2013/3/31 16:43
これから探索する旧旧都道のプロフィールを簡単におさらい。
この道は、昭和36年に陸上自衛隊が村の委託を受けて完成させたもので、本村と若郷を結ぶ最初の自動車道である。
そして平成2年に一部の区間が新島トンネル(全長739m)へと置き換えられ旧道化。おそらくその後すぐに廃道化したと思われる。
この際、新島トンネルの建設を急がねばならない事情(災害など)があったかどうかは不明である。
いずれ、旧道化から今年(平成25年)で23年を経過する、ギリギリ“平成生まれの旧廃道”である。
なお、私はこの旧旧都道の探索では、最初から自転車の持ち込みを放棄した。
この分岐地点に自転車を残して推定900mの旧旧都道の区間を踏破後、旧都道の新島トンネルを使って自転車を回収しに戻るプランとした。
もう一度新島トンネルを往復するのは面倒だが、旧旧都道はヤバそうなので安全策を取ったのだ。
それでは、今日最後の探索開始!
新島トンネルの北口前にある三叉路を左折する。
特に行き先の案内などはなく、かといって塞がれてもいないが、分岐地点が既に(車輌)通行禁止のエリア内なので、改めて封鎖する必要がないというだけかも知れない。
分岐直後でも路面の状況はご覧の通り、ここまでの旧都道とくらべても明らかに古びている。
しかもセンターラインは一応あるが、道幅も狭っ苦しい感じ…。
右へカーブしつつ結構な勾配で下っていたが、その先には思いがけない“合流地点”が待ち受けていた。
分岐したと思ったら、すぐに合流だと?! この道はなんだ?
なるほど、そういうことでありますか。
振り返ってみて納得した。
分岐からここまで約50mの区間は本来の旧旧道ではなく、旧旧道が旧道へと切り替わる途中に設けられた連絡路ということらしい。
本来の旧旧道は旧道の下に埋もれており、新島トンネルの北口も実は盛り土の上にあったようだ。
それにしても、コンクリート舗装路の廃道というのは見慣れないせいで、何とも独特のものを感じるな。
こんなに「右の道は後から付け足しました」って分かり易い分岐になっているのは、コンクリート舗装ゆえだ。面白い。
でも、短期間とはいえこの状態のまま交通が解放されていたとしたら、間違って直進しそうになるドライバーも出そうだ。
さて今度こそ、本当の旧旧道の始まりだ。
……しばらく私の脳内に鳴っていたBGMが、ぴたっと止んだ。
場面が明から暗へと切り替わるとき、或いはその逆の場面では、自ずと全神経が状況に集中する。
そして今がその時であるらしい。
まだ旧旧道へ入って100mほどだが、早くも平穏を破り捨てられる。
遠くからは道を塞ぐ崩土の山に見えたのだが、近付いて正体が判明。
それは人為的に並べられた、巨大な土嚢の山だった。
百以上もある土嚢の中身はただの土ではなく、砕かれたアスファルトだったが、それがどこから持ち込まれたものかは分からない。
しかしいずれにせよ、ここからは廃道化の明確な意志を感じた。
高い土嚢の上に立つと、路肩が低く感じられた。
そして奥の方は明るいばかりで、路面の続きが見えていないのが、なんとも不気味だった。
土嚢で埋められた道は、30mほどで終った。
そしてその先には再び、本来のコンクリート路面が現れた。
が、
それは束の間の平穏…!
白すぎる……。
路面に下りて歩き出すと、数歩で藪が始まった。
舗装されているはずなのに、路上に藪がある。
その時点で明らかに怪しい、先行きに大きな不安を感じさせる状況だったが、藪のため数歩先も見通せず、展開の予想は付かなかった。
しかし、直前に見た「白さ」が何を意味しているかは気掛かりだった。
…嫌な予感がする。
続きの道が灌木の背中越しに見えてきた。
道形は確かに続いているようだ。列を成す電柱が見える。
それはとりあえず最悪の事態ではないという程度の安堵を与えた。
だが、遠くではなく、近くがヤバい気がする。
灌木にブラインドされている“数歩先”に、重大な決壊の存在が予感された。
はっきりと何かが見えているわけではないのだが、そこに地面(路面)が存在しないという”抜けた”雰囲気が伝わって来た。
これはオブローダー独特の感覚器の発達によるものかもしれない。
まもなく、目線よりは低かったはずの藪に身体の全体が呑み込まれた。
なぜなら、足元の路面が陥没していたからだ。
ふと横を見ると、割れたコンクリート路盤がほぼ垂直に雪崩れ込んでいる、そんな酷い景色が見えた。
私の予感は的中し、大規模な決壊が道の全幅員を一挙に呑み込んでいた。
おそらくあと数歩で決壊核心部のガレ場へ入り込み、全貌を目視出来るようになるだろう。
先ほど藪越しに見えていた“続きの路盤”に辿り着けるかは、その眺め次第だな…。
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16:48 《現在地》
うおぉーっ!
今日はじめての本格的な道路決壊現場だ!!
さすがは旧旧道! 旧道でさえああなのに、無事であるわけがなかったか!
期待通りのアグレッシブな場面の登場に、私のテンションは急上昇!!
それに旧都道の廃道区間は“埋没”系だったが、こっちは“決壊”系で、より危険な感じだ。アツイ!
とりあえずここから観察する限り、ガレ場の横断自体は難しく無さそうだが、
その後に向こう路面へ登るところが、かなりの落差を付けてしまっているのが気掛かりだ。
…草付きだけは豊富にありそうなので、徒手空拳でも何とかなるか…?
決壊現場は、青い海まで滑り込む巨大なガレ場斜面。
海原を駆け抜けてきた風は新島の山体に直撃し、
逃げ道を上空に求めて吹上げる。 まさに“吹上げ坂”である。
岩陰に羽伏港の突堤の先端部分が見えたが、ここからの逃げ道は無さそうだった。
現在進行形で崩壊が続いていそうな白いガレ場斜面を慎重に横断しつつ、
頭の中では常に「どう登るか」を考えていた。
コンクリートの薄っぺらな路盤の断面が、恥ずかしげもなく露出している。
登る場所は岩場の方が良かったが、火山灰の脆い土砂っぽいのがいやらしい。
でもここは何とかしないとな! 序盤での撤収など考えたくないし、
ここでは逡巡して長居することも避けたいという理由(ワケ)が存在した。
↑ 長居したくない! ↑
幾万の投石砲が、私の体を粉砕せんと狙っていた。
吹き上がる風のため、いつ破れたネットから石が零れ落ちて来ても不思議はない。
今回は荷物を減らすためにヘルメットの着用をしていないので、特に恐ろしかった。
首筋の辺りがスースーするのである。 静かに速やかに、この場から逃れたい。
逃れるためには、この急な斜面をよじ登らねばならない。
この時点で、自転車を持ち込まなかったことの正解が確定。
デカリュックを置き去りにして、身軽になっていたことの正解も確定。
全ての手足をフル動員して、なんとかこの斜面を乗り越えた。
そして、再びの路盤に立つ。
吾が魂を揺さ振る、“途絶廃道” へ!
なお、この旧旧道区間の南口は既に見たとおり、こんな状態である。
さらに北口にも大規模な路盤の決壊が確認されたことで、
オブローディング・プレミアム“途絶廃道”であったことが確定!(過去の一例:ここ)。
アッチぃ!!
廃道の原点を魅せる風景に、魂が震えた。
これは決して大袈裟な感想ではない!!
今まで数百の廃道を目にしてきたし、中には奇抜と思える風景が沢山あった。
だが“廃道の原点”は、やはりこれだ。
舗装された2車線道路の廃道こそが、私の廃道の原点!
私が10年以上前に出会った最初の本格的廃道である「仙岩峠」がこうだったし、
おそらく最も多くの人にとって「廃道」らしさ(凄み)がストレートに伝わるのも、こういった廃道だと思う。
こういうオーソドックスな王道でありながら、それでいて知られざるという廃道を、私はずっと探していた!
舗装路の純度100%完全なる裂断風景!
海までの比高は優に120mを超えているが、途切れた道のすぐ下にあるかのように錯覚する!
動画の中では声を殺してフツフツと萌え上がっているが、虚空へ叫びたい衝動に駆られていた。
廃道が格好良すぎて、身体の震えが と ま ら ねーぜ!
この裂断路盤は本当に私の心を捕らえる風景だったので、
しばらくは立ち去ることが出来なかった。
色々なアングルから撮影し、味わい、人生に刻み込んだ。
いつ崩れたのかは不明だが、可能性として高いのは、平成12年の新島近海地震だろうか。
それでは、難所を背にして、進撃を再開する!
この旧旧道は、「新島トンネル」の開通によって部分的に廃止された旧道に他ならず、その構造はだいぶ似ている。
例えば法面の石垣などは同時に建造されたものだと感じられる作りだ。
しかし決定的に違っているのは、旧旧道には旧道に存在した歩道が無い。
昭和36年に開通した当初は、2車線分の幅を持つ自動車道というだけで十分に高規格と見なされ(当初から舗装されてはいなかったと思う)、歩道などはさすがに贅沢な施設と考えられたのだろう(自衛隊が歩道を作設するイメージも湧かないしな)。
だが、昭和50年代頃から「離島ブーム」というのが全国的に巻き起こり、新島にも大勢の観光客が訪れるようになった。
夏休み中などは島の人口を超える来島者があって、本村と若郷を結ぶ道路にも新たな需要が生まれたに違いない。
そんな時代に建設されたのが、今度は歩道を完備した「新島トンネル」であり、その規格に合せて前後の都道にも歩道が整備された。
時代に置き去られたこの区間には、観光色という「外向き」の貌が幅を利かせる前の“島の道”の風景がある。
頭上の宮塚山は、相変わらず手加減無し!
見慣れたレッドラインの舗装道路に、白い大岩が散乱してる。
“土”はほとんど供給されず、“岩”ばかりがゴロゴロと……。不毛感満載。
しかも多くの岩は、法面よりも路肩の近くに転がっている事に注目。
…怖すぎるって。
さすがに直撃確率は低いと思うが、この道のどこにいても即死のリスクがある。
そしてそんな落石を回避することは、地形的にほとんど不可能だろう。
16:57
旧旧道へ入ってまもなく15分が経過しようというところで、ブラインドの右カーブが見えてきた。
GPSで《現在地》を確認すると、次のカーブこそ、
本村と若郷の視界を確然と隔てる宮塚山の尾根であることが判明。
つまりこのすぐ先に、本村側から見たこの切通しがあると思われる。
距離の上ではまだ中間に達していないが、景色の上ではここが折り返し地点と言えそうだ。
そしてそんな記念の場所に、またしても感涙ものの遭遇が…!
草木に埋もれた石碑!
前後断絶の完全なる廃道に、取り残された言の葉は…
↓↓
次回、完結。
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