静岡県道288号 大嵐佐久間線 第11回 &

 飯田線旧線 中部天竜〜大嵐間 第3回

公開日 2009. 7.24
探索日 2009. 1.27

ようやく出会えた湖底の廃線。

かなり“洗い流され”、相当に無表情な隧道達ではあったが、何という名の隧道だったのだろうか?

探索当時は古地形図さえ用意していなかった私。
あっという間に4本も見つかってくれた隧道達を名前で呼んでやる術を持たなかったが、今ならば分かる。
『三信鉄道建設概要』を閲覧した今ならば。




いきなり個人的な話になるが、『鉄道廃線跡を歩く 6』には、対岸の県道1号から写したらしき水涯線ギリギリに浮かぶ隧道群の写真が1枚掲載されていて、キャプションも付いているのだが、特に隧道一本一本の名前については一切触れていないことが気になっていた。
あの本の場合、普段ならちゃんと隧道名が(調べられて)掲載されるのに、半分以上湖に沈んだ隧道達になど名前など無いのだと言わんばかりに、無名として扱われた隧道達が不憫でならなかった。

だから、私はこの探索を行って、せめてレポートを起こすまでには、必ず隧道名を解き明かし(そんな大それた事ではないが…)、ちゃんと名前で呼んでやろうと思っていた。

そんな思惑もあって、前回遠望のみを含めて見付けた4本の隧道は、南から順に右図の通りと判明した。

まず最も南寄りの「亀谷隧道」は、北側坑門の上部が水面上に見えただけで、南口は未発見だ。
全長は112mあるとのことなので、南口はほぼ完全に水面下だろうと思う。
続く「第一亀沢隧道(全長54m)」は、貫通していることが確かめられたが、両坑口とも陸上ではなく、泳ぎでもしなければ立ち入ることが出来ないので内部は未探索である。

今回は、続いての「第二亀沢隧道(全長27.2m)」から探索を開始する!




右の“羅列”を覚えているだろうか。
前は【ここ】に掲載した、飯田線の13.7kmに及ぶ一連の旧線内にあった隧道の一覧であるが、カーソルをあわせると水没状況を表示する。

当たり前だが、随分沈んでいるものだ。

線路上の距離で計算すると、現在地は中部天竜駅から10.5kmの地点であるから、残りは3.2kmくらいと言うことだ。

また、もし万が一水位がゼロになれば全ての隧道が出てくるかと言えば、おそらくそういうこともなく、本来の谷底に近いところにあった構造物ほど、堆積した泥土の底になってしまっている可能性が高いと思う。
現に私が逢着した隧道群にしても、既に厚さ3m近い泥に埋もれている状況だったのだ。
浚渫船が毎日稼働しているとはいえ、おそらく下流に近づくほど湖底の泥の層も分厚いのではないかと思われる。
それを確かめるのは、容易ではないと思うが…。




 続 喫水の小隧道たち


2009/1/24 14:15

目の前に未探索の隧道が2本も見えているという、幸福な状態。

一面泥の海のような足元は決して快適ではないものの、この光景の前にしては楽園にも等しい。
半日前に初めてダムの水面を見たときに「今日は水位が低い」と感じたが、あれは勘違いなどではなく、実際に相当“恵まれた”水位だった。

間違いなく、ラッキーだった。



ただし、
ここにひとつ、浮かれ気分ではいられないワケがある。

さっきから見えている、ここ…。

どう見ても、県道は切断されている。

しかもその崩れた表面は、かなり垂直に近いように見えるし、崩れてから時間も経っていないようだ。
果たしてあそこを自転車ごと通過できるのかどうか。

他人事じゃない。
もし通過できない場合、私はどうすることが出来るのか…?
既に半日かけて片道通行をしてきた私にとって、それは非情な選択を強いるものとなる予感があった。

…もしあんなものが無いでくれれば、どんなに楽だったろうと、今でも思う。




おそらく一年のうちでも水中で過ごす方が多いのだろうが、かなり風化している「第二亀沢隧道」の南口。
意匠と呼べるものは唯一、ごく小さな段差としての笠石があるだけで、ほとんど無装飾と言っても良い。

だが、今回見た中では南から数えて3本目となるこの隧道。
初めて、(濡れずに)洞内へ侵入する事が可能である。
すぐ脇にある湖面との高さの差は30cmほどしかなく、おそらく年間でも水中にあることの方が遙かに多いのだと思うが、今日は立ち入ることが出来る。






いや、訂正する。

立ち入る」 → 「這い入る」 だ。


しかも、まだ乾いていない泥の地面…。

四つん這いになって入っていけば、絶対に汚れるんだろうな…。
まあ、行くけどさぁ。

そして、この隧道もまた、無事に貫通していたのである。
ただ…、 この向こう側は……。




いざ、入洞!

『建設概要』によれば、この隧道の全長はわずか27.3m。
これは、中部天竜から大嵐までの廃止区間内にあった38本の隧道中でも、最短である。

そして、隧道内にも大量の泥が堆積しており、立ち上がれる場所はない。
しかも、出口はすぐそばに見えているにもかかわらず、通り抜けることも出来ないのである。
湖面を渡るものと同じ冷たい風だけが、狭い洞内を奔って耳に鳴った。

なお、天井に写っている金属製の棒は、架線を吊っていた支柱である。





洞内に、小さな波のさざめく浜辺がある。
泥の浜辺。

これより先に、行くことは出来ない。
この湖底には、全長70mに及ぶ「中ノ沢橋梁」が沈んでいる。
しかも、洞内でさえ遠浅ではなく、さらに泥濘が非常に深く、目に見えないデッドラインを一歩でも踏み越えれば、泥に足を取られて二度と戻れない危険がある。

仮にそんな困難が無くても、敢えて向こうに見える隧道へ行く必要は少なさそうだ。

次なる「第一白神隧道」は、ここから見ても明らかに閉塞している。
やはり、一度捉えたとはいえ、この廃線跡の探索は一筋縄ではいかないようである。




隧道内に出来た、再びは訪れ難い渚で、記念の動画を撮影した。

【動画を見る】

それから、私は地上へと戻った。
這い出した私は、当然のように両掌と両膝がひどく汚れていた。




14:29 【現在地:県道へ復帰】

私が最初に降り立った湖畔からは、結局4本の隧道を確認することが出来た。
しかし、湖畔に沿って前後に進むことも出来ない場所であったから、結局20分ほどで元来た県道に戻ることになった。

この先にもまだまだ飯田線旧線の遺構は現れるだろうが、ひとまず「中ノ沢」を越すところまでは進んで良いだろう。
ここからは、県道探索の再開だ。




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 亀沢と中ノ沢を越えて…


杉林の県道を少し進むと、怪しく明るい場所が現れた。

そこは、案の定崩壊地らしい。

前にも杉林の中でこんな場所を見たが、レポートにして4回前、時間にして3時間近くも前に通り過ぎた記憶である。

躍り出る!















ひどい崩壊現場だ。
何がきっかけでこんな崩壊が起きてしまうのか。
ずっと尾根の上の方を先端に、全く新たな谷が出現してしまっている。
抉れた山腹の残骸である膨大な瓦礫が、道を20mほどにわたって完全に埋没させていた。

幸い、横断するのはそれほど大変ではなかったが…。






突破!

し か し …!!






埋 没。


ここが仮称「亀沢」と思われる地点であるが、大変な状況になっていた。

これって、あの恐れられている、
土石流ってヤツが襲ってきた痕なんじゃ…

しかも、ここには道だけじゃなく、地形図にも一応描かれている建物が存在している…。




14:37〜14:42 【現在地:亀沢小屋】

序盤の終わりに見た「甚○小屋」よりも遙かに大きな小屋だが、外見上の老朽化はより進んでいる。
それにしても、このあたりの山は一体どうなってしまったというのだろう。
なぜこんなに「怒って」いるのだろうか。
やはり、悠久の時を一緒に過ごしてきた天龍の清流を奪われたことが、未だ我慢ならないというのだろうか。

この終盤戦に来て、これまで以上に大規模な破壊の現場が現れ始めたことは、当初の予想にはないことだった。
あくまでも私は、廃道区間の中間部分が最も長期間の放棄に晒され、荒廃も進んでいるものと考えていたのだ。
いよいよ日の差す時間も残り2〜3時間となり、余り寄り道している余裕はないと思ったが、せっかくの廃屋には立ち入ってみた。





が、今度は特に収穫は無し。

ただ、カビくさい部屋が4つくらいあって、調理場があって、納屋があって、その何れの部屋も窓が割れ、外から土砂が流入していたりと、大変な大荒れであったと言うだけだ。

この建物はもう二度と使われることなく、森と同化の道を選ぶに違いない。
或いはその前に、次なる土石流によって押し流されてしまうかも知れない。




約5分間の廃屋探索を終え、沢で切り返して再び南向きの道へ。

直前の大荒れが嘘のように落ち着いた路盤。
久々にチャリに跨って進む事が出来た。

だが、ほんの50mかそこらで、小さな岬の突端に達して、また切り返す右カーブ。
ここは、さっき這って潜ったばかりの「第二亀沢隧道」直上の尾根である。




岬の広場にあった案内板。

「水窪発電所」という新しい名前が出てきている。
佐久間ダムからは随分遠くまで来たのだと実感。

内容を見ると、この150mほど上流に水窪発電所の放水口があると言うことだった。
もし現役の施設なら、或いは道の状況もそこで改善するかも知れない。




道は一時だが佐久間湖の本流を離れ、中ノ沢が刻んだ谷筋へ入り込む。
その迂回の始まりで、やや振り返り気味に湖面を見下ろすと、木々の隙間に辛うじて見えた隧道がある。

前とはアングルが違うが、この姿には見覚えがあると思う。
中ノ沢の北岸に口を開けた、「第一白神隧道」である。
内部は土砂ですぐに閉塞しているのが見える。




間もなく眼下に巨大な滝が見えてきた。

石垣の路肩からほぼ真下に見える滝は大変な迫力だが、実はこれは自然の瀑布ではない。
滝口をよく見ると、コンクリートの隧道から流れ出ているのが分かる。

これこそ、先ほど予告された「水窪発電所」の放水口であった。
発電所自体は東の峰を越えた水窪川沿いにあり、そこから4km近い地下水路を通って排水されたものが、中ノ沢の水量の大半である。

現役が確かめられた放水路。
管理施設のようなものが近くにあれば、道の状況も回復するのではないかと思ったが…。




間もなく放水口の真上に来た。
そこには恐ろしげな梯子が一本だけあって、轟音を響かせる地下水路へ私を誘ったが、敢えてこの誘いには乗らなかった。

時間に余裕があれば良かったが、飯田線の探索にもどれだけ時間がかかるか分からない現状では、ちょっと付き合いきれなかった。




14:49 【現在地:中ノ沢橋】

放水路を過ぎると中ノ沢は水量がほとんど無くなり、あっという間に上り詰めてきた。
そして県道はそれに、欄干もない板のような小橋で応えた。




佐久間ダムの終点から約13km。
限界一杯まで瓦礫を乗せた「中ノ沢橋」の先は、旧水窪町の領域である。
現在は、浜松市天竜区水窪町奥領家である。

…やっぱり水窪発電所の放水所を過ぎても、道の状況は何ら改善しない。
こいつはマジで、夏焼集落までもう2km、全部駄目かも知れん…。




橋を渡り、再び湖面を直下に見下ろすようになる。

そこには、先ほど探索した一連の隧道群が、ハッキリと確認できた。
逆光のせいで、写真では影になってしまっているが…。

(★印が先ほど降り立った湖畔である)




全長88.5mの「第一白神隧道」の直上と思われる地点に、落石注意の標識を発見。
さらに20mほど先にも、逆方向を向いた同じ標識があった。

支柱には「静岡県」のシールがあり、県道時代に設置されたらしい。
しかも、路面状態はこんな風なのに、標識は支柱を含めてほとんど傷みが見られない。

久々に現れた道路標識は、初めて私に「出口が近い」という事を意識させた。
どんなに長くても、廃道は残り2kmを切っているはず。





だが。

そうだ…


アレがあったんだ…。



例の、湖畔から見上げた崩落現場……。


あれ か……?




う。 わーーー……


ちょっと… ちょっと……


これ、やばそうだ…。
マジでこれは…、全身全霊でヤバイ予感。


何がそう思わせるかって…

背景がスッキリしすぎだから!!!





恐る恐る


近づいていく…。


背景の “抜けた” カーブの先端へ……。

























最悪!




大嵐駅起点まで あと.4km