今回、ヅウタ隧道北口の擬定地を訪問し、現地では予想に反し3つの穴を発見した。
だが、いずれの穴もヅウタ隧道の北口ではない可能性が高いと私は判断した。
「穴1」は、サイズ的には軌道由来の隧道跡との期待を持たせる感じがあったが、奥行きがない可能性が高そうだ。
「穴2」と「穴3」については、いずれも奥行きがあるが、サイズ的に明らかに水路用のものであった。
このうち、水路跡と判断した「穴3」の正体については、これまで収集した情報の中に心当たりがあったので、ここで紹介する。さらに、今回は確定出来なかったヅウタ隧道北口の在処についても、最後に考察を試みたい。
『片倉ダム工事誌』より
右図は、平成14(2002)年に千葉県が発行した『片倉ダム工事誌』に掲載された、「補償対象農業用水路位置図」である。
網掛けの部分が片倉ダム湖(笹川湖)であり、私が青線でハイライトした部分に、ダムの建設に伴う公共補償が実施された農業用水路があった。
ずばり、今回探索した場所には、「片倉用水」が存在したことになっている。
さらに、「ヅウタ用水」という別の用水も近くに存在していたことが分かる。
なお、今回アプローチに使った尾根上に描かれている濃い線は、公共補償によって整備された道路の位置である。
この尾根上には「林道1号」という全長1700m、幅1.0mの遊歩道が平成7年度に施工されたと記録されているが、現実には(なぜか)一部未開通のままである。これが現地で見た“未成遊歩道”の正体であった。
片倉用水について『工事誌』にある情報は主に公共補償に関わる内容だけであり、整備された時期や経緯については残念ながら分からない(ヅウタ用水についても同様)。
他の文献にもあたってみたが、今のところこれらの用水の歴史的経緯は不明である。
『工事誌』によると、片倉用水は、取水堰や用水トンネルの水没によって使用不能となることから、補償として新水路を開設することとなり、旧水路は閉塞の上で廃止されたという。(ヅウタ用水についても水没により廃止されたが、代替施設は整備せず、関係者に対して金銭補償が行われた)
いずれにしても、補償が行われているこれらの水路は、ダムの着工当時まで使用されていたようである。
『片倉ダム工事誌』より
なお、片倉用水については、関係するとみられる水路遺構を2013年のヅウタ隧道の南口初探索時に目にしている。
左図の「写真1」の位置に、田代川を堰き止めた取水堰の遺構があるほか、その下流の田代川右岸には、数十メートルおきに点々と横穴があり、その一部(写真2)からは勢いよく水が流れ出していた。
そして見ての通り、そのサイズ感はいわゆる“二五穴”であり、今回私が発見した「穴2」や「穴3」に近い。
今思うとこれらの遺構は、片倉用水の本流ないしは旧水路か枝水路の一部であって、大量の水が流れ出していたのも、どこかで故意に閉塞させられていたためではないだろうか。
ダム建設によって廃止された片倉用水が、
田代川から小坪井川へ抜ける水路隧道の北口が、
今回発見した「穴3」の正体であると結論づけたい。
おそらくチェンジ後の画像に示したように片倉用水は設置されていたと考える。
現在の湖岸に沿って、いくつもの隧道があったのではないだろうか。
このうち、「穴2」はおそらく枝水路で、隣の谷から取水していたのだろう。
それでは、小坪井林用軌道田代線の隧道の北口は、どこにあるのだろうか。
今回の調査によって、軌道の隧道からあまり離れていない位置に、片倉用水という農業用水路が貫通していたことが分かった。
軌道(田代線)が開設された時期は、これまでの調査によって、昭和5年から少し経った頃(昭和10年前後か)と考えられており、廃止は昭和17(1942)年である。
また、この隧道を廃止後に通行したという方の証言も、伝聞ではあるが過去の探索で得ており、その中で、「トンネルにはトロッコのレールが敷かれたままになっていた。また、沢山のコウモリがいた。天井が低く、荷物を背負って歩くとぶつかりそうになった
」という内容があったことから、荷物を背負って歩くことなど不可能な用水隧道以外の隧道があったことも確かだ。
安念ながら、片倉用水やヅウタ用水が整備された時期は不明だが、少なくとも片倉用水については、軌道より古い可能性が高いと思っている。これは“二五穴”という古い技術で掘られていることからの推測である。
水路隧道と軌道隧道のどちらが先に掘られていたとしても、後から整備された側が、先に整備されていた隧道を活用することは、考えられて良い。だが、少なくとも水路隧道を軌道用に転用した形跡は見られない。
敢えて隧道の重用を避けたとすれば、水路と軌道の隧道では、単純な断面サイズの差以外にも求められる要素の違いが大きかったからかも知れない。
右の図は、私が行った水路と軌道の勾配に関する一つの思考実験を示している。
基本的に、灌漑用水路隧道は、極めて緩やかな勾配で作られている。
水はほんの少しでも落差があれば流れるうえ、出来るだけ高い標高で水を運んだ方が、より広い農地に配水できる可能性が高いためである。だから、水路隧道は限りなく平坦に近い下り勾配である場合が多い。
一方で、軌道の隧道は、それが林業や鉱業用である場合、山元から集積地への下り片勾配が基本であり、かつ手押し軌道の場合、緩やかだが緩やかすぎない勾配が望ましい。
これは、急勾配だと制動困難となる一方で、平坦過ぎると効率的な乗り下げ輸送が出来ないためだ。
もちろんこれは理想論であり、地形その他の条件から例外を取ることはあり得るが、この理想に則った勾配で、ほぼ同高度に置いた南口から北口へと下る水路隧道と軌道隧道を想定したのが右の図だ。
実際、片倉用水の隧道は、北口と南口がほぼ同じ高さにあるように見えた。
だが、軌道の隧道については、上記の理想論に従う限り、北口は南口よりも5m以上低い位置にあると想定されるので、【南口が水面すれすれ】にあるとすれば、北口は完全に笹川湖の水面下となる。
…………この水位変動が極端に少ないダム湖の現実に対して、いかにも無情な推理は、出来れば当たっていて欲しくないのだが……。
というわけで、現状で私が推定する北口の位置は、ダム湖の水面下である。
この南口から、ときおり明確な水流となって流れ込んでいる水は、
推定250m以上の水面下隧道を流下し、水面下にある南口に流れ出していると推測している。
ダム湖が放流を行っている場合、一見流れがないダム湖にも、上流から下流へ向かう流れが生じる。
そうした水流が、南口に見える形で生じているのではないだろうか。
だがこの流れがあるという事実は、人は立ち入れないとしても、
隧道は未だ水面下に貫通している可能性が高いことを示唆している。
関係各所の許可を得て絵の具を流したら、繋がりが明らかになるかも知れないが、許可は出ないだろう。
水中ドローンによる南口の水面下捜査も考えたが、水の透明度が低すぎて、成功率は低そうだ。
返す返すも、平成13年までにここを訪れたヒーローの登場が、待たれるのである。
ここには夢がある。それは悪夢のような、水夢(スイム)だった。