静岡県道288号 大嵐佐久間線 第5回

公開日 2009. 7. 6
探索日 2009. 1.24


静岡県道288号大嵐(おおぞれ)佐久間線。

全長17.9km中、南側序盤の5kmをつつがなく終了した。
現在地は、この写真(→)の佐山峠。
いかにも林道らしい、荒くれ者の掘り割りである。


残りの距離 約139km

事前情報によれば、この中には8193mもの“県指定”による廃道区間が存在しているという。
もはや廃道の出現は、いつ起きても不思議のない状況となっていた。


【ステージ 2 】

全ステージ同様に、地形図上には道と湖としか描かれていない区間。
それでは余りに味気ないので、沢と峠に名前を付けてみたのが右の地図。
さらに地図上にカーソルをあわせると、湖に沈んだ飯田線旧線を表示する。

順調にダムの水位は逓減しつつあり、飯田線旧線の遺構が湖上に出現している可能性は1メートルごとに増すと言えるが、しかし単純に計算してみても湖底はなお水面下70〜90m近く深いところであり、それより30〜40mほどの山腹をトラバースしていた旧線の湖上出現も希望が薄いというのが、揺るがざる現実である。

それでは、4.2km先にある全体の中間地点「山室峠」目指し、「佐山峠」を出発する。




 あらしはいつ来る 


2009/1/24 9:56 《現在地》

走り出して3分後、木々の切れ間に湖面がひらけた。

次の大きな区切りとなる「山室峠」は、近いと言えば近いし遠いと言えば遠いような、微妙な距離感である。
道が悪くなければ20分ほどで辿りきれる距離ではあるのだが、浚渫船も遠く離れ不気味なほど静まりかえった湖には言いしれぬ不安を憶える。
もし、17.9kmの途中にたった一箇所でも橋が架かっていたならば、こんな不安は抱かなかったであろう。
崖に囲まれた渡れぬ湖は、川とも一線を画する隔絶を伴っていたのである。

なお、山腹に目立つラインを伸ばしているのは道の続きではなく、その上部に併走している高圧送電線である。
道はか細いのか、それとも廃道なのか、ほとんど見えなくなっている。
また佐山峠の手前には、山頂から道があると思われる高さまで全面が禿げ上がっている斜面が見えた。



← 大いに問題を感じた、遠くの斜面。

これは大規模な山腹崩壊の跡ではないのか?

だとすれば、道はどうなっているのか。


山室峠に着く頃には、きっと解明されるだろう…。




そして、飯田線旧線探し。



もしかしたらと思わせる拡大写真だが、残念ながら何も見えない(ハズ)。

例えば、柴山崎の先端に島のように生えている木々が可愛らしいが、あの下には全長176mの第一柴山隧道が沈んでいるハズである。
あと20〜30mも水位が下がれば何か出てくると思われるが、難しいのだろう…。

余り水位を下げ過ぎると山腹の崩壊が加速するということもあるし、天竜川の本流ダムであるだけに、渇水でもさほど水が無くなることはないと思うのである。
いずれあるかも知れないダムの大規模な改修工事を待ちたい(そういう情報を仕入れた方は教えて欲しい)。




何度も言うように、まるで林道のような道路風景。

これぞ、大それた路線名が印象深い、本来の「林道 長野静岡線」の景色である。

そして、路上に散乱している瓦礫の量や杉の枯れ枝に隠れつつある轍などは、先細ってきた道路状況を教えている。

ゆっくりではあるが、それは目に見える速度で、確実に進行していた。





10:01 【現在地:久室沢】

重い!

こいつは重い…。

もの凄く重い。

これで路面に岩が散乱していたりしたら間違いなく廃道の姿だが、ブルか何かで路面だけは均されている。
しかし暗渠自体はもの凄い古びているし、今にも全体が崩れ出しそうな感じである。
明らかに歪んでいる…。

この谷は、おそらく「久室沢」という名前だと思われる。
例によってその根拠は、飯田線旧線の「第一/第二久室橋梁」である。




快調に飛ばしていたため一瞬通り過ぎてしまったが、目立たないキロポストがまた現れた。

今度は「5500M」とあるから、おそらくこの数字の起点になっている「ゲート」から5.5km地点だと分かる。

手製のキロポストは、一般道路ではなくなってしまった現状を象徴する存在のひとつ。




10:10 【現在地:柴山沢】

佐山峠を出発してから20分ほどで、この区間(佐山峠〜山室峠)の中間地点となる「柴山沢」に到着した。
すなわち佐山峠から2.1km、佐久間ダムからは7.1kmの地点である。

そしてここには、この道に入ってから初めて見る橋が架かっていた。

見たこともないほど小さな欄干と親柱が特徴的な、コンクリートと苔の橋である。




その“見たこともないほど小さな”親柱であるが、その役割を立派に果たしていた。
すなわち、小さくても立派な御影石の銘板を身に付け、この橋の正統な名前を明かしていたのである。

橋の名前は「山室橋」。
その竣功年は、「昭和33年11月」とあった。
ダムが完成した2年後に、林道長野静岡線の工事がここまで進んでいたことが分かる。




親柱は橋の前後4本全てが現存し、銘板も全て取り付けられていたが、沢の名前は分からなかった。
4枚の銘板にあったのは、橋の名前と竣功年だけであったからだ。

だから、この下流にあった飯田線旧線の隧道が「柴山第一隧道」であったから名づけた「柴山沢」という仮称は、否定も肯定もされなかった。
…まあ、橋の名前が「山室橋」という以上、その沢の名前も「山室沢」なのではないかという気もするが、ここでは「柴山沢」と言うことにさせて貰おう。

そしてこの「柴山沢」には、橋のすぐ上流の見えるところに、糸のような細い滝が一筋落ちているのであった。
一般道路であった当時には橋上で気づき車を停める人もあったかも知れないが、今では限られた人だけが知る密やかな「柴山滝」である。

何となくだが、この滝の上を見た人は誰一人ないのではないか…。
そんな予感をさせる、険しくも、恐ろしく地味な谷だと思った。




山室橋を過ぎて少し進むと、峠以来の掘り割りが現れた。

尾根の先端を少しだけ切り取ったような、浅い掘り割り。
鬱蒼とした杉林の底にあって、昼なお暗いという言葉がしっくり来るような場所だが、右手の急な山腹に意外なものを発見した。









それは、私の足をしばし止めさせた。




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甚○小屋のひととき 


県道を見下ろす斜面に建つ、一見の建屋。

下半分が赤く塗られた木製の平屋は小さく、おそらく木樵たちが休憩や仮泊をするための仮家と思われたが、杉の枯れ枝に埋もれ忘れられたような佇まいは私の興味を惹いた。

気付くと私は自転車を道に駐め、石垣の上にある戸口を目指していた。




引き戸の戸口。

もちろん電気など引かれていないからチャイムもなく、鍵さえ存在していなかった。

しかし表札と思しき小さな木板が掛けられ、そこには墨汁で「甚○」と書かれていた。

…これは人の名前なのだろうか?

まさか、伏せ字というわけではあるまい。 しかしいったいどう読むのだろう。




小屋の外見に大きな破損は見られなかったが、しかし戸口の前にも大量の枯れ枝が積もり、長らく人の出入りしている気配を感じなかった。

そこで廃屋と判断した私は、興味の赴くままにその引き戸を引いてみた。

それは、滑りの悪い手応えと共に、ググッググッと引きつるようにして開いた。

おそらく何年…或いは何十年ぶりの外光が灰色の土間に射しこんで、代わりに木とカビの甘い匂いが鼻についた。

ヘッドライトを点灯させ、その中へ進む。
当然、戸は開けたまま。






外見の印象よりも幾分広い。

土間と板敷きの居間がほぼ半分半分になった、合計8畳ほどの屋内である。
他に衝立のようなもので仕切られた狭い炊事場のスペースもあり、暮らすことが出来る仮家のようである。
余り生活道具は多くなく、男の仕事人が一人でひっそり暮らしていたような雰囲気だ。
未だ雨風を凌ぐには十分な気密を保ってもいるようだった。




(←)
床に落ちていた新聞。
昭和53年6月7日(水曜日)の朝刊であった。

30年前までは間違いなく使われていたのだろう。
当時は既に県道が存在していて、しかもそれはまだ廃止されていなかったハズだから、むしろ今よりもひらけた場所であったかも知れない。
だが、小屋の様子はそんな気楽さを感じさせない。

時代を感じさせたのが、小屋の中にあった数少ない家財のひとつのこの釜だ(→)。
これでご飯を炊いたらさぞ美味しそうだと幻想するのは、私がその時代を知らないからかも知れない。

そして遂に私は、この小屋の主に関わる重要な発見に至った。





エ…、 エロい。


これはエロすぎる……。


とても公開は出来ない…。

 で、でもッ!







ド−ン!





ドド−ン!





ドドド−ン!

とめてぇ――っ

…って、
手に持っているものは…。






…いったいこれは、どうなんだ?


確かにエロイ気はするが…

しかし…。




きつい…

エロイ以前にトラウマになりそうだ。

さ、さらばだ、甚○さん。





イヌの声 


10:30 前進再開。

なぜか疲弊した私は小屋を離れ、目的のために前進を再開した。

この辺りではごく最近も伐採が行われたらしく、まだ切り口の新しい杉材が積まれていた。
そして、その傍に一本だけ、古いタイプのデリニエータが残っていた。

リボンのような赤テープと“デンジャーストライプ”でおめかしをした、お洒落なデリニエータだ。
当然のように、「静岡県」を名乗っている。
明らかに県道時代の遺物である。(というか、ここは今も県道であるはずだが)




10:33 【現在地:山室沢】

“山室半島”という言い方が相応しいかは分からないが、その付け根に当たるところの小さな沢に着いた。
ここは水量も少なく、橋ではなく短い暗渠になっていた。
そして、ダムが出来る前にはこの沢の直下に飯田線旧線の「天龍山室(てんりゅうやまむろ)」という駅(停車場)が置かれていたので、沢の名前は「山室沢」と仮称した。

杉林の向こうの小さな水面を見下ろしてみても、そこに僅かの平地も見えない。
だから、駅の痕跡が地上に露出している希望はない。
だが「天竜」ではなく、より古くからある「天龍」の呼び名のまま時が止まってしまった旧駅は、本当にこんな所に貨物の取り扱いも行う有人の駅があったのかという信じがさとともに、私の心に強く刻まれている。





山室沢を過ぎて1分後…

軽トラが出た!!

しかも、2台!

来たのか…!

遂に廃道なのか…!


しかし、乗員(イヌ含む)はいずこへ?




そしてこの場所には、もっと重要なものが存在していた。

再びの「通行止」標識と、チェーンゲートの支柱である。


標識も支柱も、さほど古そうなものには見えなかった。
また、ゲートにチェーンは掛けられておらず、その先にもこれまでと同じように轍は続いているようだった。

…それでも、実際に2台の軽トラはここに止まっているわけであるが。
ともかく、道はまだ続いている。


既に表向きは封鎖されている道の奥に現れた、再びの「通行止」。
その意味を、私は考えた。
そして思った。


これこそが、“公式” 廃道区間8193mの始まりなのではないかと。



そんな私の、ある種確信にも近い予測に反して、道は依然としてそこに存在していた。

車も通ることが出来るであろう。

山室沢を越えて以来、緩やかだが登り坂が始まっている。
おそらく山室峠までこれは続くであろうし、その距離は長くてもここから1kmほどに過ぎないはずだ。


…ワンワン

…ワンワン




ワンワン   ワンワン!

イヌの声が、つい先ほどから聞こえ始めた。

こんな所でイヌの声が聞こえるというのは、もう間違いなくあのときのイヌだと思う。

さっき見た軽トラに乗せられて、ダムのそばで私を追い抜いていった、あの2頭のイヌたちだ。

まだ少し遠いようだが、間違いなくこの方向に彼らもいる。
私はまた、ホイッスルが手放せなくなった。

そんな中で現れた久々のキロポスト。
「8000M」とあるから、峠まではあと500mくらいだろう。




10:40 

なんと、さらにもう2台。

先ほどと同じような白い軽トラが現れたのである。

…ここは軽トラの野外展示場か…。
こんな杉林の中で山菜採りとも思えない。
それに、前に私を追い抜いていった軽トラは1台だけだったが、その前に既に3台も入山していたことになる。
少なくとも4人の乗員はどこへ消えたのだ。

さっきからイヌの声だけが徐々に近づいている。
イヌのそばに人がいると思われるが…、その確証もない。

はっきり言って、不安だ。  この状況……。




こ、 これは…

久々に見るガードレールだが、それによって画された路面には、今までない特徴があった。

枯れススキが茂っているという、特徴。


間違いなく轍の終焉は近い。

そう確信した瞬間だった。

やはりあの“二度目のゲート”には、意味があったのだ…。




50mほどのガードレール&枯れススキの区間が終わる頃には、もうすっかり轍は見えなくなっていた。

未だ路盤自体には大きなトラブルは無いものの、夏場なら背丈ほどのススキ原となり、訪れるものに強烈な廃の印象を与えているはず。

そして、再び元の杉林の木陰へ引っ込む道にしても、今見た“変化”と無縁でおられるはずはない。





杉林の中で路盤の轍が復活。

しかし、それはもはや残照に過ぎなかった。


かつて、ここまで車が入っていた頃の残照である。

硬い土に苔が浮いた轍は、もはや今日の轍たり得ない。

そして、おそらくそれさえも今に…。




道の規格自体はこれまでと何ら変わっていないように思う。
しかし、路上の様子は確実に“変化”した。
これはもう、明らかに廃道だ。
使われている道ではない。

すなわち、

 廃道の始まり。



そしてこんな場面には、オブローダーとして大いに警戒すべきものがある。

それが何かと言えば、“変化”(廃道化)の直接の原因となった場面(多くは酷い崩壊だ)が近くにある可能性が高いということだ。




この“変化”の表面的な原因は、直前にあった「通行止」の標識やゲートであろう。

だが、それらがあんな何の変哲もないよう位置にあった理由は、まだ明かされていない。
「通行止」の先には、その直接的な原因となった何らかの現象があるのが普通なのだ。
例えば、直前のススキ藪などは“直接の原因”では無いはずだ。あれは最初の結果に過ぎないだろう。
もっとヤバイ原因が、何かあるはず…。

この近くに……。




あばばばばばばばばばばば!

思った通りだ!!! (涙)


きぃやがった。


こりゃひどい有様だ。

佐山峠から見えた【禿げた山腹】は、きっとここに違いない。

しかも、複数のワンワンの声が近い!




いるー!!

ワンワン! ワンワン!!

この崩壊地の先の尾根の上。
ここからよく見える岩場の突端に、一匹の白いイヌが現れたり向こう側に消えたりをせわしなく繰り返している。
そばでは別のイヌの吠える声もする。
そういえば、私が荷台に見たイヌは白くなかった。別のイヌのようだ。

今はこちらの存在に気付いているそぶりもなければ、近づいてくる様子もないが、周りに飼い主の気配もしないのが怖い。

…怖いが、野犬ではないはずだ。

こちらから何か仕掛けなければ、人間に襲いかかるということはまず無いはず。

とりあえず彼らの事は忘れて、目の前の崩壊現場の突破に専念しなければならない。

そのくらい、目の前にある“最初の崩壊”は危険そうだった。




最初の崩壊。


これより始まる、

無限にも思えた長き廃路。


それは廃道に好んで挑む私にとっても、過酷な試煉であった。






大嵐駅起点まで あと.2km