざとなったら木の根伝いに上り下り出来そうな感じになってきた。
したがって、これでサドンデスからは解放された!! 嬉しい!!!!!
とりあえずこの先に何かあったとしても、川へ迂回するという選択肢が再び取れるようになった。
これで、前回路盤に復帰してからおおよそ45分ぶんの血の滲むような前進を、私はようやく成果として確定させられたと感じた。
身体だけでなく、魂まで灼かれるような千頭奥地の難関を一つ、私は制したのだ!
15:07 《現在地》
ここは1154mピークがある尾根の突端だ。
先ほど隧道で潜り抜けた尾根と、現在地の尾根は、末端が枝分かれした1154mピークの尾根の兄弟だった。
今度は隧道ではなく、素直に尾根を回り込んでいたが、例によって尾根の突端部分は傾斜が緩やかで、久々に少しリラックスできそうだった。
何よりも心強いのは、地図上の左岸林道がいよいよ接近してきていることだった。
今までは林道と軌道跡は常に何百メートルもの高度差があって、道がない限り決して行き来できそうにない状況だったが、ここに来ていよいよ高低差は100mを切り、釜ノ島での合流へ向けてますます接近しつつある。
もちろん、林道の接近には林鉄跡の破壊という副作用があるのは承知しているが、この状況では、生還を確信できるエスケープルートの確保に勝る喜びはなかった。それだけに、現在地からさっさと尾根伝いに上がって林道へ復帰するという“甘えルート”も、ちょっとだけ考えたのだ。
でももう少しだけ頑張ってみよう。いまは気分がいい!
そしてここ。
上の写真の丸く囲んだところに何か見えていると思うが、ここにはなんと、吊橋の残骸とみられるワイヤーが何本も架かっていた。
人道用の簡単な吊橋だったろうが、対岸の遠さや谷の深さを見るに、決して侮れない規模だった。
千頭の吊橋と言えば、普通の人なら“夢の吊橋”、オブローダーなら“無想吊橋”をすぐさま連想するだろう。
(私はこの翌日に無想吊橋に再挑戦する)
本橋は巨大吊橋として勇名を馳せたそれらに較べれば遙かに小規模だが、立地の秘境度だけは卓越する。こんなところに登山道ではなかろう。林業従事者が往来するための橋だったろう。この対岸にもかつて人の出入りする土地があったのだ。もう訪れる人は二度とないだろうが。
林鉄はもちろん、千頭国有林での林業自体が終わりを迎えたいま、このような秘境橋が存続する余地はなかった。無想吊橋のように看取られることもなく、ひっそりと失われていた。
15:09
「キリ番ゲットォー!」
あまりにも場違いな叫びがこだました。
13:34以来、久々に発見した空中図根点の標柱だったが、刻まれていた数字は、「頭100」。
この標柱を目にするのはこれで3度目、昨日の諸之沢で「130」(30km地点付近)、今日の栃沢の先で「105」(38km地点付近)、そしていま40kmを越えた釜ノ島手前で「100」である。おそらく線路沿いに設置するばかりではないだろうから、これらの数字の変化に合理性はないと思うが。
いずれにせよ、かつてはこんな奥地まで管理する仕組みがあったことを示す貴重な標柱である。そして、見ることが難しいレア標柱でもある。
思い出になるナイスキリ番ゲットだぜ!
さらに前進すること5分。
思いがけないものを発見した。
15:13 《現在地》
あーーっ!!!
う、嘘……! 架かってるなんて!!
釜ノ島(林道合流推定地点)まで あと1.0km
柴沢(牛馬道終点)まで あと3.5km
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