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廃線レポート 小坪井林用軌道(田代線)ヅウタ隧道 後編

公開日 2023.10.23
探索日 2018.03.07
所在地 千葉県君津市

 ヅウタ隧道 北口擬定地での捜索


(6)そうしたら、上だけ20cmくらい開いている北口坑口と思われる穴を見つけました。ちょうど私が降りていった沢と隣の沢の間に位置しており、隧道を掘るならここだなと思わせる場所です。
やセイジン氏から2018/3/5に戴いたメールから抜粋

2018/3/7 15:28 《現在地》

出発から56分を要して、やセイジン氏が辿ったであろうルートをなぞって、ヅウタ隧道北口擬定地とみられる谷間の湖畔に辿り着いた。
そこは湖と崖に囲まれた、ひどく狭い場所であった。当然、人の気配はない。
既知である隧道南口との位置関係だが、直線距離で約230m北北東に離れた、おそらく同一高度の地点であろう。なにせ、一繋がりの湖面がここにもあるから。



リアス式海岸のミニチュアを思わせるような、ひどく入り組んだ水面だ。
考えてみれば、谷が沈水して出来るのがリアス式海岸だから、それを人造湖の湛水で再現したようなものである。
非常に入り組んでいるために、ここからだと笹川湖の本体というべき笹川本流部分の広い湖面は全く見えなかった。

また、緑色で透明度があまり高くない水面は完全に静止しており、今いる谷からは水も流れ込んでいない。河原のような堆積物が足元を埋めているので、雨が降ればその限りではないのだろうが。
もともと鋭く切り立った谷を水没させているだけに全く遠浅ではないようで、岸から3mも行けば足も着かなそうだった。

ボートを利用したバス釣りが盛んな笹川湖だが、レンタルボートでここまで来ることが許されているかは不明である。私のカヤックでは来られそうだが、流木が多くて、パンクさせてしまわないか少し心配だ。

この辺りに隧道の北口があったなら、この見える湖畔の右岸か左岸に軌道跡があって然るべきだが、それらしい形跡は見当らない。水位が高くて、水没しているのだろうか。


改めて、現在地と軌道跡の位置関係を確認しておきたい。

この画像に赤い破線で描いているのが、水面下にあると推定される小坪井林用軌道の位置だ。
途中で二手に分かれる小坪井線と田代線の分岐地点も水面下で、それは現在地からおおよそ400m北方にあったと考えられている。

現在地の方向へ伸びていたのは田代線で、ヅウタ隧道南口より先については全線の探索を終えており、レポートも公開済みだ。
この線で最後に残された未探索区間が、ヅウタ隧道内部および北口から分岐地点までの区間であるが、平成13(2001)年の片倉ダム完成による笹川湖湛水以来、探索の機会は著しく損なわれてしまった。
湛水が意外に最近の出来事だということが悔しいが、その当時は千葉県に林鉄があったこと自体が今以上に知られていなかったし、公表された探索記録も未発見である。

……といった現状把握のもと、皆さまお待ちかね、私も待ちかねた、

隧道北口の捜索を始める!

探すべきは、水面とは逆方向だ。
今下りてきた谷の方向を(下りてくる時にそれらしいものを見てはいないが)探すぞ。
願わくは、やセイジン氏が目撃したものを私も見て、その正体を私なりに推し量りたい!




( ᯣ _ ᯣ ); じーっ




!!!




15:31 《現在地》

これ(矢印のところ)か!

二つの谷が出合う、そのど真ん中。私が途中まで下った【あの尾根】の直下だ。

「隧道を掘るならここだなと思わせる場所」――という情報提供者の評とも一致するシチュエーション!

なるほど確かにこの場所はありかもしれない。これより奥に軌道を敷くことは、地形的に無理だと思う。



(↑)見つかった穴が隧道北口であると仮定した場合、
見つかった部分と、地中にあると推測される部分を合わせた
坑口全体像の予想図は、上図の通りとなる。

田代線の隧道は、今も上流部に3本が現存しており、
いずれも横幅2m、高さ3mほどの手押し軌道らしい小断面だった。
本隧道も同様のサイズだと想定して描いた。




見つかった穴は、幅は1m、高さは最大30cmほどの小ささだった。

ただ、もともとはもっと大きかった坑口が、土砂に埋れてこうなったように見えた。
穴の両側に大雨の度に土砂を吐き出す谷があり、かつ前面が湖面というのでは、ここに土砂が溜まるのは必然である。むしろ、完全に埋没していないだけでも、相当幸運だと思う。

入口付近の内壁は、向かって右側は本来の内壁とみられるが、左側は土砂に埋れて本来の全幅を隠している。
穴の全貌が分かるほど土砂を寄せるとしたら容易ではない。
ここにあるのは軽い乾いた砂利ではなく、土混じりの濡れた重い砂利である。ちゃんとした道具と時間を使わなければ、掘り返しの成果を挙げることは難しいだろう。

ただ、現状でもいくらか洞口の土砂を掘り下げたような雰囲気があった。
私より先に訪れたとすれば、第一発見者のやセイジン氏が手ずから掘ったか、あるいはケモノの類が巣穴にしようとして掘ったのか。

さあ、内部を覗くぞ!



うん?  んんーーッ?!!

奥行きがない!……か?



入口から2mくらいの位置に、岩の壁が確かにある。

そしてその壁の一部には、明確に鑿で削った時に出来る模様があり、

この穴が、人工的に手を加えられたものであることを、証明している。

だが、人工の穴だとしても、隧道であるとは即断できない。

むしろ、この位置に壁が見えていることは、不審といわざるを得ない。



模式図を用意してみた。

入口から見えている部分に、穴を塞ぐような岩壁が立ちはだかっているという状況を、どう解釈すべきだろうか。

実は土砂に埋れていて見えない「不明領域」に、チェンジ後の画像のような奥行きがあって、実はここが隧道だという可能性はもちろんある。

だが、この岩壁が、隧道の天井が落盤した痕だというのならまだしも、そこに人が削った鑿の痕があるのは、いただけない。
これだと、入口から2mの奥行きで掘り終えた穴の可能性が高くなる。
例えば、房総でよく見られる【横井戸】水気がある岩場を横向きに掘って、そこに集まる地表水を集める井戸の一種だった可能性だ。奥の壁に窪みを作って水を集めやすくする手法は、横井戸ではよく見られるものである。

加えてもう一つ、この穴がヅウタ隧道の北口である可能性を低下させる現状も見て取れる。
それは、この探索の瞬間も常に南口から流れ込み続けている水は、どこへ消えたのかという問題だ。

ヅウタ隧道内部から未知の排水経路がある可能性や、洞内を満たした土砂層を浸透して北口水面下へ排水されている可能性はもちろんあるが、あれだけの水量が呑み込まれていただけに、ここから一滴の水も出ている形跡もないことは、北口と推測するには不利な現状といえる。


これはあくまで、素人の私が現場を短時間見たうえでの推測に過ぎないが、

この穴は残念ながら、ヅウタ隧道の北口ではないと思う。

それでは、北口はどこにあるのかという話に戻るが、いまこの場所から見つけられる範囲にはないようだ。
穴の周囲を一通り探してみたが、軌道跡や隧道の跡は見当らなかった。
私の中で、これが北口だと判断できなかったことは残念であるが、発見し情報を寄せて下さったやセイジン氏への感謝はもちろん少しも色褪せるものではない。本当にありがとうございました。m(_ _)m

15:37 撤収開始!




15:38 (撤収開始直後)

来た道を戻る。まずは、最後に降りてきた谷の登り返しだ



2つの穴を
新たに見つけた。



穴、見つけちゃったんだよねぇ。

当然、覗かねばなるまい。

なるまいが……。




「穴2」

ギャーー! 我がトラウマ作品、阿彌殻断層を彷彿とさせる極限極少穴だ!

横幅50cm、高さ40cmほどの極小穴には、奥行きがある!(悪夢)

明らかに探している軌道跡の隧道ではないから、入らないぞ。
洞床も泥だらけで、入ったらマジ戻れなりそうだ。
奥行きが見えるとはいえ、風はないしな。たぶんどこかで閉塞している。



「穴3」

ギャーー! 我がトラウマ作品、以下略。

横幅50cm、高さ40cmほどの極小穴再び!

やっぱり奥行きはあるんだけど、風は通じていないし、人間が入るような穴ではない。



この2つの穴は、現地調査で見つけた最後の成果だったが、正体は、房総の山間部に膨大に存在する、“二五穴”と総称される古い灌漑用地下水路の跡であろう。

“二五穴”は、幅2尺×高5尺を標準断面とする、極めて小断面の水路隧道であり、一人の人夫が切羽で作業できる最低限度の大きさで掘られている。
現状はいずれも穴の高さが足りないが、これは堆積物で床が埋没したためだと考えられる。
シンプルに、水路隧道だ。

右図は、この谷で発見された合計3つの穴の位置を一望にしたものだ。
「穴1」のみ奥行きが無さそうに見えたが、「穴2」と「穴3」はいずれも水路隧道で、奥行きが観測された。

そして、「穴2」は明らかに右谷と左谷を結ぶ方向であり、「穴3」の水路へ集水する目的で掘られたものではないかと推測した。(左谷側に開口部は発見されないが、埋没の可能性大の状況)

最も注目すべきは、「穴3」である。
「穴3」の向きは、軌道跡のヅウタ隧道と同様に、尾根を越えて田代側へ抜けるものであったと考えられた。
そのうえで、私にはそのような穴の存在に心当たりがあった。




 ヅウタ隧道 考察編


今回、ヅウタ隧道北口の擬定地を訪問し、現地では予想に反し3つの穴を発見した。
だが、いずれの穴もヅウタ隧道の北口ではない可能性が高いと私は判断した。

「穴1」は、サイズ的には軌道由来の隧道跡との期待を持たせる感じがあったが、奥行きがない可能性が高そうだ。
「穴2」と「穴3」については、いずれも奥行きがあるが、サイズ的に明らかに水路用のものであった。

このうち、水路跡と判断した「穴3」の正体については、これまで収集した情報の中に心当たりがあったので、ここで紹介する。さらに、今回は確定出来なかったヅウタ隧道北口の在処についても、最後に考察を試みたい。





『片倉ダム工事誌』より


右図は、平成14(2002)年に千葉県が発行した『片倉ダム工事誌』に掲載された、「補償対象農業用水路位置図」である。

網掛けの部分が片倉ダム湖(笹川湖)であり、私が青線でハイライトした部分に、ダムの建設に伴う公共補償が実施された農業用水路があった。

ずばり、今回探索した場所には、「片倉用水」が存在したことになっている。

さらに、「ヅウタ用水」という別の用水も近くに存在していたことが分かる。

なお、今回アプローチに使った尾根上に描かれている濃い線は、公共補償によって整備された道路の位置である。
この尾根上には「林道1号」という全長1700m、幅1.0mの遊歩道が平成7年度に施工されたと記録されているが、現実には(なぜか)一部未開通のままである。これが現地で見た“未成遊歩道”の正体であった。

片倉用水について『工事誌』にある情報は主に公共補償に関わる内容だけであり、整備された時期や経緯については残念ながら分からない(ヅウタ用水についても同様)。
他の文献にもあたってみたが、今のところこれらの用水の歴史的経緯は不明である。

『工事誌』によると、片倉用水は、取水堰や用水トンネルの水没によって使用不能となることから、補償として新水路を開設することとなり、旧水路は閉塞の上で廃止されたという。(ヅウタ用水についても水没により廃止されたが、代替施設は整備せず、関係者に対して金銭補償が行われた)
いずれにしても、補償が行われているこれらの水路は、ダムの着工当時まで使用されていたようである。



『片倉ダム工事誌』より

なお、片倉用水については、関係するとみられる水路遺構を2013年のヅウタ隧道の南口初探索時に目にしている。

左図の「写真1」の位置に、田代川を堰き止めた取水堰の遺構があるほか、その下流の田代川右岸には、数十メートルおきに点々と横穴があり、その一部(写真2)からは勢いよく水が流れ出していた。
そして見ての通り、そのサイズ感はいわゆる“二五穴”であり、今回私が発見した「穴2」や「穴3」に近い。

今思うとこれらの遺構は、片倉用水の本流ないしは旧水路か枝水路の一部であって、大量の水が流れ出していたのも、どこかで故意に閉塞させられていたためではないだろうか。



ダム建設によって廃止された片倉用水が、
田代川から小坪井川へ抜ける水路隧道の北口が、
今回発見した「穴3」の正体であると結論づけたい。

おそらくチェンジ後の画像に示したように片倉用水は設置されていたと考える。
現在の湖岸に沿って、いくつもの隧道があったのではないだろうか。
このうち、「穴2」はおそらく枝水路で、隣の谷から取水していたのだろう。






それでは、小坪井林用軌道田代線の隧道の北口は、どこにあるのだろうか。


今回の調査によって、軌道の隧道からあまり離れていない位置に、片倉用水という農業用水路が貫通していたことが分かった。

軌道(田代線)が開設された時期は、これまでの調査によって、昭和5年から少し経った頃(昭和10年前後か)と考えられており、廃止は昭和17(1942)年である。
また、この隧道を廃止後に通行したという方の証言も、伝聞ではあるが過去の探索で得ており、その中で、「トンネルにはトロッコのレールが敷かれたままになっていた。また、沢山のコウモリがいた。天井が低く、荷物を背負って歩くとぶつかりそうになった」という内容があったことから、荷物を背負って歩くことなど不可能な用水隧道以外の隧道があったことも確かだ。

安念ながら、片倉用水やヅウタ用水が整備された時期は不明だが、少なくとも片倉用水については、軌道より古い可能性が高いと思っている。これは“二五穴”という古い技術で掘られていることからの推測である。

水路隧道と軌道隧道のどちらが先に掘られていたとしても、後から整備された側が、先に整備されていた隧道を活用することは、考えられて良い。だが、少なくとも水路隧道を軌道用に転用した形跡は見られない。
敢えて隧道の重用を避けたとすれば、水路と軌道の隧道では、単純な断面サイズの差以外にも求められる要素の違いが大きかったからかも知れない。



右の図は、私が行った水路と軌道の勾配に関する一つの思考実験を示している。

基本的に、灌漑用水路隧道は、極めて緩やかな勾配で作られている。
水はほんの少しでも落差があれば流れるうえ、出来るだけ高い標高で水を運んだ方が、より広い農地に配水できる可能性が高いためである。だから、水路隧道は限りなく平坦に近い下り勾配である場合が多い。

一方で、軌道の隧道は、それが林業や鉱業用である場合、山元から集積地への下り片勾配が基本であり、かつ手押し軌道の場合、緩やかだが緩やかすぎない勾配が望ましい。
これは、急勾配だと制動困難となる一方で、平坦過ぎると効率的な乗り下げ輸送が出来ないためだ。

もちろんこれは理想論であり、地形その他の条件から例外を取ることはあり得るが、この理想に則った勾配で、ほぼ同高度に置いた南口から北口へと下る水路隧道と軌道隧道を想定したのが右の図だ。

実際、片倉用水の隧道は、北口と南口がほぼ同じ高さにあるように見えた。
だが、軌道の隧道については、上記の理想論に従う限り、北口は南口よりも5m以上低い位置にあると想定されるので、【南口が水面すれすれ】にあるとすれば、北口は完全に笹川湖の水面下となる。


…………この水位変動が極端に少ないダム湖の現実に対して、いかにも無情な推理は、出来れば当たっていて欲しくないのだが……。



というわけで、現状で私が推定する北口の位置は、ダム湖の水面下である。



この南口から、ときおり明確な水流となって流れ込んでいる水は、
推定250m以上の水面下隧道を流下し、水面下にある南口に流れ出していると推測している。
ダム湖が放流を行っている場合、一見流れがないダム湖にも、上流から下流へ向かう流れが生じる。
そうした水流が、南口に見える形で生じているのではないだろうか。

だがこの流れがあるという事実は、人は立ち入れないとしても、
隧道は未だ水面下に貫通している可能性が高いことを示唆している。

関係各所の許可を得て絵の具を流したら、繋がりが明らかになるかも知れないが、許可は出ないだろう。
水中ドローンによる南口の水面下捜査も考えたが、水の透明度が低すぎて、成功率は低そうだ。
返す返すも、平成13年までにここを訪れたヒーローの登場が、待たれるのである。


ここには夢がある。それは悪夢のような、水夢(スイム)だった。