静岡県道288号 大嵐佐久間線 第6回

公開日 2009. 7.12
探索日 2009. 1.24


巨石ゴロゴロ、ゴーロゴロ。
背後でワンワン、ワンワンワ!

ダムから約9km。
「山室峠」も目前と思われる地点で、遂に決定的に自動車の通れない「決壊の場面」が現れた。

この道の全長は約18kmだから、中間地点ということである。
ここまで、楽しむ意味も込めてゆったり目に進んでは来たが、それでも極めて順調。
ある意味、拍子抜けするくらいの道であった。
確かに険しい地形ではあるが、車も通れる林道然とした県道であったわけだ。

しかし、ここで遂に廃道が来た。



先ほど通り過ぎた、二度目のゲート

ちなみにこの500mほど手前で、二度目の「通行止」の標識やゲートを通り過ぎているが、県道288号の供用廃止区間8193mというのは、多分あそこから始まっていたのだと思う。

そしてまたそのように仮定すると、これはもうほとんど終点間近までずっと「供用廃止区間≒廃道」が続くと考えられるわけだが。



…まあいい。



まずは、ここだ。

この現場を突破しなければ、以後の何をも知ることは出来ない。




 実質的廃道のはじまり 


2009/1/24 10:47

最初の崩壊。


そこは、ほぼ垂直に近い絶壁だった。

崩れた後でこうなのだから、元々はもっと切り立っていたのかも知れない。

一箇所ではなく、50mほどの区間内に連続で3箇所。
これらは、全て同じ崖面の崩壊である。

そのうち、一番手前の崩壊が最も規模が大きく、また最近のもののように見えた。
奥の二箇所はやや古く、少なくとも一夏以上を経ている様子だ。




そこに木霊するイヌの吠え声は、素人の私に聞き分けられるだけで2頭分。
遠と近。

近い一頭は、ここからでも姿が確認できる。
道路から少しだけ下がった見通しのある尾根の上に、舌をダランとした白イヌが、呼吸にあわせてせわしなく体を揺らしていた。
そして、ときおり尾根の裏へ消えて「わんわん」と吠え、対になるように遠くで別の「ワンワン」が起こり、そしてまた尾根の上に戻ってくる。
…そういう行動を繰り返していた。

私の方を特別に注視している様子はなかったが、気付いていない訳はないと思った。
と同時に、私に対し特別な敵愾心を見せていないことも、なんとなく分かった。
飼い主の姿が見えず、その制御下にあるか否か分からないことが不安ではあったが、とりあえず進むことにした。


起点からここまで、ある意味でずっと続いてきた私と犬との関係は、ここで無事に平和的解決を見た。




ワンワンと声援を受けながら、3連続の崩壊を突破する。

写真は最も状況が悪い最初の崩壊で、軽トラ大もあるような岩数個を中心に割れ石の瓦礫が路面を完全に埋めている。

必然的に路肩付近を通らざるを得ないが、不安定に積み重なった瓦礫に体重を掛けると揺れ動くものもあり、さらに両手の自由が奪われる自転車の“運搬”には細心の注意を要した。
恐れたのは、路肩からの転落に他ならない。

それでも幸いだったのは、路盤自体が落ちてはいないことだった。
この崖で路盤もゴッソリ落ちていたら、それだけで「終わって」しまった可能性もあった。




2番目の崩壊はちょうど犬がいる尾根の上で、道はここで尾根を巻き込むように右へカーブしている。
そして、カーブの先には3箇所目の崩壊が待ち受けていた。

路肩には駒止のコンクリートが並んでいるのが見える。
瓦礫で埋もれているが、間違いなくここが道である。
そして、瓦礫の上にもまた落ち葉が積もっており、何年も前に崩壊した様子がうかがえる。




一連の崩壊現場を無事に突破。
写真は振り返って撮影。

この50mほどの崩壊区間は、確かに大規模な土砂崩れではあったが、路肩までは崩れておらず、重機を用いればさほど大がかりな作業をせずとも復旧が可能と思われる。
しかも、ここまでは重機も入れる道がちゃんと通じていたのである。

にもかかわらず復旧されず数年が経過している。

やはりここは、見捨てられた廃道なのだ。




10:53

“隔てられた”廃道区間へと足を踏み入れる。

そこは、予想以上に廃道化が進んでいた。

通常の廃道は、まず「通行止め」の(告知やゲート)がある地点を境にして荒れ始め、具体的な崩壊現場をもってさらに荒れ(←現在地)、以後は崩壊現場を過ぎる度に荒れ方は悪化していくが、一番最初に通行止めの原因となった「核となる崩壊現場」を過ぎると、今度は逆に“出口”となるゲートなり崩壊地点に辿り着くまで、崩壊現場をひとつ過ぎる度に状況が改善していく傾向を持つことが多い。

だが…



この廃道にその法則が適応できるとしたら、これは相当に末恐ろしい“序盤戦”だといわざるを得ないだろう。

なにせ、最初の崩壊現場を過ぎた時点で、一気にここまで荒廃したのだ。

道幅の広さや法面や路肩の処理など、道路の構造自体にはこれまでと変わったところはないが、いきなり轍は全て消えてしまった。

あと9kmほどある道のりのどれほどが廃道なのかは分からないが、既に自転車に乗車して進める状況ではなくなっている。
今までラクをしてきた分、これからはこの大きな荷物と共に歩まねばならない。

私は、覚悟を決めた。




10:57 【ちょっとした広場】

ちょっとした広場に出た。

さすがに瓦礫を供給するような急斜面に接していない部分は、さほど荒れていないのだが…

それでも、最後の車が刻んだ轍が見て取れない状況だ。

おそらく、井下秀文氏(『いかもの趣味』)が踏破した平成8年当時から既に車は入れなくなっていたのではないだろうか。
重なり積もった落ち葉と枯れ枝の量は、その可能性を強く支持していた。




広場の先に、立木と一体化していて目立たない標識があった。

そしてそれは、「幅2.0m」の規制標識であった。

これまでを振り返ってみると…
【一番最初のゲート】のところに、【幅員が狭く…】という文言の表示があり、ゲートを過ぎて少し入ったあたりには【幅2.2mの制限標識】があった。

そして今、さらに規制は深まって、幅2mとなったわけだ。
普通なら道に入る前に、一番狭いところの規制が予告表示されているものだが、場当たり的にだんだんと規制が深まっていくこの状況は、ドライバーの精神衛生上よろしくなかっただろう。

…廃道となっている現状ではどうでも良いことだが…。

あと、補助標識の内容も意味深である。
この先180mの規制あり」と書かれているのだが、隧道でもあるのか?




まだ“180m”来ていないと思われるが、路上には大量の倒木が散乱し、或いは横たわり、もう完全に廃道そのものである。

今後誰がどうやって手入れしていくのか謎の杉林の中、海抜330mの山室峠へ向かっての道は、僅かだが登り坂となっていた。

犬の吠え声は、この辺りで完全に聞こえなくなった。




来たッ! 

掘り割り!!

隧道ではなかったが、“180m”先にあったのは、今までで一番深い掘り割りであった。

ここが9.2km地点の「山室峠」に違いあるまい。




11:05 【現在地:山室峠】

この写真は峠の掘り割りを振り返って撮影。

どう見ても幅2mどころではない幅があるが、位置的に先ほどの規制はこの場所に対してのものだと思われる。
さすがに両側の斜面から供給される路上の瓦礫は目立つものの、「崩壊」と言うほどではない。
むしろ、これだけ切り立っていて高い岩盤が無普請で露出している状況にしては、よく安定していると言って良いだろう。

ともかくこれで、“廃道への入り”を含んだ「第2ステージ」が終了したわけで、これからは後半戦だ!




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第3ステージ 山室峠〜亀ノ甲峠 


うあ・・・。

まだ始まったばかりではあるが、ちょっとゲンナリしてしまった。

掘り割りを出て、道なりに左へ曲がると、
そこは…

瓦礫の海…。

重苦しい空気が、これから愛車を担がねばならない肩に、ドシッと…。




ひとつの半島を制し、今まで見えなかった上流の風景が視界に広がった。

だがその眺めは、1時間前や2時間前に見たものと、さほど変わってはいない。
相変わらず谷を浸す湖に橋はなく、人煙も見えない。
さすがに谷幅は減ってきているし、また湖水の色もやや明るくなってきた(浅くなってきた)感じを受けるが、「同じような眺めが繰り返し現れている」という感覚を覆すには至らない。

そして、依然として飯田線旧線の存在は認められない。

期待に反し…

まだまだ谷は深いらしい…。




始まったばかりの「第3ステージ」。

このステージでも県道288号(だった道)は、飽きもせずに佐久間湖左岸の山腹を等高線をなぞるように続いている。

この対岸(右岸)には「猿ヶ鼻」という小高い山を中心とした半島があり、県道1号はその基部を「一本杉隧道」で貫いているのであるが、昭和42年にこの隧道が開通したことで初めて右岸の道が一本に繋がった記念碑的存在だ。

廃道区間の中核と目されるこの「第3ステージ」。
“廃道の法則”通りならば最も危険視されるエリアといえるわけで、逆にここさえ無事に越えられれば完全踏破は一気に近づく事になる。





マジで乗れねーわ、これ。

しかも、踏み跡らしい踏み跡もなく、どこを歩いてもとがった瓦礫を踏んでいくような感じである。
これはしばらく続ければ爪先が痛くなりそうだ。

ああ…、さっそくチャリがうざったい。

しかし、諦めて引き返す他には、頑張って連れて行くしかない。
自分で連れてきたのだからな…仕方がない。




そんな“壊滅的”な路傍に置き捨てられていたのは、工事現場ふうのバリケード。
いったいいつからここにあるのか…。

現在の封鎖区間となる前に、この先により古い封鎖区間があった可能性を感じさせる存在。

私は、第2の致命的な崩壊現場が遠くないのではないかと、そう予感した。




路上にまで若い杉が植林されている?

それとも自生したのか?

意外に綺麗なままのガードレールが、この風景の中では異様な存在だ。
石垣や駒止ではない時点で明らかに後付けの構造物であり、確証はないが、平成元年頃まではちゃんと補修されたりしていたのではないかと思う。






あ…


あれは…





完全に埋没している…!



例のウワサ …掘り出せない事故車が埋もれている… が脳裏に甦った。


俺はチャリで… 行けるだろうか……?







大嵐駅起点まで あと.0km