2010/5/5 17:38 酷い有様だ。
メンテナンスがされなくなってから、どれくらいの時間が経過しているのかは分からないが、とにかく道路上の法面が、軟体にでもなってしまったのかと思えるくらい、見渡す限り、崩壊していない場所がなかった。
道幅は広いのに、路肩まで目一杯障害物が散らばっている状況は、それだけ大きな回転力を持った転落物が多いことを示唆していて、すなわち落石を供給する斜面の尋常ではない高さを物語っていた。ここに安全な場所は全くないだろう。
道幅が広いために、軌道跡のように途絶している不安はほとんど感じないものの、楽に歩かせてくれないのである。
障害物がない平らな地面を歩行する労力が「1」だとすると、こういう瓦礫の上を歩くのは「3」は疲れる気がするし、時間も余計に掛かるのはいうまでもない。うっかり捻挫でもやらかしたら、こんな林道上で野たれ死ぬ恥辱もありえるだろう。とにかく、何が何でも、先を急がせてはくれなかった。
搾り取るつもりなのだ、一滴でも多くの汗を。
17:46
だんだん、写真を撮影する頻度が減ってきていた。
これは、前の写真から8分後の撮影である。
この間の風景の繋がりを記憶していないが、荒涼を絵に描いたような廃林道が続いていたのは間違いない。
次第に薄暗さを肌で感じるようになっているせいで、焦りが深まっていた。
釜ノ島を出てからまだ1〜2kmしか進めていないのに、時間は足早に過ぎているように感じられたし、宿れるような場面が全く見当たらない。というか、本当にそんな場所があるのかという不安もあった。
この3分後、黙々と歩き続ける私に、さらなる試練が加えられようとしていた。
それは、心を折ろうとする、恐ろしい試みだった。
大崩壊地? そういう方向のものではなかった。
17:50 《現在地》
果てしなく遠い!!!
彼方の山に、辿るべき道の続きが見える!
6〜7km先の道が、霞んでいた。
いま見えている範囲を地図上に示せば、上図のようになる。
一番近くに見えているのは0.5km先、次は栃沢を越えた2.5km先、
さらに大根沢を越えた6.5km先と7km先が見えているのに留まらず、
夕霞の中でぼんやりとではあるが、なんと小根沢の向こうの12km先の道まで見えてしまっていた。
しかし、この見えている全てを辿りきってもなお、帰路の半分にも達していないという現実が……。
カシミール3Dで、眺望を確認したのが、この画像だ。
とりあえず今日は大根沢の周辺まで行きたいと思っているが、達成できても、明日は楽ではない。
そのことは、数字の上では分かっていたはずだが、改めて、視覚的に、ここで思い知らせられた。
この山からの生還は本当に遠い。あらゆる人里が、遠すぎた。
17:51
人が長距離を歩くよりないときに考えるのが、小さな一歩の積み重ねが、ゴールへ近づく唯一の手段であるということだ。そう考えることで、己を励まそうとする。
あまりに当たり前で、わざわざ口にしたり文章にする新しさはないが、本当にそれしかないという状況は、現代人が普通に生活する中で案外にないことかも知れなかった。
通常、多くのことには、対価を払うことで開かれる近道や、止めるという逃げ道が用意されているだろう。
登山でさえも、引き返すということが、普通は可能であるはずだ。
だが、こんなにも奥深い“行き止まりの山道”へ分け入ってしまった者の帰路には、逃げ道がない。
本当に、ただ黙々と、一歩一歩を重ね続けるより手がない。(軌道跡へ迂回することは、正直考えなかった)
道とも思えぬような崩壊地の傍らに現われたのは、32.5kmポストだった。
どうやら、33.0kmポストは見ずに通り過ぎてきたようだ。
17:52
32.5kmポストの数十メートル先は、山側だけでなく、路肩も大きく抉れたように崩れていて、将来に大きな不安を感じさせる場面だったが、あまり近づきたいと思えない縁に近づいて覗いてみると、そこには絶望的規模のガリーが口を開けていた。
おそらくこれは、第18回の14:05に見た崩壊地へ続いている。その比高はおおよそ170mに達する。
もうこんなものは林道にとって、死神の鎌を首に引っかけられているも同然である。
あと数回、この縁を大きく後退させる崩壊が起これば、路面は完全に失われ、やがてこのようなガリーを横断するか(極めて危険そうだ)、超絶高巻きするかでしか、超えることができなくことだろう。
2019年現在の再訪の妨げになっている可能性もある。
17:59 《現在地》
しばらく進むと、林道に入ってからは聞いていなかった、しかし少し前まではよく聞いていた音が、聞こえてきた。それは、滝の音である。すぐに音の正体は姿を見せた。
林道の法面に高い滝がかかっていた。本来、滝の水は林道の下を潜っていたのだろうが、その暗渠は大量の堆積物によって、路面もろとも埋没していた。そのため水は路上を流れていた。
ここで私は、水の補給をすべきか悩んだ。
レポート中ではあまり触れていないが、私は水と食料を必要としている。
幸い、食糧については残量に十分な余裕があったが(デカリュックの荷物の半分以上は食糧関係だった)、飲料は2日目からずっと現地補給(粉ポカリ)であった。本当なら煮沸してから利用すべきだろうが、伝統的に私はそれをしておらず、飲めそうだと思えば自由に補給して飲んでいた。
林道上では水を補給できる場所がかなり限られているはずで、ここでの補給を考えたが、荷物を最小限にしたいというジレンマもあったから、ここをスルーして栃沢で補給することにした。
林道を洗い越しした滝の水は、捻り込むような急峻の谷となって、寸又川の峡谷へ落ちていた。冷気を帯びていて不気味だった。
なお、この水の170m下にある景色も、私は知っている。
第18回の13:55に見上げた連瀑がそれである。
軌道は、この滝をささやかな木橋で渡っていたようだが、林道はその中腹を強引に土砂で埋立てて横断したようである。
当時のイケイケな林道作りにおいて、この滝を保存すべき風景とは、誰も見なさなかったのだろう。
由来不明ではあるが、グーグルマップはこの滝に「三昇の滝」という注記を付けている。
18:04 《現在地》
第18回の軌道跡の風景を、その170m上部で逆の順序で再体験するのが、この林道の歩行である。
しかし、これだけの高低差があれば、そこに全く関連性を感じられなかったとしてもおかしくないと思うが、実際そうはなっていなかった。
第18回を逆から辿れば、滝の次に現われるべきは……
そう……
13:51に遭遇した、【“圧巻の大崖壁”】に他ならない!
滝から150mほど進んだこの辺りが、林道があの大崖壁の上を横断する地点であり、林道も全くの無事では済まないだろうと、4時間前からおそれていたのであるが……、
道は無事に繋がっていた!
やはり路肩が欠け始めていて、将来が大いに危惧されるものの、この時点では、特別に苦労することなく、林道として横断することが出来た。
そのことに心底安堵しつつ見下ろした、路肩からの景色は、凄かった!!!
信じ難い見通しの良さで、
170mも下を流れる寸又川の水面がよく見えた。
軌道跡は、途中で斜度が変わる崖の影になって見えないが、有る。そのことを私だけが知っている。
先ほどの大崩壊も、この“超”大崩壊も、ともに林道を崩壊の頂点としていて、その崩れ方の規模からすれば、すぐに寸断されても不思議ではなさそうな林道が、今も上端として現存している。
林道に特別な補強があったようにも見えないのに、これは一見、不思議な現象のように思うかもしれない。
まるでそこに、林道を守る何らかの超然的意思が存在しているかのような…。
だが、これらの斜面崩壊、或いは山体崩壊の原因が、林道建設時のズリ落としや、その後の林道排土による林道下の植生崩壊にあったとすれば、林道上部と下部の崩壊が接続していない現状も、自然と納得できる。
事実、林道から見晴らす周囲の山には、林道周辺ほどに崩壊地は見当たらず、林道の開設が千頭山の怒れる地竜を呼び起こしてしまったことを示唆している。
こいつが再び鎮まる時がいつなのか、私には皆目見当も付かない…。
上の写真に描いた線は、この少し下流から始まる寸又峡の巨大な蛇行に沿って迂遠する、軌道跡のおおよその位置を示している。
直線距離僅か500mの間で、「▲」マークを付けた小山の周りに2.5kmも迂回する部分で、第16回から17回にかけて長々と探索したのであるが、周辺に多くの植林地を見た比較的穏やかな区間であった。
一方で林道は、釜ノ島から2km以上にわたって上り続け、約100mの高度を稼ぐことで、この面倒な迂回尾根の上をスムースに乗り越えることに成功している。
右の写真は、「▲」の小山の頭越しに臨まれる、寸又峡本流のV字スリットを見ている。
あの辺りまで行けば大根沢は目前だが、まずはその前に、栃沢を渡らねばならない。
18:11 《現在地》
釜ノ島小屋を出発して約70分後、2.5kmの地点にある、最初の峠(ピーク)に到達した。
この海抜1150m地点で、寸又川を大きく蛇行させている(前述した迂回)尾根の基部を越える。
ここを過ぎると道は少しだけ下りに転じ、栃沢を渡る橋までは残り700mである。
ここで一旦、進行度合いを数字として測るために時速の計算をしてみたのだが、それは時速2.1km少々というもので、林道歩きとしてはかなりの遅速だった。主に疲労が原因だろう。とはいえ、軌道跡を歩いている中で、これ以上のペースをたたき出した時間はなかったかも知れないとも思う。腐っても林道の方がマシだろう、たぶん。
林道の時速が分かったので、この調子で林道を進み続ければ……、続ければ………………、あと15時間くらいで林道の出口へ辿り着ける計算か……。
ちなみに今日の活動は6:00前から始めているから、約12時間経過したところだったりする。