9:53 《現在地》
辿りついた。
精神的にも肉体的にも疲弊が激しく、やっとこさ、ではあったが、
ともかくも橋頭堡。
この探索を、生還という形で終わらせるための、
おそらくは最後の橋頭堡に到達。
ここは楠木沢を跨ぐ巨大なアーチ型水路管、正式名楠木沢2号水路管の右岸側橋端である。
水路管は現役の構造物なので、とりあえずこの地点は身の安全が確保出来るはずだ。
…ひと休みしよう。
これを渡って帰るのも相当怖ろしいと思ったが…
……まあ、それでも“安全”だ。
怖ろしいだけで、安全ではある。
いま私が辿ってきた廃道は、怖ろしいだけでなく、危険だった。
東電さんには申し訳ないが、帰りは使わせて下さい…。
対岸と同じように、こちらにも水路橋の真上に水路隧道の開口部があった。
これは対岸からも見えていたものだ。
水路管の模式図で示すと、今いるのはこの位置だ。
そして、坑口の左側へ通じているのが、私の進むべき道…左岸道路の続きだろう…。
この場所へ来ることはもう無いだろうし、水路隧道の坑口といえども愛おしい。マジマジと観察しておく。
前にも書いたが、この楠木沢の下流側にある大きな方の水路管や水路隧道は、左岸道路と時代を同じくするものではない。
この左岸道路を大正末期に工事用道路として開通させたのは、既に渡った上流側の水路管の方であり、その前後に通じる1号水路であった。
ここにあるのは、昭和36年に完成した2号水路で、電力需要増に合わせ早川第三発電所の発電機を増設するために建造されたものらしい。
ただ、左岸道路はこの2号水路工事でも一時“復活”して利用された可能性はある。
記録がないので不明だが、位置的には利用しない方が不自然に思えるのも事実だ。
同上地点から振り返る、1号と2号水路管の位置関係。
水路自体については、やはりあくまでも水の通り道ということで、そこまで私を熱くさせるものではないのだが、
かような悪地形に一度ならず二度までも挑み、そしてそれを制してしまった先人の大胆さと偉大さには頭が下がる。
私がしようとしていることなど、その彼らの足跡を辿る事でしかない。
自ら道を切り開いた先人とは雲泥の差である。
とはいえ、この地形に徒手空拳で挑むのは無謀だということも、既に十分感じていた。
ここまで追い詰めた。
全長約6kmの左岸道路(新倉〜下湯島)を、昨日は北側を青崖(あおがれ)の断念地点まで、約1.5km(片道)を征服。
今日は同じ道を南側の新倉からここまで、おおよそ3.8km(片道)歩行した。
合わせて合計5.3kmを攻略済み。
すなわち、残りはわずかに700m!
この700mの最後に待ち受けるのが、昨日断念した青崖ということになる。
どう頑張ってもあそこは踏破出来ないだろうから、最大でもあと700mの往復で、今日の生還はほぼ確定だ。
その事を励みに、最後のステージへ足を踏み入れる事にする。
この先の区間についても、何ら事前情報は無い。
ただ、その最後の景色が判明しているだけである。
9:55 坑口脇から進入開始!
当然のように、踏み跡は見あたらない。
塞がれていたりした方が、まだ道として認識されていると
思えるだけ救いがあるが、そんなものも無く、只の山地。
「分かっていたけど、きついっス…」と思った。
数十メートルほど進むと、奇妙な光景に出くわした。
道の山側の岩肌から、軽便用レールの先端が突き出ていたのである。
なぜ、こんなところにレールが埋もれている??
レールが出てるのは一箇所だけではなかった。
つうか、この法面自体が普通の自然の岩盤ではなかった。
レールが所々から突き出ている範囲は全て、流れた生コンクリートがそのまま固まったものである。
人為的に施工されたコンクリート吹き付けともまるで違う。
以前に別の場所で見たことがあるから分かるが、これは明らかに流しっぱなしのコンクリートである。
この大量の流出コンクリートの出所を探ってみると、2〜30m上部の尾根に求める事が出来そうだった。
おそらくこの地点には、新旧どちらかの水路工事において、生コンクリートを大量に扱う現場があったのだろう。
立地的にプラントをおけるほど広くはないので、索道ないしベルトコンベアの終点だろうか。
作業の中で零れてしまった生コンが、やがて斜面の広い範囲を固めるに至ったものと推察する。
そこに廃レールが突き出している理由は不明だが、廃レールで構築された何らかの構造物…土留めかも知れない…があったのではないか。
苔を纏い天然の岩盤への同化が進むコンクリートの壁を背に、来た道を振り返る。
もうこれだけ水路橋から離れた。
背後には楠木沢の巨大瀑布も見えている。
足元はここも当然のように断崖絶壁で、気の休まる場所ではない。
風でも強く吹いていたら、既に音を上げている位には怖ろしい場所だ。
そしてこの眺めを最後に、楠木沢との別れの時がやってきた。
明るい世界だ!
明け方から今日の探索行動は始まっていたが、今日はじめてこの身に浴びる太陽の光。
まもなく午前10時を迎えようというこの時間に至ってのことである。
朝から雲一つ無いくらいの晴天だったのに、日の光は早川対岸の斜面ばかりを照らし続けていたのだ。
楠木沢の奥に至ってはまだ届いていないだろう。
地味にこの日照時間の短さは、早川の谷で暮らしていく上での厳しいハンディキャップだろうと思う…。
昨日の夕暮れも、外の世界よりも遙かに早く訪れていたしな…。
10:00 《現在地》
水路管から200mほど前進し、早川の本流と楠木沢を分ける尾根の突端にあるカーブに到達した。
この地点は、長い放置の時を経ても風化しがたい安定の平場のようで、私にとっても、しばらくぶりに(少し)肩の荷を降ろした気持ちになれた。
この場所から水路管などを渡らずに直接帰路につける道があれば良いなと思って斜面を覗いたが、無論そんな都合のいいものがあるはずもなく、仮に早川まで降りたとしても橋が無いから、道路がある対岸へは渡れないはずだった。
とにかく「楠木沢を完全に征した」という満足感と高揚感が醒めないうちに、自分の限界をもう一度試すという“苦行”へ向かうことにしよう。はっきり言って、苦行でしかない。ただただ、「まだ見ぬ区間に何かあるかも」という脅迫観点によって行動していた。(実はこういう気持ちで臨む探索は結構あるが…)
突端のカーブで向きを変える道の先を眺めてみる。
「ああ、昨日歩いた道にそっくりだ…」
特に終盤の、“2号隧道”から青崖までの区間によく似ていると思う。
今はつながっていなくとも、確かに同じ道の続だということが感じられた。
薄暗い日影を歩くよりは、気持の問題だが、幾分リラックスしながら前進を再開できた。
まず最初に取り組んだのは、大きな倒木を跨ぐ崩壊斜面であった(←)が、ここはフカフカの落ち葉に隠された土の斜面が良いグリップを持っており、難なくクリアー。
路肩に石垣が残っている事にも気付くくらいの余裕があった。
(→)なお、路盤のある高度周辺には結構多くの木々が生えていて、一見すると平穏な(?)山林に見えるかもしれないが、路盤よりも少し下からは激しく切れ落ちていることが見えていた。
あそこから下は、本当の絶壁なんだろう。
絶対に近寄りたくない領域だ。
(でも結局青崖では、あの崖が路盤よりも遙か上まで支配することに…)
?
な、 なんだあれ…?
檻?!
こんな場所に、檻ッ!?
元来、決して良いイメージを与えるアイテムでもない“檻”が、
命がけで斜面をへつった先に待ち受けているという、この“超常現象”。
過去に檻が印象的だった場面としては……仙人隧道があったが…
あのときに匹敵するインパクトがある……マジ意味分からん。
つうか、檻の手前数メートルもかなりやばい斜面…。
木の根を上手く手掛かりにして、へつり越える。
何なんだろう、この檻。
ものとしては、良く見る生け捕り用の檻であり、その落とし扉は降りていた。
つまり罠として使ったならば、何らかの獣が捕まった後の状態である。
正直私はこの檻の内側に、憐れな獣の白骨でも転がっているのではないかと恐怖したが、幸いにしてそのようなメンタルアタックをうけることはなかった。
…まあ、完全に風化したのかも知れないが…。
本当に意味が分からない。
この場所まで、いかにしてこの檻を持ち込んだのかということが。
分解して運ぶとしても相当な大荷物であり、大人数でなければとても持ち込めないだろう。
いったいどのような目的で、わざわざこの場所に檻を設置したのか…。
そして、この檻のある地点から先を見ると…
なぜかトラロープの誘導路が……。 マジか?!
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10:05 《現在地》
なぜこの場所にロープが張られているのか、理解できなかった。
さすがに私の他に最近、この場所を訪れた人がいるとは思わなかった。
これは傲慢ではない。普段そう考える事など滅多にないのだ。
同業者以外にも、山菜採りとか渓流釣りとか沢登りとか登山とか、様々な目的を持った人が、廃道を道として利用していることを知っている。
だから普段はよほどの道でもない限り、人が来ている痕跡を見て驚くということはない。
何者かが付けた指導標かも怪しい赤テープの導きで廃道を歩くことは、全く珍しい事ではない。
だが、この道に忽然と現れた檻、そして檻から始まっているように見えるトラロープ。
ここまでにも相当険しい場面はあったはずだが、なぜここで突然現れ始めるのか。
まさか、反対側からここまで人が来たとでもいうのか?
大きな疑問を感じながら、とりあえずまだ存置ロープに頼るまでもないと感じられる斜面を進む。
路盤のある斜面は、さらにクリティカル(致命的)な度合いを高めていた。
木々さえ育たぬ絶壁へと変化するのも、遠くないと思われた。
(そしてそれは単なる予測ではなく、結末として判明していた)
またここに至り、本日初めて青崖トンネルの北側の県道が、谷底に見え始めた。
昨日の最後の断念地点では、青崖トンネルの北口までは見えなかったが、もう少しだけ前進すれば正面にそれが見え始めそうだという眺め(写真)であった。
着実に、青崖の対岸へと接近しているのを感じた。
どこまで行けるか、あとは廃道版のチキンレース。
またしても現れた存置ロープ。
斜面には道形が微かに残っているものの、本来のレールも敷かれていたとみられる道幅はほとんど失われ、平らな場所は少しもなかった。
道であった部分の全体が崩土によって斜面と一体化し、単にかつて法面であった壁の断続的連続として、そのラインが見出せるだけであった。
また、斜面に土は露出しておらず、ぶ厚い落ち葉が堆積していた。
これは季節的にやむを得ない事であったが、私を大いに恐がらせた。
折角存置ロープがある。
しかも、そのトラロープの色はあまり褪色しているように見えない。
まだそんなに古くないのではないかと思う。
…少し、助けてもらおうかな…。
待て!!!
やっぱりこの存置ロープはヤバイ!!
図らずも死の罠になってしまっている!
風にゆられ続けたロープは、いつの間にか岩角に傷付けられ、随所に大きな解れを生じさせていたのである。
うっかりこんなものに頼って斜面を横断し、途中で体重を掛けることにでもなったら、どうなったか分からなかった。
ロープが無くても進める(そして戻れる)前提で、判断しないと。
なんとかまた少し進んでみたが…
今度こそダメっぽい、かもしれない。
というか、ここから昨日の断念地点が見通せるならば、もう引き返しても良いと思うが、残念ながら見通せていない。
GPSは持っていなかったが、谷底に時折見える県道との位置関係を参考にして考えれば、まだ300mくらいは先なはず。昨日の青崖は。
でも、もう心が冷え切っている。
昨日がああで、今日もこれである。
もういい加減にしてくれと思う。
そんな愚痴ばかりいうなら帰ればいいのにとか言われそうだが、本当にその通りだ。
おかしな使命感とか、まだ何かあるんじゃないかという強迫観念とか、ほんと良くない。度を超えて深みに嵌っている。
チクショウ! なんで微妙に進めそうな感じなんだよ! もっと、くっきりと断絶していれば、大人しく引き返す心の準備は出来ているのに!
そしてこの斜面の恐ろしさは、今日の中ではピカイチだった。
説明しよう。写真だけでは分からないかと思う。
この斜面、表面の落ち葉を寄せてみないと、その下が石か土か分かりませんのです。
これまでは、大体落ち葉の下は土だと分かっていたから良かったが、ここに来て遂に、斜面全体が土よりも岩が優勢となっていた。
だから、うっかり落ち葉を退かさずそのまま足を踏み入れた場所が岩の上なら、土の上よりも遙かに高確率でスリップするだろう。
はっきり言って落ち葉の下が土と岩とでは、危険度が10倍は違うと思う。
もう早く立ち去りたいのに(いつ落石があるか知ったもんじゃないし)、ここでしばし手足を使った“落ち葉掃き”大会である…。
作業開始から3分経過。
5mくらい進んでいるが、私が掘り返した土の表面が見えていると思う。
とりあえず、ここまでは全部土だった。
それはいいが、とにかく怖い。
ある一定以上の高さの崖は、墜落したときの結果は一緒だろうとは分かっていても、やっぱり高い方が怖いのである。
墜落時、どんな場所で息絶えるのかさえ想像させて貰えない絶壁だ…。
もちろん、遊び半分ではない。ここはとにかく真剣。
そこまで念を入れるかと言うくらい、慎重に落ち葉を払って確かめて歩いた。
中盤戦。
あと目の前の土の斜面を越え、そして明らかに岩場っぽい1mくらいを乗り越えれば、ようやく歩きやすそうだ。
これを書いているだけでも、思い出してソワソワする。
ここ、要注意!
落ち葉の下、
払って見たら、ほぼ岩でした…。
こういう場所に知らず足を踏み入れれば、落ち葉でスリップする可能性が高い。
10:20 《現在地》
5分かかって難関を突破!!
そういえば、今日一番の難関なのにここには存置ロープもなかったな。
ロープの主もここは越えなかったのか、ロープを張らずに通過したか、ロープはもう落ちたのか…。
しかし、これでまた少しは左岸道路を窮められる。
究極へとまた一歩近付いた。完全に極めることは、出来ないのだけど。
この道が元来登山道などではなく、かつては上流の温泉の浴客も歩いた(皇族も!)
一般道路であったことに改めて、改めて畏怖している。
そして小さな尾根を越す右カーブ。
このカーブの向こうは、これまで見通せなかった部分である。
もう、例の場面がいつ現れても良さそうだが。
そこに | あった |
無理。
これは私、
無理。
もともと道がここにあったと言うことが、もう信じられない。
橋だったのか? こんな斜面を横断しうるのは、橋だったのか。
申し訳ないが、ここは即決した。
ていうか、即決できる形でのフィニッシュに、安堵した。
今さら安堵というのもだいぶ遅い気がしたが(笑)、でも、どうにかなってしまいそうな場所で諦めるよりは、全然スッキリしたもんね。
この先を知りたい方は、どうか完全な登山装備と技術でお願いします…。
完全攻略を期待された方には申し訳ないし、心残りゼロ!とはさすがに言えないが、
私にはここが限界。
10:25 撤収を決定。
これで本当に帰れる。
こんな左岸道路ともオサラバ出来る。
本当に本当に、心の底からホッとした。
そして私が辿りついた地点は、出来るだけはっきりさせておきたい。
ただ、GPSを(当時は)持っていなかったので、景色から推測するより無いが。
ちょうど私が断念した地点から谷底を(やや振り返り気味に)見下ろすと、そこには青崖トンネルの北口が正面に近い向きで見えた。
この事実から判断して、私の最終到達地点は… ↓↓
この辺りであったろうと考えている。→
たぶん、残りはあと300mくらいなんだろう。
ただ、悔やまれるのはこの断念地点に至ってもなお、青崖の他方の端に達したという実感が得られなかったことだ。
昨日見た景色の対岸までは辿り着けなかったし、見通す事も出来ていない。
つまり、私の目の届かぬ範囲に、まだ隧道とか何かが残っている可能性もゼロではない。
でも、この道は(←「今回は」ではなく「この道は」)もう懲り懲りだ!
撤収!!
10:52 《現在地》
撤退を開始して25分、往路の踏跡と危険箇所に関する認知を活かし、無事に楠木沢2号水路橋へ戻って来た。
この水路管を渡ればそこはもう“廃道”ではない。
ここにこんな頑丈で立派な橋が架かってくれていることに、心底感謝した。
支間 70.000m
円弧半径 79.841m
アーチライズ 8.080m
鉄管内径 2.800m
全重量 156.139t
制作年月 昭和36年8月
制作 川崎重工業株式会社
現場に取り付けられた銘板によれば、本橋はこのようなスペックを持っている。
おおよそ支間70m+アーチ型に撓んだ分が、実際に対岸に辿りつくために歩く距離である。
そして橋の両端に対して中央部は8m高い事が分かる。
通路の両側には鉄製の手摺りがあり、十分に安全な橋とは分かるが、未だかつてこんなに巨大な水路管を渡ったことはなく、緊張する。
第一歩を刻む。
丸い水路管の上に直接固定された歩廊は、その大部分が階段となっている。
ステップとステップの間には段差の分だけ隙間があり、それが階段と言うよりは梯子を歩いているような気持ち悪さを感じさせた。
もし両側の腰丈まである手摺りなければ、私も絶対に遠慮させていただいただろうな。
確かな足触りにやや安堵し、一定の歩速を刻むようになると、背後に陸が遠くなるのを感じる。
耳に届くのは、近くに「カン。コン。カン。」という乾いた金属音の繰り返しと、足元の谷全体から湧き上がる大きな沢音。この二つだけとなった。
ステップはアーチの形をかなり忠実になぞっており、段差の大きさは頂上に近付くにつれて段階的に小さくなった。
そして頂上の前後15mほどは平らに作られていた。
この時間、楠木沢の右岸は明るく日の光に照らされていたが、これから向かう左岸は陰であった。
カメラで撮影すると、白い鉄管にホワイトバランスが支配され、左岸の背景はまるで夜のように真っ暗く写った。
だがここまでではないにせよ、肉眼でもこれに近い強烈な陰影差が観測され、まさに自分だけが谷の右岸でも左岸でもない、極めて特殊な地点にいることを実感した。
←下流方向の眺め。
眼下は楠木沢で、中央付近に見える吊り橋は、早川本流に架かっている。
私が現在向かっている生還ルートの要が、あの橋である。
昨日もあの橋の対岸までは来ているので、いよいよ脱出は近い!
上流方向の眺め。→
1号水路管、時雨の滝、そして攻略済み左岸道路の隧道などが見える。
攻略後に見るこの景色は、誇らしかった。
この楠木沢の険しさは凄まじいものがあると思うが、遡行した人間はいるのだろうか。
ここからの眺めを動画でどうぞ。↑↑
堪能した後で、残りの橋を渡りきった。
化け物さん、ありがとう。
やっぱり人間は偉大だな。
往路では30分以上掛けて歩いた楠木沢を僅か数分で突破し、
おおよそ1時間40分ぶりに、見覚えのある分岐地点へ戻ってきた。
11:05 《現在地》
ここから早川に架かる吊り橋までの道は初めて通行するが、昨日目撃した吊り橋の整備状況などを見る限り、問題は無いだろう。
今さらここでトラブルに巻き込まれるのは勘弁して欲しい。
願いを込めつつ、未知エリア最後の歩行を開始。
左岸道路と早川谷底との高低差は100m以上あり、これでも周囲よりは幾分緩やかな場所なのだろうが、道が無ければとても歩いてみようとは思えない急斜面である。
そこにジグザグの電光型に切り開かれた階段が通じていた。
階段には手摺りもあり、歩きやすかった。
眼下に吊り橋が見える。
そして見る見るうちに近付く。
私は生還の喜びを噛みしめながら、跳ねるように下った。
この吊り橋を渡れば…
11:13 《現在地》
絶対安全圏へ脱出成功!
地獄の様な左岸道路を、
征さなかったまでも、
死闘は生き抜いた。
ああ、何と愛おしい! 昨日の私が付けた轍だ!
1日たっても綺麗に残っていた。
私は旧青崖隧道付近に停めていたワルクードまで歩き、
それから車で新倉集落へ行って自転車を回収した。
11:32 本探索を完全に終了。
生 還