2009/1/24 15:03
やられたー。
目の前が真っ白になった。
これはもうパッと見で、チャリ無理。
酷い。
ここまで来て、これは酷い!
酷過ぎる!!
15kmも来たのに、いまさら引き返せってか…。
そもそも、ここを突破した人はいるのか?
なんか、崩壊はごく最近のもののように見える。
もしかしたら、今私が…私が成り行き上やむを得ず挑もうとしているのは、廃の処女峰かもしれない。
まずは☆印の地点まで、チャリを置き去りにして進んでみた。
より明確な視界を得るために。
そして、その踏破の可能性を計るために。
上の写真の☆印まで来た。
とりあえず、ここまでは普通の土砂の斜面。
だが、次の◎印までは少し怖そう。
それにしても膨大な土砂の量だ。
しかもこれ、本来あった道が崩れてこうなったのではなく、崩れた土砂に道が埋もれているのである。
元の道が全く見えない斜面は、少なくとも30m以上続いていると思う。
そしてこれだけの崩壊でありながら、私が進退について葛藤せず踏み込んできたのは、踏破できる見通しがあってのことではなく、単に容易には引き下がれない状況だったからに過ぎない。
同一地点から、湖面を見下ろして撮影。
ちょうどこの真下の泥の底には、飯田線旧線の白神(しらなみ)駅が沈んでいるはずだ。
泥の上にも散乱した瓦礫が、この崩壊がまだ止まっていない事実を教えていた。
…この高さを感じて欲しい。
私の感じた恐怖を、理解して欲しい。
「怖いならやるな」と言われそうだが、ここで引き返すなど最悪だった。
間もなく15kmの地点で、残りはあと3kmほどなのだ。
しかもここまでずっと一本道だったから、素直に引き返しても5時間も6時間もかかることになる。
もう2時間も経てば真っ暗になろうというのに、…非情。
しかしこの場面、容易な迂回ルートは見出せない。
高巻きは絶対に不可能だし、だいぶ戻って湖畔へ一旦下れたとしても、崩壊の先で再度登って来られる保証はない。
チャリごと先へ進むには、最もアップダウンの少ない“正面突破”を、何とか工夫してやり遂げるより無いように思われた。
あまり柔らかくはない、土の斜面。
斜度はおおよそ30度。
爪先で蹴って、靴幅だけの道を削りだして進む。
そして、◎印の地点へ到達する。
マジキチー!
嫌!いや!イヤ!
で…でも、
冷静にルートを探す。
そう簡単に諦められる場面じゃないのだ…。
そして、分かった。
おそらく次にステップとすべき地点は…
★印の場所一択。
問題は、あそこへどうやって行くかと言うことだった。
(行ったところで、抜けられる保証はなかったが…)
そして結局、左図のようなルートに挑戦することにした。
ポイントは、平らな一枚岩の部分を避けて、少しでもゴツゴツしたところを通ること。
(★1)までは、直前と同じような土を蹴ってのトラバース。
そこから(★2)までは、ゴツゴツ斜面の直登攀である。
ただ、明らかに自転車同伴での突破は無理!
自転車を置き去りにして先へ進んでも、どうせ戻ってこなければならない。
そこまでして突破する価値があるのかを自身に問うも、突破したい気持ちが勝った。
(★1)から(★2)への直登中に撮影。
そしてこれが、(★1)付近で撮影した唯一の写真である。
立ち止まってカメラを構えるような場面ではなかった。
湖畔に散らかった瓦礫の一つ一つが、妙に細かく見えやがる。
何が怖いって、絶対的に頼れる岩盤が間近に無いことだ。
いま私が全体重を預けている小舟ほどもある巨岩だって、いつ動き出すか分からなかった。
このような真新しい崩壊現場では、少しの外力でも墜落するような不安定な瓦礫が斜面上に残っている。
下手に体重を掛けると、瓦礫ごと一気に滑落する危険があった。
私は、万が一の事態がいつ発生しても対応できるよう、周囲の状況に最大限の注意を払いながら、かつ出来る限り素早く行動した。
(★2)直前の場面。
ようやく平らな場所が近づいてきたが、それでも絶対の安全地帯ではない。
おそらくだが、ここは地中に埋もれたり斜面に踏ん張っている木々が、大量の瓦礫を堰き止めている“ダム”の上と推定できる。
そうでなければ、とっくに崩壊していそうな不自然に膨らんだ地形なのである。
そんな今にもはち切れそうな瓦礫の山は、明らかに長居無用の場所だった。
だがそれと同時に、背後を振り返りざるを得ない事情もまた、私にはあったのだった…。
…自転車…
15:06
挑み始めて3分後。
冷や汗たらたらで、(★2)に到達。
…マジキチ。
でも、何とか突破は出来そうな見通しが…。
キタ――!
人家だー!!
遂に見えた、半日ぶりの集落。
あれが、この現道の辿り着くべき場所
唯一の沿道集落 ―夏焼。
しかし、想像以上にもの凄い場所っぽい。
一体何軒の家があるのか。
そもそも、本当に人が住んでいるのか…?
いや、住んでいるんだが…。
そして振り返り見る、これまでの道のり。
…とはいえ、実際に見えるのは「亀ノ甲峠」からの1kmほどだろうか。
ダムサイトから半日遡っても、まだまだ佐久間ダムの巨大水域は谷を広く覆っている。
旧線跡も、今ようやく湖上へ姿を見せつつある段階だ。
なお、右岸の普段は湖底になっている泥州には、並行する2本の窪地が見える。
人工的な地形の痕のようでもあるが、その正体は不明である。
古い地図を見ても、特にそこには人工物は描かれていないのだが…。
そして、チャリ。
置き去りの、チャリ…。
もう直接見えない位置になってしまっているが、“隔絶感”はそれ以上だった。
今回たまたま私の不注意で酷く壊れたが、既に行きつけの自転車屋への報告も済み、修理の手はずが整っている“相棒”だった。
だが、今の彼は、かつて無く遠い存在に思えた……。
“悪魔の囁き”が、耳障りの良い言葉で背中を押した。
このままチャリを捨て(回収せず)、私だけで大嵐駅まで歩き通しても、電車で帰る事が出来る。
どうせ壊れてしまったチャリ。
直すのにもかなりのお金と時間がかかるはず。
もちろん廃道に置き去りにするのは不本意だが、命の方が大切ではないのか?
それは、何とも合理的な…
しかし冷静になれば、極めて身勝手な“名案”だった。
(★2)地点も、安全地帯にはほど遠い。
本来の路面よりも5mは高いところで、この5mというのは全て崩落した瓦礫や土、木々などであった。
見下ろす薄暗い森の中に、落ち葉の積もった平らな路面が見えていた。
それは、私の進むべき路盤に間違いなかった。
だが、 自転車をどうするべきか……。
私は、この探索の決着を容易に決定できなかった。
15:08
単身突破…。
私は、自転車を置き去りにして進むことにした。
だが、回収もすることにした。
冷静になって考えれば、私の都合で自転車を置き去りにしていって良いものではない。
崖に落として回収不能になったのならばいざ知らず、物理的には十分持ち帰れる自転車なのだ…。
魔が差したでは済まされない恥になる。
私がここでどんな回収方法を考えていたのかは、多分皆さんの想像するとおりだ。
無論、このレポートを書いている時点では回収済みである。ご安心下さい。
再び照り始めた太陽。
散り散りになった“私たち”の再会は、そう遠くなかった。
だが、彼には悲しい運命が待ち受けていた…。
大嵐駅起点まで あと3.3km
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