2009/1/24 12:40
約3kmぶりに現れたゲートには、撓んだチェーンが掛かったままになっていた。
そして重要なことは、ゲートに附属する「通行止」の標識が、向こう側を向いていたと言うことだ。
誰かが悪戯で標識の向きを変えたのでもない限り、このゲートは“起点側”から来た車両を制限するものだということになる。
例外はあるが、基本的にゲートを出れば廃道は終わる。
少なくとも、今までの区間よりは廃道であった期間も短いだろうし、状況はかなり改善するだろう。
ゲートを越えたところは大きな右カーブになっており、地形的には直前の「立石沢」(仮称)と次の沢との分水尾根の突端である。
(【湖面の眺め】←相変わらず飯田線旧線は見えず)
そこに期待された車影は無く、代わりに路面一面の杉の枯れ枝が積もっており、まだ廃道が続いていることを理解した。
さらに先にも、車が通行できない崩壊が発生しているのだろう。
しかしそれでも、今までみたいに満遍なく“瓦礫の海”ということは無さそうだ。
事実、この場所でも既に、道の状況がだいぶ改善しているのが感じられた。
ん…?
言うほどは改善されてないかも…
少なくとも、「廃道クリアー」ではないのは間違いなさそう…。
これは盛大に “ぬか(悦び)った” か…。
でも、ほんの少しは改善しているか?
…路上に、こんもりと杉が生えてるが……
ゲート自体は結構新しいように見えたので信憑性を感じたのだが、あれは罠だったのか…。
とても最近まで車が入れた様子ではない。
小さな杉林が出来つつある広場には、50cm程の廃レールと、軽トラ用らしき小さなゴムタイヤが捨ててあった。
廃レールのほうは林鉄用にしてはやや大きく、国鉄にしてはちょっと小さすぎるような微妙なサイズ。
現在の飯田線を作る際に使われた工事用軌道のものだったりするのかも知れないが、証拠はなく不明。
そして、橋。
広場に接して次の橋が架かっていた。
12:46
今度の橋は前回の「立石沢」の橋に較べれば遙かに大きく立派だし、親柱的な部分もあるのであるが、銘板は存在していない。
ゆえに、またしても橋の名前を特定することが出来ないのである。
湖底の飯田線旧線に目を向ければ、この沢のあたりから「第一〜第四胡桃谷隧道」を設けていたようなので、或いは「胡桃谷」というのがこの谷の名前かも知れない。
ここではそれを橋の名前の仮称としても採用することにした。
…とか何とか言ってる間に…
橋の先の道がちょっとマズいのでは?!
これまでも大きな崩壊現場では必ず見えていた白い岩盤(おそらくは基盤層なのだろう)が、今度は道の下に現れている。
岩盤の上にあった路盤が、まるまる流れ落ちて消えてしまったように見える。
あれが、ゲートをも孤立させた最後の決壊箇所であろうか。
ダムサイトから数えて5本目となる橋。
誰にも看取られず死んでいった、憐れな橋のひとつだ。
コンクリートが変質した、妖しげな多色の風合いを醸し出している。
橋を渡り、白い岩盤上の削り取られた道へ達する。
幸いにして山側に猶予のスペースがあったため、さほど上り下りをせず迂回することが出来た。
しかし、本来の路上の荒廃は極致に達しているといえる。
土石流に土砂崩れ。路上をなぎ払う自然の猛威に、激しく晒された傷跡である。
堅牢そうな路肩の石垣も、高さ2mくらい削り取られていた。
しかし、これを越えればきっと……
むぉぉ
おおお!!
ゲート前より、絶対悪化してるッ!!
あのゲートは詐欺だったらしい。
ゲートを過ぎたから道が良くなると言うことはなく、むしろ悪化した。
終点には確実に近づいているが、いまだ“向こうから“の探索者と遭遇することはもちろん、彼らの明確な足跡を見出すことも出来ない。
そして、またしても岩場に架かる橋が見えてきたのである。
道を取り囲む地形は、上流に進むにつれて確実に険しさの度合を増しているのかも知れない…。
12:58 【現在地:滝に架かる橋】
滝である。
路上に直接滝が落ちている… ように見える。
実際には、路面の3mほど山側に滝壺があり、落ちてきた水は短い橋の下を潜ってさらに湖面へと落とされている。
地形と道との関係を考えると、この滝は人工の法面を落ちていると考えられる。
しかし、目測であるが落差20mというのはいかにも大きく、上半分は自然の滝かも知れない。
前代未聞とまでは言わないが、滅多に見ない“激しい景色”である。
道と橋と滝壺の位置関係。
この日は天気も良かったために水量はこんなもんだが、雨天時には大変なことになっていそうだ。
まして台風のように風も混ざれば、滝そのものが路面を打つだろう。
その証拠に、滝壺を囲む路肩にのみ瓦礫がほとんど落ちていない。
これは、この部分がときに“水たたき”と化している証左であろう。
そしてこの地点の最後に、架かっている橋についてだ。
小さな橋だが、銘板付きの親柱を装備していたようだ。
現在では最後の一柱のみが、ギリギリ踏みとどまっている。
多分鉄筋が入っているのだと思うが、それでも足で強く押せば永遠にサヨウナラとなりそうだった。
で、この銘板に書かれていたのは竣功年。
昭和34年11月とのことであった。
滝の名前はついぞ分からぬままである。
また小さな尾根の突端に切り開かれた広場に出た。
ここは、大きなΩカーブを描く天竜川の蛇行を最も広く見渡せる外周先端の岬であり、青と言うより灰色に近い水面が、決して明るくない景色の底に澱んでいる。
ここで、意外に新しい“施設”を見付けた。
「平成14年度 佐久間地区定期横断測量」と刻まれた金の鋲がはめられた、測量用の台座と思しきモノが地面に埋め込まれていた。
平成14年といえばまだ最近である。
広い意味での行政関係者たちがここまで機材を持って来たのだとすれば、そのための相応の道があるのではないかと期待してしまう。
が……
当然のように
裏切られる…。
仕事中の人たちも、
ここを辿ってきたのだろうか?
なんかそれって、凄くシュールな光景…。
なお、私の中のステージ分割におけるこの「第3ステージ」の終点である「亀ノ甲峠」は、【あそこ】だ。
…まだ結構遠い。
おいおいおい…。
いったいこれは、どこまで険しくなるのだろう…。
なんか、山が全般的に岩山になってきている。
そういえば、序盤は杉の植林地が多かったが、それは土の山であったからだ。
最近は杉林が疎らで、むしろゴツゴツした岩場の道がメインとなってきている。
この道の「ハイライト」は、必ずしも路線長の中間付近ではないのかもしれない。
これからの…もう引き返しなど考たくない終盤戦で、これまで以上の難場が現れる可能性も、決して低くないのかも知れない……。
はっきり言って、それは恐ろしい。
そして、ここで転倒した。
何でもないような岩場で、押す自転車に右足を絡ませてもつれた。
ほぼ歩きオンリーになってから、約2時間半。
黙々と不整地を歩き続けた私の足は、着実に疲労していたのだった。
上の写真の岩場の真下で撮影。
岩と道とがどこよりも近しい、
いかにもこの道“らしい”景色だ。
そしてまた、新しい場面。
直前までのもの凄い荒れ方がウソみたいに綺麗な路面を有する、巨大なコンクリートの築堤だ。
駒止めがカーブした築堤の路肩に並んでおり、万里の長城の一部分を切り取ったような眺めである。
…いい景色。
県道288号の廃道風景の中でも、ここは特に印象に残っている場所のひとつだ。
なぜここは橋でなくて、手間の掛かりそうな築堤+暗渠になっているのか。
それは分からないが、結果としての景色はとても美しい。
道路用の石造築堤(実はコンクリートが主体だが)で、これだけ模範的なモノはあまり見ない気がする。
で、そんな綺麗な場面を越えると、次はさも当然のように…
ぐしゃ!
もうはっきり言って慣れてしまったので、ほとんど驚きはないのであるが、とにかく良く崩れているのである。
明治馬車道の廃道じゃねーぞ。
せいぜい20年か最長でも30年そこらだというのに、ここまで荒れ果てるかや!
もうこれは、そもそもの地質が悪かった。道を作る場所が悪かった。
そう言うしかないと思う。
対岸の県道がある以上、この谷間に道を維持することは不可能でないものの、相当に手間とコストを掛けてガッチリやらないと駄目なのだろう。
そして、“ダム補償”などという半“棚ぼた”でこの道をゲットした静岡県にとって、すぐ対岸に愛知県が維持してくれている県道がある前提では、莫大なコストを掛けて本路線を保守していく意義は薄いと考えたとしても、不思議はない。
それは例の“人死に”が出た出ない以前の問題かも知れない。
13:30〜13:37 【小休止】
ここで、約7分間の休憩をとった。
別にこれと言った特徴のある場面ではなかったが、疲労が蓄積して足取りがまた危うくなってきたと感じたからだった。
そして…、今さら泣きごとなど言いたくないが…チャリはやはり重荷だった…。
なんだかんだで、ダムサイトを出発して5時間である。
自分でもそこまで掛かっているとは思えなかったが、ダムは間違いなく8:30過ぎに出発したのだ。
そしてこの5時間のうち、チャリに跨って進めたのは最初の2時間ほどで、残る3時間はほぼ押してきた感じだ。
それなのにまだ3つめのステージも終わっていないから、最低5km以上は残っていることになる…。
いったい脱出まではあとどれほどの時間を要するのだろう。
いくら18kmもあるとはいえ、廃道ばかりではないだろうから時速5kmは出せると考えていたのだが、もう完全に狂っている。
今日は本当にこの道だけで終わりそうな雲行きなのである……。
今回初めての“焦り”の感情に背押された再出発から、わずか4分後。
前方に大きな掘り割りが現れた。
ようやく…
亀ノ甲峠(仮称)。
ここは亀ノ甲山が天竜川に落とす尾根の突端で、地形図上に独立標高点として示された海抜は293mと、ここまでの仮称峠である「佐山峠」や「山室峠」に較べて40m近くも低い。
これではほとんど前後の道と高低差はなく、そもそも「峠」は間違った名づけかも知れない。
実質的には、単に尾根の突端を越える掘り割りがポツンとあるような場所だ。
13:41 【現在地:亀ノ甲峠】
ここは計算上でダムから12.8kmの地点であり、残すは5.2km。
特に最後の2kmはほぼ隧道だけの区間だから、こうした湖畔の道もようやく見えてきたと言って良い、最初の地点である。
私の持ち込んだ地形図のコピーも、4枚のうち最後のページにやっと入った。
俄然やる気が出てきたのは言うまでもない!
掘り割りから眺める、新しいステージの始まり。
真のクライマックスの、始まり…。
大嵐駅起点まで あと5.2km
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