静岡県道288号 大嵐佐久間線 第15回 &

 飯田線旧線 中部天竜〜大嵐間 第7回

公開日 2009. 8.14
探索日 2009. 1.29

 とろろこんぶ


2009/1/24 16:14 《現在地》

「ボンガ塚沢」(仮称)の河口にチャリを残し、さらにその傍らの尾根上にリュックを残した状態で、私は飯田線旧線をの遺構を探し歩くという、束の間の寄り道にうつつをぬかしていた。

そして、ボンガ塚沢河口から250mほど佐久間湖岸を遡った地点で、2本の隧道がまとめて現れた。
他の隧道と同様に現地で名を知り得なかったものの、手前にあるのが「第四白神隧道」、奥が「第五白神隧道」という。

まさに幸せの挟撃というべき至福の場面だったが、惜しむらくは、楽しきを邪魔する大きな枷が私の心にかせられていたことだ。
それはいうまでもなく、チャリやリュックの救出をどうすべきかという後の不安であった。



手前の「第四」からアタック。
この隧道の南口は「ボンガ塚沢」に辛うじて開口していたが、内部は天井間近まで泥土が積もり、完全に閉塞を確認したわけではないが、10mほどで撤収している。
今回この北口から再トライすることで、全貌の解明が期待された。

そしてまずは坑口。
今まで見てきた一連の隧道の中では(ダム下流にあった佐久間隧道南口を除けば)、最も全体像を露わにしているといえる。
もちろん水位が上がれば完全に水没する位置ではあるが、泥の海に沈みかけていたこれまでの隧道とは大いに状況を異にしている。
しかも、意外なほどコンクリートの角は整っていて、築70年、廃止から半世紀を経ようという姿には思われない。




瓦礫が積もった坑口から、初めて“立ったまま”の入洞をする。

微かに「カメの水槽」の臭いがする洞内にはやはり風はなく、空気が澱んでいる。
そして、案の定洞内には泥のぶ厚い堆積が見て取れた。

だが、そんなことよりも遙かに違和感のある光景が、洞奥に向けられた私の視線に飛び込んできた。

ひとことで言い表すなら、キモい景色だった。





 でろーん…

 天井から、たくさんのとろろこんぶが…。

それは、意識したくなくても、人形の髪の毛のように見えてしまう…。

基本的に「心霊的な怖さ」に対しては人一倍“耐えられる”と自負する私だが、そこに弱点があるとしたら、「伸びてくる無数の手」と「壁に浮き出たひと形」と、あと「人形の伸びる髪の毛」。
この3つは子供の頃のテレビの影響か何だか知らないが、苦手である。




それは、もちろん木の根である。
心霊的なものであるはずは当然なく、とろろこんぶでもない。
だが、立ち入ろうとする者に精神的な畏怖を与えるには十分な存在だった。
それは壁や天井の隙間や亀裂から侵入し、虚しげに垂れ下がっていた。

こんな湖底に暗く沈んだ隧道など、おおよそ生きた人が立ち入るべき場所ではないかも知れない。
こうした興味本位な突撃が…、私にとって… ある「不幸な展開」に結びつかない保証はないと思っている…。
…具体的にこれを言うと…ちょっとグロテスクと言うか何というか、身も蓋もなくなってしまうのだが…、ようは、死体の発見を私は恐れている。
天竜川にどれくらいそういうリスクがあるのかは分からないし知りたくもないが、こうやって様々な流木が洞内に堆積している状況というのは、“その可能性”を強めている。
実際にそういうご遺体がもし埋もれているとしたら、むしろ見つけて差し上げるべきなのかも知れず、「私にとって不幸だ」などとはたいへん身勝手な「生きた人の言い分」かも知れないが…。





突入断念!

でも、失望しないで欲しい。
決して気弱から撤退するのではないのだ。

坑口から約50m入った地点で、洞床に堆積した泥層が水気を増し、ほとんど水たまり同然となった。
それだけならばまだ良いが、一歩踏み込んだら一気に45cmくらいも沈没。そのまま、“片足が抜けない!”という非常事態になった。

片足だけで踏みとどまったおかげで片足を泥まみれにしただけで生還できたが、深さ1m以上はあるだろう泥に身体を奪われる(自力脱出不可能)危険を感じたので、撤退を余儀なくされた。

よって、この「第四白神隧道」については全長233mのうち、両側坑口付近しか状況を確かめる事が出来なかった。
風もなければ光も見えず、ほぼ間違いなく閉塞しているとは思われるが、残念である。

 撤収!




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 白神シリーズのラストナンバーと、新たな… 



撤収するため、振り返る。




しあわせの貫通弾!

キタ―――!!



「第五白神隧道」の先にもう一本、

新たな隧道が見通された!


…今までそれなりに沢山の廃線跡を歩いてきたつもりだが、こんな“贅沢”初めてだ。





ということで、続いて「第五白神隧道」探索だ。

この探索は、飯田線旧線で見た8本目の隧道にして、初めて通り抜け可能である。
まだ通り抜けてはいないが、これだけ綺麗に見通せるのだ。
おそらくそれは数秒後の真実になろう。

なお後日調べたところによれば、この隧道の全長は50.7m。
第一から第五まで綺麗に揃った白神隧道のラストナンバーである。
ちなみに、中部天竜〜大嵐間13.7kmの旧線内にある36の隧道のうち、第五というのは最も大きなナンバーである。




何事もなく、隧道は隧道として役目を終えた。

そして、さっきから見えていた隧道と対面する。

意外に遠い…。
そこに橋があるとは予想していなかった。
それに短い隧道を繰り返すうち、気付けばずいぶんと水面から高いところまで来ている。

ここはなんとか斜面をへつって突破できそうだが、気の抜けない場面にはなりそう。
時間的にももうそろそろ引き返さなければならない限界だと思ったが、この場面で撤退しろとはあまりに酷だろう。




初めての橋…。

「第五白神隧道」は初めて通過可能な隧道だったが、続く本橋は初めて明確な遺構を示した橋となった。

橋脚や橋台の形や配置を見る限り、これは2径間連続のガーダー橋。
写真はその中央の橋脚である。
てっぺんに十字型の凹みが二つ刻まれており、それは初めて見る形だった。
つい忘れそうになるが、元々は国鉄ではなく、三信鉄道という私鉄として建設されたのであった。
しかしその建設の条件として、将来の国有化も踏まえた規格ということがあったので、結局「私鉄らしさ」というものがあったのかは分からない。

なお、記録によるとこの橋の名前は「下松沢陸橋」(全長16.7m)という。




橋を無事に迂回しきった。
あと20mも進めばいよいよ次なる隧道である。

湖上に視線を落とせば、夏焼集落の幾つかの屋根をその身に宿した「夏焼峠」の峰が、これまでで最も大きな曲流を作り出しているのが望まれた。
あの裏側に最終目的地の大嵐駅はあるが、幸いにして峰越しは隧道で済む手筈になっている。
夏焼集落まで行きさえすれば、攻略は無事に達成されると考えて良い。
あともう1kmあるかないか… そういうところまで来ている。

残してきたものさえなければ…。




「下松沢陸橋」を振り返る。

当然のことながら、こちら側からも隧道2本を一挙に見通すことが出来た。
また、「第五白神隧道」を起点にして、明らかに勾配が変わっているのも見て取れた。
向こう側は下り勾配が大きい。
「ボンガ塚沢」ではほぼ水面と同じ高さにあった路盤が、相当の急勾配を駆け上がるようにここまで登ってきた様子が見て取れる。

なお、黄色いマーキングを施した地点には、空積みによる石垣が残っていた。
空積みなど、まるで森林鉄道の様である。
地味だが、時代を感じさせる遺構だった。





16:21 《現在地》

第一難波隧道」(全長78.5m)南口。

今までの隧道とは微妙に様子が違っている気がした。
やはり水没することもあるらしく、洞内に段丘上の砂の堆積が認められるが、ここまで来ると「水没隧道」という印象ではなく、むしろ山岳廃線の廃隧道である。
或いは緑に溺れていても不思議はない雰囲気。

そして、何者かによって塞がれていた、そんな施工のなされていた気配を認める。
破壊されて原型を留めないが、鉄パイプによるバリケードや、謎の鉄棒(アーチを模っている)がある。

そして、洞内天井には陰が焼き付いたかのような、妖しいシミ…。
湖から森へと舞台を遷した、どこか鬱々とした難波シリーズのファーストナンバー…。




うわ…
 んでる。


第一難波隧道は、南口から20mほどの地点に内壁の崩壊があり、さらにその10mほど先で天井が圧壊。
大量の土砂によって完全なる閉塞を見ていた。




閉塞地点。

土砂は間違いなく破れた天井から流入している。
人工的な埋め戻しではなく、明らかに自然の崩壊。

9本目の隧道にして、初めて崩壊閉塞の状を見た。
煉瓦隧道の崩壊は納得しやすいが、普段から見慣れたコンクリート隧道のそれには、より大きな悲痛さや禍々しさを覚える …というのは、私だけだろうか?




この隧道の北口は、まだどこかにあるはずだ。
それに、これが夏焼までの最後の隧道ではないかも知れない。
まだ何本かあるかも。

…だが、時間的にもう限界。
今からこの閉塞隧道の上を踏破し、その先の廃線路盤の探索をしている時間はない。
これ以上の深追いは、マジでチャリやリュックを夜の闇に紛失する恐れがある。
現状でさえ、相当に保証のないところを“歩いて”いる。
もうこのあたりが潮時。
この閉塞は、良いきっかけ…。





非常に残念だが…
この先は、また次の機会にしよう。



撤収開始…!



 大迂回の結末 


16:28

ボンガ塚沢付近まで戻ってきた。
写真にカーソルをあわせてもらうと、色々と表示する。

これからすべきことは、チャリと背荷物を回収して県道へ復帰すると言うこと。
その高低差は、おおよそ40m。
この数字の根拠は、目測と言うよりも、地形図の読みである。

…40mもあるのかよ。

しかし、毒づいても始まらない。
それは、明らかに「大崩落地点」で“下った”分よりも大きいが、そういう道が敷かれている以上やむを得なかった。
承知の上での、迂回工作であるべきだったのだから。





今から、この手で決着を付ける!





まずはチャリ確保!



下って来た尾根をそのまま戻ることは、やはり困難だった。
となると、ボンガ塚沢が湖畔に作った巨大な砂礫洲の上端付近(←この写真の位置)まで遡り、それから右岸ないし左岸の山腹をよじ登るルートが考えられた。

もう一つ、黙って沢底を突き詰めていっても、やがて県道と交差することにはなるが、それは距離が長くなり過ぎ、避けたかった。

左岸と右岸、どっちが登りうる?

どちらかと言えば、左岸(右手斜面)を登った方が、途中でリュックも回収できて好都合だが…。




↑ こっちしかない!    無理だ… ↑




16:36

この急斜面を、
 高低差3〜40メートルッ…!


相当キツイと思うが、しかしこれでも、今の私には十分に“望むべき”斜面なのだと思った。

瓦礫の粒が大きく、チャリを引っかけて休み休み登っていくのには好都合だし、勾配が一定に近いので、途中でルートミス→やり直しみたいな、最悪のタイムロスをする心配が少ない。

どんなにゆっくりであっても、とにかく上り続ければいつかクリアできそうな斜面。
それがこの、ボンガ塚沢右岸、最終登攀斜面だった!!




16:42

登攀開始から5分経過。

これだけ登ってきた。

20mくらか。もっとか。
斜度はおおよそ45度。
這って登るわけだが、問題はなんといってもチャリである。
自慢じゃないが、このチャリはホームセンターで安く買ったヤツなので、とにかく鋼鉄の塊のように重かった。
足を一歩進めるごとに、両腕でチャリを頭上に掲げ、それから1m先の地面に“打ち付ける”ようにして、少しずつ少しずつ進めた。




なんか出てきた!

必死によじ登る私の傍に、下からではその存在を伺えなかった「何か」が“浮き上がって”きた。

初めのうちは瓦礫の山に埋もれて見えなかったんだろうが、ここまで登ってきて、山腹に横たわる、何かを埋設したかのような函型のコンクリート。
その正体は不明だが、既に使われてはいないものらしく、所々大きく破損している。
破損した箇所を見ても、やはり正体は分からなかったが…。
というか、申し訳ないが今の私は、頭に酸素が行ってないッ!考えられる状況じゃないッ!!




見えたーー!!!
マジ生還できるぞ!

ラスト15m!
しかし、勾配は非常に険しくなっている。

…もう、足が攣りそう!
朝から漕いで歩いて潜って跳んで間もなく10時間。
私のオブ足、限界…! 近インッ!!






はぁ はぁ


  はぁ はぁ はぁ…


はぁ はぁ ゲホッ


  はぁはぁはぁ…  あと、もう一歩…





何という仕打ち…、ラスト1.5メートル…


ウオォォォォォォッ!!!















う… う…  うおぉぉぉ…







――生還。


足ガクガクなったけど、なんとか着いた。




一つの崩壊現場を、チャリと一緒に越えるがために、費やした時間は約100分。

もっとも、この時間の中には探索に費やした分も相当含まれてはいるが、ともかく、我がチャリ…

「ルーキー号」(10代目くらい?)と、困難を分かち合う探索となった。


そもそもが、チャリで探索すること自体に無理があったのか。

或いは、あの大崩壊を前に引き返さなかったことに、無茶があったのか。




今回は、十年に一度かも知れぬ極端な水位の低さ…

「運」 に助けられ

チャリは、私とともに ロード へと生還した。


限界を越えてしまう寸前で… 生 還!





大嵐駅起点まで あと.4km