静岡県道288号 大嵐佐久間線 第4回

公開日 2009. 7. 2
探索日 2009. 1.24


静岡県道288号大嵐(おおぞれ)佐久間線。

全長17.9kmあまりあるこの路線の南側通行規制ゲート(←)は、その終点である県道1号交差点「佐久間ダムサイト」から、僅か700mほどの地点であった。

 これはつまり…

残りの距離 173km

 あるということで、そのうちどれだけが「通行止め区間」なのかは分からないものの、17km強というのは過去に体験した様々な道の中でも決して短くない距離である。いやむしろ相当長い。

 しかも、このうちの…


8193は、
県によって正式に廃道の手続きを受けている。

8kmの廃道というのも“ヒトケタ”だと侮ると泣きを見る事が明白な距離であり、単純計算で時速2kmしか稼げなければそれだけで4時間を要するのである。
ただでさえ日の短い時期であり、十分な覚悟をもって望むべき距離であった。

しかし私にはひとつ、この距離の長さに対する“別の懸念”があった。
それは、地図に途中の地名がほとんど書かれていない、まるで冗長をさらに引き延ばしたような湖畔ルートをどう分かり易くレポートできるかという、“職業病”と言うとおこがましいが、そういう類の悩みである。

これに関しては、だいたい等間隔にある標高上のピーク地点に着眼し、右図のように「勝手に名づけて」区間分けをすることにした。
地名と言えば、ダムが出来る前の真っ当な地名は湖底に沈んでいる訳で、それを再利用するカタチで「峠」を名づけさせて貰った地点が3箇所ある。
湖底集落の直上地点ではなく、集落同士を隔てるピークで分けた方が実走上において現地を特定しやすいだろうとも考えた。

南から順に佐山峠(5km地点)、山室峠(9.2km地点)、亀ノ甲峠(12.7km地点)、夏焼集落(16.0km)を、主要な途中経由地として採り上げることにした。



 あらしのまえの序盤戦


2009/1/24 8:54 【現在地:ゲート】

ゲートインして進むと、まずはこの舗装路が始まる。
傍らにある落石注意の標識やその支柱とともに、まだ新しい感じを受けた。

いきなり激甚な廃道が始まるとは思っていなかったが、ゲートの直前では一旦未舗装になっていただけに、この復活は予想外だった。

なお、先ほど私を追い抜いていった軽トラは、鍵を使ってゲートを開けて進んだようだ。
おそらく荷台のイヌも一緒だろう。
ということは、あの車が出てきたときが“廃の始まり”だと思って良さそうだ。




再び桜の並木道となった。

それはダムサイト付近で見た桜よりも一回り小さく見えたが、この道が観光ルートとして人を楽しませていた当時に植樹されたのは間違いあるまい。

時期的に花も葉も無い桜の木はまるで枯木のようで、堆積した落ち葉に隠れつつある路肩の白線とともに、道の斜陽を印象づけた。

道は極めて緩やかな登り坂である。




湖畔に目を下ろすと、水位が減って露出した地面に3条の軌条が敷かれているのを発見した。

湖底に飯田線の旧線が眠っていて、それを探すことも今回の探索の重要なテーマであっただけに、咄嗟にレールを見付けて血圧が上がったが、当然このように湖底の旧線が現存しているはずはない。
そもそもここはまだ旧線のあるべき場所ではない。

これは、船や艀を進水させるための装置だろう。
ゲートの手前にあった、湖畔へ下る塞がれた通路を進むと、このレールの所に行けるようだった。




シュールな光景。

舗装にぽっかり穴が空き、その穴に棒が刺さり、さらに棒の先端に赤いテープが巻かれている。

これは空から降ってきた棒が路盤を貫通した …のではなく、陥没した路盤の注意を促すため、そこにテープ附きの棒を挿したのだろう。

…って、自然に陥没するような路盤って、一体どんな路盤なんだ。
しかもここは路肩ではなくて、もっと谷寄りの路面なのだが…。




8:58 《現在地》

舗装、 陥落…!

ゲートから500mほど進んだところに広場があり、そこで舗装が終わっていた。
山側にはコンクリート製の低い土留めがあり、どこかプラットフォームを思わせる。

ゲートにあった無数の“威嚇”を見る限り、ここまでの舗装などうたかたの夢に等しいものであったと思われる。
舗装が潰えたこれからが、本番なのではないか。
そう気を引き締めて行く手を見れば、湖畔にそびえる山々もいよいよ実感を持って迫ってくるのだった。

…長い旅路に、なるはずだった。





ムオッ?!

なんだこれは。

隧道? 洞門? 

カタチはそれらのようであるが、機能はそのどちらでも無さそうだ。

まるで巨大な“滑り台”の下を潜るような、大かがりなコンクリート構造物。
その無骨な外見は、もし交通用でないとすれば、産業用の何かを予感させた。




上部(←)と下部(→)の様子。

水路にも見えたこの滑り台型の構造物だが、「滑り台」の部分に水が通るような凹みはなく、内部に水路管が埋められている様にも見えない。

その上部には玉石を積み上げた頑丈そうな平場が見て取れ(朽ちた小屋のようなもの木陰に見えたが、時間的な心配から接近は断念した)、また“滑り台”に沿って湖底まで続く階段跡も存在している。

おそらくこれは、ダムの工事に関わる何らかの施設の跡だと思う。
さらに想像すれば、今は湖底となってしまったエリアと道路上にあった何らかの施設とを結ぶ、インクライン設備の土台のようにも見える。
ダムの工事資料には当たっていないので確証を得ることは出来ないが、ダムと同じくらい古い施設に見えるのだ。

なお、この構造物はやはり“トンネルではない”らしく、「隧道リスト」にも登録されていない。




さっそく、山側の法面が危険な育ちを見せ始めた。
崩落した石の小片(拳大まで)が、まだ新しい轍の上にも散乱している。
これでは、わずか数年の放置でも路上はたちまち瓦礫の海になりそうだ。

そんな中に現れたのは、えらく古ぼけた道路標識だった。

幅員2.2mの規制。

一般に自動車用の林道は、3m以上の幅で作られることになっているが、この先にはそれに満たない低規格の部分があるのだろうか…。
それとも、弱った路肩を保護するための規制なのか…。

何気ない“2.2m規制”も、この風合いとなれば、行間を読ませるに十分な存在だった。




おそらく「釜谷」という谷を見下ろす所まで来た。
谷とは言っても今は湖に沈んでいるから、まさに溺れ谷である。

「釜谷」は、飯田線の旧線が佐久間の街中からズドンと「佐久間隧道」(全長1564m)で山を貫き、初めて湖底へ躍り出る所に架かっていた橋の名「釜谷橋梁」(全長6m)による。

新旧地形図を照らし合わせると、ちょうどこの写真の谷底あたりが、佐久間隧道の北口や釜谷橋梁があった地点と目される。
さらに40mほど先には、これに続く「太田隧道」(全長234m)が口を開けていたはずだ。


 …つまり、 

 …まあ分かっていたことではあるが…


 旧線はまだ、完全に水面下にある。




9:05 【現在地:釜谷】

ゲートから700m地点の「釜谷」を過ぎると、進行方向は北向きに変わる。依然として朝日のまだ当たらない寒々とした山陰である。

道は高度を上げつつあり、群青色の湖面が徐々に遠ざかってきた。
法面だけでなく、路肩の険しさもいよいよ絶壁の色を濃くしているが、路肩には申し訳程度の“転び止め”や“駒止”があるだけで、ハンドル操作をひとつ誤れば速攻で湖水に墜ち得る悪条件だ。

そんな状況下でも繰り返し現れる「落石注意」の標識が、妙に新しく見えるのが気になった。
支柱には「静岡県」のステッカーも貼られており、ここはまだ、噂に聞く「廃道区間」ではないようだ。

ちゃんと、 “険 道” をしている。




実は、ゲートにいる頃から人工の音がしていた。
工事現場のような、ディーゼル機関の唸りである。

だが幸いにも、その音の主は私の進路を塞ぐ“現場の音”ではなく、湖上に群を作って浮かぶ浚渫(しゅんせつ)船たちだった。

本流だけでも上流になお100kmを超える流長を持つ大河天竜において、3億トンという設計水量を維持するためには、常にどこかで浚渫をしている必要があるのだろう。
三途の積み石にも似た業をそこに感じるのは、きっと私だけではあるまい。

その巨大な船体に目に見える動きはないが、水面下で巨大なシャベルを動かし、湖底の泥を浚っているはずだ。
この轟声が何よりの証拠である。
その向こうの遠い対岸には、だいぶ低いところをトラバースする県道1号の法面が連なって見えていた。明るいあちらは愛知県ということになる。



それまでの川の軸線と並行する山腹が大きく破れ、山側へ深く入り込んだ地形が現れた。
ひと言でいえば、支流の谷の出現である。

今度の谷も地形図に名前があるではないが、この下流をかつて渡っていた飯田線旧線の橋名「第一栗平橋梁」(橋長36m)にあやかって、「栗平沢」と命名したい。

道は等高線通りに半環状のカーブを描き、この谷向こうの山腹へ続いていく。
これからも、最後の最後に長い隧道が現れる他は、ずっとこういう展開(山腹→谷→山腹→谷→…)が続くはずだ。
地名を意識的に名づけていかないと、どこに何があったのか忘れそう。




9:17〜9:29 【現在地:栗平谷】

栗平沢には少量だが水が流れており、カーブした大きな暗渠を潜っている。
暗渠は、この県道に係る道路構造物ではこれまでで最大の質量を持っていそうな、大規模構造物だ。




近づいてみて初めて分かったのだが、この暗渠は本来両側に落ちる、築堤のような形をした構造だったようだ。
それが谷を落ちる大量の土砂によって谷側が完全に埋め立てられ、現状は路面と谷側の水面が同じ高さになっている。

ここで腹が減ってきたので、10分少々の朝飯休憩をとった。
ここまでゲートから約2.3km。
思っていた以上に路面状況は良く、好調なペースだ。
やはり自転車を持ち込んだのは正解だったようだ。




なお、この栗平沢と天竜川の合流地点に向かって左側の湖底には、飯田線旧線の佐久間を出てひとつめの駅、「豊根口駅」が沈んでいる。

駅と言っても区分上は「停留場」という「停車場(=駅)」より格下の存在で、貨物を取り扱わない片面一線のプラットホームだけがあるような小駅だったようだ。

また、駅周辺の人口も極めて希薄で、天竜川の対岸(橋はなく渡船)に松島というごく小さな集落があっただけだが、駅名の通り愛知県西設楽郡豊根村の玄関口として設定されたものであった。
それでも、駅から村の中心部までは10km以上も細い峠道(車道ではない)を辿らねばならなかったというから、もし今も駅が残っていれば、間違いなく“秘境駅”と呼ばれていただろう。

この県道からは暗い森と深い水面に遮られ、前後に並んでいた橋や隧道共々、鉄路の存在を伺うことは全く出来なかった。




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順調に重ねられるキロポスト …佐山峠へ 


久々に、ガードレールが現れた(←)。
しかも、新しい感じがする。
平成に入ってから設置されたのではないだろうか。

この道は今でも、当初設計された通りの林道用途に使われているようであるし(道路沿いには杉の植林地が点在している)、鉄塔管理歩道へのアクセスとしても重用されているようだ。所々にそれと分かる入口が存在している。(→)

これは道が名目通りの“一般”県道ではなく、実質的には林業や電気事業者のための専用道路と化している状況を示している。
こういう状況は各地で見られることであるが、誰のお金で修繕が行われているのかなど不思議なところである。




栗平沢と次の背向沢のほぼ中間、もっとも湖側に道が張り出した尾根上からは、約1.5km先にある佐山峠までを俯瞰することが出来た。

まさに半島のごとく湖上に付きだした佐山峠がある尾根は、峠のほぼ直下に長さ447mの「佐山隧道」をもって短絡されていたが、これは飯田線の旧線によるものであり、現在はやはり水面下にあるようだ。
全くそれらしい物は見えない。

この辺りにおけるダム湖の満水位は湖底から120mを越えていると思われ(ダムサイトにおいての満水位は138mである)、仮に今日の水位がそれより20m低いとしても、谷底から60m〜80mほど高い山腹を通っていた旧線は、水面下20m〜40mという暗き世界にあると考えられる。
これは、ダムが破損して水を全て捨てでもしない限り、二度と地上に戻ってくることはない深さであろう。

永遠に近い闇の中に眠る隧道たちの幾つかは、今も貫通しているかも知れない。
そう考えると無性にゾクゾクする。




さらに進むと間もなく、カーブ外側の広い路肩に一台の軽トラが駐車しているのに出会った。

軽トラ…

おそらく、ゲートの前で私を追い越していった、“イヌ付き”の軽トラだ。

ということは、近くにドライバー氏とイヌ2頭が潜んでいるのだろうか。
もしあれが猟犬だとしたら、今ごろハンターが猟銃を構えている可能性もある。


ドキッ! やばいす。 誤射されたら大変だ!!

大きな危険に気付いた私は、ポシェットからホイッスルを取り出して、少し乱暴に数回鳴らした。
普段、立入禁止の廃道では他者に自分の存在を気付かせるような真似はしたくないが、今は互いの安全のためである。



早とちりだった…。

これはさっきの軽トラではない。
山仕事の倉庫代わりに使われたのか、それとも不慮の事故で回収が不可能になったのか。
いずれかは分からないが、捨てられてまだ10年と経っていなさそうな放置車両であった。

窓ガラスに張られているのは「山火事注意」の張り紙だから、やはり林業関係者がわざと置いている感じもする。

当然、辺りには人影も、獣の気配も、まだ無かった。





もの凄い急斜面にこしらえられた杉の植林地の中を横断しているとき、それを発見した。

お手製の木札に書かれた、「3000M」の文字。

その数字からいって、これはゲートを起点としたキロポストであるようだ。

県道としての本来あるべきキロポストが見られない一方、このようなゲートを起点にしたものがある事は、この道の林道的な現状をよく示している。





再び大きな谷が現れた。
道は巻き込むようにしてその先へ続いている。
絶壁の一部をL字に削り取っただけの、これまでに増して険しい道路風景だ。

この沢は「背向沢」というのだろうか。
飯田線旧線は沢を暗渠で渡っていたのか、橋の名前は特に記録されていないものの、この右岸に「第二背向山隧道」(全長128m)がある。

なお、この沢を横断する県道上に海抜300mの独立標高点が置かれており、これはダムサイト天端の標高270mにわずか30mを加えた数字である。
ここまでの4km(ゲートから3.3km)が、等高線をほぼなぞる平坦に近い道のりであったことが分かる。




9:44 【現在地:背向沢】

県道も橋ではなく、小さな暗渠で渡っていた。

転落防止の設備を何も持たないそのストイックな姿は、専用林道としては珍しいものではないが、一般県道の絵ではない。
ハンドルひとつを介し、ドライバーには常に剥き身の死と対面させる…。
それは、一昔前までの林道そのものの景色だ。

もしこれが廃止されず一般道路として解放されていたとしたら、それはそれで「全国区の“険道”」として恐れられていたかもしれない。




この道の「安全装備」は、度重なる落石の直撃で角が取れたような古い「駒止」が随所にある他は、何もないに近い。
こうした道における一番の危険の種は法面からの落石だと思うが、落石防止ネットだとか吹き付け工のようなものは皆無だ。
たまに玉石練積の小さな石垣があるくらいで、道に面する岩場はこれだけ険しく切り立っているにもかかわらず、ほぼ例外なく無普請なのである。
安全管理上、県が一般解放したくないのも頷ける道だと分かる。

廃道でなくても、結構凄い道。

それが、ここまでの私の感想だった。

そして、そんな道があと十何キロも途中集落無く続く。




路肩から望む、ほぼ直下に見える湖水。

この佐山峠付近での湖面に対する比高は100mを越えており、全線中でも最大のものである。
それでいながら湖の水深も100mくらいあるのだから、本来の谷底に対する高さたるや…。

もしも底まで見下ろすことが出来たら、まさに震える眺めであったろう。




林道をメインの舞台とした“山チャリ”からこの“道路業界”に入った自分としては、妙に懐かしさを覚える景色の数々だった。

本来の目的としてきた“越えるべき廃道”が、いつどこで、どのように始まるのかは分からなかったが、ここまでは久々に充実した“林道サイクリング”が出来ている。
ほとんど高低差が無いのも、パスハンティングでならした昔を忘れ、すっかり鈍った足にはちょうど良い。(情けないことだ)
それでいて、道を取り囲む険しさは第一級の山岳林道を思わせるのだから、爽快だ。

こうして、峠と言うほどの登りを意識することもないまま、「佐山峠」と名づけた第一の尾根越えが近づいてきた。
明るい広場か、或いは暗い切り通しか、ワクワクする。




9:53 【現在地:佐山峠】←※飯田線旧線も表示しています

ゲートインから約1時間で、全線中の最高所である海抜330mの「佐山峠」に到着した。
そこはいかにも峠らしい、狭く薄暗い切り通しだった。

ゲートからここまでの距離は約4.3kmで、徒歩と同じくらいの時間がかかっているが、途中で朝飯を食べたり、写真を撮影したり、廃線跡を探したりしていたせいである。
総じてここまでは路面状況も良く、走りやすかった。

だが、もちろんこのまま済むとは考えられない。
“イヌ軽トラ”が現れたときが、きっと本番のはじまりだ。

今はまだ、“嵐”の前の静けさを存分に楽しもう。


  やがて得難いものになるのだから…。




大嵐駅起点まで あと130km